わたしの創作大賞
みんなはできるのに、どーしてアタシはできないンだろう…
そう思うことが、たくさんある。
毎日会社に行くこと、正社員になること。働くことに関しては、コンプレックスだらけだ。
働くこととか、恋愛とか、
周りのひとが、”フツー”にやっていることが、うまくできないような気がしている。
呼吸をするのも、実は得意じゃない。生まれた瞬間、泣かなかった。反旗を翻して生まれた。
今の会社で正社員に「なる」ことは難しくないけれど、なったからって、奥底の欲は満たされない気がする。
満たしたいならば紐解くべきだ。それを恐れていることが、いちばんよくない。
最近は、言い訳のように休んでしまう。何からも。
病気なのか、言い訳なのか、もうよくわからないんだ。ただ、つらい。
つらいときには休めばいい。
そんな簡単と思われることができるようになるまで、ずいぶんかかった。
今でも夜中に、癇癪を起こす。
3ヶ月に1回は、同居人と冷戦状態に入る。
わたしは彼を、好きで居続けることができない。
もういいや、と何度も捨てる。
そして、もういいや、何度も拾う。
諦めることを、繰り返す。
自分のペースを乱されることも苦手だ。
エッセイを書いているときには、話しかけないで欲しい。
ああでも、それくらいかもしれない。
書いてみたら、案外大したことはなかった。気がする。
◆
そんなわたしが抱えているもののひとつが、”ひとつの制作に集中できないこと”だった。
もうこれが、何をやっても短期決戦型。
歌詞を書いても、曲を書いても、エッセイを書いても
先月作った名刺だって、実作業時間は短かった。印刷してチェックして、という工程があったので1日でぜんぶが終わったわけではないけれど、「やるぞ」と決めてから2,3日では完了している。
YouTubeの動画だって、すぐにできるものしか載せてない。
わたしは、深くイメージすることができないのだと思う。
うわべだけをさらりと撫でるように、拾ってゆく。
何枚も、何枚も
自分の作ったものに対する、興味を失うのもはやい。
書いたエッセイの半分は覚えていない。
タイトルを見て、中身が思い出せないことも多い。
いつまで経っても、タイトルをつけるのがへたすぎる。これじゃ、なんもわからん。
ピアノも即興で、延々と、それもひとりで弾けと言われたら弾けるけれど、完成形を納品してくださいって言われたら戸惑う。
いまある下書きのようなピアノ日記を清書しろと言われたら、どうすればいいんだろう。
あるもので欲しいものがあったら差し上げます、とは思う。身勝手だけれど。
似たようなものを、下書きでいいので作ってください、と言われたら幾らでも作れる。
人と一緒に演奏できない、というのもコンプレックスだ。
わたしはきっと、好きに弾くのが好きなだけだったんだと思う。
好きに弾いて、好きに書いて、
ひとりで
流れるように生きてゆく
どこにも留まらないで
だから、ひとつのものを深く、濃く耕せる人は、まぶしくて仕方がない。
創作大賞の締め切りまぎわ、渾身の一撃がタイムラインに流れる。
このコンテストに向けて深く耕された、至高の2万字。
◆
よくないことだ、と思っていた。
正直いまでも、そう思っている。
うわべを繕って、さらりさらりと生きてゆくこと。
毎日更新をだらだらと続けてゆくこと。
早くここから抜け出して、渾身の一撃を作らなくては、と思っているのだけれど
ゆるゆるとここで、書き続けてしまっている。
でも、もしかしたら
今年の創作大賞は、複数の作品を応募できるようになった。
ということは、「渾身の一撃」ではなくて「渾身の二撃」でもいいわけだ。
なんなら、二撃でも三撃でも、出したらいい。
もしかしたら、それが
わたしの、”いいところ”なのかもしれない。
たくさん書けるところ。
何度めくっても、めくっても
泉のように、次の言葉が湧き出ること。
それは、書いたものを忘れるから成せる技なのかもしれない。
なんて言ったら前向きすぎるだろうか。
いくつかの作品を、創作大賞に送り込んだ。
渾身の一撃ではないかもしれないけれど、誰かにとってやさしい言葉になればいい、と思う。
少なくとも、ぷすぷすとくすぶっていたあのころのわたしに、伝えてあげたいような言葉たちだと思う。
それにしても、自分の作品をまとめ直すのって本当に苦手だ。
今回取り組んでみたけれど、やっぱり苦手だった。
エッセイの本数が多いので、優先的に読んで欲しいというか、「ねるTHE BEST」みたいな、
遊びに来てくれた親愛なる同志が迷わないよう、快適にくつろいでもらえるよう、ピックアップしたエッセイをマガジンにまとめよう
という試みは、何度も繰り返して、何度も失敗している。
このマガジンも、たぶん年内くらいはこのまま放置されて、来年くらいにはまた総入れ替えすると思う。
いまの、わたしのベスト?だと思う。
前のベスト盤からも、好きなエッセイは残してある。
好きっていうか、覚えてるやつ。ずっと。覚えておきたいやつ。
2022年の作品について、2022年の活動まとめからピックアップした。
◆
自分のよくないところを探す天才だった。
誰かの持っているもので、自分にないものを見るたびに、ぐへえっと首がしまる。
いくつも首があっても足りないような人生だと思う。
「わたしなんかが」と思う。言わないようにしているだけで、そう思う。
そんなわたしのどうしようもない言葉をつづっていたら、気付いてしまったことがある。
「恥ずかしいんだけど」って、言わないように気をつけることにした。
わたしが「恥ずかしい」という枕詞で話し始めてしまうと、同じ境遇の人に「恥ずかしい」という烙印を押すことになってしまうかもしれない、という危険性に気がついたからだ。
わたしを否定することで、誰かを否定することは違う。
そして、わたしの親愛なるひとは、わたしを否定したりはしない。
「つまらないものだけど」って、わたしが言っちゃだめだ。
わたしのつまらないものってたぶん、制作に時間をかけていない、って意味だった。
じゃあ時間をかければいいのかってたぶん、そういうことじゃない。
本当は、「時間をかけるべきかどうか判断して、判断結果に基づいて制作する」っていうのが”正しい”であろうことは気付いている。
わたしは、「とりあえず作る」でここまできた。
浅いイメージのまま、うわべだけをさらうように
何度めくっても、めくっても
泉のように、次の言葉が湧き出ること。
いやあ、さすがわたしだな。こんなふうに言い換えることができる。
そうだよね、友達に相談されたらきっと、こんなふうに言い返してたよ。ていうか、叱ってた。
どうして、親愛なる人へ向けるやさしさを、きちんと自分に向けることができないのだろう。
わたしがやさしさを蓄えていなければ、親愛なるひとを守れないというのに。
やさしくあろう。
ついつい、強くあろうとしてしまうし、これからも強さを追い求めるだろう。
でも、やさしさを忘れてはならない。
親愛なるひとたちが、やさしくあってほしい。あなた自身と、あなたの周りに。
だからわたしも、そうありたい。
◆
そんなわけで、誰かから見たら信じられないほどの不埒さで、創作大賞にいくつかの作品を送り込んだ。
わたしが、わたしを肯定することが
あなたが、あなたを肯定することに繋がりますように。
なーんて、マエムキすぎるか。
でも、悪くないと思うんだ。
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