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カルボナーラより、たまごかけごはん

どうして、アタマって痛くなるんだろう。
今日は、ぐわりと重たい。

最初は、昨日のはしゃぎすぎが原因かと思って
それじゃあ仕方がないか。
動いているうちに元気になるデショと思って
あれこれしてみたはいいけれど、うまく集中できなくて
なんかダメってときは、とりあえず何かクチに入れてみて
それでもダメなら、昼寝をする。

昼寝から起きても全然ダメで、
書きたかった手紙の一通も書けなくて全然ダメ。

全然ダメ、って思うことに疲れてしまったので、切り替える。
今日は、近いうちに敢行しようと思っていた、”鬼滅の刃”のイッキ見をすることにした。

遊郭編をこのあいだイッキ見して、
続きが気になって、刀鍛治の里編を数話見たところ。

わたしは、本当に好きなものとか、気になるものはまとめて見たい派。
ようやく、全話見れるようになった状態になったので、満を持してのイッキ見である。
ああ、禰豆子も炭治郎もよかったねェ…

話の内容は理解できたのだけれど、アタマはまだ痛い。
というか、ぼおっとする。
うまく集中できない。
でも、身体は多少動くので、洗濯をして、シャワーを浴びる。

それからまたぼおっとしてみて、23時を過ぎたのだけれど状況は改善しない。

毎日書くことでいちばん重要なものは、体力だと思う。
体調、と言い換えてもいいかもしれない。
すごく元気じゃなくてもいいから、最低限の集中力。
これさえあれば、なんとかなる。

ああ、ほんとうは今日、友達の話をしたかった。
作って満足してしまい、宣伝をしなかった名刺の話をしたかった。
大切に、言葉を選びたかった。

まあ、そういうこともあるだろう。
いや、人生ってそういうことばっかりかもしれない。
毎日書いていて、ときどきうまくいく。
ほんとうに、ときどき

それも、うまくいくって「自分望み通りになる」ことが心地良いときもあれば
書いているうちに、あれよあれよと転がってゆくことが面白い、と思うこともある。
「良い」という言葉について、わたしは最近考えている。
或いは、「楽しい」だとか、感情を指す言葉のこと。

言葉は便利だけれど、難しい。
同じ「楽しい」でも、CとCマイナーくらい違っちゃうこともある。
CとC7くらいの違いかもしれないけれど、「7の音」が「鳴っている」と気づく人と気づかない人と、7だと断言できる人だと、見えている景色は違うのだろうか。
わたしはあまりに、いろいろなことに気づけていないかもしれない。

「友達が落ち込んでるんだけど、心当たりある?」
言い訳、あるいは謝罪を聞くために電話した。
「いや、ほんとうに、全然ない。何も思い当たらない」と言われた衝撃を、うまく受け止められないだけかもしれない。

友達が「楽しく」生きているとなりで
またべつの友達は苦しんでいたのに気づかないのだとしたら
言葉ってのは、いったい何の意味を持って、どこへ向かってゆくんだろう。

「言い訳ができないヤツにはなるな」と君が言った。
違和感があったので、いまでも覚えている。いまでも、しっくりこない。
代わりにわたしは、「自分を疑えないヤツにはなるな」と言おう。
無敵と疑心と両立させて、これからも生きていきたい。
白でも黒でもない世界を、あなたは美しいと言った。

書きたいことを書けるというのが、そもそも稀な話だ。ということだと思う。
書きたいことを書いてみて、納得できるような言葉を紡げることもやっぱり稀なのだ。
少なくとも、わたしの場合は。
その境地にたどり着く前に、手放してしまう。
ひとつのことに向き合えない、二度と弾けない即興ピアノみたいな人生を恥ずかしいと思っていたけれど
手放してしまうところと、何かしらを量産できるところは、もうチャームポイントってことでいいかしら。

人生って思ったよりどうしようもなくて、思ってより愉快かもしれない。
隣り合わせのウィークポイントと、チャームポイントを振りかざして、うまいこと納得できればいいと思う。

カルボナーラじゃなくて、たまごかけごはん。

今日は、そういうテーマで書きたかったのに、全然たどり着かなかった。
信じられない。
でも、人生ってだいたい信じられないし、信じられないことっておもしろいよね。

今日もし、カルボナーラの気分だったとしても
作るのは面倒だし、材料もないし。
そういうときは、たまごかけごはんでもいいんじゃないか。
たまごかけごはんの人生だって、悪くない。
たまごかけごはんは美味しい。

そして、カルボナーラを作れなかったことに、どうか落ち込まないで欲しい。
人生ってだいたいうまくいかなくて
思ったよりどうしようもなくて
ウィークポイントとチャームポイントは隣り合わせで
信じられないことの中から、おもしろいことって生まれたりする。

「カルボナーラを作れなかった自分」を叱ることができるのは、世界中で君だけだ。
誰かと「カルボナーラを食べる約束」をしていない限りは。
まあ、いつでもハッピーに生きる必要っていうのはないけれど
あの子もまだ、不幸を原動力にギターを弾いているって言っていたし
だけど、あんまりむやみに叱ってやるなよ。
君以外は、君が晩ごはんをきちんと食べた事実それだけを、きっと褒めてくれるよ。

つまりは、「たまごかけごはんも美味しい」とか、「たまごかけごはんの美味しさを再認識できた」
或いは、「カルボナーラを食べる楽しみを明日に延長した」とか
もしかしたら、「やっぱりたまごかけごはんの気分だった」とかね。

言葉は便利だけど、どうせ難しい。
だったら、ときには都合よくね。
元気があったら、少しくらいはおもしろがってみても、いいんじゃないかなァ。などと思っている。


6月25日
今日の日記は「そういえばカルボナーラを自分で作ったことも、作ろうとしたこともない女」が書きました。
人生って、ままならねェな…

久し振りの著者近影


◆グレイを美しいと言ったひと

◆作るだけつくって放置された名刺

※now playing

出社しようと思って出掛けたのに
電車降りたら歩けなくて、スタバで休んで回復しなくて
そのまま帰るかって絶望したときに
YouTubeアプリが、HACHIちゃんの新曲をプッシュしてくれて
それで、生きよう。と思った。
わたしも書き続けることで、誰かの「生きよう」になる予定だった
信じられないくらいままならないことが人生であり
おもしろいの半分は「信じられない」から生まれてるから、もういかんともしがたい。しょんない。






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