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# 9 The WALL 自意識を鎮める幸せの呪文(pink floyd mix)

「すべての人が幸せでありますように
 わたしの好きな人が幸せでありますように
 わたしの嫌いな人が幸せでありますように
 わたしのことを嫌っている人が幸せでありますように」

ちょっとアレンジしているが、以前、原始仏教の本で読んだフレーズだ。
一、二段目は問題なく唱えられる。三段目の「わたしの嫌いな人が幸せでありますように」は少し抵抗感を覚える。四段目の「わたしを嫌っている人が幸せでありますように」はけっこう抵抗感があるが、唱えられなくはない。

寝る前にたまに心の中で唱えるのだけど、多少の抵抗感を感じながらも最後のフレーズを唱え切ると、不思議とすべてがどうでもよくなり、心の中の固い部分が溶けていく感覚が得られる。穏やかな、心地よい感覚だ。
凝り固まった執着心がほぐれるのだなとは思っていたが、原理がよくわかっていなかった。

先日、「無(最高の状態)」(鈴木祐)を読んで、その疑問がほどけたように思う。そして、いっそう応用が利くようになった。

鈴木祐さんの本は他に「最高の体調」「運の方程式」も読んだが、言葉を丁寧に定義し、データを使い、科学的であろうとする。一般的な自己啓発本とは一線を画していて、とても良い。
人間理解を深めるという意味で、ベストセラー「スマホ脳(アンデシュ・ハンセン)」「サピエンス全史(ユヴァル・ノア・ハラリ)」などの延長戦上で読んでも楽しいと思う。

さて、「無(最高の状態)」では、「自己や自我と呼ばれるもの」の負の側面をどう抑えればよいかが書かれている。
自我は、自分のことを自分だと思うことのできる心の機能で、決して悪いものではない。それどころか、「見る」「聞く」のように、人が生きていくために欠かせない生存ツールだ。

ただし、自我があまりに強くなると――自我の機能により自分と他人を隔てる壁があまりに高くなると、問題が生じてくる。他人に不寛容になる。自分と他人を比べ、自分が得られないものに対して苦しむ。

自分と他人の間の壁をほどほどの高さにしておくのが、幸せであることのコツのようだ。先の疑問に対する答えが見えてくる。

すべての人が幸せでありますように
わたしの好きな人が幸せでありますように
わたしの嫌いな人が幸せでありますように
わたしのことを嫌っている人が幸せでありますように

この呪文には、ものすごく嫌いな人の幸せすら願ってしまうことで、一時的に境界をなくし、問題の壁を下げる効果があったのだ。

もっと簡易的に、呪文を頻発する方法もある。
それが鈴木祐さんの本の中で紹介されている、数多くの実践方法のひとつなのだが、生活する中で出会う他人に「この人が健康で幸せでありますように」と無差別的に願うことで、自我機能の発動を抑えることができる。

電車の中で、「このぶつかってきたおっさんが幸せでありますように」
会社の中で、「この地底の住人みたいなおばさんが幸せでありますように」

なるほど、同じ効果がある。

自意識の壁を下げることは意外と簡単。と思うでしょ?
だが、世の中には呪文を唱えることができない人がいる。

ジョブホッパーのわたしがかつて所属していた(株)サイコパス・コンサルティングでの話。サイコパスばかりが集まった集団なのだが、そのなかでも特に他人に対して攻撃的なおばちゃんがいた。わたしは、雑談の中であの四行の呪文の話をねじ込んでみたことがある。
「絶対にできない!!!」
ものすごい拒絶反応だった。
まるで、呪文を唱えてしまうと、その存在が蒸発してしまうかのように。

他人に批判的な人は、自分が批判されるのがなによりも許せない。
「わたしのことを嫌っている人が幸せでありますように」の段が、本当に言えないのだと思う。

この人は悪霊かなにかの類なのかな、と思わなくもないが、せめて唱える。どうかこのサイコパス・クイーンが幸せでありますように。

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焔ふぁい|FIREの精霊 クリエイターであり続けたいー! が、整体に行かないと死ぬ。ポンコツゆえ、ポンコツゆえ、300円よろしくお願いしまーーす!