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5月1日:無職生活のはじまり

ついに5月

アルバイトの契約更新ができないと言われて
ちょうど1ヶ月

ついに!!!
本当の無職期間に突入しました。

3月31日に
桜を見ながら優雅にお昼を食べたのち
唐突のクビ宣言を受け
(そのときの話はこちら↓↓↓)

4月20日に最終出勤を終え
(3月30日〜4月20日は完全なリモートワークでした)

そして昨日、4月30日で
4月末までのアルバイト契約が終了しました。

さっき、二ヶ月に1回めくるタイプの
3月4月のカレンダーをめくって
なんだか、怒涛のようだったというか
よくわからなかったよね…

みんな、多かれ少なかれ
いや、もはや少ない何ていう人はいないのかなあ
生活が変わって
わたしもただ、そのひとりで

まず、「この環境に順応する」という意識に変わるまでに
すごく時間がかかった。

リモートワークは、もうやるしかなくて
慣れるしかなくて
始業の10時には、とりあえずパソコンの前に座っていたわけなんだけど。
会社にいるときは、「会社にいれば仕事してる」みたいな安心感があって
業務中にトイレ行くのは当たり前だし、
気分転換にお菓子を食べたり、
少しまわりと話たりするのも、当たり前でセーフだったのに
(そのへんには寛容な会社だった、ありがたい)
家で同じことをすると、なんだか肩身が狭いみたいな。
会社にいるときは、眠いからってコンビニ行ったりしてたのにね
家だとうまくできないのを、煙草をくわえることで、なんとかバランスを取れるようになって
順応するしかなかったよね。

最終出勤の4月20日が過ぎてからも、またわけがわからなくなってしまって。
いま思えば、原因はふたつ。

当たり前だけど、こんな状況なのに【外に出られない、外に出る予定を作れない】ということ。

気分転換に水族館行っちゃおうとか、
デパート的なところに買い物に行っちゃおうとか
友達呼び出しちゃおうとか
そういう、「強制気分転換イベント」を発生させられなかった。
いま思えば、時間決めて飲み会でもなんでもすればよかったんだけど
こんな状況で、こんな状況だから家にいなきゃいけない。

あと、大学を出てから、意図的に連休をほとんど取ったことがなく【連休に免疫がなかった】ことも原因かなと思う。

ライブハウスで働いていた頃の詳しいシフトは覚えてないんだけど
あのときは、音楽活動をまじめにやっていたので
ライブだったりリハーサルで、「休みという名の…」みたいな日が多くて
連休!さあ休み!みたいな感覚は希薄だった。

前職は土曜日出勤が許されていたんだけど、
ゴールデンウイークとか年末とか、お盆はまとまって休みだったかなあ

今回退職になった仕事は、土日かなり働いていたので
連休のない月も多かったし、年始も3連休までだった。
長いあいだ休んで、バランスを壊すことを恐れていた。

そんなわたしが、【連休に不慣れ】なうえに、【外にも出られない】

つまり、

【こんなに長時間、必須タスクを持たずに、家にいることはなかった】

あ、明日も予定ないんだ
ていう状況に慣れるのに、時間がかかってしまった…

新しい仕事や環境に、ひとは慣れるまでに時間がかかる。
今回も、自分の家というテリトリーの中ではあるけど、
「環境の順応する」ための努力が必要だ。
ということに、なかなか気づくことができなかった。

当たり前だけど、毎日やることを考えながら
並行してそれをやっていかなければならない。
並行するのか、時間を区切るのかは、また次の課題だけど

やっぱり、会社に行きながら、仕事のふとしたときに、
行き帰りの電車や、帰りの散歩道に
「帰ったらこれやろ」って思いながら、生きていた。

だからこそ、仕事が終わったあとの時間帯は全力で「やりたいこと」と向き合った。
限られた時間の中で一生懸命にならないと、足りなかったんだ。

それが急に、
いま無限とも思える時間を与えられて
すごく戸惑ったんだと思う。

でも、せっかくのこの機会に
「何かしなくては」みたいな焦燥感に駆られて
それなのに、どうしていいかわからず、雁字搦めになってしまって

ついこのあいだ、
根本的な原因は、「物事に一生懸命向き合っていないからではないか」と気づいた。

(ということに、ようやく気づいたときの話はこちら↓↓↓)


後回しにしたら、無限に後回しになってしまう。
ということにも気づいたので、いまこうしてnoteを書いてみている。

結局、手を動かさければ次の一手は見えない。
「どうしよう」て思っているときが、いちばん苦しいし、わけわからなくなるから

作り続けたことに、意味があるか
そんなことはまだわからないけど

いまようやく、
自分が広い海で、ひとりでオールを持っている自覚を持てた気がする。

まあ、なんでもいいんだ。
なにをしたっていいんだ。

でも、もしわたしが友達に会ったとき、話したとき
それが、明日のオンライン飲み会でも、1年後であっても

「いま、けっこう楽しくやってるよ」
「あのときは楽しく過ごしたよ」って

それが別にゲームでも昼寝でも良いんだ。
わたしが【選んで】そうしたって、自信持てたらさ。


まわりは働いていたり、
給与が一定額保証されていたり、
そういうのと比べると、自分がみじめだって
同じ境遇のひとは、思ったりしているかな。

でも、あなたの個人人格が否定されて、いまの結果になったわけじゃないでしょうし
やりたいことなんかわかんなくて当然だよ。
一生懸命、必死に仕事して
それ、急に全部なくなっちゃったんでしょ?

ゆっくりでいいって言われても困るよね。
いつまでゆっくりしてりゃいいんだって。
欲しいものは、空から降ってくるわけじゃないじゃん、てさ。

「いつかきっと見つかるよ」なんて、無責任なことは言いたくないから
どうか、あったかいごはんを食べて、しっかり眠って
自暴自棄にならないで、心身ともにご自愛ください。
からだが動けば、見つかる可能性があるでしょう。


正直、わたしもまだわかんないけど
何もしないことにも、飽きてしまったし
「何もしない」という不安と戦うくらいなら、と思って
とりあえず今日、手を動かしてみたよ。

あなたにも、何か見つかるといいね。
見つかったら、かじってみてね。
どうせすぐに結果なんか出ないから。
いろんな角度からかじって、一緒に考えていこう。

よくわからなくなったら、相談してください。
わたしも、誠心誠意考えるから


そうだね、
もしあなたがわたしに「困ったよ助けて」「話だけでも聞いてよ」という日がきたら
「ようし、どうした?」くらい、言ってやれるわたしでありたいね。

きっと、自分の手で選び続ければ
そんなわたしに、近づける気がするんだ。


photo by amano yasuhiro


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