【まどマギ新作を記念して】美樹さやかとYOASOBIの曲に見る呪いの構造
わたしはまどマギの大ファンです。どれくらいファンかというと、日常のふとしたことをまどマギに置き換えてしまう。すぐに「もう何も怖くない」と言いがち。
今回は、YOASOBIのプレイリストを流していて、美樹さやかが現れた話。
まどマギ(魔法少女まどか☆マギカ)は、2011年にテレビ放送された日本アニメ史上に残る名作。本記事は、まどマギを知らなくても読めるように書いてます(テーマは「呪い」です)
わたしは音楽を聴くとき、ほとんど歌詞を聞いていない。びっくりするくらい、ぼーっとしているからだ。
わたしはYOASOBIの大ファンだけれど、ぼーっと聴いていることに変わりはない。だが、YOASOBIは特定のストーリーについてバリバリ歌っている(「小説を音楽にする」がコンセプトだからね)。
さすがにわたしのぼーっとバリアを突き抜けて、歌詞の意味が入ってくることがある。その、突き抜けてきた曲、「もしも命が描けたら」は、神秘的な雰囲気のする曲だ。
正式なストーリーのことはわかりませんが、曲だけ聴くと、こう思えてしまったという記録です
なにやら、ストーリーが濃い。はっきりわからないけど、3人くらい女性が出てきます? さすがに2人かもしれない。
少なくとも、主人公の「運命の人」的な女性が2人出てきて、主人公は、初代運命の人を差し置いて、2代目運命の人に恋に落ちる。そして、2代目運命の人のために命を捧げ、先にあの世にいる初代運命の人とハッピーエンド。
浮気の構造と、気持ちの切り替えが複雑すぎて、ついていけない。
繰り返しになりますが、わたしには「そう聞こえてしまった」という話です。
どうしても歌詞が気になる方はこちらを。
謎の浮気だけでも十分気になるが、わたしがこれはあかんと強く思うのが、主人公が「奇跡を起こす能力を他人のために使ってしまう」こと。
その結果、主人公は〇〇〇〇〇ことになった。これは完全に、まどマギの美樹さやかじゃないか。
奇跡は他人のために使っちゃだめなんだ。それは呪いを生む。
純粋な気持ちで「他人のため」と思っていても、そのことで自分が不幸になったとき、人は耐えることができないのかもしれない。
あるいは、心の表面では「他人のため」と思っていても、心の奥では「自分のため」であって、その矛盾に心が引き裂かれるのかもしれない。
「こんなに懸命に尽くしてあげたのに、なんでわたしを愛してくれないの!」逆上した女に刺されるホストをイメージしてしまう。
こういう心理を考えるには、贈与論が役に立つ。
だいじょうぶ、むずかしくないです! 人間関係の在り方をざっくり2つに分ける考え方。
「これをあげるから、これをください」
こういうのが等価交換の世界。お金を使った取引が代表格。
「これをあげるけど、お返しの仕方はおまかせするよ」
これが贈与の世界。親が子供に与える愛情が代表格。

できれば、返してほしい気もするけれど、返さなくてもいい。
返してくれるとしても、それはいつでもいい。
返す相手は、他の人でもいい。
こういう贈与のやりとりが世の中をスムーズに回している。家族の中で、いちいち金銭のやりとりをしないのも、贈与のほうの世界観で動いているから。
人間が許容できるのは「ここまで」なのだと思う。それ以上のアンバランスには耐えられない。
相手に与えたのに、返ってこなかった。それどころか、わたしはこんな姿になってしまった。奇跡の果実は相手に、その代償は自分に。
こんな不平等、許せるわけがないのだ。
美樹さやかは最初、自分がしたことは贈与だと思っていたのだろう。違う。贈与ではなかった。これは自分に向けた呪いだ。
呪いは、人間関係のルールの逸脱から発生する。
だから、奇跡を起こす能力を他人のために使ってはいけないんだ。

まどマギの新作「ワルプルギスの廻天」が2026年2月に公開されることに決定しました!
新作を記念して、勝手に狂った企画をはじめます。わたしがまどマギをパクった作品を毎週金曜日、Talesで放送(投稿)します。テレビシリーズと同じく全12話。呪いを超えた狂気を、あなたは目撃する!

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