"歩け"
アドバイスを受け止めて行動しようと思うのですが、中々動けません
残りの人生このまま尻すぼみで終わってしまうのではないかと、不安でたまりません。
その言葉を読んで、すうっと息を呑んだ。
言葉通り、すうっと。不健全な深呼吸みたいに。
わかる、と思う。
他人事ではない、と思う。
これは、誰の心にも巣食う悪魔のようなものだ。
これが「よくある話だから大したことはない」という処方箋で済んでしまえばいいのだけれど、そうはいかない。
よくあるくせに、強大だった。
倒し方もわからないし、やっぱりまた現れてくるのだと思う。
いただいた占いのご依頼はきちんと、真摯に向き合った。
けれども、もし
もしも、すごく投げやりに、けれども背筋を伸ばしてひとつだけ答えるならば、と考える。
まあ、そんな機会はないだろう。
もし、友達が同じように悩んでいたら、もっと具体的かつ、寄り添ったアドバイスや、声かけをするはずだ。
「そうじゃなくて」
これからわたしの語る話は、そういう類のものだと思う。
「歩け」
わたしはきっと、そう言う。
いい奴ぶっているので、もしその機会が訪れたら「歩いてみなよ」と言って、微笑むだろうと思う。
歩くのがいい。
歩ける気力や体力があれば、歩くことをお勧めする。
もし、その気力がないのならば全て放り出して眠ってほしい。
「歩きたいけど、できない」と思ってしまうときも、同様に。
そういうのを、気力がないって言うんだと思う。
人生に休息は必要で、それはあなたが思っている以上に時間がかかるものかもしれない。少なくとも、わたしはそうだった。
そういえば、禁煙がうまくいったのも歩いていたからだと思う。
あの年の冬、わたしは狂ったように歩いていた。
深夜、胸にぐさりと刺さった太い棘を、どうしても抜けなくて。
今までは煙草で誤魔化していたのだけれど、それもできなくて、仕方がないから歩いていた。
家の前の通りを、薬局を抜けて、コンビニを幾つも通って、駅から反対側を出て、まっくらな釣り堀の横を通って帰った。30分か、それ以上くらい歩いていたと思う。
ノイズキャンセルのヘッドホンで、宇多田ヒカルとか、きのこ帝国とか、マトリョーシカとか別野加奈を聞いていた。夜にとけこむような音で、決してわたしを不用意に励ましたりしない物語たちだった。
そうすると、薬局を通り過ぎた頃ーーーだいたい5分くらいが経った頃には、怒りが遠くへゆくのがわかった。これをうまく言語化できないのだけれど、例えるならば全力疾走を思い出して欲しい。走っているときに、走り終えたときに、ムカつくことを思い出せるだろうか。あるいは、不安など。いや、できない。と思う。
少しずつ角度がずれて、物事は解決していないのに、なぜだか大丈夫な気がしてくる。それが、歩くってことだと思う。
その角度をギュンと変えてしまうのがもっと激しい運動とか、筋トレではないかと思っている。だって、プランクしながら落ち込めない。
深夜、胸に棘が刺さらないような生き方ができればよかった。というのは、歩くことより非現実的だと思う。
「痛いの飛んでけ」というのは、やさしくも残酷だ。
痛みはそこにあるのに、なかったことにしなくちゃいけないだなんて。
どうしても棘が刺さる夜があるし、痛いものは痛いと思う。
でも、痛いと言っているとつらくて寂しくて、息が止まってしまうから。
そういうときには、歩くのがいいと思う。
それはきっと「痛いの飛んでけ」とやっていることは一緒かもしれないけれど、痛みを自分で誤魔化した。という事実は、尊いと思う。誰かの善意で消されてしまったのではなく。
「不安は誤魔化していくんだよ」というこの言葉は、2024年の大切なものランキングの、ずっと上位にいると思う。不安っていうのは、乗り越えなきゃいけないんだと思っていた。でも、そうじゃなくていいらしい。
誤魔化す、いちばん簡単な方法として「歩く」を採用している。今日はそういう話だったと思う。
しつこいようだけれど、歩けないときには眠って欲しい。
自分の感じる体調の良さと、実際の身体の健やかさっていうのは、なかなかに一致しない。というのを、ここ1年で実感したわたしである。やっぱり、痛いのは飛んでかないのよ。だから、歩けないときは、歩けるようになるまで眠ってください。それがつらくても。最善だと信じられなくても。わたしが許す。
今日も、少しだけ歩いてきた。
距離が短かったし、気分が晴れたかと言われると苦笑いしてしまうかもしれないけれど、おかげさまで、今日は早い時間帯にこうして執筆ができているのは、やっぱり歩いてきたから。ということにしたい。
健やかな未来へ
2024年6月10日 ねる
▼不安は誤魔化す話
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