お雑煮は春菊
「今年のお雑煮、春菊を入れてないんだけどいい?」と尋ねられたとき、すごく嫌そうな顔をしてしまった。作ってもらっている立場のくせに、生意気である。でも、春菊である。
「きみ、春菊好きじゃないって言ってたじゃないか」と言われて、言ったかもしれないと思った。けれども、こちらにも言い分がある。
「あの苦い葉っぱの入った餅入りの汁を食うと、正月が来たなあって思うから……お正月に食べる春菊はスキなんだよ」
基本的に、正月の古い記憶というのは生家になる人が多いのではないだろうか。わたしもそのひとりだ。祖父母、両親、兄。犬もハムスターもまだいなかった。
お重に入ったおせちを食べた記憶がある。料理を好まない母が作ったとは思えないので、なんかまあ、うまくやっていたのだろう。お雑煮は食べていた記憶があまりないのだけれど、そういうと兄に「食べていたぞ」と言われたりするだろうか。ひとつ違いの兄は、実にいろいろなことを覚えていて驚く。
うちの両親は自営業で、母親は自宅でピアノを教えていて、父親は大工で帰りが早かったので、正月だから特別にみんなが揃うだとかそういう意識はなく、何をしていたかなあと思い出せば、「お年賀」を配っていた。
自営業……いまで言えばフリーランスというわけで、父の顧客や業者仲間に挨拶に回っていた。そうだった。大工は、大工だけでは仕事ができない。設計の図面を引く人がいて、木材屋、水道屋、左官屋、瓦屋、とにかく色々と挨拶に行っていた。気がする。車で連れて行かれて、一日が終わった。
わたしから見ればみんな一緒で、お年玉をくれるおじちゃんだった。
書いてみて思ったけれど、これはお歳暮の記憶だったかもしれない。もうあまり覚えていない。
初詣には行っていた気がする。
隣の家に回覧板を置きにいったら猿がいたことのあるくらいの田舎だけれど、「親戚一同が集まる」というようなイベントはなかったし、「正月に帰る」というような親戚もなく、ごくごくありふれた日常に毛が生えたような時間だった気がする。年越しの瞬間を祝うという風習もなかった。みんな寝ていた。
この家に住む男が、お雑煮を作り始めたのはいつからだろう。
あるときに一度作ってくれてから、お正月はお雑煮を食べることとした。
実家の味もよくわからないわたしなので、餅が入っていればなんでもいい。”我が家”のは野菜もいっぱい入っている。汁は透明で、肉は鶏。今年食べたのはそんな感じだったけれど、去年と同じかと言われるとわからないし、どの地域のお雑煮を食べているのかも知らない。彼の地元か、彼の母の地元か、クックパッドのお膝元か。
ただ、春菊が入っていて、最初に食べたときは「なんだこの苦いやつは」などと言ったのだろう。春菊なんて、自分じゃ買ったことがなかった。
それからお正月じゃないときに春菊に出会ったときに「なんだかこれはお正月の味がする」と言ったら、「春菊じゃないの?」と教えてもらったことがあった。
春菊はわたしにとって、お正月の味なのである。
正月は春菊を食べたいし、正月じゃないときに食べても「正月の味」というと思う。

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