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薄明かりの未来で

それはまるで、ゴロゴロと坂を転がり落ちるようだった。

むかし友達に、「風邪っていうのはね、ひいちゃうの!ひいちゃったら仕方ないの!」と言われて驚いた。
小児喘息とかアトピーとか中耳炎とか、子どものころはそれなりに色々あったけれど、十代も後半になればわかりかし元気だった。
または、偏頭痛とか慢性的な頭痛や関節痛はデフォルトとなり、大きく体調を崩すことは少なかったと記憶している。

「朝起きたら、具合が悪くなったり熱が出てたりするんだから」
不思議な言葉、というのは覚えている。
だから、十余年もむかしに、友達に言われたことを覚えている。
なるほど、そういうものなのかァ(よくわからんけど)という記憶。

病気になってみて、「病のしかたなさ」というものを、受け止めざるを得なくなった。
コロナの後遺症という病で、わたしの場合は専門の医者にも通っていたので、たぶんそうだと思う。
そうだと思うというか、何度幾ら検査しても、他の数値は信じられないくらいの正常値だった。
だから、後遺症だろうと言われた。

それがなんていうか、頭が痛いとかだるいとか、十代の頃からずっと抱えていたデバフの強化版というか、
「我慢できる」だの「頑張れる」だの
「意志が弱いだけ」だの、思ってしまうような
なんていうか、そういう感じだった。

もちろん、実際のところは駅まで行ったのに階段を登れなかったりした。
登れないなんて、有り得るわけがないのに、有り得てしまうのだからこれはもう、正常ではない。
泣きながら帰ったりした。
いいおとなが、わけもなく泣き出すときは、何かしらバグっているのだということを身をもって知ってしまった。

最近、友達の娘ちゃんが同じように「塾に行こうと思って駅に行ったのに、階段を登れずに帰ってきた」と言っていたので、不謹慎だけど安心した。
ああ、わたしだけじゃなくて、わたしが悪いんじゃなかったんだ。
どうか、娘ちゃんもそう思ってくれているといいな。
ねえ、わたしたち悪くないよ。よく頑張ったよ。

最近のわたしはといえば、結構元気だ。
元気だけど、「また歩けなくなるかも」という恐怖と同居しながら暮らしている。
できるだけそうならないように、気をつけながら。
そして、その同居にも随分慣れてきた。

「今日は帰るね」と言った。
15時20分だった。

月末の、つまり今日中の書類をいろいろ発送して、万が一明日出社できなくなってしまったとしても、なんとかなるラインまで仕事を終えた。
データを打ち込むだけの事後処理が、3件。
このうち、1件を片付けて、もう、からだがぐわぐわだった。
いやでも打ち込みだけなら頑張れるし、いやでも頑張る? 頑張らなくてもよくない?

そう、具合が悪いときは頑張る必要などないのだ。帰ればいい。
「帰ります」と言って、咎められたことはない。
「お大事に」「なにかやることはある?」みんなそう言ってくれる。
例えそれが、何日続いたとしても。
だから、何も心配することはない。

「二度と飛べなくなったらどうしよう」

わたしは、それが怖い。
今日は具合が悪いから帰る。
でも本当は耐えられる痛みで、ラクなほうに流れているだけだったらどうしよう。
頑張らなくてはいけないところで、頑張れなかったらどうしよう。
やっぱり自分は怠惰なだけなのかもしれない。
ああ、熱が出てくれればいいのに。
熱は数字だから、38度あるから帰りますだったら、誰もが、何より自分が納得できたのに。
だるいってなんだ。
手が動かないわけでも、足が動かないわけでもない。
データの打ち込みが、こんなに苦しいなんて。

でも、このあいだは昼寝したら回復した。
でも、今日はもう頑張りたくない。頑張るべきではない、というのもなんとなくわかっている。そういう線は、長い同居生活で理解をしつつある。
でも、でも
次もこうやって帰っちゃったらどうしよう。
我慢できない、努力できない、弱い人間になってしまったらどうしよう。

二度と飛べなくなったらどうしよう。
魔法が使えなくなったキキみたいに
空を飛ぶことが当たり前だったあの日々に
戻れなくなったらどうしよう。

noteを毎日更新するのも、それが理由だと思う。
一度降りてしまったら、二度と登れないような気がしてしまう。

予定を立てるのも苦手だから、「曜日や日付を決めて努力する」というのも、なんだかピンとこなかった。
面倒なことは嫌いだから、毎日の思考コストを削りたくて、掃除も洗濯も毎日やることに決めた。
低空飛行でも、ずうっと浮かんでいれば自分を許せるような気がした。
それすらうまくできなくて、何度も墜落した。

墜落して、地べたで、ベッドで、丸くなって
いやほんとうに、もう、無理ですと何度も泣いてみたけれど、今日も生きている。
痛みも感情も、信じられないくらいに移ろう。

わたしは今日もほうきにまたがる。
とりあえず、またがる。
飛べなくてもいい。

あるときは、ほうきを見るのも嫌だったりする。
そういうときは、蹴飛ばしたりする。

案外、まあそれでも案外なんとかなるということに、気づいてしまった。

大切なものは残る、なんていうご立派なものじゃないけれど
案外、大丈夫だった。
具合もずっと悪いわけではないし、元気になると自然に仕事にも行きたくなるし、友達にも会いたくなる。
薄情なくらい、わたしは何度も「飛べないと思っていたわたし」を忘れる。
そしてまた、墜落する。
それをずっと、繰り返す。

墜落も悪いことではないよ、なんてそんなことは言いたくない。
痛いから。
できれば落ちないほうが苦しみは少ない。

いつか飛べるときがまたくる。
くるといいな、と思う。
こないかもしれないけれど。
こなかったらそのとき、考えられたらいいと思う。
なんて、そんな言葉が苦しみの渦中で、どれほど救いになるかわからないけれど。

大丈夫という言葉ほど曖昧なものはないけれど、信じないことほど残酷なことはない。

これね、むかし読んだ小説で好きだったやつ。
もう、二十年くらい前になるんだけど。いまでも覚えているよ。

いつか飛べるときはこないかもしれないけれど、
いつか飛びたいと思うときはきっと、くるんじゃないかなあと思っている。

そのときにまた話そう。
わたしは、そのためにここにいる。

鮮明でもなければ確約もないけれど
薄明かりの未来で、待っている。




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