来年も、年賀状出すよ。
祖父が死んだ。
94歳だった。
大往生だった。と言えるだろう。
祖母が死んでから、あっというまの出来事だった。
世の中には流行り病が流行し、わたし自身も後遺症を患い、まさか自分が「流行の渦中の人」みたいになるなんて、夢にも思っていなかった。
でも、あっというまだった。というような気がする。
祖父に最後に会ったのは、祖母の四十九日で、いつも通りみたいな、でも困ったみたいな、丸い背中をしていた。
いつも、丸い背中だったような気もする。
身体の大きな人だった。
*
祖父が死んだ。
その報せを、9月に聞いた。
急と言えば急だったし、でも介護の話なんかを聞いたりして、
わたしも本を読んで勉強したりしていた。
結局、困ったときに役に立てるのって、お金と時間と体力だと思う。
わたしは、どれも持ち合わせていなかった。
だから少なくとも、母にとんちんかんなことを言わないよう、安心して話してもらえるようにと思って勉強したことを、覚えている。
病気になってから、わたしは今までよりもっともっと、自分のことで手一杯だった。
具合は一進一退を繰り返し、でも相対的に見ればよくなっていて、でも毎朝「体調不良ガチャ」を引き続けて、当たりを引いてしまうと、家を出られなくなってしまった。
当たりを引かない方法が、見つからなかった。
祖父は、死んだらしい。
葬式には、行けなかった。
行くつもりだったけど、行けなかった。
直前に体調を崩し、なんとか持ち直そうとしたけれど、努力でどうしようもなかった。
葬式の日の朝、または静岡に着いてから「当たり」を引いてしまっても、自力でなんとかするしかない。
などという状態で、強い意志で「帰る」とは言えなかった。
帰りたかった。
それは、祖父を見送りたかったからではなくて、
ほんとうは、
ほんとうは、これ以上薄情な孫になりたくなかったからだ。
祖父の葬式に、母の一大事に、駆けつけられないような病気になってしまったと、認めたくなかったからだ。
これは、わたしのエゴだ。
そう気づいたら、やっぱり行けなかった。
*
母方の祖父母とは、数えるくらいしか会ったことがないと思う。
子供の頃に何度か会ったことがあるような記憶があるけれど、ぼんやりとしたものだ。
2階で、機関車で遊んでいた記憶がうっすらと残っている。
高校生くらいになってから、祖父母の家に少しだけ出入りするようになった。
でも、少しだけだった。
わたしはすぐに高校を卒業して上京し、大学を出たあとは、数えるほどしか帰らなかった。
5人いる孫の中で、一番、そして圧倒的に接触回数が少ない存在。
それが、わたしだった。
「最後に名前を、呼んであげてください」
祖母の葬式でそう言われたとき、わたしは息を呑んだ。
わたしはこのひとを、なんと呼んでいただろう。
「おばあちゃん」と呼んだことはなかった。
母方の祖父母は、母の両親という認識だった。
きみえさん、と名前で呼んでいた。
本人の前でそう呼んでいたか覚えてないけれど、わたしの中で、祖母はきみえさんだった。
だから、「きみえさん」と呼んだ。
*
なんとか体調をやりくりして、祖父の四十九日に帰った。
気づいたら祖父は、写真の中にしかいなかった。
白い箱に入っていて、それから小さな壺になって、きみえさんのいるお墓の中に入っていった。
祖父は、いなくなっていた。
祖父母の家にいっても、やっぱりいなかった。
きみえさんも、やっぱりいなかった。
写真の中で、笑っていた。
きみえさんは、太陽みたいな笑顔で。
りゅうじさん(やっぱりおじいちゃんと呼べなかった)は、ちょっと困ったみたいに笑っていた。
いつも、そういうふうに笑うひとだった。
*
葬式というのは、生きている人のためのセレモニーなのだ。
ということを、身を以て知ってしまった。
ああ、わたしは見送れなかったのだ。
見送るために、区切るために、葬式というのは必要だったのだ。
だってそうじゃなきゃ、
そうじゃなきゃ、よくわからないじゃないか。
どうしていいか、わからないじゃないか。
ああでもきっと、
葬式とかそういう問題じゃなくて
わたしは、きみえさんのいない家に帰るのも、ほとんど始めてだった。
わたしはまだ、同居の家族を亡くしたことはない。
痛みを知らない、ただのクソガキ、それだけなのかもしれない。
*
本来ならば、来年は「喪中」になるのが正なのだとわかっているが
わたしは来年も、年賀状を出すつもりでいる。
年賀状の制度は、今年から取り入れた。
なかなか楽しかったので、次も出したい。と決めていた。
来年はうさぎ年で、わたしは年女だ。
ポケモンで言うなら、エースバーンとミミロル。
マイメロディとクロミ。
すごくすごく、楽しみにしていた年賀状。
りゅうじさんは、郵便局が好きだったと言っていた。
よく知らないけど、りゅうじさんといえば、郵便局と床屋だった。
髪の毛がないのに、2週間に1度は床屋に行っていたらしい。
わたしは母から、その話を聞くのが好きだった。
一度だけ、りゅうじさんから切手をもらったことがある。
りゅうじさん、わたし年賀状出すよ。
「寒中見舞い」より、「年賀状」のほうがハッピーだからいいよね。
母もいいって言ってたしさ。
りゅうじさんはさ、きみえさんにお線香あげるの嫌だって言ってたよね。
わたしもあれ、昔から不思議だったんだ。
どうして死んだら、霊とか神とか、よくわかんないけどさ、お線香ってちょっと寂しいよね。
死から逃げているつもりではない。
生きていないかもしれないけれど、ずっと「いる」じゃないか。
あれと一緒だと思ってるんだ。
誰かが死んだらさ、「明けましておめでたくない」みたいになっちゃうの、なんか苦手でさ。
おめでたいんだよ、だってわたし生きてんだよ。
寂しく思い出すより、笑って思い出してやりたいんだよ。
来年も、その次も、どれだけ色濃さや回数が変わっていっても。
だから、翌年一度の「喪中」なんて、わたしにはやっぱちょっと違うんだよ。
笑い顔しか思い出せない、あなたの孫として
年が明けたら笑って、「明けましておめでとう」って言ってさ
友達に年賀状書きまくるよ。
いいだろ、それで。
わたしは薄情かもしれないけれど、能天気で明るくて無鉄砲な、あんたの孫でいたいんだ。
*
母は、お線香の代わりにお花をあげていると言っていた。
「お線香って不思議だよね」という話は、この年になるまで一度もしたことがなかったのに、母も同じ気持ちだったらしい。
わたしも次は、お花を持って帰ろうと思う。
母がさあ、そんなことばっかりしてるから
母の誕生日には、お花を贈ったよ。
生きてる人にも花をってね、
りゅうじさん、きみえさん、そんなふうに言ったら笑ってくれるかな。
きみえさんは、不謹慎だってちょっと怒るかな。
お花を持って帰ったついでに、きみえさんの花瓶をひとつもらおうと思っているよ。
きみえさんがお花を好きなんて、知らなかったな。
でもおとなになったら、わたしもお花と花瓶を好きになったよ。不思議だねえ。
そういえば幼いころ、
母に、郵便局と花屋によく連れて行かれていたような気がするよ。
たぶん、そういうことだろうね。
*
もう一度会ったらもっと話したかった、と言うのもおこがましいくらいの距離感だった。
わたしはいつも、うまく話せなかったし、おじいちゃんともおばあちゃんとも呼べなかった。
顔もそんなに出せなかった。
5人いる孫の中で、いちばんどうしようもない暮らしをしているのもわたしだった。
祖父母に誇れるものなんて何もなかった。
健康だけ取り柄だったのに、病気になってしまった。弱った姿をふたりに見せずにすんだことが、唯一の救いだろうか。
それでもね、
きみえさん
りゅうじさん
あなたたちの娘を
わたしの母を
強くてやさしい人に育ててくれてありがとう。
おかげでわたしも、強くてやさしいおとなになれたと思うよ。
まだまだ未熟だけど。
ふたりを見送った、あなたたちの娘は、大変に立派だったよ。
本当に格好良かった。
いやもう、ほんとうに真似できないくらい。
ずいぶん立派な娘さんだね。すごいよ。
わたしのことをどう思っていたか、もう確かめるすべもないし、確かめるべきとも思わないけれど
わたしは、好きだったよ。
あなたたちのことが、好きだったよ。
りゅうじさんの丸い背中が
きびきびと動く、きみえさんの姿が
わたしは、好きだったよ。
わたしはずいぶんと薄情だったのに、やさしくしてくれてありがとう。
あなたたちが生きていたとしても、返せるものなんて何もなかったと思う。
せめて、心配かけないように健やかに生きるよ。まあ病気だからそれなりにね!
あと、あなたたちの娘のことは任せてーーーというほど何もできないかもしれないけれど
しっかり見守ってゆくよ。
あんまり心配しないでね。
*
来年も年賀状を出すことと
きみえさんの花瓶をもらうことを許して欲しくて、この手紙を書きました。
もしかしたら、わたしなりのお葬式というセレモニーだったかもしれません。
文字を書く者としての、わたしの儀式。
そうであればいいな、と思います。
この手紙を書きながら、不思議と泣けました。
ようやく、泣きました。
やっぱりあなたたちのことを、好きだったんだと思います。
いつか会ったら、そんな日がきたら
好きだと伝えたいと思いますが
やっぱり気恥ずかしくて、無理だろうと思います。
*
生きているひとには「お元気で」と書いて結べる手紙の
結びの言葉がわかりません。
近い内に、かわからないけれど
お花を持って帰ります。
あと、きみえさんの指輪、大切に預かっているよ。
ありがとう。
来年も年賀状を出したい、という話は母に許可を取りました。
誰かにとっての不謹慎かもしれないけれど
わたしにとっての愛情を、笑って飛ばして、翌年を迎えるつもりでいます。
※now playing
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