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練習の日(それでいいのだ)

 今日は、会社に行く練習をした。

 何を言っているんだ、とお思いになるだろうけれど言葉の通りで、会社に行く練習である。
 二ヶ月と少し、休職をしていて、今週末から復職することに決めた。一度、決めてみた。という方がいいかもしれない。「念の為」と言って渡された診断書は今月末までの期限で、会社はいつでも「無理せず、松永さんのペースでね」と言ってくれる。
 つまり、復職するかどうかはわたしに委ねられているのだ。すごいことである。有り難い。有難い反面、自分で決めなきゃいけないという事実が重くもある。決めることは疲れる。晩ごはんのときに見るアニメだって、決められなかったりするのに。病気になればなるほど決めなければいけないことが多いというのは、なかなか驚きだった事実のひとつでもある。
 復職のタイミングは、忙しいであろう会社の冬季休暇明けと、定休日を明けを避けて金曜日にすることにした。なかなか良いと思う。金土と2日間出れば、また定休日。のんびりいこう、らくにいこう、自分に言い聞かせる。

 会社に行けなかったことを、今でも覚えている。
 なんで休職しているかというと会社に行けなくなったからで、今回の休職で三度目になる。コロナ後遺症、非定型うつ病、適応障害と呼び名が変わっていったけれど、とにかく会社に行けなかった。最初のときは毎日38度近く発熱していたのに「まだいける」と意気込んでいたところを「もうやめろ」と医者に言われて休職することになった。
 二度目と三度目は、行けなくなってしまった。身体が重たくて、起き上がれなくて……ひどくわたしを傷つけた事実のひとつが「会社の近くまではたどり着けたのに、どうしても会社に行けなかった」という、復職を失敗したという過去だ。
 過去は消えない。復職に失敗してから半年も働いていたのに、こうして復職をしようとすると「復職失敗」の事実が重い。また、あの頃みたいに行けなかったらどうしよう。仕事に行けないことで、また自分を傷つけてしまったらどうしよう。稼げないのに生きていくことに意味はないと思った。家族に迷惑をかけることだと思った。その話を友達にしたら「君はまじめだね」とじんわりと笑ってくれた。わたしとしては至極当たり前の思考だったのだけれど、そんなふうに考えなくてもよいということを、君は笑顔ひとつで教えてくれた。

 だから、会社に行く練習をした。
 朝、会社に行くような時間に起きて、化粧をして家を出る。
 まず、起きられて◎(昨日は起きられなかった)
 化粧をして靴を履けて◎
 駅まで歩けて◎
 電車に乗って、会社の最寄りまで来られて◎
 会社の手前の通りまで行って、入り口をくぐるところまでイメージして、今日は帰ってきた。うん、大丈夫そう。
 不安はあるけれど、二ヶ月も休んでいたのだから当たり前だし、休みの後ってのは全人類が気だるいものである。
 ここで難しいのが「全人類がそうである」という事実は、決してわたしの苦しみを打ち消さないというところだ。「みんな我慢しているから、自分も我慢しなくちゃいけない」という思考は身を滅ぼす。事実は、連ならず細切れにしたほうがいい。それはそれ、これはこれである。それでいいのである。

 それでいいのである。今日は、それを確認するための儀式だった。
 ひとつひとつの「◎」を確かめること、大丈夫だと思えること。
 何より、「もし会社に行けなくても大丈夫である」という事実を、飲み込みたかった。それでいいのである。会社に行けなかったら、またしばらく休めばいい。家計は苦しいどころかアウトで、借金が増えるばかりだけれど、傷病手当も出る。また生きて考えればいい。
 それでいいのである。いま、「それでいいのだ」と歌っていた友達の顔を思い出しながらそう言っている。友達のことは信じるべきだ。もし、もし休職を延長することになったら、この曲を弾いて歌えるようになろう……

 今日、会社に行く練習をした。練習したけれど、「これでもうバッチリだ」という安定にも安心にも辿り着けず、「とりあえず生きていてもいいのである。きっとそうである」という、震える心を抱きしめながら、それでもコーヒーを飲むのである。スターバックスで。贅沢だ。まったく。図太い。でも、それでいい。そう、それでいいのである。

 2025年のテーマは「らくにいこう」に決めた。
 ルフィが、バギーと最初に戦ったときに、「恩に着る」と言ったその人に向けて放った言葉だった。
 それから二年後、魚人島でもルフィは同じ言葉を口にする。世界情勢を懸命に説明するジンベエに、「らくにいこう」「おれ、出たとこ勝負好きだし」と語る。クルーの命を預かる船長として、最低限の情報は把握しろというジンベエが"正しい"ことには違いないのだけれど、チョッパーは「船長って、話聞かねーやつのことじゃねーのか?」と驚いていた。
 思い返せば、わたしの人生も「正しい船長像」のようなものを追い続けてきたような気がする。かくあるべき望まれた姿を、気がつけば自分の理想の姿だと思い込んでいた。そんなにまっとうな人間が、わたしに当てはまるわけもなかったのに。本当は、話を聞かないタイプの方の船長になりたかったのに。良い子でいたほうがらくなことに気がついてからは、そちらに流されてばかりだった。世の中の、「かくあるべき」は全人類向けでは決してない。と気がつくまで、ずいぶんと時間が掛かってしまった。自分のことを「普通でない」と語るのはいかがかと思うけれど、「普通の人がみんなできていること」を、うまくできないタイプの人間であることは自覚してもいいかもしれない。もう、言い訳だとしても。

 健やかな選択を繰り返したい。
 人生には、「ベストアンハッピーエンド」みたいな瞬間も多くて、どちらを選んでもハッピーエンドと異なるとか、既にハッピーエンドの選択肢は選べなくなっているとか。諦めなければいけないこともある。明日起きたら健康体になっているとか、身長が150センチになるとか。でも、一年後には健康になっているかもしれないし、体重は理想値になるかもしれない。そうならないかもしれないことを、あんまり身軽に「人生はおもしろい」と言えなかったとしても。

 らくにいこう。今日はそのことを存分に確かめた。理想と違っても、らくな選択をしよう。それは、今のわたしが息をしやすくなるだけではなく、未来でうーんと、心地の良い伸びができるような結末であることを願っている。


▼未来へ


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