君におくる贈与のものがたり
この世は「贈与」で出来ているという。資本市場にどっぷり浸かっていると、見えなくなる視点だ。
ざっくり言えば、市場で、お金とモノを交換する以外の、価値の交換の形態が「贈与」。
たとえば、家庭の中で「あれをしてもらった」「これをしてあげた」などのお金を介さないやりとりが、始終おこなわれている。
資本市場のように値札がつく世界ではない。
主観や感情による揺れが大きく、ときに、資本市場では出現不可能なプレミアムがつく世界(お金では買えない思い出の品や、何物にも代えがたい感動的な出来事など)。
贈与のなかでも、世界の物語を大きく動かすものが、親子間の贈与。
近内悠太氏「世界は贈与でできている」の贈与論で、子供に向けられるものは「無償の愛というより、過去の負い目(義務感)」という視点が非常におもしろかった。
過去、わたしたちは親から愛情を与えられた。本来、与えられる理由などないのに与えられてしまった。それが感情の負債になる。負い目となる。
負債は返さないと気持ちが悪いのが人間だ。
たとえば、映画「ペイ・フォワード」は、「見ず知らずの他人から善意を与えられた人が、他の誰かにそれを返す」ことを繰り返していく話なのだが、たしかに、返し手の表情には「義務感」が現れていたように思う。そして返し終わったあとには「安堵」の表情。
親子の話に戻ると、親から与えられっぱなしの負債が心に引っかかっているから、それを自分の子供に返す。その子供も同じことを繰り返す。それが脈々と続いている。
なるほど、わたしは社会的な人間として生きて死んでいくつもりなので、人類のプロトコルにのっとって、自分の子供に渡すものを渡さなければいけない。
≪君に贈るもの≫
お金に困るような事態にはさせません。
病気のときは、すべてに優先して、病院に連れていきます。
本をたくさん買ってあげます。
困った性格をしていても、見捨てません。
見返りを求めません。
ぜんぶわたしが支払いをします。
風習を押し付けません。
すべての決断を応援します。
わたしも自立して生きていきます。

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クリエイターであり続けたいー! が、整体に行かないと死ぬ。ポンコツゆえ、ポンコツゆえ、300円よろしくお願いしまーーす!