拝啓 はじめしゃちょーの畑さま
お元気ですか。
わたしは、みなさまに元気にしていただいて、ここまで生き延びることができました。
だから、みなさまにおかれましても、元気だといいなあ。と思っています。
このたびは5年半の活動、お疲れさまでした。
今日は、そのことを伝えたくて手紙を書いています。
あっというまの5年半でしたね、と
他人のわたしがいうのもおかしな話ですが、本当にあっというまでした。
初めて畑の動画を見てから、5年くらいは経つと思います。
出会いのことは、いまでも覚えています。
YouTubeを見る習慣というのがなかったころ、同居人の影響でHIKAKINさんとか、はじめしゃちょーの存在を知りました。
それからある日、男の子たちがわちゃわちゃしている動画が流れてきて、それが「はじめしゃちょーと仲間が始めた動画だよ」と教えてもらいました。
これが、畑が始まっていつのことかわからないんですが、たぶんそんなに経っていなかったんじゃないかと思います。
正直、人の数も多いしよくわからんし、まあそれほど見ることはないだろうなあ、と思っていたんです。はじめしゃちょーだけ見てればいいかって。
でも、気づいたらひとりずつの顔と名前を覚え、同居人と一緒にみんなの姿を追っていました。
なんでだろう、と思ったんだけど、やっぱどこかで懐かしかったからだと思う。
ひとつは、静岡の景色が。
東静岡駅は、わたしの母校の近くでした。あんまり行ったことないけど。
わたしは、二十代の半ばを過ぎてから、ほとんど静岡には帰らなくなってしまって。もう、どうやって帰ったらいいかもわからなくて。
故郷という言葉の、違和感だけが胸に沈んでゆくようでした。
畑のみんなは、当然だけどわたしのそんなセンチメンタルはお構いなしで、静岡の日常はすごく楽しそうで
自分とか、思い出の外側から「静岡って、いいところだなあ」と思えたことは、これから絶対に忘れない、心の支えになると思います。
静岡では車移動が多くて、土地感覚なんか全然ないのに、少し知っているところが映ると「ここ知ってるよ」なんて同居人に言ったりして。
それがすごく楽しく、嬉しく、暖かな、そして新しい”静岡の記憶”になったりしました。
あとはね、圧倒的な懐かしさとして「大学のときこんな感じだったな〜〜〜」っていうのがありました。
友達の家に集まって、何するでもなく
ときどきゲームして、ひとつのフライパンで飯を食ったり、なんでもないことを話したり、あっちとこっちで別のことをしていたり、今日はアイツがいたりいなかったり、
それが、いまでもキラキラとした宝物で。
あの日々があったから、今のわたしがあって
それを、おとなになってから垣間見れるのが、なんだか嬉しかった。
沈んでいた心が、少しずつ跳ねてゆくようで
わたしはただ見ているだけなのに、一緒に遊んで、同じ空気を吸っているような
あるいは、あの懐かしい日々に触れているような
わたしにとって、掛け替えのない時間でした。
視聴者さんたちに、僕たちの楽しさが伝わっていたら
この5年間やってきたことは本当に悔いがなかったかなと思います。
ようへい先生が、動画でこう言っていたけれど
本当にたくさん、たくさん伝わっていました。
わたしたちも楽しかったです。
この5年半、わたしは無職になったり病気になったりして
家族ふたりともが無職だった時期もありました。
理由は致し方がない(自分たちに非はない)状況だとしても
緊急事態宣言の中、外に出ることや職を探すこともなんだか憚られ
失業保険があるから急いで働かなくてもいいとどれだけ言い聞かせても
「ふたりが帰って寝る場所」として住んでいた1DKで、24時間一緒にいることは苦しくて
あのときに、畑のみんなが笑っていてくれたことに、どれだけ救われたことか。
「ひとりは寂しいけれど、一緒に住むには未熟」なわたしたちが、なんとかあの時期を乗り越えることができたのは、畑の存在が大きかったです。
お互い復職してから、「あのときは一緒にYouTube見てたからなんとかなったね〜」なんて、話したりしました。
5年半前、わたしは30歳を少し過ぎたころ。
その少し前は、「二十代のうちに転職をしよう」と思って頑張ってみたり、
当時はまだバンドも一生懸命やっていたころだったと思います。
30歳になるのが、すごく怖かったのを覚えています。
30歳になったら、おとなになったら、ちゃんとしなきゃ。なにか変わらなきゃ。このままでいてはいけない。
”何かを為さなくては”
そんな気持ちだったと思います。
少し年上の友達が「30歳になっちゃえばね、気にならないよ」とか、「30代の1年生になるだけだからね」って言ってくれたんだけど、「そうは言われてもだな!!」と思ったことも覚えてる。
いま、畑のみんなが30歳に近づいて
きっと、たくさん悩んで
せっかく悩んで決めたのに、これからへの不安もあるでしょう。
でもそれは残念ながら、どちらを選んでも不安なので、諦めてうまく付き合っていってください。
逆にいえば、どっちでも大丈夫です。
大丈夫にできます。
30代は、思ったより楽しいです。
無職、病気、休職が起こった出来事の大半のわたしが言うんだから、間違いないです。
こんなにズタボロでも、楽しい。
「何かをしなくては」より、純粋に「何かしてみようかな」って思えるようになった。これはまあ、最近の話だけれど
あと、周りの友達のことを、どんどん大好きになった。
年齢差はあるけれど、大枠で”同年代”の仲間たちが、それぞれのルートで成長・進化して
20代のころとか(30代の前半くらいまで)は、それが眩しかったりしたんだけど
優しくなった仲間たちと交わす時間が、わたしをすごく勇敢にしてくれた。
いま、ようやく「強さよりも、優しく生きなさい」と言ってくれた意味がわかるようになったんです。
だからあなたも大丈夫、ってね
本当は言いたいんだけど
「自分の成功体験を押し付けるな」っていう言葉を知ってから、
それもそうだよなあ。って感じではあるんだけど
希望はある。
きっとある。
どうかこの無責任な言葉を、苦しいときにそばに置いてみてください。
わたしは本当にどうしようもない人間で
社会的地位の底辺で生きているわけだけれど
正社員でもないし、貯金もないし、おまけに病気だし、
エッセイなんて書いてないで、将来のこと考えろ!って言われちゃうかもしれないけど。大丈夫!
今なら、「うるせぇ!」って言い返せるよ。
あなたたちから、そんな勇気をもらいました。
だからどうか、おとなになっても勇気と優しさを
あのころの無敵さを、忘れないで。
みんなにとって、各々にとって、良い選択が続いてゆくことを願っています。
わたしはどうしようもないなりに、
そしてみんなよりお姉さんの立場として
「30代おもろいぜ」っていう感じで生き延びて、40歳になります。
君たちが30歳を過ぎて少し経ったころに、「40代で待ってるぜ!」って言って、どうか笑えるように。
今まで、たくさんの楽しい時間をありがとうございました。
人生に何があっても、ふっとYouTubeをつけたときに、畑の新作が上がっていることに救われました。
いつでも帰れる、友達の家みたいでした。
過去動画もあるから、家そのものがなくなったわけではない
というか、もう充分な時間をいただいたから
勝手にだけど、今回の活動休止は「好きなときに動画を出せる状態にした」っていう意味だと受け取っています。
それが月に1回でも、1年後でもまた、みんなが「畑」でありたいときに動画を出してくれたら嬉しいです。
元気でいてくれたら嬉しいです。
それぞれの夢があって、今のメンバーが全員揃わなくなっても、誰かが静岡を出たとしても
どうか、誰かのためではなく、自分自身のために選択をして
どうか、「寂しさ」を選択の言い訳にしないように。
困難を乗り越え
優しい時間がたくさん訪れることを、心から願っています。
2023年12月11日 松永ねる
楽しい30代で、待っています。
最近はこれ見て、めっちゃ笑いました。
Miiであんなに笑えると思わなかった
▼畑のみんなのおかげで、笑って静岡帰れたよ。アリガト!!
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