冬灯りのバトン
12月16日は、わたしにとって素晴らしい日となった。
スタートは最悪で、重たい身体を引きずって病院に行き、そのあとやりたかったいくつかのことをキャンセルして、それでもまっすぐ帰るのは悔しくて、スターバックスに逃げ込んだ。
ぼおっとするアタマで、いくつかのタイムラインを追う。Xと、インスタと、フェイスブック、それからnote。コンディションが悪いときでも、短い文章は読めるような気持ちになるのは、毎度不思議に思う。
noteのタイムラインを見て、歓喜した。
山羊さんと、せやまさんの掌編が並んでいるではないか!
まずは、下のほうに表示された山羊さんのページを開く。
祖師ヶ谷大蔵、という懐かしい名前が出てきて、一気に引き込まれた。そこは友達の住んでいた街で、駅前の商店街も何度か歩いたし、KALDIにも行ったことがある。
僕は27歳で、東京の祖師ヶ谷大蔵という街でぼんやりしていました。
定職にはついていませんでした。もちろん金はありません。一度就職しましたが、そこにいると何かに取り込まれる気がしたのです。しょうがないので日雇いや単発のバイトで食いつなぎます
それはまるで、親しい友人の姿を見ているようだった。
それもまだ27歳というのはまだまだ救いがあるようで……いやいや、年齢を重ねるということは救いがなくなるということではない。しなやかになる、ということだとわかっているのに、27歳の”僕”と、37歳のわたしを比べたりしちゃう。
わたしは、37歳でもあんまり変わっていない。食いつなぐように息をしているだけで、そのことをちょっぴり情けなく思ったりもするけれど、これは性分なのだ。いつも何か足りなくて、情けない。きっと、どこへいっても。どこかへ行きたいまま。
この十年で変わったことと言えば、シュトーレンを食べられるようになったことくらいだろうか。あれは、レーズンとシナモンとか、嫌いなものが詰まっているから苦手だと思っていたのに。去年、ピエール・マルコリーニのシュトーレンを食べたら、そのあまりにも美味しくて驚いてしまった。
あと、コーヒーもブラックで飲めるようになった。
スターバックスでは今日もショートドリップ、ホットで暖かい。まるでこの物語ように。寒空を抜けたあとの、じんわりとした暖かさだった。それは、生きていよう、と思えるような灯火だった。
せやまさんの掌編は、帰りの電車で読んだ。
ちょっぴりビターで、うんとやわらかい、おとなの恋愛小説だった。
せやまさんは、ひとつひとつの描写がとてもきれいで、冬の冷たさも、タオルのふんわりさも、じっくりと伝わってくる。
一人きりでいることで、孤独の底に沈み込んでしまうんじゃないかと思っていた。
越してきたばかりで、冷たく、よそよそしく、ほとんど物がない1Kの部屋。あんな場所に一人でいたら、どうにかなってしまうんじゃないかと思って、このカフェまでふらふらとやって来たのだった。
この部分を読んで、ぐうっと胸が詰まった。
今のわたしには友達も家族もいて、部屋は築古なりに暖かく保っているというのに、その孤独がどうしても他人事と思えない。
だけど、大丈夫だ。
この先は、どうなるか分からない。
そうだ、大丈夫だ。大丈夫じゃないかもしれないけれど、大丈夫だ。
だって、「この先は、どうなるか分からない」という事実は、信じられないくらいに平等なのだ。良いことも、悪いことも。あなたにも、わたしにも。
そしてそのことは、とてつもない勇気になった。
ああ、今日は良い日だった。
相変わらず身体は重たく、予定もキャンセルしたままで、医者の笑顔は親しみよりも胡散臭さのほうが大きくて、なんだか途方もない寒空の下を、ひとりで歩いていたはずなのに。
こんなにも暖かく、灯してもらった。
ふたりの人生と、物語が、そうっと寄り添ってくれる。
それは、「信じていればいいことがあるよ」とか、「きっとうまくいくよ」とか、そういう無責任で楽天的な太陽とは違う、もっとじんわりと暖かい。他人を焼き尽くさない類の炎だった。
できればいつも、良いことのほうを信じて、覚えていたい。
けれどもまぬけなわたしはいつも、うまくいかないほうばっかり覚えている。赤信号でたくさん止まったとか、電車が目の前で行っちゃったとか、今日も洗濯ができないとか。
いただいた炎に温まりながら、少しだけ調子に乗って、愚かにも願ってしまう。
わたしも、こんなふうに誰かを灯したい。
いやしかし、わたしにそんなことができるだろうか。いや、できないのではないか。いつも、悪い想像ばかりしてしまう。誰かの善き行いと自分を比べて、卑屈になってしまうわたしを、どうしても蹴り飛ばせない。どうしてそんなに、暗いほうに流れてしまうのだろうか。せっかく暖かくしてもらったのに。今日も、ごはんを食べて、美味しいコーヒーを飲んで、どうしてそれだけでは満足できないのだろう。
そして、思い出したのはチョコレートだった。
そうだ、チョコレート。
今年は、みんなに配ったんだった。
見ているかい、去年のわたし。
今年は、夢を叶えたのだよ。
2023年の11月。臥せっていた。言葉通り。何もできず、意図的に"生"にしがみつこうとしなければ、落下してしまいそうな苦しさだった。しかし、こんなわたしが"生"にしがみつくことに意味があるのかと、ひどく臆病な冬でもあった。
そんなわたしの様子など知らない友人が、遊びに来てくれた。
チョコレートを持って。
彼女は英語の先生で、どこぞの国では、こういうささやかなアドベントカレンダーは、友人に配るものらしい。という情報を仕入れていた。
化粧品とか、雑貨とか、いいヤツは自分で買うんだって。
持ってきたのは、おそらくKALDIで数百円のアドベントカレンダーで、小さいチョコレートが入っていた。「どっちがいい?」と言われて、浮かれて選べなくなっていたら、どちらも置いていってくれた。
12月になったら、これをひとつずつ食べる。
それは、まさに望んでいた”生”への希望だった。
わたしの中から生きる理由がさっぱりとなくなっても、あなたがくれた優しさが、豪雪の中でもしっかりと手を握ってくれているような。そんな頼もしさだった。
来年は、みんなに贈ろう。
きちんと準備して、ひとりでも多くの友達へ。
良い冬になることを、願って。
わたしが嬉しかったことを、あなたにも知ってもらいたいというのことが、どれほど傲慢な行為だとしても。
2024年の10月。わたしはそのことを忘れていなかった。
ハロウィンが終わったKALDIに出向き、アドベントカレンダーを買った。
11月中に会ってくれる友達に、ひとつずつ。平等に。
子どもがいるお家には、お子の数だけあげたほうがいいかな。喧嘩になったりすると悪いかな……と悩んだりしたけれど、みんなにひとつにした。
11月のアタマから、その儀式は始まった。
12月1日に会う友達まで、とにかく配りまくった。
静岡の母たちには、封筒に入れて送った。
10人くらいには行き渡ったと思う。
在宅で働く友達は、お仕事のご褒美にすると言ってくれた。
友達の息子兄弟は、奇数の日と偶数の日で分けてふたりで食べているらしい。
食後の楽しみにする、と言ってくれていた友達もいた。
いま、大切な人の、それぞれの冬を灯している。
たったひとつのチョコレートが、きっと。
チョコレートをひとつ、かじる。数字の窓から、今日の日付を選んで。
わたしはかじり損ねてしまう日もあって、そうすると翌日に、ふたつチョコレートを食べる幸せを繰り越すことになる。それもれで善いものだなあ、と思って、またかじる。
今日もどこかで誰かが、大切な人が、チョコレートをかじってる。
それは確かに、わたしが灯した炎だ。大切な人と、その未来に宛てた手紙だ。そして、去年のわたしが受け取った喜びでもある。
暖かさは連鎖する、冬は暖かい。どれほどうまくいかないことばかりでも、ひとつくらいは悪くないこともある。ただ、その「悪くないこと」が、「うまくいかなかったたくさんのこと」を打ち消すことができないからって、自暴自棄にならなくてもいい。たいていは、うまくいかない。不幸は幸福で打ち消せない。痛いものは痛い、それでいい。
まだまだ、情けない日々は続く。今日も寝てばかりだったし、洗濯もしていない。「一日一日を大切に」という言葉には、傷ついてばっかりだ……とてもじゃないけれど、そんなふうにはできない。なんとか、ぎりぎり、今日も息をしている。ひとつくらいの”良いこと”を探し出したり練りだしたりするので精一杯で、それができない日も多い。
ただ、確かにときどき、良いことがある。良い日だと思える瞬間がある。
あの小説の、主人公みたいに
刹那、暖かい炎に灯される。寒空の下、暖かいほうを信じて、冬を越えてゆく。
あまり胸を張れるような日々ではないかもしれないけれど、良い冬だと思う。
いただいた炎をしっかりと抱きとめながら、届けた炎に思いを馳せる。
わたしがどれだけちっぽくて、情けなくたって、出会ってしまった炎たち。その明るさと暖かさは、本物なのだ。
2024年12月21日 ねる
ひかりの末端を担いながら。次の灯火へ
▼再掲。山羊さん、せやまさんの小説
大丈夫だ、と思えた。
コメントいただけたのも嬉しすぎたので貼らせてください。書くことは、繋ぐこと。
せやま南天さんと一緒に紹介頂いたのもすっごく嬉しい。それよりも(そういうのもなんだけど)、ねるさんのアドベントカレンダーが本当に素敵なので、みんな読んで!
— 山羊的木村 (@yagicowcow) December 22, 2024
ありがとう、松永ねるさん。
冬灯りのバトン|松永ねる @hangloose_5 #note #note感想文 https://t.co/5TN1REvpBs
松永ねるさんが、山羊さんと私の小説を読んで感じたことを書いてくださっています。
— せやま南天 (@s_yamananten) December 22, 2024
自分の書いたものが、誰かの心を明るく、あたたかくする。そんなことがあるなんて、今でも驚いて、やっぱり嬉しいです。
冬灯りのバトン|松永ねる @hangloose_5 #note #note感想文https://t.co/7f5O2WAHaz
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