それでも、君はもう一度エッセイを書いてゆく
書き終わったエッセイが、消えてしまった。
ほんとうに、消えてしまった。
ほんとうは、わたしが間違えて消しちゃったんだけど、信じられないくらい一瞬の出来事だった。
さっきまで、ドトールでエッセイを書いていた。
それは、至高のエッセイになる予定だった。そんな気がしていた。
いっさい分量を測らず、一度も味見をせずに作った料理みたいに、その場限りのいい加減だった。
でも、「良い料理になるだろう」と思えたし、結局味見もしなかったから、良い料理かはわからずしまい。
そして、分量も測らなかったから、同じものは作れない。
そんなわけで、わたしの至高(の予定だった)エッセイは消えた。
*
電子機器に文章を打ち込む、ということを始めてから25年ほど経った。
最初は母のワープロで、日記と、小説みたいなものを書いていた。フロッピーディスクにデータを保存したけれどすぐにいっぱいになってしまって、小学校を卒業することには7枚のフロッピーディスクを所持していた。
中学生になって自分用のノートパソコンを持って
それから10年後に、カーボン製のMacBookを卒業して
iMacと一緒に、10年ほど過ごしてきた。
電子機器を扱っている以上「すべてが消える」というエラーは存在する。
必ず、存在する。
何度も、何度もあった。
だから、落ち込みを最小化し、再発防止にも努めた。
毎日のエッセイは、Macのメモアプリに書いてから、Chromeで開いたnoteのページに貼り付けている。
直接noteに書かないのは、「スクロールと誤ってブラウザバックした際にすべてを消してしまった」という経験が原因だったと記憶している。
メモ帳に書いていればその心配はないし、ある程度は自動で保存されるし、オフラインだから「インターネットの接続のせいで」みたいなこともなくて、いちばんエラーが少ない。と信じていた。
だから、iPhoneでも何も考えずメモ帳アプリで書いていたんだけれど
noteに貼り付けようとしたらコピーするつもりが、「カット」していたらしく、貼り付けても何も出てこなかった。
慌ててiPhoneを振って、「やり直し」をしてもダメだった。
見えていた、「カット」して画面から何もなくなって
ああ、なんでメモ帳の「戻る」を押しちゃったんだろ、そうじゃないでしょ、noteアプリに切り替えればよかったのに
「戻る」が致命傷になってしまった。
メモ帳の画面から出なければ、「やり直し」ができたかもしれないのに
ああ、もうなにをいってもダメなんだけど
眠たいアタマで書いた絶妙なエッセイだった。
冷静なときには書けない奇跡みたいなエッセイを、自分で読んでみたかった。
奇跡だから、二度は起きない。
同じ事象を組み合わせても、最初の奇跡を越えられないことはわかっていた。
だからもう、悲しむしかなかった。
*
久し振りに、あんなに悲しかった。
「データを消す」と同じ回数だけ、「データを消すことから立ち上がる」ことを繰り返し、「同じ文章は二度と書けないが、同じっぽい文章は書くことができる」ということも理解していた。
だからすべきことは、「諦める」か、「同じっぽい文章を書く」の二択に決まっている。
それなのに、「iPhone メモ 復元」とググって、いくつかの方法を試した。
もちろん、目の前で自分が「消した」のだから、戻るわけはないと思っていた。
「メモデータを外側から削除した」のであれば、戻す方法はありそうだったけれど、わたしは内側から消す、つまり自分でなにもないデータに上書きしてしまったのだ。
そりゃあ、帰ってこないのだけれど
何もせずにはいられなかった。
もう、ここから動けない。
動きたくない。
動かないわけにはいかない。
今日はもう、エッセイを書けないかもしれない。
本気でそう思ったのは、久しぶりかもしれない。
「書きたくない」と思うことはよくあるけれど、「書けない」と思うことは少ない。
「エッセイを消しちゃって」、そんなふうにツイートしようか悩んだ。
でも、あまりにもまぬけすぎた。
「わたしはいま、すごく悲しい」同居人にメッセージを送ろうか悩んだ。
おそらく返ってくる返事は、「どんまい」系統か、「また書けばいい。君なら書ける」の励まし系統の2種類だろう。
絶対に、どちらも言われたくなかった。
(笑)なんて言われたらドロップキックだし、
「君なら書ける」って言われたら、「うるっっせえええええ書けるなら書いてンだよ!!!」で、やっぱりドロップキックだ。
もしメッセージを送るなら、「落ち込んでいますが、放っておいてください」これが正解だろう。
でも、親切な同居人に「どうした?」と心配かけるのも疲れてしまうので、結局やめた。
仕方がないので、帰ることにした。
*
帰りは、雨だった。
こんな夜は、雨に打たれて帰るのもいいだろう、と思ったけれど、できなかった。
雨は大粒で、冷たかった。
自分を励ますために、コンビニでおにぎりを買おう。と思った。
でも、エッセイを消してしまったことで「400円分のコーヒー代」をなぜだか無駄にしてしまったような気がして、更におにぎりを買うのははばかられた。
わたしは、悲しいのだ。
立ち止まって、確認する。
悲しいのだ。ただ、それだけなのだ。
励まされたくも、同情されたくもなかった。
寂しかった、会いたかった。
自分が生み出したあのエッセイを、読みたかった。
起点のひとつに、なるような言葉たちだった。
もうそれを、確かめることはできない。
ああ、わたしは寂しいんだ。
*
寂しさを書こう、と思ってパソコンの前に座っている。
もう、なんでそう思ったのか思い出せないけど、ファミマでメロンパンを買って、もう一度頑張ろうと思った。
はじめしゃちょーが美味しいって言ってたメロンパン。推しの推しなら、踊っても騙されても救われても構わない、と思えた。
そんな気持ちを書こう、ああ、そう思ったのに。
もっと良い文章が書ける気がしたのに。
時間と共に寂しさはやわらいで、激情は遠く、こんなにもたやすく手放してしまう。
あんなに、あんなに書きたくて、悔しくて、さびしかったのに。
ああ、もう会えないのか。
ドトールのわたしにも、雨に打たれることができなかったわたしにも。
*
それでも、僕はもう一度エッセイを書く。
帰り道に思い描いたこの言葉だけは、この景色だけは本当だった。
これだけは、覚えている。
この言葉を頼りに、ここまで書き進めてきた。
ああ、ほんとうはもっと、もっとなんて思うけれど、
そして、悔しかったことを書くことで、嫌な気分を魚拓にするみたいで嫌だけれど
ねえ、もしかしたらあの、至高のエッセイのかけらも残りますかね。
でも、こういうときって忘れちゃって、もう1回書いたほうがいいかもしれないね。
ああ、あとは頼むよ未来のわたし。
どうか、もう一度書いてくれ。
至高のエッセイに出会えなくても。
あと何度、データを消しても
それでも、君はもう一度エッセイを書いてゆくのだ。

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