ライターの究極奥義、自動書記
わたしはここ15年ほどプロを意識して文章を書き続けている。
趣味として、仕事として。
仕事は、直接的には取材原稿の執筆だったり、間接的には企画書やコンサル資料の作成だったりする。今は✕✕の仕事をしているので、✕✕説明資料や社長原稿なんかが主な対象になる。
生粋の職業ライターではないかもしれないが、ライターの仲間に入れてくれるなら喜んで入ろう。
文章を書くのはしんどい。何度も何度も手直しが必要になる。
何度も磨かないと、とても人様に見せられるクオリティにならない(まあ、下手なんですよね)。重ね塗りをして、無理やりそれっぽく仕上げている感じ。だから、油断して下地が見えてしまうと、とんでもないものが現れることになる。
他人には、少し冗談っぽく、文章を50回は直していると言うけれど、実際は100回以上直している。どう考えても気持ち悪いのであまり大っぴらには言えない。
一本書きで済ませている人が下手かというとそんなことはなく、80点くらいで書けていたりするのですごい。100回直して90点より、1回で80点のほうがどう考えても優れている。
わたしは粘着質なだけの三流ライターかもしれない。
そんな粘着系三流ライターにも奥義がある。それは自動書記だ。
言葉のとおり、手を自動的に動かして文章を書くということ。
それはいつでも発動できるわけではない。
ある程度落ち着いた環境で、とりあえず手を動かしはじめ、手が動くのにまかせてあまり考えないようにしていると、手が勝手に動いてどんどん文章を仕上げてくれる(ことがある)。
プレゼン用のパワーポイント作成も同じ。下調べを済ませ、材料を用意しておく必要があるけれど。
もちろん、考えていないように感じるだけで、実際は考えているはずだ。
ただ、思考の流れが滑らかなため、摩擦がほとんど発生しないのだと思う。
自分は何もしていないのに、勝手に文章ができあがっていく――。
なんて便利なんだ。全能感、爽快感がある。
一昨年は、在宅勤務で企画書を何枚も作らなければならないとき、「こうなったら自動書記でいくか」などと思った記憶がある。
なお、この記事は今年noteを書きはじめてから100記事目になるが、自動書記は一度も発動していない。技の存在を忘れていた。
意識して発動できるものではないとはいえ、いちおう意識しなければ、発動するものもしないらしい。
自動書記の持続時間についても記しておく。非常に稀な体験があったためだ。
普通は2~3時間くらいで気持ちが途切れるものだけど、超常現象の域というか、約1か月もその状態が続いたことがある。はじめて長編小説に挑戦したときのことだった。
自動書記が止まらなくなった。夜、寝るまで原稿を書いていて、朝、起きてそのまますぐ書いていた。本当に書きたいから書いている感じで、まったく苦にならない。中高生のころ、親に見つからないように早起きしてテレビゲームをしていたときと同じようなテンション。
普通に会社に行っていたので、インターバルがあったはずなのに、帰宅後またスムーズに書きはじめることができる。
まるで何かにとり憑かれた感覚があって、出版されるわけでもないのに書いた「あとがき」のなかで、太宰治が降りてきたと書いた記憶がある。
その勢いのまま、締め切りが近く、賞金額の一番大きかった公募賞に応募してみた。
ひと月後、携帯電話に見知らぬ番号の着信があり、出てみると、
「✕✕さんですか? このたびは✕✕賞に応募をありがとうございました。今、審査が終わったところです。ぜひ出版させてください」
この話はまた後日。
今日のところは、自動書記恐るべし、とだけ思っていただければ。
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