【掌編】 極上の孤独
ひとりを愛している
美術展も
公園も
水族館も
喫茶店もひとりで行く。
それは、他人を愛していない。ということではない。
予定を立てたり、約束をしたりすることは確かに面倒に感じるかもしれない。
でも、ただそれだけだった。
あなたを、友達を愛している。
ただ、それと同じくらいーーーそれ以上にひとりを愛している。
その触手は、食事にまで及んできている。
いままでは、「食事だけは誰かと」「ひとりならば家で」と思っていたが、ある日の午後、吸い込まれるように引き寄せられた洋食屋のオムライスが、妙に美味しかった。
デミグラスソースとチーズ。
家でだってできないことはないのに、なんだか遠い世界に飛んできてしまったような気分にさせられた。
それからはひとりで食べたりする。
コーヒーを飲むついで、または代わりに。
映画までの待ち時間のあいだに。
平日のランチタイムや、「ごはんどき」と呼ばれる時間は特にいい。
世の中は適切に混み合って、いつでも誰かの声や気配がする。
いつでも淹れたてのコーヒーが出てきて、サラダバーもスープバーも色とりどりに賑わっている。
わたしは、ひとりだ。
注文を取るときと、配膳の時だけウェイターがこちらを見る。
でも、それだけだった。
それは、みょうに心地の良い
浮き足だったみたいな孤独だった。
どこへでもひとりで行くのだから、わざわざひとりでいることを噛み締めるのはおかしな気がするけれど
ここはきっと、ひとりの人が少ない場所だからだと思う。
スターバックスでは、半分くらい(もしかしたらそれ以上)の人がひとりだと言うのに
ざわざわと、人の声も大きい。
大きい、というより多い。
なにを話しているか聞き取れるのは隣のテーブルくらいなのに、この場所は声で溢れている。
海に似ている、と思う。
遠くなったり近くなったり
何かを言っているわけではなくて
流れてゆくのとも少し違っていて
なぜか不思議と、包まれているような気がする。そんな瞬間もある。
わたしはフォークの野菜をつついたりスマートフォンの画面を見つめたりしながら、本を開く。
「お待たせしました」と差し出されたチキンステーキを見ると、あの日のことを思い出した。
※
2010年の、あれは秋だっただろうか。
暑くも寒くもなかったような気がしている。
あのときは神奈川に住んでいて、だからこの言い方が正しくないのはわかっているけれど、「東京のホテル」に呼び出されていた。
地方から、恋人の父親がきていたのだ。
「一緒に挨拶に行く」とわたしは言った。
彼を育てた人を、見てみたかった。
初めての恋に、浮かれていたのかもしれない。
そして「話せばわかりあえる」ということを、曇りなく信じていた。
出張でやってきた、という彼の父親はスーツ姿った。
絵に描いたようなオジサン。
それも、怖そうなオジサンで驚いたというか、やっぱり驚いたんだと思う。
わたしの知っている父親は「現場」で仕事をする肉体労働者で、葬式のとき以外にスーツを着ているのは見たことがない。
年齢より若く見えて、怖そうというか「強そう」なオジサンだった。
だから、怖そうなオジサンを近くで見るのは初めてだった。
怖そうという予感は当たっていて、オジサンはほとんど笑わなかった。
笑わなかった、と記憶しているだけかもしれない。
ホテルのレストランのメニューの読み方もわからず、恋人と同じものを注文した。
出てきたのはステーキで、また困ってしまった。
あのときわたしは、ファミレスレベルでもナイフを使うことができなかった。
ナイフを使ってまで何かを食べることはばからしい、と思っていた。
ほとんど十代の乳臭さを消せない二十歳だった。
焦ったのは一瞬のことで、恋人はさあっとわたしの皿を奪い、ハンバーグをきれいに刻み、こちらに戻してくれた。
ああそうだ
この男は、りんごを剥きにきてくれた男だった。
「りんごが剥けないから、きて欲しい」と言ったらすぐに来てくれた。
付き合い始める、少し前の出来事だった。
安心したのもつかぬまで、「大黒柱」のようなやっぱり怖いオジサンのとなりで食べたハンバーグの味を、わたしはひとつも覚えていない。
会話が噛み合っていたかもわからない。
ただ、就職活動をまだしていないだとか、親が離婚しているだとか、オジサンが好きな夏目漱石を読んだことがないとか(そしてオジサンは江國香織が嫌いだった。わたしは「デューク」が好きだと言った)
そういうぜんぶひっくるめての「わたし」を、快く思っていないことはわかった。
わかったけれど、どうしよもなかった。
どうかすべきかということすら、わからなかった。
※
わたしは、ステーキを刻む。
りんごの皮は剥けないままだが、ファミレスで困らない程度はナイフを使えるようになった。
覚えたほうがらくだったし、別に何も難しくなかった。
そんなことに気づくまで、二十年以上かかってしまった。
ここには、わたしのテーブルマナーを見張る人はいない。
そしてわたしの代わりに、ステーキを刻んでくれるひともいなくなった。
それだけの話だった。
ステーキを口に運びながら、本を読む。
もちろん、マナーの悪さを指摘する人はいない。
注文した食事のすべての提供も終わり、いま誰もわたしのことを見ていない。
わたしが時折、隣のテーブルを見つめたりしているだけだ。
それも見ているだけで、それは水面とか木々のゆらめきを見ているのと同じ気持ちだった。
誰かの声を聞きながら、
誰かが書いた物語の中に飛び込んでゆく。
そして、わたしはひとりだ。
今日もこうして美味しい料理と、心地の良い孤独を味わいながら何にも代え難い時間を過ごす。
食事が終わったらコーヒーを飲んで、君に手紙を書こうと思っている。
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