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わたしの創作大賞

みんなはできるのに、どーしてアタシはできないンだろう…

そう思うことが、たくさんある。
毎日会社に行くこと、正社員になること。働くことに関しては、コンプレックスだらけだ。
働くこととか、恋愛とか、
周りのひとが、”フツー”にやっていることが、うまくできないような気がしている。
呼吸をするのも、実は得意じゃない。生まれた瞬間、泣かなかった。反旗を翻して生まれた。

今の会社で正社員に「なる」ことは難しくないけれど、なったからって、奥底の欲は満たされない気がする。
満たしたいならば紐解くべきだ。それを恐れていることが、いちばんよくない。

最近は、言い訳のように休んでしまう。何からも。
病気なのか、言い訳なのか、もうよくわからないんだ。ただ、つらい。
つらいときには休めばいい。
そんな簡単と思われることができるようになるまで、ずいぶんかかった。

今でも夜中に、癇癪を起こす。
3ヶ月に1回は、同居人と冷戦状態に入る。
わたしは彼を、好きで居続けることができない。
もういいや、と何度も捨てる。
そして、もういいや、何度も拾う。
諦めることを、繰り返す。

自分のペースを乱されることも苦手だ。
エッセイを書いているときには、話しかけないで欲しい。

ああでも、それくらいかもしれない。
書いてみたら、案外大したことはなかった。気がする。

そんなわたしが抱えているもののひとつが、”ひとつの制作に集中できないこと”だった。

もうこれが、何をやっても短期決戦型。
歌詞を書いても、曲を書いても、エッセイを書いても
先月作った名刺だって、実作業時間は短かった。印刷してチェックして、という工程があったので1日でぜんぶが終わったわけではないけれど、「やるぞ」と決めてから2,3日では完了している。
YouTubeの動画だって、すぐにできるものしか載せてない。

わたしは、深くイメージすることができないのだと思う。
うわべだけをさらりと撫でるように、拾ってゆく。
何枚も、何枚も

自分の作ったものに対する、興味を失うのもはやい。
書いたエッセイの半分は覚えていない。
タイトルを見て、中身が思い出せないことも多い。
いつまで経っても、タイトルをつけるのがへたすぎる。これじゃ、なんもわからん。

ピアノも即興で、延々と、それもひとりで弾けと言われたら弾けるけれど、完成形を納品してくださいって言われたら戸惑う。
いまある下書きのようなピアノ日記を清書しろと言われたら、どうすればいいんだろう。
あるもので欲しいものがあったら差し上げます、とは思う。身勝手だけれど。
似たようなものを、下書きでいいので作ってください、と言われたら幾らでも作れる。

人と一緒に演奏できない、というのもコンプレックスだ。
わたしはきっと、好きに弾くのが好きなだけだったんだと思う。

好きに弾いて、好きに書いて、
ひとりで
流れるように生きてゆく
どこにも留まらないで

だから、ひとつのものを深く、濃く耕せる人は、まぶしくて仕方がない。
創作大賞の締め切りまぎわ、渾身の一撃がタイムラインに流れる。
このコンテストに向けて深く耕された、至高の2万字。

よくないことだ、と思っていた。
正直いまでも、そう思っている。
うわべを繕って、さらりさらりと生きてゆくこと。
毎日更新をだらだらと続けてゆくこと。
早くここから抜け出して、渾身の一撃を作らなくては、と思っているのだけれど
ゆるゆるとここで、書き続けてしまっている。

でも、もしかしたら

今年の創作大賞は、複数の作品を応募できるようになった。
ということは、「渾身の一撃」ではなくて「渾身の二撃」でもいいわけだ。
なんなら、二撃でも三撃でも、出したらいい。
もしかしたら、それが
わたしの、”いいところ”なのかもしれない。
たくさん書けるところ。

何度めくっても、めくっても
泉のように、次の言葉が湧き出ること。

それは、書いたものを忘れるから成せる技なのかもしれない。
なんて言ったら前向きすぎるだろうか。

いくつかの作品を、創作大賞に送り込んだ。
渾身の一撃ではないかもしれないけれど、誰かにとってやさしい言葉になればいい、と思う。
少なくとも、ぷすぷすとくすぶっていたあのころのわたしに、伝えてあげたいような言葉たちだと思う。

それにしても、自分の作品をまとめ直すのって本当に苦手だ。
今回取り組んでみたけれど、やっぱり苦手だった。

エッセイの本数が多いので、優先的に読んで欲しいというか、「ねるTHE BEST」みたいな、
遊びに来てくれた親愛なる同志が迷わないよう、快適にくつろいでもらえるよう、ピックアップしたエッセイをマガジンにまとめよう
という試みは、何度も繰り返して、何度も失敗している。
このマガジンも、たぶん年内くらいはこのまま放置されて、来年くらいにはまた総入れ替えすると思う。
いまの、わたしのベスト?だと思う。
前のベスト盤からも、好きなエッセイは残してある。
好きっていうか、覚えてるやつ。ずっと。覚えておきたいやつ。
2022年の作品について、2022年の活動まとめからピックアップした。

自分のよくないところを探す天才だった。
誰かの持っているもので、自分にないものを見るたびに、ぐへえっと首がしまる。
いくつも首があっても足りないような人生だと思う。
「わたしなんかが」と思う。言わないようにしているだけで、そう思う。

そんなわたしのどうしようもない言葉をつづっていたら、気付いてしまったことがある。

「恥ずかしいんだけど」って、言わないように気をつけることにした。
わたしが「恥ずかしい」という枕詞で話し始めてしまうと、同じ境遇の人に「恥ずかしい」という烙印を押すことになってしまうかもしれない、という危険性に気がついたからだ。

切なる願いで、生きてゆくこと

わたしを否定することで、誰かを否定することは違う。
そして、わたしの親愛なるひとは、わたしを否定したりはしない。
「つまらないものだけど」って、わたしが言っちゃだめだ。
わたしのつまらないものってたぶん、制作に時間をかけていない、って意味だった。
じゃあ時間をかければいいのかってたぶん、そういうことじゃない。
本当は、「時間をかけるべきかどうか判断して、判断結果に基づいて制作する」っていうのが”正しい”であろうことは気付いている。
わたしは、「とりあえず作る」でここまできた。
浅いイメージのまま、うわべだけをさらうように

何度めくっても、めくっても
泉のように、次の言葉が湧き出ること。

いやあ、さすがわたしだな。こんなふうに言い換えることができる。
そうだよね、友達に相談されたらきっと、こんなふうに言い返してたよ。ていうか、叱ってた。
どうして、親愛なる人へ向けるやさしさを、きちんと自分に向けることができないのだろう。
わたしがやさしさを蓄えていなければ、親愛なるひとを守れないというのに。

やさしくあろう。
ついつい、強くあろうとしてしまうし、これからも強さを追い求めるだろう。
でも、やさしさを忘れてはならない。
親愛なるひとたちが、やさしくあってほしい。あなた自身と、あなたの周りに。
だからわたしも、そうありたい。

そんなわけで、誰かから見たら信じられないほどの不埒さで、創作大賞にいくつかの作品を送り込んだ。

わたしが、わたしを肯定することが
あなたが、あなたを肯定することに繋がりますように。
なーんて、マエムキすぎるか。
でも、悪くないと思うんだ。




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