夜空の墨
いまだ、と思った。
それは、圧倒的に
桜も散った春、4月の半ば。
冬用のパジャマをしまって、毛布をそろそろ片付けたい春。
真っ暗闇の夜
とげとげで、ぼろぼろになった自業自得の心。
たばこに火をつけたかった夜
散歩に行きたい25時
からだは重たく、それを許さなかった。
そして荒んだ心は
安らかなるベッドを、許さなかった。
悪いことが必要な夜だった。
たばこ、真夜中の散歩、
板チョコを1枚丸呑みにしたり、カップラーメンを2個食べたり
化粧もコンタクトもそのまま眠ったり
そういうことが、必要な夜だった。
いまだ、と思った。
これしかない、と思った。
レジャーシートを、バルコニーに広げた。
このあいだ、友達が来るのに合わせて買ったやつ。
もし来客がひとりならば、ベランダ用の予備の椅子があるのだけれど
ふたり来るならばといろいろ考えた結果、レジャーシートにたどり着いた。
大きすぎると畳むのが面倒だし、小さいと寂しいし、と思って選んだ中くらいのサイズが、ジャストフィットだった。
わたしはときどき、自分の身長に感謝する。
中くらいの、横幅150センチのレジャーシートに、丸くなるとちょうど収まる。ということに気づいてしまった。
しまむらで買った、三連クッション。あれもいい
肩からおしりくらいまでのサイズだ。
あとは枕を設置して、足は適当に丸めて投げ出せばちょうどいい。
わたしは、レジャーシートに眠れる女。
桜も散った、4月の半ば。
25時。
わたしはひとり、バルコニーに転がった。
*
悪いことが必要だ、と思っていた。
そして、確かめることが必要だ、と感じていた。
心が荒んでいなくとも、これはいつか挑戦すべき案件であったのだ。
羽海野チカ先生のことを思い出していた。
墨を飲んだ、と言っていたときのこと。
「墨をのんだような気持ちになった」というモノローグを書いた事があるので、書いた者として、実際にはどんなカンジなのか知らないといかんなと思って飲んでみた。でも、家には製図用のパイロットのインクしかなかった。ごくごくも無理だった。一口ではいた
— 羽海野チカ (@CHICAUMINO) April 10, 2011
この夜は、わたしにとっての墨だった。
バルコニーで寝転がったあとの人生を生きたかった。
4月の夜の寒さを、わたしはわたしなりに、明確に書けるようになったと思う。
ふとんというのは、風を通す。
風さえなければ、眠れる気がした。
テントとか、寝袋というものが風を遮断する能力を持っていたとしたら、外で眠ることも結構快適なように思える。
壁の有り難さを感じる夜だった。
何よりは、屋根だ。
屋根がないから、寝転ぶと空が見える。東京の空。
しばらく空を見ていたのだけれど、ハッと気づいて天気予報を見た。
わたしがいま纏っているふとんは、普段寝るときに使っている羽毛布団と毛布で、濡れてしまったら相当厄介だ。
屋根のないところで眠るというのは、天気を気になくてはならない。
どれだけ雨の気配がなくとも、屋根がないと不安になるんだなァ。としみじみした。
屋根の有り難さを感じる夜だった。
4月の外は、12月の屋内よりうんと暖かいはずなのに、風があるので眠るのは難しかった。
眠るのに必要なのは、ふとんではなく屋根と壁なのかもしれない。
*
墨を飲むこと。
そしてもうひとつは、星を見ることが目的だった。
屋根がないのだもの、仰向けになれば星がよく見えるはずだ。と思った。
しばらく空を仰いだけれど、星はよく見えなかった。
少し考えてから、部屋の電気を消した。
「今日は、月もないから星がよく見えますよ」
宮古島で天体観測をしたときに、ガイドのおねえさんが教えてくれた。
日本列島では見ることができない南の星、カノープスを見た夜だった。
「月があると眩しくて、周りの星が見えづらくなってしまうんです」
強い光は、小さな光を消してゆく。
わたしはそのことを思い出し、確かめてゆく。
部屋の灯りを消した空に、少しずつ星が浮かび上がってきた。
*
方向感覚はあまりないけれど、この家が駅から北側で、玄関のほうが西側だということは理解している。
ということは、右手が東、左手が西。頭のほうが南で、足のほうが北。
通っていたプラネタリムの、特等席と同じだった。
幾つかの星を見つけた。
春になったほうがのんびりと空を見上げられていいのに、天体は冬のほうが賑やかだ。
わたしは、春の星座をほとんど知らない。
君の生まれた街で見た
星はまるでプラネタリウム
なにかが許された気がしたよ
脳内では、スガシカオの”プラネタリウム”が流れている。
本当は目が悪いから
星は よく見えなかったけど…
ほんとうに何も見えなくて笑った。
電気を消しても、東京の空は白く、明るすぎる。
でもまあきっと、目が悪いだけなんだろうなァ……
べつに、たくさんの星を見ることが目的だったわけではない。
それよりも「アアなるほどスガシカオも言ってたモンなァ…」と、よくわからない頷きのほうが、いまの自分には必要なことだった気がする。
*
墨を飲む
強い光は、弱い光を消す
星はよく見えない
あの夜、わたしが覚えておくことは、このみっつだった。
そして眠るならば、壁と屋根があるところのほうがいい、ということ。
30分ほどで切り上げ、ベットで眠った。
べつに何もスッキリしなかったけど、何もしないよりはうんとよかった。
あの日使ったレジャーシートは、部屋の隅でぐしゃっとしている。
きちんと片付けてしまったら、あの日のことを忘れてしまいそうだ、と思ったので、あえてたたまずに置いてある。
このエッセイを書いたら片付けよう、と思ったのだけれど
今夜にもまた、レジャーシートを広げてみたい。などと思ってしまうわたしは、まぬけだろうか。
ああ、まぬけに生きたいのだ。
今度は、双眼鏡と星座早見盤を用意して
わたしはもう一度、いや何度でも
夜空の墨を、飲むのだと思う。
※スガシカオ "プラネタリム"
※「ごめんなさい、なんとかなると思っちゃう」
※now plyaing
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