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心の泡

 電車とバスを乗り継いで、ここまで来た。

 道のりはどう考えても面倒で、「電車とバスに乗ること」そのものをご褒美だと思わなければ、とてもやっていられなかった。
 けれども、「ここの椅子に座る」と決めたら、物事は進んでいった。
 もう決めてしまえば、それだけのことだった。
 乗り換えがわからなくて、バス乗り場がわからなくて、あたしはきちんとそれぞれ泣きそうになったけれど、もう進むしかなかった。

 たどり着いたスターバックスで、たくさんの花と、水槽の泡を見て、今までの苦労はスパンと飛んでいってしまった。来てよかった。来たばかりなのに、また来ようと思ってしまう。
 外は雨で、館内は冷えていて、あたたかいハウスブレンドを飲んでいると、冬に間借りしたみたいな気持ちになる。8月……ようやく明日から9月だというのに。

 気持ちが、確かに浮き足立っている。
 さっきまでは、あれもこれも面倒だったのに。
 少し前までは、なんだか体の中がずっともやもやしていて、具合が悪いような気持ちで過ごしていた。そしてその前は、確かに具合が悪かった。何日も休んだ。

 具合が悪いのっていうのは、なかなか晴々としないもので、何日も経って、気づいたら普通に暮らせている。ようなものであって、入り口と出口がはっきり分かれているものではない。今日から体調不良は終了、という出口がはっきりとわかっていたら、どれほど良いものか。
 でも実際のところはそうではなく、気づいたらその出口を通り越えていて、ちょっと遠くにいたりするものである。

 ということは百も承知なのに、近頃のわたしは「元気にならないなあ」と思い悩んでいた。体は言うほど重たくないのに、やる気が起きずに寝てばかりいる。
 叩き起こすことができないわけではないくらいに回復したのに、叩き起きてまで何かをしたいと思わなかった。毛布にくるまり、時折本を読む。それ以上に何が必要というのだろう。あとは、コーヒーがあれば充分だった。

 そんな暮らしに飽きればよかったのだけれど、全然飽きなかった。
 ただ、「このままでいいのだろうか」と不安の方が先にやってきた。
 だから今日、面倒なこと(電車とバスに乗ること)を、ご褒美だと置き換えて、こんな山奥まで来たわけ。バスが、ぐんぐんと山道を登っていって、びっくりしちゃった。

 ここでは、あたたかいコーヒーを飲んだり吸い込んだりして、花を見て、水槽のあぶくを見て、ただそれだけだった。それだけの中から、じんわりと満たされていくような気がする。

 わたしは、「元気のない日々」の出口を求めていた。
 そしてそれはスパンと、まるでパズーのラッパみたいに、ある朝急に訪れるのだと、なぜだか信じていた……疑っていなかった。

 けれども実際のところは、水槽のあぶくみたいなものだった。
 少しずつ湧き出て、満たしていく。
 それは、体も心も一緒だったのに。
 またあたしは、勝手に期待して、勝手に失望していた。

 なかなか想像通りに行かない日々だから、もう仕方がないので自分のペースで元気になったり、落ち込んだりを繰り返してゆくのしかないのだ。と、気がついた。認めたともいうし、諦めたともいう。

 少し前より、確かに余裕がある体力で、面倒だと思っていたことを「面白い」に置き換えて、心身に刺激と栄養を与えてゆくしかない。栄養のあぶくを。



▼しばらくは、このあたりを徘徊することになるでしょう



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