造花になりたい紅葉たち。
文章は紅葉に似ている。
最初からそこに、目を引く赤や黄色があるわけじゃないんだ。
冬があって春があって、秋が深まっていって、やっとですよ。
やっと、目を引くオリジナリティが形になる。
わたしたちの文章は、良くも悪くも、紅葉と言える。
紅葉の特長は、不揃いでも色が偏っていても、少し朽ちていても様になること。どう仕上がったとしても、人の心を動かす魅力がある。
そう考えると、とてもお得な創造物に思えてくる。
文章を書かない手はないだろう。
だけど、過剰に期待をしてはいけない。
あまりにも人から読まれない。
魅力があること、読まれないこと。
残念ながらそれらは両立してしまう。
これも紅葉とまったく同じ。
秋が来る。魅力的なたくさんの紅葉が、日本中に現れる。
人は果たして、どれだけの紅葉を見て回るだろうか。
わたしはきっと、生活圏内で眺めるだけ。紅葉目当てに観光地に出かけたとして、せいぜい1~2か所だろう。
ひどい年は、気づいたら紅葉シーズンが終わってたこともある……。
今、立場は逆になる。
わたしの文章は紅葉。この文章も紅葉。
こう見えても、長い月日を経てこのテイストになっている。
運よく、住宅街で色づいた紅葉だとする。
通りかかる人がたまに気づいてくれる。
「うん、いいね」とか「まだちょっと早いかな」とか、感想を浮かべてどこかへ行ってしまう。
通りかかって、気づいてくれる人はどれくらいいるだろう……。
あっという間に、紅葉は散ってしまう。
抗いたい。もっと、多くの人に見てほしい。美しいままでありたい。この紅葉だけは特別に扱ってほしい。
切なる願い。消えたくないよな……。
この願いを否定できるわけがない。
わたしたちは紅葉、造花になりたい紅葉だ。
著名な先生に見つけてもらって、造花にしてもらって、きれいな場所に美しく飾ってほしい。美術展のように調光してもらえば、もっと美しくなれる。
では、見逃された紅葉に意味はあるのか?
たまたま通りかかった人が少し褒めてくれる。やがて朽ちて土に還る。そして、誰かのための栄養素になる。
切ない。
そこに美しさはあるのだろうか。
切なさの美学。
そんな言葉が思い浮かんだ。
美学。なるほど。
もしかしたら、わたしたちの美とは、誇りに近いのかもしれない。
造花になりたい紅葉たち。
わたしたちは誇り高く書くべきだ。
近くに住む、気まぐれな読者に向けて、誇り高く。
葉っぱのギザギザを少し多めにしてみよう。
色合いも微妙なところを狙ってみよう。
目が合ったその一瞬、「カッコいい」と思われたら最高だね!
花邑 灯火さんの灯火杯に参加させていただきました。創作のきっかけをありがとうございます。

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昨日かな?
— 焔ふぁい|FIREの精霊 (@rockstar_narite) August 24, 2025
わいは、SNS断ちすると宣言したんだよ?
なんで翌日note書いてるん?
創作中毒なんだと思うよ。
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クリエイターであり続けたいー! が、整体に行かないと死ぬ。ポンコツゆえ、ポンコツゆえ、300円よろしくお願いしまーーす!