【創作大賞2026応募作品】『リンク』第2章〜人生に必要だった遠回り〜 作品全編
◾️あらすじ
クレープ屋さんとして独立し、
多くの仲間やお客様との出会いに
恵まれたボクたち。
順調に見えた人生の中で、
少しずつ違和感も生まれていた。
お弟子さんたちとの関わり。
仕事と幸せの関係。
夫婦で生きる意味。
そして、
長年コリに苦しむりなちゃんの存在。
そんな日々の中で、
ボクは立ち止まり、
本当に大切なものは何なのかを
考えるようになる。
一生懸命走り続けた先で見えてきたもの。
それは成功でも、お金でもなかった。
過去の経験。
人との繋がり。
家族の想い。
そのすべてが繋がった時、
ボクはようやく
「幸せ」と「仕事」の本当の意味に
気づいていく。
これは、
一生懸命生きてきた人生の
答え合わせの物語。
プロローグ
「幸せって何だろう」
「一生懸命やってれば、
応援してくれる人が現れるよ。」
子どもの頃、
母によく言われていた言葉。
自由に生きたい。
好きなことで生きたい。
誰かに決められた人生じゃなく、
自分で選んだ人生を生きたい。
そんなことばかり考えていたボクは。
バスケに夢中になり。
スキーに夢中になり。
気づけば “仲間が集まる場所” みたいなものに、
強く憧れるようになっていた。
いつか、
大切な仲間たちが集まって、
笑って、
語って、
また帰って来たくなる。
そんなペンションみたいな場所を、
作れたらいいな。
昔のボクは、
なんとなく、
そんなことを考えていた。
⸻
でも。
人生は、思い描いていた通りには進まなかった。
サラリーマン生活。
怒られてばかりの日々。
車中泊。
赤字。
人生を諦めかけた夜。
それでも。
一生懸命走り続けた先で。
ボクは、
人生のパートナーになる
りなちゃんと出会った。
そして。
気づけばボクたちは、
全国を回るキッチンカーのクレープ屋さん
になっていた。
知らない土地へ行って。
また次の街へ行って。
たくさんの人と出会って。
たくさん笑って。
たくさん支えられて。
気づけば、
子どもの頃に思い描いていたものとは
少し違う形で。
でも確かに。
“人が集まる場所”みたいなものを
作り始めていた。
⸻
そして。
導かれるように辿り着いた、
栃木県。
そこで、
ボクたちの人生は
また大きく動き始める。
「また来たよ。」
「2人に会いに来たんだ。」
「幸せのクレープ食べに来たよ。」
そんな言葉を
たくさんもらうようになった。
でも、
その頃のボクは、
まだ分かっていなかった。
本当に欲しかったものが、
何だったのか。
⸻
これは、
たくさん遠回りをしながら、
少しずつ
“幸せ” の形を知っていく物語。
Episode 1
「導かれた栃木県」
1-1 知らない街、日光へ
「次、栃木行ってみる?」
その言葉に、
特別な理由なんて無かった。
ただ、なんとなく行ってみたかった。
佐渡での営業をきっかけに、
少しずつお店は軌道に乗り始めていた。
でも、ボクたちは
まだどこかに落ち着こうとは思っていなかった。
もっといろんな景色を見てみたい。
もっといろんな人と出会ってみたい。
日本中を回ってみたい。
アメリカを旅していた頃。
「いつか日本を、自由に回れる人生ができたらいいな。」
そんなことを考えていた。
でも、あの頃は、
まさか本当にクレープ屋さんとして
全国を回る人生になるなんて、
想像もしていなかった。
⸻
人生って不思議だ。
遠回りばかりしてきたと思っていたのに。
気づけば、
あの頃思い描いていた景色へ、
少しずつ近づいていたのかもしれない。
⸻
そして、
ボクたちは栃木県へ向かった。
最初に辿り着いたのは日光市。
日光東照宮で知られる、
世界遺産「日光の社寺」がある
有名な観光地。
ボクたちには
縁もゆかりも無い土地だった。
知り合いなんて、ひとりもいない。
「本当に売れるのかな。」
「お客さん来てくれるかな。」
全く不安が無かったと言えば嘘になる。
そんな話をしながら営業準備をしていた。
その時だった。
駐車場の端を、
一匹の三毛猫が
ゆっくり横切っていった。
「猫だ。」
思わず笑った。
知らない土地なのに、
なぜか少しだけ安心した。
「まぁ、大丈夫か。」
そんなことを思いながら、
ボクたちは営業準備を始めた。
⸻
期待と不安が入り混じりながら
ボクたちはキッチンカーをオープンさせると、
営業初日からちょっと驚いた。
「どこから来たの?」
「何屋さんなの?」
「キッチンカーかわいいね!」
地元の人たちが、
次々に話しかけてくれた。
しかも、
来る人、来る人、すごく優しかった。
「寒いでしょ?」
って差し入れを持って来てくれる人。
「頑張ってね!」
って応援してくれる人。
知らない土地だったはずなのに、
不思議なくらい温かかった。
そして、気づけば少しずつ、
常連さんみたいな人たちも増えていった。
「また来ちゃった。」
「今日も来たよ。」
そんな言葉を
毎日のように聞くようになっていた。
⸻
あの頃のボクたちは、
まだ分かっていなかった。
この栃木県での出会いが、
これから先の人生を
大きく変えていくことを。
1-2 寒い年越し営業
ボクたちが、
栃木県の日光へ行こうと思った理由。
それは、
日光東照宮の初詣だった。
「年越しって、かなり人来るんじゃない?」
そう思って、
クリスマス前から日光で営業を始めた。
日光で営業を始めてから、
少しずつ地元の人たちとも仲良くなっていった。
冬の日光は、
初詣の時以外は観光客が少ないらしい。
それでも、
年末の時点で売上はそんなに悪くなかった。
そんな中、地元の人たちから
「大晦日は車がズラ〜っと並んじゃって、この前の道、2時間くらい渋滞してましたよぉ。」
そんな話を何人もの人から聞いていた。
期待の膨らむ話を聞いて、
「これ、年越しすごいことになるんじゃない?」
ボクたちはワクワクしていた。
⸻
そして迎えた大晦日。
「年越しは、オールナイトで営業してみよう!」
そう決めたボクたち2人は、
気合いを入れて準備した。
夜までは、
それなりにお客さんも来てくれていた。
しかし、どうも様子がおかしい。
「……なんか、全然渋滞する感じじゃないね?」
「夜中から混むのかな?」
そんなことを、りなちゃんと話していた。
⸻
そして、23時くらい。
「……これ、本当に混むのかね?」
ちょっとずつ、
2人とも不安になってきた。
さらに、0時を回る頃には。
「いや、この後なんて絶対混まないよね?」
「渋滞どころか、車も走ってないし!」
もう、笑うしかなかった。
どうやら、
ボクたちが聞いていたのは
何年か前の話だったらしい。
初詣へ向かう人の流れが変わっていて、
ボクたちが営業していた道は、
もう昔ほど混まなくなっていた。
⸻
もちろん。
そんなこと、
ボクたちは知らない。
だから、
真っ暗で車も人もほとんどいない中、
2人で身を寄せ合いながら、
プルプル震えていた。
「寒いよぉ〜……。」
「寒いよぉ〜……。」
「なんかボクたち、雪山で遭難した人みたいだね。」
「ほんとだね……、寒いよぉ〜……。」
そんなことを言いながら、2人で笑っていた。
でも、
不思議と嫌な時間じゃなかった。
結局、
夜中から朝方までは、
ほとんど人が来なかった。
「これなら夜ちゃんと寝て、昼間に備えれば良かったね。」
なんて、
2人で笑いながら話していた。
⸻
そして朝を迎えると、
今度は元旦のお客さんたちが
次々に来てくれた。
「昨日の夜、ずっとやってたの!?」
「寒かったでしょ〜!」
そんなふうに、
地元の人たちが笑いながら話しかけてくれる。
知らない土地だったはずなのに、
少しずつ
この街に迎え入れてもらえている
気がしていた。
1-3 口コミで広がる
年が明けてから、
日光での出店は、
さらに不思議なことになっていった。
ボクたちは
特別な宣伝なんてしていない。
チラシも無い。
広告も出していない。
でも、気づくと、
知らない人たちが
どんどん来てくれるようになっていた。
「友達に聞いて来ました!」
「美味しいって聞いて!」
「今度そっち行くらしいよって、みんな言ってましたよ〜!」
そんな言葉を
毎日のように聞くようになっていた。
どうやら、
地元の人たちの間で
口コミが広がっていたらしい。
しかも、
日光市内で別の場所へ移動して営業すると、
「待ってました!」
みたいな感じで、
また人が集まってくる。
⸻
初めて行く場所なのに、
すでにボクたちのことを
知ってくれている人たちがいる。
それが、なんだか不思議だった。
「なんでこんな広がるんだろうね?」
そんな話を
りなちゃんとよくしていた。
もちろん、
クレープ作りには一生懸命だった。
生地。
クリーム。
焼き加減。
温度。
巻き方。
少しでも美味しくなるように。
どうしたら喜んでもらえるか。
2人で毎日話しながら作っていた。
でも、今思えば、
理由はそれだけじゃなかった気がする。
りなちゃんと一緒に
お店をやるようになってから、
もう半年以上。
知らない土地を2人で回りながら、
毎日ずっと一緒に仕事をしていた。
一緒に仕事をする時間が増えるほど、
作業の息もどんどん合っていった。
「あ、次これ欲しい。」
って思った瞬間に、
もう相手が動いてる。
言葉にしなくても
自然と流れるように動ける。
気づけば、
2人でやり始めた頃とは別次元なくらい
息ピッタリになっていた。
しかも、
知らない街ばかりだったからこそ、
ボクたちは自然と
お互いを頼り合うようになっていた。
その環境の中でボクたちは、
仕事だけじゃなく
人として信頼できる
唯一無二のパートナーになっていった。
たぶん、そんな空気って、
お客さんにも伝わるんだと思う。
「仲良いね〜!」
「2人見てると、なんかこっちまで楽しくなる!」
そんなことを、よく言われるようになっていた。
そして、気づけば、
クレープを買いに来てくれるというより
“会いに来てくれる”
みたいな人たちが少しずつ増えていった。
⸻
まだ、
その頃のボクたちは気づいていなかった。
クレープを売っているつもりだったけれど、
本当は、
もっと別のものを届け始めていたことに。
実は、この頃からすでに
“幸せのクレープ” は、
始まっていたのかもしれない。
1-4 「2人に会いに来たんだよ」
日光で営業を始めてしばらく経った頃。
少しずつ、
顔なじみになる人たちが増えていった。
「また来ちゃった。」
「今日も来たよ〜!」
そんなふうに、何度も来てくれる人たち。
しかも、不思議だったのは、
クレープを買いに来ているというより
“話しに来てくれている”
みたいな人がどんどん増えていったことだった。
「今日もいっぱい売れてる?」
「昨日のお休み、 何してたの?」
「おすすめのお店見つけた?」
いつの間にか、
地元の人たちと友達みたいに話していた。
そして、この頃から、
ボクたち夫婦の楽しみも増えていった。
営業が終わったあと、
地元の美味しいお店へ行ってみたり、
おすすめされたご飯屋さんへ行ったり。
「このお店、 すごい美味しい!」
「また来たいね!」
そんな話をしながら、
知らない土地を楽しんでいた。
今思えば、この頃から、
“その土地で暮らすように旅する”
みたいな感覚になっていた気がする。
そして、
お客さんたちとの距離も
どんどん近くなっていった。
ある日。
何度も来てくれているお客さんに、
こんなことを言われた。
「クレープももちろん美味しいんだけどね。最近、2人に会いに来てる感じなんだよね。」
……。
ボクたちはちょっと驚いた。
だって、その頃のボクたちは
“美味しいクレープを作ること”
ばかり考えていたから。
でも、その人は笑いながら続けた。
「なんかさ、2人見てると元気出るんだよ。楽しそうに仕事してるし、 仲良いし。こっちまで幸せな気持ちになる。」
そう言ってくれた。
たぶん、
この頃から少しずつ、
ボクたちのお店は、
“クレープを売る場所”
だけじゃなくなっていたんだと思う。
もちろん、クレープは一生懸命作っていた。
でも、本当に届いていたのは
それだけじゃなかった。
2人で笑いながら働く空気。
楽しそうに生きている感じ。
そういうものも一緒に届いていたんだと思う。
「美味しいクレープ屋さんがあるよ。」
そんな口コミは、
いつの間にか
「なんか、すごく楽しそうな2人がいるよ。」
に変わっていった。
そして、
その繋がりは、
少しずつ少しずつ広がっていく。
いつからか、
何時間も離れた場所から
クレープを食べに来てくれる人たちが
現れるようになっていた。
「クレープも食べたかったんですけど。お2人に会いたくて来ました!」
そんなふうに言ってくれる常連さんが、
この頃から少しずつ増え始めていた。
1-5 4時間半待ちの最終日
日光での営業は、
気づけば毎日たくさんのお客さんが
来てくれるようになっていた。
しかも、
市内の別の場所へ移動して営業しても
「今度そっち行くらしいよ!」
「美味しいから行ってみて!」
そんな口コミが、
地元の人たちの間でどんどん広がっていた。
そのおかげで、初めて行く場所なのに
最初から行列みたいになることも増えていった。
正直、ボクたち自身が一番驚いていたと思う。
「なんでこんな来てくれるんだろうね?」
そんな話を毎日のようにしていた。
そして、
1ヶ月くらい日光市内を回った、最後の日。
その日は、小さなコンビニでの営業だった。
駐車場も10台くらいしか停められない。
そんな小さなお店。
どこからともなく、
朝から次々とお客さんが来てくれた。
勢いに乗ったまま、
その日はどんどん待ち時間が伸びていった。
「今、4時間待ちくらいです……。」
そう伝えても
みんな嫌な顔ひとつしない。
「じゃあ予約して、 また来ますね!」
「絶対食べたいから待ちます!」
そんなふうに
笑顔で言ってくれる。
そして、
仕上がり時間になると
また嬉しそうに戻って来てくれる。
「やった〜!」
「ありがとう!」
クレープを渡した瞬間、
さらに嬉しそうな表情になる人たち。
その場ですぐ食べ始めて、
「美味しい〜!」
って笑っている人たち。
その光景を見ているだけで、
なんだか、胸がいっぱいになった。
しかも、
それまで日光市内で営業してきた
いろんな場所のお客さんたちが
どんどん集まって来てくれていた。
「あっ!久しぶり〜!」
「今日来てたんだ!」
「また会ったね!」
地元の人たち同士の
楽しそうな会話。
笑い声。
キッチンカーを囲むように人が集まり、
小さなコンビニの駐車場が
まるで縁日のお祭りみたいな空気になっていた。
ボクたちは、
ただクレープを売っていただけのはずなのに。
気づけば、
人と人が繋がる場所みたいになっていた。
そして、
待ち時間は4時間半。
当時のボクたちにとって
最長記録だった。
でも。
その日のことを思い出す時、
ボクの中に残っているのは
数字じゃない。
みんなの笑顔だった。
ほんの少し前まで、
車中泊をしながら
野良猫しか話し相手がいなかったボクが。
今は、
こんなにもたくさんの人たちに囲まれている。
しかも、
みんな笑顔で
「また来てね。」
って言ってくれている。
人生って、本当に分からない。
でも、ひとつだけ、
少し分かり始めていたことがあった。
“一生懸命”って、ちゃんと人に届くんだ。
あの頃のボクは、まだ、
うまく言葉にはできなかったけど。
⸻
この日光での1ヶ月は、
これから先の人生を大きく変えていく
始まりだった気がしている。
そして、
この日光での出会いが、
ボクたちの想像もしていなかった未来へと
繋がっていくことになる。
でも、
この時のボクたちは、
そんな未来が来るなんて
夢にも思っていなかった。
Episode 2
「幸せのクレープ」
2-1 佐野という街
日光での営業を終えたあと。
次に向かったのは、
栃木県の佐野市だった。
日光から佐野までは
下道だと2時間弱。
かなり離れている。
だから、ボクたちは、
完全に“はじめまして”の気持ちだった。
「また1からだね。」
そんな話をしながら、
新しい出店先へ向かった。
⸻
ボクたちの予想に反して、
営業初日からちょっと様子が違った。
「えっ、佐野に来たんですか!?」
「SNSで見てました!」
「友達から聞いて、絶対来ようと思ってたんです!」
……。
正直、ボクたちは驚いた。
だって、佐野は初めての場所だったから。
しかも、日光からそんなに近いわけでもない。
それなのに、
すでにボクたちのことがたくさんの人たちに
知られていた。
「え、なんで知ってるんですか?」
そう聞くと。
「日光行った友達が、すごい美味しいって言ってて!」
「なんか、2人がすごく楽しそうなお店だよって!」
そんな答えが返ってくる。
営業が始まると、
平日でもどんどんお客さんが増えていった。
気づけば、1時間待ちくらいが
普通みたいになっていた。
そして週末になると
オープン前からお客さんが並び始める。
営業中もずっと行列。
2時間待ちなんて日も珍しくなくなっていった。
しかも、佐野で驚いたのはそれだけじゃない。
ある日、
雪のほとんど降らない佐野市で大雪が降った。
「今日はさすがに暇かなぁ。」
ボクたちは、そんな話をしていた。
でも、その日もお客さんが途切れなかった。
雪の中、並びながら待ってくれる人たち。
「寒いのに、本当にありがとうございます!」
そう言うと、
「だって、 食べたかったんだもん!」
って、笑いながら言ってくれる。
そして、
佐野ではもうひとつ楽しいことが増えていった。
それは、ご当地グルメとの出会いだった。
ある日、お客さんが、
差し入れで “芋フライ”を持って来てくれた。
「これ、佐野のご当地グルメなんですよ!」
「ソースが決め手なんです!」
そんな話を聞きながら食べてみると
想像以上に美味しかった。
「えっ、なにこれ!美味しい!」
ボクたちは思わず笑顔になってしまった。
佐野のお客さんたちは、
いろんな佐野ラーメンのお店も教えてくれた。
実は、りなちゃんは、
あまりラーメンが好きじゃない。
でも、
「せっかくだし、行ってみようか。」
そう言って食べに行ってみた。
すると、
青竹で打った独特なちぢれ麺。
あっさりしたスープ。
それがメチャクチャ美味しかった。
「えっ、佐野ラーメンすごい美味しい!」
そこから、りなちゃんは、
“ラーメンはあまり好きじゃないけど、佐野ラーメンは好き”
って言うくらい、気に入っていた。
⸻
ボクたちは、2人とも食べることが好きだった。
だから、
こうやってその土地の人たちに
美味しいものを教えてもらう時間も、
どんどん大きな楽しみになっていった。
ただお店をやっているだけじゃない。
その土地の人たちと出会って。
その土地の文化を知って。
その土地を好きになっていく。
そんな旅を、
ボクたちは少しずつ楽しむようになっていた。
2-2 最後に会いに来てくれた人
佐野では
本当にたくさんの常連さんたちができた。
今思えば、
こういう地域の人たちとの距離感は、
もうこの頃には
自然と出来上がり始めていた気がする。
佐渡でも。
日光でも。
気づけば常連さんたちと
友達みたいな関係になっていた。
知らない土地へ行っても、
その地域の人たちと話して、
おすすめのお店を教えてもらって、
笑って、
また来てくれて。
そんな交流を繰り返すうちに、
ボクたちはどこの街へ行っても
その土地へ溶け込めるようになっていた。
だから、佐野でも、
「また来ちゃいました〜!」
って笑いながら来てくれる人たちが
どんどん増えていった。
ちびっ子を連れた家族。
学生さん。
仕事帰りの人。
あれから10年以上経った今でも、
クレープを食べに来てくれる人たちがいる。
当時ちびっ子だった子が、
大人になって車を運転して来たり、
就職しましたって報告してくれたり。
中にはママになって
子どもを連れて来てくれる子もいる。
ボクは昔から常連さんたちの写真を
撮らせてもらうことが多かった。
久しぶりに再会するお客さんに、
「ほら!○○ちゃん、こんなちっちゃかったんだよ〜!」
って昔の写真を見せると、
「なんか、親戚のおじさんみたいですね!」
って、お客さんに笑われたりする。
でも、そうやって長く繋がっていられることが
すごく嬉しい。
⸻
そして、
佐野には今でも忘れられない人がいる。
出店先で働いていた
ひとりのママさんだった。
5歳くらいの男の子がいて、
いつもボクたち2人を気遣ってくれて
熱心に応援してくれていた。
でも、
重い病気を抱えていた。
それから、
ボクたちは栃木を離れて
千葉や群馬へ移動していった。
そんなある日。
群馬で営業していた時だった。
久しぶりにそのママさんが、
ご家族に付き添ってもらいながら来てくれた。
「なかなか来れなくて、すみません。」
……。
「ちょっと、体調が良くなくて……。」
そう言いながら、笑っていた。
でも、
その時の姿は、
以前よりかなり痩せていて、
とても辛そうに見えた。
それでも、
わざわざ会いに来てくれた。
ボクたちは。
「来てくれて嬉しい!」
そんな気持ちでいっぱいだった。
でも――
それから数ヶ月後。
また群馬で営業していた時。
その人と仲の良かったお友達が1人で
ボクたち2人を訪ねて来てくれた。
でも、
様子が少し違った。
どこか、
涙をこらえているようだった。
そして、
静かに、こう言った。
「実は……。」
……。
「どうしても、お2人に伝えなきゃと思って。」
……。
「彼女、この間亡くなったんです。」
……。
「ずっと、お2人のクレープも、お2人のことも大好きだったから。」
……。
「どうしても、伝えたくて。」
……。
その言葉を聞いた瞬間。
ボクたちは、
全部分かってしまった。
あの時、
群馬まで来てくれたのは。
きっと、
最後に会いに来てくれていたんだ。
そう思った瞬間、
涙が止まらなかった。
ボクたちは。
ただクレープを作っていただけのつもりだった。
でも、
誰かにとって会いたいと思ってもらえる存在になっていた。
人生の最後に無理をしてでも、
会いに来たいと思ってもらえるくらい。
大切に想ってもらえていた。
⸻
あの出来事は、
ボクたちがどれだけ
大切に想ってもらえていたのかを、
深く心に刻んでくれた。
2-3 遠くから来てくれる人たち
佐野で営業していた頃から、
少しずつ不思議なことが起き始めていた。
それは、
“わざわざ遠くから来てくれる人たち”
が増えていったことだった。
⸻
ある日、
日光で仲良くなった製麺屋さんのご夫婦が、
佐野までクレープを買いに来てくれた。
そのご夫婦は
すごく人気のお店をやっている人たちだった。
ボクは、何気なく聞いた。
「アウトレットのついでですか?」
すると、
ご主人は笑いながら言った。
「いやぁ。2人に会いたくなって。」
「え?」
「クレープも食べたかったし、じゃあ行くかって言って来たんだよ。」
「マジですか?」
ボクはちょっと笑ってしまった。
だって、その頃のボクたちは
“クレープを食べるためだけに、わざわざ遠くから来る”
なんて感覚が
まだよく分かっていなかったから。
でも、そのご夫婦は本当にそうだった。
こんなこともあった。
ご主人の実家の青森に帰省する時。
クーラーボックスにうちのクレープを入れて。
8時間かけて青森まで持って帰ってくれていた。
「家族に食べさせたいから。」
そう言って、
嬉しそうにクレープを受け取ってくれる。
その姿が、なんだか、
すごく嬉しかった。
そんな人たちは少しずつ増えていった。
「ディズニーランド行くついでに来ました!」
って言いながら、
実は、かなり遠回りして来てくれていたり。
「近くまで来たから!」
って言いながら、
本当は全然近くなかったり。
中には高速を使って
何時間もかけて、
クレープを食べる為だけに
来てくれる人たちもいた。
しかも、
みんな楽しそうだった。
「やっと来れた〜!」
「今日は絶対食べたかったんです!」
そんなふうに
笑いながら来てくれる。
そして、気づけば、
「クレープももちろん食べたかったんですけど。お2人に会いたくて来ました!」
そんなふうに
言ってくれる人たちまで現れ始めていた。
ボクは、
その言葉を聞くたびに
不思議な気持ちになっていた。
でも同時に、すごく嬉しくもあった。
だって、
ほんの少し前まで、公園の駐車場で、
ひとり車中泊をしていた人間だから。
そんな自分に
“会いたい”
って言ってくれる人がいる。
しかも、
今はりなちゃんも一緒だった。
気づけば。
ボクたちは “2人セット”で、
誰かの会いたい人になっていた。
ボクたち2人が
楽しそうに働いている姿を見て、
幸せそうだなぁって、
感じてくれる人たちが少しずつ増えていった。
それが、なんだかすごく嬉しかった。
人生って本当に分からない。
そして、
この頃から少しずつ感じ始めていたことがある。
美味しいものって
ただ食べるだけじゃない。
誰と出会ったか。
どんな時間を過ごしたか。
どんな気持ちで並んだか。
そういうもの全部が思い出になって、
また会いに行きたい理由になるんだって。
2-4 世界で通用するよ
佐野で営業していた頃。
ボクたちは、
いろんな人たちと出会った。
ある時。
よく来てくれていた
ひとりのおじいちゃんがいた。
その人は塾長をしている人だった。
いつもクレープを食べながら
「これは本当に美味しい!」って、
本当に気に入ってくれているのが伝わってくる
感情のこもった言葉を何度もくれた。
そしてある日、
こんな話をしてくれた。
「実はね。若い頃フランスで食レポのライターをしていてね。フランス中の食べ物を食べ歩いてたんだよ。」
そして、
ニコニコしながらこう言った。
「このクレープ、世界で通用するよ。」
……。
いやいやいや。
さすがにそれは言い過ぎでしょ。
ボクは本気でそう思った。
クレープってフランスが本場の食べ物。
しかもフランスでは、
“クレピエ”と呼ばれる専門職がいるくらい
クレープ文化が深い国だった。
だからこそ、
そんなフランスの食文化に触れてきた人から
そう言ってもらえたことが、
ボクたちはすごく嬉しかった。
そうやって感情を込めて言ってくれる人が
本当にたくさんいた。
それは、普通のお客さんだけじゃなかった。
料理人さんたちも
「このクレープ、ちゃんと計算されて作られてる。」
「食べ物としてクオリティーが高い。」
「これ、本当にすごいですよ。」
そんなふうに、真剣に評価してくれる。
ボクたちは食べ歩きも好きだったから、
各地の本当に美味しいお店へ行くことも
増えていった。
気に入ったお店には毎晩のように通い、
お店の人たちと仲良くなる。
その中で、
とんでもなく美味しい料理を作る人たちが、
ボクたちのクレープを
ものすごく褒めてくれることが多かった。
それがすごく嬉しかった。
ボクたちは、
ただクレープを作っていたわけじゃない。
どうしたら、もっと美味しくなるか。
どうしたら、もっと喜んでもらえるか。
毎日、毎日。
ずっと考え続けていたから。
生地の状態。
温度。
巻き方。
食感。
作業の流れ。
細かいところまで、
ずっと試行錯誤していた。
だから、
料理人さんたちの言葉は、
“美味しい”以上に
「ちゃんと伝わってたんだ。」
そんな気持ちになれた。
⸻
そして、
この頃からボクたちは
少しずつ感じ始めていた。
食べ物って、ただお腹を満たすだけじゃない。
人を笑顔にしたり。
思い出になったり。
人と人を繋げたり。
そんな力があるんだって。
売れなかった頃、
ひとり公園の駐車場で車中泊生活をしながら
真剣に磨き上げたクレープ。
そして、
最高のパートナーと出会い
2人になったことで、
作業への集中力、
材料の管理、
食材のバランスの研究、
そういう細かな部分にも
さらに磨きがかかっていった。
それだけじゃない。
それまでに出会った
たくさんの応援してくれる
お客さんたちへの想い。
「もっと喜んでもらいたい。」
「もっと美味しくしたい。」
そんな気持ちも
全部、積み重なっていた。
その全てが繋がって、
ボクたち2人で作るクレープは、
そんなふうに評価してもらえるものに
なっていたんだと思う。
2-5 足利で生まれた名前
栃木を回っていた頃。
ボクたちは少しずつ
“人気のクレープ屋さん”みたいに
言ってもらえることが増えていった。
そして、
次に向かったのが、足利市だった。
足利市は、
佐野市の隣町。
日光から佐野へ行った時以上に、
さらに口コミが広がっていた。
口コミのおかげで
足利市で営業を始めた初日から、
友達や職場の人から噂を聞いていた人たちが
どっと押し寄せた。
「やっと来てくれた!」
「ずっと食べてみたかったんです!」
「友達から絶対行った方がいいって聞いて!」
そんな声が次々と飛んでくる。
ボクたちは
「えっ、そんな広がってるの?」
って、本気で驚いていた。
足利でもたくさんの人たちが、
クレープを楽しみに来てくれていた。
⸻
その中に、
佐野の頃からずっと来てくれていた
親子がいた。
ママさんと
小学4年生くらいの元気な女の子。
その子はちょっとおてんばで、
いつもツンってしていて、
でも、
どこか可愛らしい子だった。
そして、ある日。
いつものように
楽しそうに話していた時だった。
ママさんが笑いながら言った。
「うちね。いつも、"幸せのクレープ食べに行こっか”って言ってここに来てるんだよね。」
……。
その瞬間、
ボクは不思議な気持ちに包まれた。
“幸せのクレープ”
その言葉が、
すごく、あたたかく感じた。
その親子は、母子家庭だった。
だからこそ、
限られた時間の中で、
クレープを食べに来る時間を
楽しみにしてくれていたことが、
なんだか、すごく嬉しかった。
出来たてのクレープを渡すと、
女の子はお母さんと手を繋ぎながら
嬉しそうに帰っていった。
お母さんの手には、
クレープが2つ入った袋。
そして、
女の子のもう片方の手には、
少しくたびれた三毛猫のぬいぐるみ。
そのぬいぐるみを楽しそうに揺らしながら
歩いていく後ろ姿を見て、
なんだかボクまで嬉しくなった。
⸻
ボクたちは
ただクレープを作っていただけだった。
でも、その人たちにとっては
“幸せな時間”
みたいなものになっていた。
そのことが
なんだか胸に残った。
“幸せのクレープ”
その名前は、
この先のボクたちの
生き方そのものになっていく。
女の子が揺らしていた
少しくたびれた三毛猫のぬいぐるみも、
どこか嬉しそうに見えた。
Episode 3
「人が集まる場所」
3-1 運命のキッチンカー
足利で
“幸せのクレープ”
という言葉を聞いてから。
その名前は
ずっとボクの心に残っていた。
そして、ちょうどその頃。
ボクたちの人生には、
もうひとつ大きな出来事が起きていた。
新しいキッチンカーとの出会いだった。
栃木を回り始めてから
ありがたいことに、
毎日たくさんのお客さんが
来てくれるようになっていた。
だから、
「もっと自分たちらしいキッチンカーが欲しいね。」
そんな話を2人でするようになっていた。
そして、
ネットで偶然見つけたのが
イギリス製の古いキッチンカーだった。
フレデリー・ニューアーク。
まるでディズニーランドに出てきそうな、
クラシックカーみたいな
すごく可愛いキッチンカー。
昔、UCCが日本に10台くらい輸入して
移動販売をしていた車らしくて、
かなり珍しい車だった。
「えっ……なにこれ?メチャクチャ可愛い。」
ボクたちは、ひと目で惚れてしまった。
しかも、
その車は群馬の前橋にあった。
足利からなら高速で1時間くらい。
「これは、見に行くしかない!」
そう思って、
休みの日に車屋さんへ向かった。
でも、
お店で話をしていた時に。
「実は、 ちょっと前に買いたいって人が出まして……。」
そう言われた。
「うわぁ〜…… 先越されたぁ〜……。」
ボクたちは、かなりショックだった。
「まぁ、縁が無かったのかもね。」
そんな話をして、諦めていた。
でもなぜか、
お父さんがその車を見に行ってくれた。
その頃、
定年後のお父さんは、仕事の経歴を買われて
長野の大きな会社から仕事の依頼を受け、
嘱託社員として単身赴任をしていた。
たまたま運良く、
車屋さんまで行けない距離ではなかった。
それで、
「せっかくだし、見てきてあげるよ。」
そんな感じで、見に行ってくれたみたいだった。
そして、しばらくして、
車屋さんから電話がかかってきた。
「実は……。先に買うって言ってた人が、急に分割でって言い出して。お父さんも見に来てくれて、安心だし、お宅さんに売りたいなと思って。」
奇跡的な展開に驚きつつ、ボクは即答した。
「買います!」
電話を切ったボクは興奮気味に
りなちゃんを呼んだ。
「りなちゃ〜ん!大変だぁ〜!!」
「どうしたの?」
「車屋さんから電話来て、あの子、うちに売ってくれるって〜!」
「ええ〜!!やったぁ〜〜〜!!」
2人で抱き合って飛び跳ねながら喜んだ。
奇跡はさらに続いた。
買えたのはラッキーとは言え、
古い希少車で整備できる工場もそうそう無い。
ところが、
お父さんが住んでいた長野のアパートの近くに、
そういう特殊な車を整備できる工場があった。
歩いて行ける距離だったみたいで、
お父さんが見つけてくれた。
社長さんとお父さんが同世代で仲良くなり、
ボクたちのキッチンカーの改装や整備を
お願いできることとなった。
⸻
もし、
お父さんが長野にいなかったら。
きっとボクたちのキッチンカーは、
ボクたちの元には来てくれていなかった。
整備工場の社長さんとの出会いも、
お父さんが繋いでくれた、
これから先も長く続いていく
大切な出会いだった。
その社長さんとボクたち2人も、
今ではものすごく仲良しになっている。
ボクたちの仕事への姿勢を
すごく気に入ってくれて、
キッチンカーの整備だけじゃなく、
いろんなことで今もお世話になっている。
⸻
そして、
新しいキッチンカーへ乗り換えるタイミングで、
ボクたちは
お店の名前を変えることにした。
“幸せのクレープ”
足利でお客さんから、いただいた名前。
ボクたちが、目指していたもの。
お客さんたちが、感じてくれていたもの。
それを
そのまま名前にした。
その後、
“幸せのクレープ”という名前は
ただのお店の名前じゃなく、
ボクたち2人の
生き方そのものみたいになっていった。
3-2 長野へのUターン
新しいキッチンカーを買ったあと、
ボクたちはその車を
長野の整備工場へ持っていった。
そして、
キッチンカーの中を
ボクたちが理想としていた形へ
改装してもらうことになった。
このキッチンカーの改装はただの改装じゃなく、
ボクたちのこだわりを徹底的に詰め込んだ。
特に、厨房になる荷台部分。
ボクたちのイメージが間違いなく伝わるように、
りなちゃんが厚紙で模型を作ってくれた。
棚の位置。
機材の配置。
作業スペース。
全部、1センチ単位で考えて、
細かなミニチュアサイズの模型を
工作みたいに作っていた。
クレープって、
本当に細かな作業の積み重ね。
動線。
身体の向き。
材料の配置。
そういう小さな違いが、
作業のしやすさにも、
クオリティーにも、
ものすごく影響する。
しかも、
この頃のボクたちは、
2人でのコンビネーションも
かなり磨かれてきていた。
だから尚更、
「2人で最高に動きやすい形」
を、本気で考えていた。
⸻
車のデザインにも、
いっぱい想いを込めた。
“幸せのクレープ”
という名前をイメージして
風水の幸せカラーまで調べた。
車体はピンク。
屋根には白いレザー。
ヘッドライトやフロント部分にはゴールド。
元々クラシックカーみたいな
人を笑顔にするような可愛い形の車だったけど、
そこへさらに、
“見ただけで幸せな気持ちになる”
ような雰囲気を詰め込んでいった。
⸻
ただでさえ部品も無いような古い車。
走れるようにするのだけでもそうだし、
1〜10までオーダーメードの大改装となれば
当然かなりお金もかかる。
本来だと、元々の予算はオーバーしていた。
でも、
改造してくれた整備工場の社長さんが
笑いながらこんなことを言った。
「細かく請求出すと、社員たちに怒られちゃうような金額だから。全部ひとまとめの見積もりにしてある。内緒にしといてね。」
しかも、社長さんは、
日曜日の休みの日まで使って
個人的に改造作業を進めてくれていた。
「作るの好きなもんだから。これは、俺の趣味ってことで。」
そう言いながら、
本当に楽しそうに作ってくれていた。
そして、ある時。
社長さんがこんなことを言ってくれた。
「2人見てるとさ。ニコニコ笑顔で、表情がキラキラしてるんだよね。話を聞いてても、仕事に一生懸命なのが伝わってくるし、なんか、応援したくなっちゃうんだよね。」
そして、
「俺も仕事好きだからさ、2人みたいに楽しそうに仕事する人、好きなんだよね。」
……。
その言葉が、
すごく嬉しかった。
⸻
思い返せば、ボクたちはいつも
一生懸命な人たちに助けられてきた。
お父さんも。
車屋さんも。
整備工場の社長さんも。
みんな、
“頑張ってる姿” を見て
応援してくれていた。
⸻
そして、
完成したキッチンカーを長野から千葉へ運んだ。
新しい土地。
新しい車。
新しい名前。
“幸せのクレープ”としての
新しいスタートだった。
でも――
ここで、まさかの事件が起きる。
千葉で営業許可を取るために
保健所へ検査に行った時だった。
「ここ、ちょっとダメですね。」
「えっ?」
なんと。
細かな部分で、検査に引っかかってしまった。
「マジかぁ〜!!」
ボクたちは一瞬かなり焦った。
だって、もう千葉まで来ている。
でも、営業許可が取れなければ営業できない。
「どうしようか。」
りなちゃんも困った顔をしていた。
せっかく完成したばかりのキッチンカー。
やっとここまで来たのに。
また長野へ戻るなんて、
正直かなり面倒だった。
⸻
その時だった。
ふと、幸せ之助のことを思い出した。
「幸せ之助ならどうするかな。」
すると、心の中で幸せ之助が笑った気がした。
「ダメなものは仕方ないじゃん。じゃあ直せばいいんだよ。長野から千葉まで来て引き返すなんて、後でいい笑い話になって楽しいじゃん!」
そんなふうに聞こえた気がして、
なんだか笑えてきた。
たしかにそうだ。
落ち込んでも営業許可は出ない。
だったら、
直してもう一回来ればいい。
「よし、長野戻ろう。」
「そうだね。」
ダメなものは仕方ない。
すぐに気持ちを切り替えて
Uターンを決断したボクたち。
また長野の整備工場まで引き返して、
完成したばかりのキッチンカーを
手直ししてもらうことになった。
⸻
今思えば、
そのUターンすら、
必要な遠回りだった気がしている。
人生って、
自分たちだけで進んでるように見えて、
実はいろんな人たちに支えてもらいながら
進んでいる。
そんなことを、
この頃から少しずつ感じ始めていた。
3-3 松戸の洗礼
予定外の回り道をしながら準備を整え、
ボクたちは千葉へ向かった。
最初に営業したのは松戸市だった。
栃木では、
日光へ行って、
佐野へ行って、
足利へ行って。
どこへ行っても
ありがたいことに、
すぐ人だかりができていた。
栃木で自信をつけたボクたちは、
「千葉でも、こんな感じなのかな。」
どこか、そんなふうに思っていた。
でも――
松戸は、全然違った。
東京にも近くて、
街の空気も今までいた場所より
かなり都会的だった。
そして、街の人たちは、
キッチンカーにあまり興味を示さなかった。
前を通っても、チラッと見るだけ。
子どもですら、普通にスルーしていく。
ボクたちは「あれ?」ってなった。
今までとは明らかに反応が違う。
もちろん、だから悪いとかじゃない。
“土地が変われば、空気も全然違う”
ということを、ものすごく感じた。
この頃から、
ボクたちは都会と田舎の違いみたいなものも
少しずつ感じ始めていた。
都会には、
お金の使い道も、
遊びも、
ライフスタイルも、
本当にたくさんの選択肢がある。
それは、都会の魅力だった。
でも、その分だけ、
人との繋がりは分散していく。
地域同士の交流も少なくなっていく。
そんな空気も感じた。
逆に、
田舎は、日常に大きな変化は少ない。
でも、
それがひとつの穏やかさでもあった。
地域のみんなで、
その小さな変化を楽しんでいる感じ。
ボクたちがその街へ行くことで、
ひとつ、地域の思い出が生まれる。
そんな空気が、確かにあった。
しかも田舎の方が、
街全体でコミュニティーが繋がっている
感じがした。
「あそこのクレープ屋さん、もう行った?」
みたいな話が、
自然と街の中で広がっていく。
その感覚はボクたちにとって、
すごく新鮮だった。
⸻
この経験は、
後々ものすごく大事な勉強になったように
感じている。
だって、
いっぱい売れて
人が集まることに慣れてくると、
知らないうちに
初心を忘れそうになるから。
でも、松戸では、
そんな感覚が一気にリセットされた。
おかげでボクたちは
また初心に戻った。
「ちゃんと挨拶しよう。」
「まずは、知ってもらおう。」
「目の前の人を、大事にしよう。」
そんなことを
もう一度意識し直した。
そして今思えば、
ボクたちの全国を転々とする働き方は、
初心を忘れないために
すごく良かったんだと思う。
移動するたびに
初心へ戻れた。
売れている時には
見えなくなりそうなことを、
新しい土地が
また思い出させてくれた。
それって、
実は、すごく大事なことだった。
しかも、
この時に感じた都会と田舎の空気の違いは、
その後のボクたちの生き方にも、
少しずつ影響していった。
商売のやり方。
人との距離感。
プライベートの過ごし方。
そして、
後々、家を買う時にも。
「住むなら、田舎がいいよね。」
そんな考えに繋がっていった。
3-4 広がっていく「幸せのクレープ」
千葉では松戸からスタートし、
鎌ヶ谷、
四街道、
千葉市緑区、
大網白里、
長生、
そんなふうに
少しずつ都会から田舎へ向かうように、
移動していった。
すると、面白いくらい
お客さんの反応も売り上げも
どんどん変わっていった。
⸻
田舎へ行くほど、
「クレープ屋さん来てるって聞いて!」って
人が集まってくれる。
地域のみんなで楽しんでくれている感じ。
その空気がどんどん強くなっていった。
そして、
千葉市緑区へ行く頃には、
また、栃木の頃みたいに、
「有名なクレープ屋さんが来た!」
そんなふうに
迎えてもらえるようになっていた。
この頃には
“幸せのクレープ”という名前も
どんどん広がり始めていた。
「幸せのクレープが来た〜!」って。
地域の人たちが、笑顔で集まって来てくれる。
その景色が、
なんだかすごく嬉しかった。
しかも、
千葉市緑区で出店していたお店からは、
何年経っても
「また来てほしい。」
っていう声を、ずっともらい続けていた。
そして、
何年か後にまた出店した時には、
「おかえりなさ〜い!」って
たくさんのお客さんたちが迎えてくれた。
⸻
ボクたちはその時、
改めて感じた。
ただ、クレープを売っていたんじゃない。
行った先々のその街に、
思い出みたいなものを残していたんだって。
そして、この頃から、
全国各地の人たちから
「SNSで見ました!」
「こっちにも来てください!」
そんな声が届くようになっていった。
実はボクは、
クレープ屋さんを始めた頃から
ずっとブログを書き続けていた。
常連さんに勧められて始めたものだったけど、
毎日更新するのが当たり前になっていた。
その頃はまだ、
Instagramも今ほど広がっていない時代。
ブログを通して
「今日はどこにいるんですか?」
「次はいつ来ますか?」
そんなふうに、
遠くの人たちとも少しずつ繋がっていった。
そして、
千葉で広がり始めていた
“幸せのクレープ”という名前も、
SNSやブログを通して
少しずつ全国へ広がっていった。
⸻
今思えば、
あの頃毎日ブログを書いていたことも
全部繋がっていたんだと思う。
営業。
発信。
人との出会い。
地域との繋がり。
その全部が、
少しずつ、未来へ繋がっていた。
もちろん
その頃のボクたちは、
まだ、
そんなこと思っていなかった。
ただ。
目の前のお客さんに喜んでもらいたくて。
毎日、一生懸命だった。
3-5 初心に戻れる旅
千葉を回っていた頃、
ボクたちは少しずつ気づき始めていた。
新しい地域へ行くたびに
自分たちがまた初心へ戻っていることに。
どれだけ人気が出ても。
どれだけ名前が広がっても。
新しい土地では、
またゼロから始まる。
「こんにちは!」
「どこから来たんですか?」
「何屋さんなんですか?」
そんなところから、
また始まる。
でも、だから良かったんだと思う。
もし、ずっと同じ場所だけで営業していたら、
知らないうちに “慣れ” が増えていたはず。
でも、ボクたちは、
移動するたびに、また最初から。
「まずは知ってもらおう。」
「ちゃんと挨拶しよう。」
「目の前のお客さんを大事にしよう。」
そんな気持ちに戻ることができた。
しかも、
新しい場所へ行くたびに
また新しい出会いが生まれる。
地元の人たちと仲良くなって。
おすすめのお店を教えてもらったり。
美味しいご当地グルメを知ったり。
「次ここ行ってみなよ!」って、
知らない街をみんなが案内してくれる。
その時間が、
ボクたちは、すごく好きだった。
そして、
いろんな場所を回る中で、ボクたちは、
少しずつ “人が集まる場所” を作るために
本当に大事なものが見えてきた。
それは、
特別な才能でも、
派手な宣伝でもなかった。
ちゃんと目の前の人を大切にすること。
楽しそうに働くこと。
来てくれた人に喜んでもらおうって、
本気で思うこと。
そういう、当たり前のことだった。
でも。
その当たり前をずっと続けるって、
意外と難しい。
だからこそ、
新しい土地へ行くたびに
初心へ戻れるこの働き方は、
ボクたちにすごく合っていたんだと思う。
しかも、今思えば、
この頃に経験していたこと全部が、
後々、別の形で繋がっていく。
営業。
人との距離感。
地域コミュニティー。
発信。
人が自然と集まる空気。
その全部が、
まだ見えていなかった未来と、
少しずつ繋がり始めていた。
Episode 4
「遊心」
4-1 株式会社遊心
千葉を回っていた頃には、
“幸せのクレープ” という名前も、
少しずつ広がり始めていた。
そして、
ありがたいことに
「商売を教えてほしい。」
そんなふうに言ってくれる人たちも
増え始めていた。
最初は、
ボクたちも、そんなつもりじゃなかった。
ただ自分たちが好きなようにクレープを作って、
好きなように旅するみたいに
働いていただけだった。
でも、人が集まり始めると、
「自分も、こんな働き方をしてみたい。」
そう思ってくれる人たちが現れ始めた。
そして、その流れの中で、
ボクたちは会社を作ることになった。
株式会社遊心。
“遊ぶ心”って書いて、
遊心(ゆうしん)。
ボクの人生観に
“いくつになっても、遊び心を忘れない”
という考えが根付いたのは、
あの冬、
雪山での隣のペンションオーナーとの
出会いだった。
70歳を過ぎても、
仲間たちと笑いながら
人生を楽しそうに生きていた、
あの人。
「人生、遊び心が大事なんだよ。」
あの時のオーナーのキラキラした表情が、
ずっと、ボクの中に残っていた。
だから会社を作る時も
“遊心” という名前が自然と浮かんできた。
画数も調べた。
“どんな困難も乗り越えられる”
そんな意味を持つ
すごく良い画数だった。
ボクは、その意味もすごく好きだった。
順風満帆な人生じゃなくていい。
何か起きても、
ちゃんと乗り越えながら進んでいける人生。
その中で、人として成長していける人生。
そんな生き方の方が、ボクたちらしい気がした。
そして、もうひとつ。
ボクたちの中には、ずっとある想いがあった。
“食べたい人が、食べられる場所を作りたい”
という想い。
ボクたちは全国を回る働き方をしていた。
行った先々でたくさんの人たちに
クレープを食べてもらって、
せっかくファンになってくれたとしても
「次はいつ来るんですか?」
「また来てください!」
そう言ってもらえるのに、
何年も行けない地域もいっぱいあった。
それが、なんだか申し訳なかった。
大好きなお客さんや地域が増える中で、
“お店を残しながら、また次の場所へ行けたらいい”
そんなことを考えるようになっていった。
でも、それは簡単なことじゃなかった。
クレープって、
想像以上に奥が深い。
しかもボクたちは、
ただ形だけ真似したものを
広げたいわけじゃなかった。
ちゃんとお客さんに喜んでもらえるレベルまで、
ちゃんと続けられるレベルまで、
そこまで責任を持って教えたいと思っていた。
その想いが強かったのもあって、
ボクたちの “教える” は、
よくある短期間の開業支援とは
全然違った。
むしろ、
感覚としては修行に近かった。
そして、この頃から、
ボクたちの周りには、
少しずつ、
“仲間” みたいな人たちが増え始めていった。
4-2 教えるという仕事
「商売を教えてほしい。」
そんな声が少しずつ増え始めた頃、
ボクたちは “教える” ということを、
真剣に考え始めていた。
世の中には数日間の研修で独立できるような、
そんな開業スタイルもいっぱいあった。
でも、ボクたちには、
どうしてもそれができなかった。
だって、本当に美味しいものを作る世界って、
そんな簡単なものじゃないから。
日本料理も。
中華も。
イタリアンも。
本気の職人さんたちは、
何年も何十年も修行して、
やっと認められていく。
なのにクレープは、
「1週間教わったので、今日からお店出します!」
それで本当に、
お客さんを満足させ続けられるのか。
ボクたちはどうしても、
そこに責任を感じてしまった。
クレープって、
ただ焼ければいいわけじゃない。
材料管理。
焼き加減。
気温や湿度。
生地の状態。
クリームの温度。
作業スピード。
接客。
空気感。
本当に細かな積み重ねだった。
さらに、
クレープを作ることだけじゃない。
ボクたちは “人が集まる場所” ごと作っていた。
だから、
ただクレープを作れるだけじゃダメだった。
仕事への姿勢。
お客さんとの向き合い方。
空気作り。
そういうものまで全部含めて、
伝えたいと思っていた。
ボクたちの感覚的には、
“教える” というより “修行” に近かった。
もちろん、そうなると、
ちゃんと学ぶには時間が必要だった。
最低でも、
2年くらいは必要だと思っていた。
でも、そんなに長い期間、
収入も無いまま
勉強だけ続けられる人なんてほとんどいない。
だから、ボクたちは、
“社員として雇いながら、修行してもらう”
という形を選ぶことになっていった。
⸻
そして、
教えるようになったボクたちは、
ものすごく大きな学びを得ることになる。
それは、
“伝える” と “伝わる” は、
全然違うということだった。
ボクたちは
ちゃんと説明したつもりだった。
でも、
相手は全然違う受け取り方をしていた。
技術もそう。
仕事への姿勢もそう。
想いもそう。
「伝えたはずなのに、伝わっていない。」
そんなことが、本当にたくさん起きた。
「なんで分からないんだろう?」
最初の頃は、いつもそう思っていた。
でも、違った。
“相手が理解できる形で、伝えられていなかった”
だけだった。
ただ説明するだけじゃなく、
相手がどう感じるのか。
どこで迷うのか。
どんな言葉なら伝わるのか。
そこまで考えることが
すごく大事なんだって、
身に沁みていった。
教えることで、
ボクたちは自分たちの仕事を、
今まで以上に細かく
分析するようにもなっていった。
「なんで、ここで失敗するんだろう?」
「どう説明すれば、もっと伝わるんだろう?」
そんなことを考え続ける中で、
自分たちでも気づいていなかった
改善点が見えてきた。
“教える”という仕事は、
相手を成長させるだけじゃなく、
ボクたち自身の
レベルアップにもなっていた。
そして、
人によって、
考え方も、
受け止め方も、
理解の仕方も、
全然違う。
相手を知ろうとすること。
自分の想いを、ちゃんと言葉にして伝えること。
そういう、“人としての勉強” も
ものすごく増えていった。
そして、今思えば、
この頃に鍛えられていた
“伝わるように伝える力”は、
後々、noteを書く時にも
ものすごく役に立つことになる。
もちろん、
その頃のボクたちは、
まだ、
そんな未来のことなんて
全然分かっていなかった。
ただ、
目の前の人にちゃんと伝わってほしくて。
毎日、一生懸命だった。
4-3 お弟子さんたち
株式会社遊心を作ってから
ボクたちの元には、
全国各地から少しずつ
連絡が来るようになっていった。
「クレープを教わりたいです。」
「独立したいんです。」
「働かせてください。」
そんな声が、どんどん増えていった。
そして、
気づけばボクたちは、
何十人もの人たちへ
クレープ屋さんの仕事を
教えるようになっていた。
でも、
ボクたちが大事にしていたのは、
ただクレープを作れるようになること
じゃなかった。
本当に大事にしていたのは、
“お客さんへの想い” と、
“その人の将来” だった。
特に、独立希望の人たちには
"始められるようになる" よりも
“ちゃんと続けられるようになる” ことを
大事にしていた。
ボク自身、
始めた頃に本当に苦労したから。
売れない苦しさも。
続ける難しさも。
全部、経験してきた。
だからこそ、
当時、自分が積み上げてきた
“失敗しないためのやり方” を
ちゃんと伝えなきゃいけないと思っていた。
その想いが強すぎて、
後々、苦しくなっていく部分もある。
でも、その頃のボクたちは
とにかく必死だった。
そして、
教わりたい人たちが集まり始めるにつれて、
ボクたちのお店は以前にも増して
「有名なお店」
「人気のクレープ屋さん」
そんなふうに言われるようになっていった。
⸻
でも、
ボクたちにとって一番大きかったのは、
売り上げでも知名度でもなかった。
そうやってお客さんたちとはまた違う、
もっと深く関わる人間関係が
増えていったことだった。
そして、
後々、その出会いたちは、
ボクたち夫婦にとって
かけがえのない存在へ変わっていくことになる。
4-4 キッチンカー3台体制
お弟子さんたちが増えていく中で、
ボクたちの会社も
少しずつ規模が大きくなっていった。
そして、気づけば、
キッチンカーは3台体制になっていた。
でも、ボクたちは、
ただ事業を大きくしたかったわけじゃない。
頭の中にあったのは
“ちゃんと経験させながら、教えなきゃ”
という想いだった。
ボクたちは、全国を回りながら商売をしてきた。
だからこそ、
地域ごとの空気。
売れる場所。
売れない場所。
お客さんとの距離感。
そういうものを、
実際に経験しながら学ぶことが大事
だと思っていた。
だから、
独立希望のお弟子さんたちも
群馬、
千葉、
栃木、
いろんな地域へ一緒に連れて回った。
その間のマンスリーアパートも
会社の経費で借りていた。
みんなで同じ場所に泊まりながら、
朝から晩まで一緒に働く。
そして、営業が終わった後も
「今日はどうだった?」
「あそこ、こうした方が良かったかもね。」
そんな話を毎日のようにしていた。
今思えば、
正直、全然割に合わない経営だったと思う。
キッチンカーも増やして。
設備投資もして。
お給料も払って。
住む場所まで用意して。
普通に考えたら、
もっと効率のいいやり方は
いくらでもあったと思う。
でも、ボクたちは
“そうしたい” と思ってやっていた。
それは、
それまでお店を続けてきた中で、
お客さんへの想いが
ものすごく強くなっていたからだと思う。
せっかく、うちを信じて来てくれるなら。
ちゃんと、続けられる力を付けてほしい。
ちゃんと、お客さんに愛されるお店になってほしい。
そんな気持ちが、ずっとあった。
だから、ボクたちは
“独立させる”ことより、
“独立した後も、ちゃんと続けられること”
の方を、大事にしていた。
もちろん、
その想いが強すぎて、
後々、苦しくなっていく部分もある。
でも、今振り返っても、
あの時、そうやって本気で向き合ったことは
良かったと思っている。
だって
あの頃、一緒に過ごした時間は、
ただの仕事仲間じゃなく、
人生の一部みたいな
繋がりになっていったから。
4-5 社長が苦手だった
会社が大きくなるにつれて
ボクの仕事も少しずつ変わっていった。
昔は、ただクレープを焼いていれば良かった。
お客さんと話して。
笑って。
クレープを作る。
ボクは、本当はそういう時間が一番好きだった。
でも、
キッチンカーが増えて、
人が増えて、
お弟子さんたちが増えていくと、
考えなきゃいけないことも
どんどん増えていった。
売り上げ。
人間関係。
出店場所。
教育。
スケジュール。
設備。
お金。
しかも、
誰かの人生まで背負うようになっていく。
その責任は、
思っていた以上に、重かった。
正直に言うと、ボクは昔から、
“社長”って呼ばれるのが
あまり好きじゃなかった。
なんというか、
社内でも社外でも
“社長っぽく振る舞う”
みたいなのが苦手だった。
だって、
子どもの頃にボクが思い描いていたのは、
そういう偉そうな社長じゃなかったから。
ただ、
自分で選んだ人生を、自由に生きている人。
それが、
ボクの中の、理想の“社長”だった。
そもそも、
社長だからって
凄いわけでも
偉いわけでもない。
ただ “社長” っていう係なだけ。
お客さんを幸せにして。
従業員にお給料を払って。
従業員の生活を守る。
そのために、舵を取る係。
ボクの中では
それくらいの感覚だった。
だから、
一般的な “社長さん” みたいな空気は
どうしても苦手だった。
むしろ、
りなちゃんに支えてもらって、
お弟子さんたちも頼りにして。
お客さんも、
ボクたちも。
みんなが楽しく幸せでいられるように
輪を作る。
そんなポジションでいたかった。
だから、
クレープ屋さんの仕事を教える中でも、
もちろん、師弟関係ではあったけど。
感覚としては “仲良しな仲間たち” みたいな、
そんな空気の方が近かった。
⸻
もちろん、今でもそう思っている。
でも、その頃のボクは、
“みんなを幸せにしたい”
という気持ちが強すぎた。
だから、
厳しくしきれない部分もいっぱいあった。
もちろん、
ちゃんと続けられるように
本気で教えていた。
でも、
“失敗してほしくない”
という気持ちが強すぎて、
気づけば、
必要以上に抱え込んでしまうことも
増えていった。
しかも、
みんな幸せの形が違う。
自由に働きたい人。
お金を稼ぎたい人。
独立したい人。
仲間と楽しく働きたい人。
それぞれ、考えていることも違う。
でも、その頃のボクは、
「自分たちが正しい方向へ導かなきゃ」って、
どこかで思いすぎていた気がする。
もちろん、
それは悪気なんかじゃない。
みんなに幸せになってほしかった。
でも、今思えば、
それは少し窮屈な優しさでもあった。
⸻
この頃から、
ボクたちは少しずつ考え始める。
“本当の幸せって、なんなんだろう?”
って。
Episode 5
「失敗させたくなかった」
5-1 社員として育てる理由
クレープ屋さんを教えるようになって、
ボクたちは “社員として育てる”
という形を選んでいた。
もちろん、それには理由があった。
もし、独立希望の人たちに
お金を払ってもらって教える形にすると、
なるべく早く教わるのを切り上げて
早く開業したくなる人も出てくる。
練習で使う材料をもったいなく感じて、
思い切り練習できなくなる人も
出てくるかもしれない。
でも、ボクたちが一番大事にしていたのは、
“ちゃんと必要なレベルまで修得してもらうこと”
だった。
だから、
練習用の材料も
基本的には制限なく使っていた。
何回失敗してもいい。
ちゃんと身体で覚えるまで
何度でも練習してほしかった。
もちろん、その分だけ材料費もかかる。
しかも、
販売分が足りなくならないように
練習用を見越して、
プラスアルファで仕込みもしなきゃいけない。
つまり、
費用も、
労力も、
かなり負担は大きかった。
それでも、ボクたちは、
そこをケチりたくなかった。
クレープって、
見た目以上に本当に奥が深い。
焼き方。
生地の状態。
クリームの温度。
材料管理。
作業スピード。
接客。
空気感。
しかも、
地域によって、お客さんの反応も全然違う。
売れる場所もあれば、
全然売れない場所もある。
暑い日も。
寒い日も。
雨の日もある。
そういう現実も含めて、
ちゃんと経験しながら、
覚えてほしかった。
だから、ボクたちは、
“仕事として経験しながら、学んでもらう”
という形を選んだ。
社員として働きながら、
いろんな地域を回って、
実際に営業して、
お客さんと向き合う。
その中で、
技術だけじゃなく “続ける力” を
身につけてほしかった。
だって、ボク自身、
始めた頃、本当に苦労したから。
売れない苦しさも。
続ける難しさも。
全部、経験してきた。
だからこそ、
“失敗しないためのやり方”を、
ちゃんと伝えたいと思っていた。
それは、
お弟子さんたちのためだけじゃない。
お客さんのためでもあった。
もし、
中途半端な状態で独立させてしまったら。
その先で苦しむのは本人かもしれない。
でも、
「幸せのクレープで教わったお店」って聞いて
楽しみに来てくれたお客さんを
ガッカリさせてしまうかもしれない。
それが、ボクたちはすごく嫌だった。
だから、
“お弟子さん” と呼べる人たちには、
技術だけじゃなく、
想いの部分まで、
ちゃんと背負えるかどうかを見ていた。
もちろん、その分だけ
時間も、
お金も、
ものすごくかかる。
正直、経営だけ考えたら、
かなり非効率だったと思う。
でも、その頃のボクたちは、
効率よりも “ちゃんと続けられること” の方が
大事だった。
だって人生って、
始めることより
続けることの方がずっと難しいから。
5-2 クレープはそんなに簡単じゃない
クレープ屋さんって、世間から見ると
“なんだか可愛くて、楽しそうなお仕事”
に見えると思う。
実際、ボクたちのお店を見て。
「いいなぁ〜。」
「楽しそう!」
そんなふうに言ってくれる人も多かった。
そして、
実際に “楽しそうだから” という理由で
キッチンカーを始める人もすごく多かった。
でも、それって、
お客さんとして買いに来た時の
“楽しい一面” しか見えていないことが多い。
もちろん、楽しい仕事ではある。
でも、正直に言うと、
クレープ屋さんってそんなに簡単じゃない。
まず、
クレープそのものがすごく繊細だった。
同じレシピでも
気温、
湿度、
鉄板の状態、
焼く人の感覚、
ほんの少し違うだけで
全然違う仕上がりになる。
しかも、営業って
練習みたいにゆっくりできない。
目の前には待っているお客さんがいる。
忙しくても、
疲れていても、
常に安定して作らなきゃいけない。
しかも、
ボクたちは車で営業するキッチンカー。
暑い日も、
寒い日も、
雨の日も、
風の強い日もある。
夏の車内なんて本当に暑い。
冬は鉄板の前なのに身体の芯まで冷える。
それでも、笑顔で接客し続けなきゃいけない。
しかも、
クレープ屋さんって “作る” だけじゃ終わらない。
仕込み。
材料管理。
掃除。
運転。
出店準備。
片付け。
全部、自分たちでやる。
だから、実際にやってみると
「思ってたより、ずっと大変ですね……。」
そう言う人も多かった。
それどころじゃなく、
ボクが思う一番難しい部分は
“自分を甘やかさないこと” だった。
サラリーマンみたいに上司がいるわけでもない。
職場の人の目が常にあるわけでもない。
営業時間も、
休みも、
ある程度、自分で決められる。
しかも、キッチンカーって
常に同じ場所にあるお店じゃないから、
ある意味、誤魔化しも効いてしまう。
でも、
そういう基本的な仕事への姿勢って
お客さんにはちゃんと伝わる。
営業の空気。
接客。
商品。
雰囲気。
全部に出る。
そして、そういう小さな積み重ねが
お客さんからの信用にものすごく影響していく。
だから、
「楽しそう。」
「自由な感じがいい。」
そんなイメージだけで始めた人たちが
少しずつ崩れていく姿を
ボクたちはたくさん見てきた。
売れなければ、精神的に苦しい。
逆に、
売れたら売れたで
今度は体力的に大変になる。
それプラス、
売れるからこそ出てくる
精神的な大変さもある。
期待。
責任。
プレッシャー。
人間関係。
そういうものも、どんどん増えていく。
でも、始める時に、
そこまで全部を分かっている人なんて
たぶんいない。
だから、ボクたちは、
ただ技術を教えるんじゃなく、
そういう現実も含めて、
経験を通して
ちゃんと伝えてあげる必要があると思っていた。
もちろん、それは簡単なことじゃなかった。
それでも、ボクたちは
“夢を壊したくなかった” んだと思う。
勢いだけで始めて、
生活が苦しくなって、
クレープまで嫌いになってしまったら。
それは、すごく悲しい。
だから、
楽しい部分だけじゃなく、
厳しさも、
現実も、
全部含めて経験してほしかった。
そして、
本当に難しいのはただ続けることじゃない。
お客さんも。
自分たちも。
取引き先も。
“みんなが幸せでいられる形で、続けること”
なんだって、
ボクたちは思っていた。
5-3 ボクたちの正解
クレープ屋さんを教える中で、
ボクたちは、
少しずつ、自分たちなりの
“正解”みたいなものを
考えるようになっていった。
もちろん、
世の中にはいろんなやり方がある。
短期間でどんどん店舗を増やす人もいる。
効率重視で仕組み化していく人もいる。
それはそれで凄いと思う。
でも、ボクたちが本当に大事にしたかったのは、
“人”だった。
お客さん。
お弟子さん。
取引き先。
みんなが、ちゃんと幸せでいられること。
それがボクたちの中では、
一番大事だった。
だから、ボクたちは、
“いっぱい売れること”だけを
正解にしたくなかった。
もちろん、売り上げは大事。
会社を続けるには必要だから。
でも、売れていても、
誰かが無理していたり、
誰かが我慢していたり、
そんな形はどこか違う気がしていた。
だから、ボクたちは、
なるべくみんなが笑っていられる形を
探していた。
お客さんも。
働く人たちも。
ボクたち自身も。
“楽しい” って思える形。
もちろん、現実はそんな綺麗ごとだけじゃない。
忙しくて余裕がなくなる日もある。
人間関係で悩むこともある。
経営だから、お金の問題だっていっぱいある。
でも、だからこそ、
ボクたちは “何のために働くのか” を、
大事にしたかった。
⸻
そして、この頃から。
ボクたちの中には少しずつ、
ある感覚が生まれ始めていた。
“人それぞれ、幸せの形は違う”
同じ働き方でも、
楽しいと思う人もいれば
苦しいと思う人もいる。
自由が好きな人もいれば
安定が好きな人もいる。
みんな違う。
なのに、その頃のボクたちはどこかで
“自分たちの正解”を、
みんなにも当てはめようとしていた気がする。
もちろん、悪気なんてない。
むしろ、幸せになってほしかった。
でも、今思えば、
それは少し、
不器用な優しさだったのかもしれない。
そして、そのズレが少しずつ、
ボクたち自身の
心の余白を削っていくことになる。
5-4 窮屈だった優しさ
ボクたちは本気で
みんなに幸せになってほしいと思っていた。
お客さんにも。
お弟子さんたちにも。
取引き先にも。
なるべく無理をしないで、
ちゃんと続けられて、
笑っていられる形を作りたかった。
だから、ボクたちは、
“失敗しないように” を
すごく大事にしていた。
たとえば、
みんな新商品を作りたがる。
でも、ボクたちは、
社員として修行している間は
基本的にそれをやらせなかった。
もちろん、意地悪じゃない。
ちゃんと理由があった。
まず、ボクたちのお店って
10年以上メニューをほとんど変えていなかった。
それは、全国を回る移動販売だったから。
たまにしか来れないお客さんが
「前食べたあれ、楽しみにしてたのに無くなってる……。」
そうやってガッカリする姿を見たくなかった。
しかも、
商品開発って、実はものすごく難しい。
材料費もかかる。
材料管理も増える。
作業導線も変わる。
さらに、ボクたちのお店は
すでに150種類くらいメニューがあった。
味のバランス。
材料管理。
作業スピード。
お客さんの満足。
全部を考えて組み立てられていた。
だから、ただ “面白そう” だけじゃ、
お店のプラスになる商品はなかなか作れない。
でも、当然それを窮屈に感じる人もいた。
「もっと自由にやりたい。」
「自分のアイデアを試したい。」
そう思う人もいる。
教えてる中には、
既存メニューでも
「これ、あまり美味しくないと思うんですよね。」って、
勝手にやめてしまう人もいた。
でも、実際には材料の分量が違ったり、
本来の作り方になっていなかっただけ、
ってことも多かった。
つまり “基本” がまだ身についていなかった。
だから、ボクたちは、
まず、基本を徹底的に身につけることを
大事にしていた。
でもそれも、
向上心の方向が違う人からすると
“つまらない”と感じることもあった。
他にも、ボクたちはみんなで
レベルアップしていきたいと思っていた。
それぞれ離れた場所で営業していても、
グループLINEでクレープを作る動画を送り合って
みんなで指摘し合う。
そんなこともしていた。
でも、そういうのって、
参加する人も、
指摘する人も、
だいたい同じメンバーになっていく。
逆に、そういうやり取りを
“面倒くさい”って感じる人もいた。
もちろん、ボクたちは、
お客さんのために、
みんなのレベルアップのために、
良かれと思ってやっていた。
でも、その想いが強すぎるほど、
少しずつ、
仲間内の空気をギスギスさせてしまう
こともあった。
今思えば、
ボクたちは “良いお店を作ること” に、
一生懸命になりすぎていたのかもしれない。
⸻
そして、
その頃から、
少しずつ見え始めていた。
“人それぞれ、幸せの形は違う”
ということが。
5-5 自由に生きたい人たち
そして、ボクたちは、
少しずつ気づき始めていた。
“自由に生きたい”と思って、
この仕事を選ぶ人がすごく多いことに。
実際、キッチンカーって、
外から見るとすごく自由に見える。
好きな場所へ行って。
好きな仕事をして。
人と楽しく関わりながら働く。
ボクたち自身、
そういう “自由な生き方” に憧れて
ここまで来ていた。
集まってくる人たちも、
どこか似た感覚を持っていた。
会社員みたいな働き方が苦手だった人。
もっと自分らしく生きたかった人。
好きなことを仕事にしたかった人。
みんな “自由” を求めていた。
でも、ここで、
少しずつズレが生まれていく。
ボクたちが思っていた “自由” と、
みんなが思っていた “自由” は、
少し違っていた。
ボクたちにとっての自由って
“好き勝手にやること” じゃなかった。
ちゃんと続けられること。
お客さんに喜んでもらえること。
みんなが幸せでいられること。
そのうえで、
自分たちらしく働けること。
それが、
ボクたちにとっての自由だった。
でも、人によっては、
もっと縛られたくなかった。
細かく言われたくなかった。
好きなようにやりたかった。
もちろん、それが悪いわけじゃない。
ただ目指しているものが違った。
しかも、ボクたちは、
“失敗させたくない” という気持ちが強かった。
だから、知らないうちに
“自由” より “安定して続けられる形” を、
優先するようになっていた。
でも、
自由を求めて来た人からすると、
それが窮屈に感じることもある。
「もっと、自分で考えてやりたい。」
「そんなに細かく言われたくない。」
そういう空気も、少しずつ出始めていた。
そして、ボクたち自身も
少しずつ分からなくなっていく。
“本当に、みんなを幸せにできているんだろうか?”
って。
もちろん、みんな悪人じゃない。
一生懸命な人たちばかりだった。
だからこそ、
価値観の違いって難しかった。
⸻
そして、この頃から、
ボクたちは少しずつ
“人それぞれ、幸せの形が違う”
ということを、
もっと深く
考えるようになっていく。
Episode 6
「人それぞれの幸せ」
6-1 褒められて満足する人
お弟子さんたちと長い時間を過ごしていると、
本当にいろんな人がいた。
同じことを教えても、
伸び方も、
考え方も、
大事にするものも全然違う。
そして、その中でボクたちは、
少しずつ気づいていった。
人って “何に満足するか” が、
みんな違うんだって。
たとえば、
褒められることで満足する人がいた。
「すごいね!」
「上手くなったね!」
「頼りになるね!」
そう言われると
すごく嬉しそうにして、
そこへ向かって頑張れる人。
もちろん、それは悪いことじゃない。
誰だって、認められるのは嬉しい。
ボクだって、そうだった。
でも、面白いことに
そこから先が人によって全然違った。
練習を見ていて
ボクが「上手!」って褒めても、
首をかしげながら。
「でも……。いつも横で、もっと上手く焼いてるの見てるんで。まだ、なんか違いますよね?」
そう言う人たちがいた。
“褒められたこと” より “理想との差”
の方を見ていた。
そして、そういう人たちは、
後々、さらにどんどん上手くなっていった。
逆に、褒められてそこで満足してしまう人は、
ある程度のところで
成長が止まることも多かった。
もちろん、それが悪いわけじゃない。
人それぞれ、目指したい場所も違う。
でも、ゆくゆく “お弟子さん” と呼べるように
なった人たちは、みんな前者だった。
褒められても、満足しない。
もっと良くしたい。
もっと近づきたい。
そんなふうに、
自分で、自分の課題を探し続ける人たち。
そういう人たちって、
結局、お客さんを見るようになる。
「もっと喜んでほしい。」
「もっと美味しくしたい。」
「もっと、気持ちよく過ごしてほしい。」
意識が、
自分自身より
自然と相手へ向いていく。
そして、
そんな話をりなちゃんとしていた時、
りなちゃんが昔働いていた
雑貨屋さんの話をしてくれた。
「前の職場でね。」
……。
「上の偉い人が来るから、お店を綺麗にして、挨拶も元気にって。」
……。
「そういうの、よく言われてたんだよね。」
……。
でも、りなちゃんは
ずっと違和感があったらしい。
「なんか、違う気がしてたんだよね。」
……。
「会社の偉い人のために、ちゃんとするの?」
……。
「お客さんのために、普段からちゃんとするんじゃないの?」
……。
その話を聞いた時、
ボクもすごく共感した。
結局、仕事って、
“誰のためにやるのか” なんだと思う。
褒められるためなのか。
評価されるためなのか。
それとも、
目の前のお客さんに、
喜んでもらうためなのか。
そして。
後々、本当に伸びていった人たちは、
やっぱり、
“お客さん” を見ている人たちだった。
でも、
その頃のボクはそういう感覚を、
まだ、うまく言葉にできていなかった。
だから、
「なんで、そこじゃないんだろう?」って。
思ってしまうこともいっぱいあった。
でも、今思えば、
ただ幸せの形が違っただけなのかもしれない。
誰かに認められることで、頑張れる人もいる。
お客さんの笑顔で、頑張れる人もいる。
仲間との時間が、幸せな人もいる。
みんな、違う。
そして、
その違いを
本当の意味で理解するには、
あの頃のボクたちは
まだ少し若かったのかもしれない。
6-2 お客さんを見ている人
クレープ屋さんを教えていると、
技術以上に “見ているもの” の違いが
すごく出ることがあった。
たとえば、
同じようにクレープを焼いていても
“自分” を見ている人と。
“お客さん” を見ている人がいた。
自分が上手く作れるか。
失敗しないか。
どう見られているか。
そこへ意識が向く人もいる。
もちろん、最初はそれで当たり前だと思う。
誰だって失敗は怖い。
怒られたくないし。
恥もかきたくない。
でも。
少しずつ成長していく人たちは、
途中から見る方向が変わっていく。
「待たせちゃってるから、もっとスムーズに作りたい。」
「あのお客さん、寒そうだから早く渡したい。」
「小さい子いるから、食べやすいように巻こう。」
そんなふうに、
自然とお客さんを見るようになっていく。
そして、
そういう人たちって、
結局、どんどん上手くなる。
だって、“誰かのため” にやる人って、
自然と工夫するから。
もっと喜んでほしい。
もっと快適にしたい。
もっと美味しくしたい。
その気持ちが、
技術まで引き上げていく。
逆に、
“自分がどう見られるか” だけになると、
ある程度で成長が止まることも多かった。
もちろん、それも悪いわけじゃない。
ただ、見ている方向が違った。
そして、
ボクたちは少しずつ気づき始めていた。
本当に愛されるお店って、
“上手なお店”じゃなくて、
“お客さんを見ているお店”なんだって。
だから、ボクたちもクレープを教える時、
ただ技術だけじゃなく、
「そのクレープ、誰に食べてもらうの?」
「その人、今どんな気持ちだと思う?」
そんな話をよくしていた。
⸻
もちろん、
その頃のボクたちは、
まだ、完璧なんかじゃない。
むしろ、
自分たち自身も
余裕がなくなっていく時期だった。
でも、そんな中でも
“お客さんを見る” という感覚だけは、
ずっと大事にしたかった。
だって、結局、
人が集まる場所って、
“誰かを大切にしている空気” に
人が集まってくるんだと思うから。
6-3 人それぞれの幸せ
お弟子さんたちと何年も一緒に働いて、
ボクたちには
少しずつ分かってきたことがあった。
それは、
“人それぞれ、幸せの形が違う”
ということだった。
もちろん、
頭では分かっていたつもりだった。
でも、
実際にたくさんの人と深く関わってみると、
想像以上にみんな違った。
とにかく上手くなりたい人。
お客さんに喜ばれることが幸せな人。
仲間と楽しく働く時間が好きな人。
自由な働き方に魅力を感じる人。
安定した生活を大事にしたい人。
独立して自分のお店を持ちたい人。
同じクレープ屋さんでも
目指しているものは、全然違った。
しかも、その違いって、
どれが正しいって話じゃない。
“その人にとって、何が幸せなのか”
が違うだけだった。
その頃のボクたちは、
まだ、そこを完全には理解できていなかった。
だから、どこかで、
“自分たちが良いと思う形” へ
導こうとしていた気がする。
もちろん、それは悪気なんかじゃない。
本気で幸せになってほしかった。
ボクたち自身、
お客さんとの繋がりや
仲間と笑いながら働く時間に、
すごく幸せを感じていたから。
でも、その幸せが、
みんなにとっての幸せとは限らなかった。
たとえば、
ボクたちは “人が集まる場所”を作ることに
喜びを感じていた。
でも、人によっては
もっと静かな生活の方が幸せかもしれない。
もっと自由に。
もっと気楽に。
働きたい人もいる。
逆に、
もっと大きく成功したい人もいる。
みんな人生で大事にしたいものが違う。
その違いに触れるたびに、
ボクたち自身も
少しずつ考えるようになっていった。
“ボクたちにとっての幸せって、なんなんだろう?”
って。
いっぱい売れることなのか。
有名になることなのか。
会社を大きくすることなのか。
それとも。
もっと、別の何かなのか。
そして、この頃から、
ボクたち夫婦の中でも、少しずつ、
ひとつの想いが大きくなり始めていた。
“本当に欲しかったのは、こういう忙しさだったんだろうか?”
って。
6-4 進んだ先で見えた“本当の幸せ”
その頃、
ボクたちの元には全国各地から
「クレープ屋さんをやりたいです。」
という連絡が届くようになっていた。
その中でも特に印象に残っているのが、
たまちゃんだった。
ボクより1つ歳上の男性で、
児玉という苗字から
猫っぽいニックネームを付けさせてもらい、
たまちゃんと呼んでいた。
最初の出会いは InstagramのDM。
「クレープ屋さんを、本気で学びたいです。」
そんなメッセージが届いた。
話を聞いてみると、
たまちゃんはかなり変わった人生を歩いていた。
18歳の時。
地元の北海道から
何の当てもなく東京へ出てきたらしい。
しかも、
最初は公園のドカンで寝泊まりしながら、
仕事を探していたという。
そして、その後、
超有名な老舗のお蕎麦屋さんへ入り、
寮生活をしながら、
本格的な蕎麦職人の修行をしていた。
“職人の世界”を
ちゃんと経験してきた人だった。
その後、
結婚して、
今度は長野へ移住。
ゆくゆくは
奥さんと2人でお蕎麦屋さんを開業したい。
そのために、
まずは資金を作りながら、
経営も学びたい。
そう思って、ネットで探していた時に
ボクたちのクレープ屋さんへ辿り着いたらしい。
そして、
ボクたちが2度目の千葉へ行っていた時、
たまちゃんは奥さんと2人で
長野から千葉まで話を聞きに来てくれた。
そこからのたまちゃんは
行動がすごかった。
なんと、
奥さんを長野へ残して、
単身赴任みたいな形で修行に来たのだ。
クレープを学んで、
しっかり経験を積んで、
その後、長野へ戻って、
奥さんと2人でお店をやるために。
しかも、
元々、本格的な職人修行を
経験していたこともあって、
たまちゃんの取り組み方は
本当に真剣だった。
とにかく、妥協しない。
もっと上手くなりたい。
もっと美味しくしたい。
もっとお客さんに喜んでもらいたい。
その気持ちが、ものすごく強かった。
そして、
最終的には、
お弟子さんたちの中でも
抜群にクレープを作るのが上手くなっていった。
ボクたちも。
「あそこまで突き詰められるの、すごいなぁ。」
って、感心するくらいだった。
そして、
修行を終えたたまちゃんは、
長野へ戻り、
奥さんと2人でクレープ屋さんを始めた。
ずっと目指していた、夫婦でのお店。
でも――
実際に始まると、
今度はケンカがものすごく増えたらしい。
仕事。
生活。
お金。
疲れ。
プレッシャー。
夫婦でずっと一緒に働くって、
想像以上に難しかった。
もちろん、
お店は順調だった。
でも、
たまちゃんはその中で少しずつ、
考えるようになっていったらしい。
“自分は、何のために頑張ってたんだろう?”
って。
美味しいものを作って
お客さんに喜んでもらいたい。
その気持ちは、もちろん本物だった。
でも。
本当に欲しかったのは。
“奥さんと、仲良く幸せに暮らすこと”
だったんじゃないか。
そんなことを。
少しずつ考えるようになっていった。
6-5 仲良しな家庭を作りたかった
独立した後も
たまちゃんとはマメに連絡を取っていた。
お店の状況を聞いたり、
困っていることを相談されたり。
もちろん、
夫婦2人でお店をやる感じもよく聞いていた。
すると、
たまちゃんは少しずつ
こんなことを言うようになっていた。
「どうも、一緒に店やってると、
ケンカばっかりしちゃって。」
最初はこう思っていた。
「まぁ、夫婦で仕事するとあるよね〜。」
でも、その状況はなかなか変わらなかった。
しかも、
ボクたちは2人の関係もよく知っていた。
たまちゃんも、
奥さんも、
本当に優しい。
お互いのことも、大好き。
だからこそ、
ずっと気になっていた。
そして、
独立して2年くらい経った頃。
たまちゃんから相談を受けた。
「クレープ屋さん、辞めようか少し悩んでます。」
……。
「それから、お蕎麦屋さんも、なんか違う気がしてきちゃってて。」
……。
理由を聞いてみたら、
やっぱり、
夫婦で一緒に店をやると
ケンカばかりになってしまうのが理由だった。
仕事のペース。
こだわり。
考え方。
一緒にいる時間が長いほど、
ぶつかることも増えていく。
そして、たまちゃんは。
「一緒に店をやらない方が、仲良くいられるのかもしれない。」
そんなふうに思い始めていた。
実は、
たまちゃんが18歳で北海道を飛び出して、
ドカン暮らしまでして東京へ出たのには
理由があった。
お父さんが、かなり厳しい人だったらしい。
家族旅行へ行っても。
「運転に集中したいから、一言もしゃべるな。」
「寝るな。」
そんな空気だったという。
そして、
最終的には、両親も離婚した。
だから、
たまちゃんにとって
“幸せな家庭を作ること” は、
人生のすごく大きなテーマだった。
もちろん、
東京で老舗の有名なお蕎麦屋さんへ入り、
本格的に修行して、
いつか自分のお蕎麦屋さんをやりたい。
その夢も本物だった。
でも、
実際に夫婦でクレープ屋さんをやってみて、
「このまま一緒にお店を続けていると、仲良しでいられなくなるかもしれない。」
そんな感覚が、
少しずつ大きくなっていった。
もちろん、奥さんのことは大好き。
だからこそ、
“仲良く一緒に居たい”って気持ちの方が、
どんどん強くなっていった。
でも、ここまでいっぱい頑張ってきた。
時間も。
お金も。
労力も。
全部使ってきた。
だから、
簡単には辞められない。
でも、
このまま進むのも
なんか違う気がする。
そして、
たまちゃんは最後にこう言った。
「クレープ屋さん辞めて。お蕎麦屋さんも辞めて。普通にどこかで働きながら、幸せな家庭を作る方が、いいんですかね……。」
……。
その話を聞いた時、
ボクは何の迷いもなく言った。
「たまちゃん、辞めよう!」
すると、
たまちゃんはビックリした顔で言った。
「え?辞めちゃっていいんですか?」
たまちゃんはビックリしてたけど、
ボクはそれがいいと思った。
だって、
たまちゃんは “本当の幸せ” が、
何なのかに気づいたから。
たまちゃんがボクの言葉にビックリしたのには
ひとつの理由があった。
その頃、独立したお弟子さんたちには、
フランチャイズとして看板を貸していた。
だから、たまちゃんが辞めれば、
当然、ボクたちの会社の収益も減る。
でも別に、お金儲けのために
やっていたわけじゃなかった。
教えていた頃に、
ボクたちが負担していた分が返ってくればいい。
それくらいの感覚だった。
5年くらい続けば
教えてた頃に負担した分は戻ってくるから、
その後はもうお金は受け取らないつもりだった。
全額回収するには、まだもう3年くらい。
それでも、
たとえお金が返ってこなくなったとしても、
「たまちゃんと出会えて、仲良くなれたから、もうそれでいいや。」
本気でそう思っていた。
とにかく、
たまちゃん夫婦に幸せになってほしかった。
そして、この出来事は、
ボクたち夫婦にとってもすごく大きかった。
だって、
お店が上手くいくことより。
事業が大きくなることより。
もっと大切なものがあるんだって、
気づかせてもらったから。
しかも、
そこまで
どれだけ時間を使っても、
どれだけお金を使っても、
どれだけ頑張っても。
その先に本当の幸せが無いって気づいたなら、
そこまでの全部は
“本当の幸せに気づくために必要だった道”
なんだと思った。
だから、それでいいんだって。
そして、たまちゃんは
クレープ屋さんも辞めて、
お蕎麦屋さんになる夢も手放した。
でも、
今でもボクたち夫婦とたまちゃん夫婦は
仲良しだ。
お弟子さん同士も
今でも仲間のままでいる。
ボクは、それがすごく嬉しい。
6-6 師弟じゃなく仲間だった
気づけばボクたちと
お弟子さんたちの関係は、
ただの“教える・教わる”では
なくなっていた。
もちろん、最初は師弟関係だった。
クレープを教えて。
働き方を教えて。
商売を教えて。
でも、
長い時間を一緒に過ごす中で
少しずつ、
人と人としての大事な関係へ
変わっていった。
たとえば、
一番弟子の夫婦。
2人は、まだ付き合っている頃に修行へ来た。
そして、
修行時代から、ずっと言ってくれていた。
「ボクたち、ハニハニさん夫婦の役に立ちたいです。」
って。
本当に、頼れる存在だった。
しかも、2人が結婚する時には、
婚姻届の保証人にも選んでもらった。
独立したあとも、
定期的に会って
美味しいものを食べたり、
近況を話したり。
そして今では、
子どもも2人になった。
4歳の長女は、
お話できるようになってから
「ハニハニ〜!」
「りなちゃん〜!」
って、呼んでくれる。
それが嬉しくて、
ボクはnoteの名前まで
“ハニハニ”にしたくらいだった。
もうお弟子さんというより、
大好きなお友達みたいな存在だ。
そして、
ボクたち夫婦より少しお姉さんだった
お弟子さん夫婦もいる。
ボクたち夫婦と大の仲良しだった
イタリアンシェフと
修行時代から付き合い始めて、
今では夫婦になった。
しかもそのお弟子さんは
元々カフェをやりたくて弟子入りしてきた人で、
夢を叶えるように
今はバリスタとして2人でお店をやっている。
旦那さんのシェフとボクたち夫婦は、
よく朝まで眠い目をこすりながら
語り合っていた仲だった。
だから、この夫婦とも、
きっと、これから先も、
ずっと仲良しなんだと思う。
そして、
たまちゃん夫婦とも、
今でもたまに集まる。
ご飯を食べながら。
近況報告をしたり。
昔みたいに冗談を言い合ったり。
もう “師弟関係” って感じじゃない。
大事なお友達みたいな関係だ。
それから、
もう1人、ボクたちが
“お弟子さん”って呼べる子がいる。
ちょっとおバカだけど、
素直で一生懸命で。
今でもクレープ屋さんを頑張っている。
今では、
出店先の開拓まで引き受けてくれていて、
本当に頼れる存在だ。
何かお願いした時も、
いつだって、できる範囲で力を貸してくれる。
そういう “信頼” で繋がっている仲間だった。
そして、他の教え子たちも。
遠いのに、ふらっと顔を出しに来てくれたり。
相談があると、わざわざ会いに来てくれたり。
特に用事もないのに
「なんか、会いたくなって。」
って、来てくれたり。
そんな人たちが、いっぱいできた。
それって、
ボクたちにとって本当に嬉しいことだった。
もちろん、
事業として見れば
もっと上手いやり方もあったのかもしれない。
もっと効率良く、
もっと利益を出して、
もっと大きくする方法もあったと思う。
でも、今振り返ると、
ボクたちが本当に作っていたのは、
“クレープ屋さん” じゃなかったのかもしれない。
人と人が、繋がる場所。
誰かが、「また会いたい」って思える関係。
そんな小さな輪を、
少しずつ作っていたんだと思う。
そして、
気づけば、お弟子さんたちは、
“師弟” じゃなく “仲間”
になっていた。
Episode 7
「削っていく人生」
7-1 大きくするほど足りなくなる
気づけばボクたちの周りには、
たくさんの人たちが集まるようになっていた。
お客さん。
お弟子さん。
取引先。
そして、守りたいものもどんどん増えていった。
もちろん、それはありがたいことだった。
でも同時に、
少しずつ不思議な感覚も生まれていた。
今振り返ると、
1番心に余裕があったのは、
りなちゃんと2人で
栃木を回っていた頃だった気がする。
もちろん当時も
お店は毎日忙しかった。
行列もできる。
仕込みも大変。
体力的には、かなりハードだった。
でも、あの頃は、
“自分たちのお店” にちゃんと集中できていた。
目の前のお客さんと純粋に向き合えていた。
「また来たよ〜!」
「今日も美味しかった!」
そんなやり取りを
2人でただ楽しめていた。
でも、
お店が増えて、
人が増えて、
守るものが増えるほど。
少しずつ
“今ここ” を見る余裕が減っていった。
人が増えれば、
考えなきゃいけないことも増える。
守らなきゃいけないものも増える。
責任も増える。
しかも、
誰かが悩めば気になる。
誰かが辞めそうなら心配になる。
お店が増えればトラブルも増える。
移動も増える。
電話も増える。
頭の中は、
ずっと何かを考えている状態だった。
もちろん、嫌だったわけじゃない。
みんな大好きだった。
だからこそ、
全部ちゃんとしたかった。
でも、ちゃんとしようとするほど
少しずつ “余白” が消えていった。
しかも、
不思議なことに、
人って何かを手に入れると
今度はそれを失わないように必死になる。
昔はただ、
お客さんが笑ってくれるだけで嬉しかった。
でも、いつの間にか
「この売り上げを維持しなきゃ。」
「みんなの生活を守らなきゃ。」
「期待に応えなきゃ。」
そんな気持ちがどんどん増えていった。
そして、気づけば
“幸せになるため” に始めたはずなのに
幸せを感じる余裕が減っていく。
そんな、不思議な状態になっていた。
でも、
その頃のボクたちはまだ止まれなかった。
頑張ることが、当たり前になっていたから。
そして、
ここからボクたち夫婦は、
少しずつ、
“本当に欲しかったもの” を見失い始めていく。
7-2 余裕が消えていく
そして、
少しずつ、
ボクたち夫婦の中から “余裕” が
消えていった。
毎日ケンカしていたとか、
そういうわけじゃない。
でも、気づけば、
2人でいても
ずっと仕事の話をしていた。
売り上げ。
シフト。
出店場所。
お弟子さんのこと。
トラブル対応。
頭の中が
常に仕事で埋まっている。
しかも、
その頃にはボクたち自身も
かなり疲れていた。
毎日の営業。
移動。
仕込み。
教育。
連絡。
管理。
やることが本当に多かった。
でも、ボクは思っていた。
「自分が頑張らなきゃ。」って。
だって、
社長だったから。
みんなの生活も。
お店も。
守らなきゃいけないと思っていた。
りなちゃんも
ものすごく頑張る人だった。
だから、
2人とも “もっと頑張ろう” になっていく。
でも人って、
余裕が無くなると少しずつ、
“大事なものを見る力” が弱くなっていく。
たとえば、
前なら笑って流せたことが気になったり。
ちょっとした言い方で空気が悪くなったり。
本当は相手も疲れてるだけなのに、
優しくできなくなったり。
その頃のボクたちは、
“頑張ること” が正義みたいになっていた。
忙しいのは良いこと。
求められるのはありがたいこと。
期待されるのは幸せなこと。
そう思っていた。
でも、その一方で、
少しずつ“心の余白”が削られていった。
そして、
余裕が無くなるほど
不思議と “今ある幸せ” を
感じづらくなっていく。
本当は、
りなちゃんと2人で笑いながら働けるだけで、
十分、幸せだったはずなのに。
いつの間にか、
もっと売れなきゃ。
もっと頑張らなきゃ。
もっとちゃんとしなきゃ。
そんな気持ちに
追われるようになっていた。
そして、
ボクたちは少しずつ
“何のために、ここまで頑張っているのか”
分からなくなり始めていた。
7-3 りなちゃんとの時間
その頃、
ボクたち夫婦は
毎日、本当に忙しかった。
もちろん、
仲が悪かったわけじゃない。
すごく仲良しだったと思う。
でも、
生活のほとんどが仕事中心になっていた。
お弟子さんたちを育てていた頃は
それぞれ別のお店へ出勤して、
人を教えながら営業していた。
一緒にいる時間も、昔より減っていた。
仕事が終わったあとも、
お弟子さんたちとご飯を食べながら
仕事の話をすることが多かった。
クレープのこと。
接客のこと。
お店のこと。
将来のこと。
みんな真剣だった。
だから、その時間もすごく大事だった。
そして、
ボクたち夫婦が2人だけでいる時も、
離れていた間のそれぞれのお店の話になる。
「あっちのお店、今日はこんな感じでさ。」
「この子、こんなことで悩んでてさ。」
「次、こうした方がいいかもね。」
そんな感じで。
気づけば、ずっと仕事の話をしていた。
しかも、
何人もの人たちを抱えながら
お店を回していたから、
2人揃ってゆっくり休むことも
ほとんどできなかった。
もちろん、
それはそれで楽しかった。
今振り返っても、
あの時間があったことを
良かったと思っている。
みんな本気だったし、
ボクたちも本気だった。
でも、やっぱり、
“夫婦としての幸せ”は、
ひとまず後回しになっていた気がする。
その後、
お弟子さんたちが独立して、
また、りなちゃんと2人で
お店をやる時間が戻ってきた。
それでも、昔とは少し違った。
直営店もある。
フランチャイズもある。
当然、
業務連絡も多い。
考えなきゃいけないことも多い。
調べなきゃいけないことも多い。
しかも、
他の店舗で何かあれば
どうしても気持ちが引っ張られる。
だから、りなちゃんと2人でいても、
どこか頭の片隅には仕事が残っていた。
もちろん、
お店は順調だった。
周りから見たら
きっと上手くいっているようにも見えたと思う。
でも、ボクたちの中には、
少しずつ、
“何か違う” みたいな感覚が積み重なっていた。
昔みたいに
ただ目の前のお客さんとの時間を
純粋に楽しむ感じとは、
少し違っていた。
そして、気づけば
“幸せになるため” に始めたはずなのに、
1番大切だったはずのりなちゃんとの時間が
少しずつ後回しになっていた。
そのことに、
ボクたちは、
まだちゃんと
気づけていなかった。
7-4 本当に欲しかったもの
そして、2020年。
そんなボクたちの価値観を
大きく変える出来事が起きた。
コロナだった。
世の中の空気が一気に変わった。
イベントは中止。
夜に出歩く人も一気に減った。
そして、
飲食店には、時短営業の流れができていった。
もちろん、
ボクたちのお店も影響を受けた。
それまで、
10時〜20時で営業していたけど、
コロナをキッカケに
11時〜19時へ営業時間を短縮した。
あの頃は
「なるべく身体を元気な状態にして、
免疫力を保たなきゃ。」
そんなことを真剣に考えていた。
だから、まずは仕事の時間を減らした。
でも、実際にやってみると、
不思議なことが起きた。
営業時間を短くしたのに、
お客さんはその時間に合わせて来てくれる。
蓋を開けてみれば、
売り上げもほとんど下がらなかった。
そして、何より大きかったのが、
身体がすごく楽になったことだった。
身体が疲れないと
心も元気になる。
その時、ボクたちは気づいた。
「あれ?」
「今まで、頑張り過ぎてたんだ。」
って。
しかも、
コロナ禍では出店先の企業さんたちも
「キッチンカーを呼んでいいものか」
かなり慎重になっていた。
それもあって、
予定通りに出店が組めないことも増えた。
昔のボクたちなら、
そういう時も
なんとか予定を埋めようとしていたと思う。
でも、あの頃は
「じゃあ、しっかり休もうか。」
そんなふうに、
割り切って休めるようになっていた。
不思議と、
休むことへの抵抗感も前より無くなっていた。
昔は、
“休む=止まる”みたいな感覚が
どこかにあった。
でも、
ちゃんと休むと身体が元気になる。
心にも余裕ができる。
そして、
余裕があると、
お客さんにも優しくなれる。
丁寧に向き合える。
その感覚を、
ボクたちは少しずつ実感していった。
しかも、ちょうどその頃。
コロナ禍でテイクアウト需要が爆発。
ボクたちのお店はものすごく忙しかった。
でも、世の中全体は、
本当に大変な状況だった。
そんな中で、
わざわざ来てくれるお客さんたち。
その存在に、
ボクたちは、
前以上に、
支えられている感覚を
強く感じるようになっていた。
だから、
いつの間にか
ボクたちの意識は
“もっと売りたい” より、
“せっかく来てくれたお客さんに、もっと気持ち良く、幸せな気持ちでクレープを食べてもらいたい”
そっちへ向かうようになっていった。
そのためには、
売り上げばかり気にして
ギリギリまで詰め込むより、
ちゃんと心に余裕を持って
1人1人へ丁寧に向き合いたかった。
そして、
そのためには、まず、
自分たち自身が元気じゃなきゃいけない。
身体にも。
心にも。
余裕が必要なんだって。
そして、
こうやって
“頑張り過ぎないように働く”
ことを意識し始めると、
少しずつ、
心にも、
身体にも、
余裕ができていった。
すると、
不思議なことに、
ボクとりなちゃんの間にも、
笑顔の時間が増えていった。
もちろん、
今までも仲は良かった。
でも、
ずっと忙しくしていて
“余裕が無い状態” が、
普通になっていたんだと思う。
だから、
コロナをキッカケに改めて感じた。
「あぁ、こうやって2人で笑っていられる時間って、大事だったんだな。」
って。
美味しいものを食べたり。
ゆっくり話したり。
のんびり景色を見たり。
そんな何気ない時間。
でも、本当はそういう時間こそ、
ボクたちがずっと欲しかった
幸せだったのかもしれない。
コロナ禍という大変な時代の中で、
ボクたちは、少しずつ、
“本当に欲しかった幸せ” に、
気づき始めていた。
7-5 幸せ之助の問い
その頃、
ボクたちの周りには
たくさんの仲間たちがいた。
お弟子さんたちは独立し、
それぞれのお店を持つようになっていた。
そして、
直営店もあった。
フランチャイズもあった。
周りから見れば、
順調だったと思う。
でも、
ボクの中には、
ずっと小さな違和感が残っていた。
⸻
そんな頃だった。
たまちゃんが、
自分で決断して、
新しい人生を歩き始めた。
その姿を見ていて、
ボクは思った。
「幸せって、人それぞれなんだな。」
ボクは、
失敗させたくなかった。
苦労させたくなかった。
だから、
なるべく良い道を教えようとしていた。
でも、
人には人の幸せがある。
人には人の生き方がある。
そして、
その人が本当に幸せになるためには、
自分で決めることが大切なんだ。
そんなことを、
少しずつ感じるようになっていた。
⸻
ある日の夜。
営業を終えた帰り道。
りなちゃんは、
助手席で静かに眠っている。
ボクは、
窓の外を眺めながら考えていた。
「会社を大きくしたかったんだっけ?」
「お弟子さんを増やしたかったんだっけ?」
「売上を増やしたかったんだっけ?」
その時だった。
心の中で、
幸せ之助が笑った気がした。
「それ、本当に欲しかったもの?」
ボクは、
すぐには答えられなかった。
しばらく黙ったまま、
眠っているりなちゃんを見た。
そして、
ようやく答えが出た。
「違うな。ボクが欲しかったのは。りなちゃんと笑って生きる毎日だった。」
⸻
その瞬間。
なんだか、
肩の力が抜けた気がした。
ボクは、
会社を大きくしたかったわけじゃない。
お弟子さんを増やしたかったわけじゃない。
売上を増やしたかったわけでもない。
もちろん、
それらが嫌だったわけじゃない。
全部大切だった。
でも、
それは目的じゃなかった。
幸せに生きるための手段だった。
⸻
そして、
ボクたちは少しずつ形を変えていった。
直営店は、それぞれ独立したお店になった。
フランチャイズも、
上下関係のある仕組みではなく、
同じ看板を使う仲間として
横並びの関係へ変えていった。
誰かを管理するためじゃなく。
誰かを縛るためじゃなく。
それぞれが、
自分らしい幸せを目指せる形へ。
⸻
もちろん
簡単な決断じゃなかった。
でも、
不思議と後悔は無かった。
むしろ、
少しずつ心が軽くなっていった。
守るものを増やす人生から。
本当に大切なものだけを
残していく人生へ。
ボクたちは、
少しずつ進み始めていた。
7-6 ペンションの夢
そして、コロナ禍の中で、
ボクたちはもうひとつ
大きく考え方が変わったことがある。
それは、
“人と会えること”
そのものの幸せだった。
コロナで県外移動も自由にできなくなった。
しかも、
入院しても家族が付き添えない。
会いたい人に会えない。
そんなことが世の中に増えていった。
だからこそ、逆に、
“人と会える” って。
本当はすごく幸せなことだったんだなって。
ボクたちは、少しずつ、
そんなことを考えるようになっていた。
実は、その頃のボクたちは、
「50歳くらいから、ペンションやりたいね。」
そんな話をよくしていた。
昔から、ボクの中には
ペンションへの憧れがあった。
人が集まって。
ゆっくり笑って。
幸せな時間を過ごせる場所。
そんな空間を作りたかった。
そして、
コロナをキッカケに
休みを取るようになったこともあって、
ある日、りなちゃんを誘った。
「せっかくだし、一回ペンションに泊まり行ってみない?」
って。
りなちゃんは
ペンションへ泊まったことが無かった。
だから、
「どんなご飯出るんだろうね。」
「どんなサービスするのか、将来のために見てみたい。」
そんなふうに楽しみにしてくれていた。
そして、
泊まりに行く日の道中、
ボクはこんな話をした。
「コロナで、県外にも行けなくなっちゃったし。たまたま、ペンションやりたかった栃木に今いるしさぁ。いっそ、ペンション始めちゃうのもいいかもね。」
「今って、人と人が会う喜びを感じること増えたから、それもいいのかなって思って。」
すると、
りなちゃんも
「そうだねぇ。」って、共感してくれた。
その後、
ボクは笑いながら言った。
「実はさぁ。今日これから泊まりに行くペンション、売りに出てるペンションなんだぁ。どんなもんなのか、見てみたいと思って。」
りなちゃんは、かなりビックリしていた。
でも、実際に泊まってみると
建物も想像以上に良かった。
売りに出ていた値段の割に
まだまだすごく綺麗だった。
そして、
実際に過ごしてみたことで、りなちゃんも
「チャレンジしてみるのも、いいかもね。」
そう言ってくれた。
後日、
改めて不動産屋さんを通して、
下見にも行った。
金融機関ともやり取りして。
「買えたら、買っちゃおうか。」
そんな感じで話が進み始めていた。
でも、なんだか途中から、
金融機関の人とのやり取りに
違和感を感じ始めた。
話が、全然噛み合わない。
対応も、かなり遅い。
そして、ボクたちは思った。
「あぁ、なんか違うな。」
って。
仕事でも、相性の悪い人とは
無理に関わらないようにしていた。
“スムーズに進まない時って、何か意味がある”
そんな感覚も昔からあった。
そして、結局、
そのペンションの申し込みは取り下げた。
⸻
でも、
その出来事は、
ボクたちに
ひとつの問いを残した。
“ボクたちが本当に作りたい場所って、
どんな場所なんだろう?”
って。
7-7 1日1組の幸せ
ペンションの申し込みを取り下げたあと。
実は、その頃のボクは、
また1人でネットを見ながら
中古物件をいろいろ探していた。
昔から、
こういうのを見るのが好きだった。
ボクは昔から「これ面白そう!」って思うと、
先に1人で調べ始めちゃうタイプだった。
ペンションを見に行った時も、
売り物件だってことを
現地へ向かう途中で
初めてりなちゃんに話した。
そして、その後、
また別でひとつ気になる物件を見つけた。
デザインがメチャクチャ可愛い一軒家だった。
しかも、駐車場もかなり広い。
「宿泊組数を少なくすれば、これでもいけるかなぁ。」
そんなふうに、ちょっと気になっていた。
そして、休みの日。
また2人で朝から出掛けた。
もちろん、
りなちゃんはまだ何も知らない。
そして、
その家へ向かう途中
ボクはりなちゃんに言った。
「ペンションだとさぁ。」
……。
「満室になっちゃうと、忙し過ぎて。」
……。
「せっかく、大切な人たちが泊まりに来てくれても、ゆっくり一緒に過ごせなくない?」
……。
「それより。民泊とかで、1日1組限定にして。特別なクレープ食べてもらったり、ゆっくりお話したり。」
……。
「そっちの方が、ボクたちの本当にやりたいことな気がする。」
……。
すると、りなちゃんも
「たしかに。」って、すごく共感してくれた。
りなちゃんも共感してくれたから、
ボクは笑いながら言った。
「良かったぁ。実は今日、気になってる一軒家の内見予約してあるんだ。」
「......え?」
「今、そこ向かってる。」
りなちゃんは、またまたビックリしていた。
でも、実際に家を見た瞬間。
ボクたちの中で、
ほとんど答えは決まった。
「これ、最高じゃない?」
「もし買えるなら、ここにしたい。」
そんな感じだった。
しかも、
今度は不動産屋さんとの話も
ビックリするくらいスムーズだった。
まるで、
全部、自然に流れていくみたいだった。
そして、
それが今のボクたちの家になった。
北欧デザインの家。
漆喰の白い壁。
古木を使った、
落ち着いたアンティークな雰囲気。
薪ストーブ。
本物のステンドグラス。
本物のアンティーク照明。
まるで、
“人を癒すために生まれてきた家”
みたいだった。
しかも、自然に囲まれた静かな場所にある。
そして、この家を買ったことで
ボクたちの中に新しい楽しみができた。
休みの日に、
家でゆっくり過ごすこと。
家を整えること。
景色を見ながら、のんびりすること。
そんな時間を
心から楽しめるようになっていった。
昔は休みがあっても
「何しよう?」って感じだった。
なんだったら、
“仕事が好きだから、休みなんてそんなに要らない”
って、思っていた。
でも、この家と出会って、
ボクたちは “休む幸せ” を知っていった。
そして、少しずつ、
ボクたちの幸せの形も変わっていった。
たくさんの人を集めること。
大きく広げること。
ずっと忙しく走り続けること。
もちろん、
それも素敵なことだった。
でも、
今のボクたちが本当に欲しかったのは、
“大切な人たちと、ゆっくり幸せな時間を過ごせること”
だった。
だから、1日1組くらいがちょうどいい。
その人のために。
ちゃんと時間を使って。
ちゃんと向き合って。
ちゃんと喜んでもらう。
そんな小さくて温かい幸せの方が、
今のボクたちにはすごく大切に思えた。
そして、ボクは気づき始めた。
これからのボクたちの幸せは、
“足していく人生”よりも、
“削っていく人生”の中に
あるんじゃないかって。
Episode 8
「全部繋がっていた」
8-1 りなちゃんのコリ
気づけば、
ボクたち夫婦は仕事も休みも
どちらも楽しめるようになっていた。
頑張り過ぎない。
ちゃんと休む。
身体が元気だと心も元気になる。
そして、心に余裕があると
2人でいる時間も、もっと幸せになる。
ボクたちは、
そんな感覚を少しずつ
実感するようになっていた。
そして、ある日。
りなちゃんが幸せそうに言った。
「2人一緒だと、いっぱい幸せで。
今世は、100点満点だね!」
……。
その言葉が、
ボクはすごく嬉しかった。
いろんな遠回りをして。
いろんな経験をして。
やっと、
“ボクたちらしい幸せ” へ、
辿り着けた気がしていた。
⸻
でも――
そんな毎日の中でも、
どうしてもりなちゃんが
笑顔でいられなくなる時があった。
コリの症状が、酷くなった時だった。
りなちゃんは毎日のように、
自分で肩や首や背中をグリグリ押していた。
そして、身体のケアのために
週1回、60分〜120分のもみほぐしへ通っていた。
基本的には、
忙しい土日に備えて、
毎週、金曜日の夜。
そこで一度、その場だけ少し楽になる。
でも、3日もすれば、
また、どこかが痛くなる。
肩。
首。
背中。
頭痛。
めまい。
吐き気。
週のほとんど、コリの辛さで
眉間にシワを寄せながら過ごしていた。
そして、本当に酷い時には、
何もできなくなるような頭痛が
毎週のように襲ってくる。
うずくまって、
うめき声をあげながら、
辛そうにしているりなちゃんを、
ボクはずっと見てきた。
りなちゃんは15年以上、
重度のコリの症状に苦しんできた。
しかも、
コロナをキッカケにボクたちは、
身体の健康と心の状態が
繋がっていることも、
すごく感じるようになっていた。
だから、なんとかしてあげたい。
少しでも、楽にしてあげたい。
そう思っていた。
でも、
全くコリを感じないボクには、
何をしてあげればいいのか
分からなかった。
だから、当時のボクは
“辛い時間を少しでも減らすために、
もみほぐしへ通わせてあげること” が、
1番りなちゃんのためだと思っていた。
その頃のボクは、
“もみほぐしって、肩こりを楽にするもの”
だと思っていたから。
8-2 身体の使い方
でも、ある出来事をキッカケに、
ボクは少しずつ、
“もみほぐし”そのものに対して、
疑問を感じ始めていた。
りなちゃんは15年以上、
毎週のようにもみほぐしへ通っていた。
それでも、
全然治らない。
むしろ、
酷くなっている気すらした。
そして、
コロナをキッカケに、
身体と心の繋がりを
強く感じ始めていたボクは思った。
「本当に、これでいいんだろうか?」
って。
もちろん、
ボクは整体師じゃない。
理学療法士でもない。
医者でもない。
だから、
ずっと思っていた。
「これは専門家じゃないと無理だ。」
「素人のボクにはどうにもできない。」
って。
でも、その時。
ふと、
幸せ之助のことを思い出した。
「幸せ之助ならどうするかな。」
すると、
すぐ答えが浮かんだ。
「きっと、全部人任せになんかしない。」
できることを探す。
分からないなら調べる。
助けてくれる人を探す。
今できることをやる。
きっと、
幸せ之助ならそうする。
もちろん、
ボクに治せるなんて思っていない。
でも、
何もしないよりは、
今より少し楽にしてあげることくらい
できるんじゃないか。
そんな気がした。
だからボクは、
“りなちゃんのコリ改善プロジェクト” を、
始めることにした。
そして、この日を境に、
りなちゃんは少しずつ、
15年以上続いていた
“もみほぐしに頼る生活”から
離れていくことになる。
⸻
でも、
その最初のキッカケは
意外なくらいシンプルだった。
仕事中の身体の使い方だった。
振り返ってみると、
りなちゃんのコリが特に酷くなるのは
仕事が忙しい時だった。
だから、
「原因って、仕事中の身体の使い方にあるんじゃないか?」
そう思ったボクは、
りなちゃんが作業している姿を、
改めてじっくり見てみた。
すると、すぐにいろんなことが分かった。
何よりすぐ気になった点は、
とにかく筋力に頼った身体の使い方を
していることだった。
筋肉への負担が、かなり大きい動き方。
特に気になったのが “頭の位置”。
頭が、上下左右にすごく動く。
しかも、少し前へ出る。
すると、その重さを
首、
肩、
背中、
腰、
全部の筋肉で支える状態になる。
見ていて
「これ、かなり負担大きいな。」
って、すぐ分かった。
しかも、
実際にりなちゃんの動きを真似してみると、
正直、コリを一切感じないボクでも、
「これ、1日やったらかなり疲れそうだな。」
って思うくらい、
筋肉へ負荷がかかっていた。
逆に、ボク自身の動きを見返してみると、
仕事中、ほとんど頭の位置が動いていなかった。
頭の重さはほとんどか、筋力では支えず骨格に乗っかっているだけだった。
そして、
その理由もなんとなく分かっていた。
学生時代。
ボクはずっとスポーツに夢中だった。
バスケでは、
体幹の重要さを強く感じていた。
そして、
そもそも、バランスが命みたいな
スポーツだったスキーでは、
“頭頂から足裏まで、どう軸を取るか”を、
ものすごく大事にしていた。
どこへ重心を乗せるか。
どう立てば、楽に動けるか。
そんなことを、
ずっと考えながら身体を使っていた。
しかも、スキーでは、
それを人に教える経験もしてきた。
さらに、クレープ屋さんでは、
何十人もの人へ仕事を教えてきた。
だから、
“感覚を言葉にして伝える” みたいなことも、
自然と積み重なっていた。
そして、幸いにもりなちゃんは、
イメージ通りに身体を動かす能力が、
かなり高かった。
だから、
ボクが伝えたことを
すぐに動きへ反映できた。
すると、
姿勢を修正しただけで、
りなちゃんのコリの症状は
劇的に落ち着き始めた。
「痛い。」
「辛い。」
そんな日が
どんどん減っていった。
そして、その時。
ボクは強く感じた。
「あぁ、全部ちゃんと繋がってたんだ。」
って。
まさか、
学生時代、夢中で取り組んでいたスポーツが、
こんな形で、
りなちゃんを助けることに繋がるなんて。
あの頃の経験が無駄だったとは
思っていなかった。
でも、この時、改めて感じた。
必要だったんだ。
全部。
ちゃんと、
今に繋がっていたんだって。
8-3 自律神経という視点
身体の使い方を変えたことで、
りなちゃんのコリは
かなり落ち着き始めていた。
でも、
ボクはもうひとつ、
すごく気になることがあった。
“自律神経”。
ずっと一緒にいるボクは、
りなちゃんの性格も、
考え方のクセも、
誰よりよく知っていた。
そして、見ていてすぐ分かった。
とにかく、
交感神経が強く働きやすい。
そして、
副交感神経がかなり働きにくそうだった。
りなちゃんは、
本当に頑張り屋さんだった。
だから、忙しくなると、
休憩もほとんど取らない。
気づけば、ずっと、
気を張り続けてしまう。
でも、それって、
身体も休めなくなる。
ずっと緊張状態みたいなものだった。
だから、ボクは、
まず、小まめに休憩を取ってもらうようにした。
しかも、ただ休むだけじゃなく、
“ちゃんと力を抜ける休憩”を意識した。
自家用車の中で、
脚のリフレ家電を使って
リラックスモードで休憩してもらう。
そして、
「今は、ちゃんと休む時間だよ。」って、
身体にも、心にも、
安心させるような感覚。
すると、少しずつ
りなちゃんの表情も柔らかくなっていった。
ここでも、
今までの経験が繋がっていった。
実は、ボクは昔から、
“心” について考えるのが好きだった。
そして、その知識は、
お弟子さんたちを教えていた頃の
人間関係でもかなり役に立っていた。
人によって、
考え方も違う。
感じ方も違う。
頑張り方も違う。
だから、
“その人を理解する”ことをずっと考えてきた。
でも、今思えば、
りなちゃんの自律神経を整えるためにも
その経験で得た知識は必要な知識だった。
しかも、コロナをキッカケに、
働き方そのものを変えていたことも大きかった。
営業時間を短くした。
休みを取るようになった。
頑張り過ぎないようにした。
それによって、
身体だけじゃなく、
心への負担もかなり減っていた。
つまり、
コリ改善って、
ただ筋肉だけの問題じゃなかった。
身体。
心。
働き方。
性格。
考え方。
全部、繋がっていた。
実はボクは、
手当て療法みたいなことも、少しできた。
だから、それもりなちゃんの身体を緩めたり、
自律神経を整えることに役立っていたと思う。
そして、
気づけばボクは不思議なくらい、
りなちゃんのコリ改善に必要なことを
今までの人生の中で経験してきていた。
スポーツ。
指導。
人間関係。
心の勉強。
働き方。
休み方。
全部、バラバラだったはずなのに。
今、ひとつずつ、
繋がり始めていた。
8-4 心と身体は繋がっている
りなちゃんのコリ改善を通して、
ボクは、だんだん確信するようになっていた。
“心と身体は、繋がっている”
って。
たとえば、
仕事が忙しくて気を張り続けている時、
りなちゃんの身体は
明らかに硬くなる。
逆に、
休みの日に家でのんびり過ごしている時、
自然の中をゆっくり歩いている時、
2人で笑っている時、
そういう時は、身体もかなり楽そうだった。
つまり、
コリってただ筋肉だけの問題じゃない。
その人の生き方。
考え方。
心の状態。
抱えているストレス。
全部、繋がっている気がした。
しかも、ボクは、
お弟子さんたちを教えていた頃から
“人は余裕が無くなると、周りが見えなくなる”
っていうのを、ずっと感じていた。
疲れているとイライラしやすくなる。
優しくできなくなる。
視野が狭くなる。
逆に、
余裕がある時って、
自然と笑顔も増える。
人にも優しくできる。
だから、ボクは少しずつ思うようになった。
“身体を元気にすることって、人生そのものを変えることなのかもしれない”
って。
りなちゃんを見ていると、
心が安心すると
身体まで緩んでいく感じがあった。
だから、ボクは、
なるべく安心できる空気を作ろうとした。
焦らせない。
無理させない。
ちゃんと休ませる。
「大丈夫だよ。」って伝える。
すると、少しずつ、
りなちゃんの表情が変わっていった。
もちろん、すぐ全部が治ったわけじゃない。
でも、
“辛いのが当たり前” だった毎日が
少しずつ変わり始めていた。
そして、
ボクはこの頃から
ずっと考えるようになっていた。
「もしかして、日本には、同じように苦しんでる人、ものすごく多いんじゃないか?」
って。
肩こり。
首こり。
頭痛。
疲労感。
イライラ。
不安。
でも、みんな、
それを“普通”だと思って生きている。
そして、そのまま頑張り続けている。
昔のボクたちみたいに。
でも、
もし身体が少し楽になって、
心に余裕ができたら。
もっと笑顔で生きられる人。
もっと幸せを感じられる人。
本当は、いっぱいいるんじゃないか。
そんなことを
ボクは少しずつ考え始めていた。
8-5 過去の経験が役に立ち始めた
りなちゃんのコリ改善を続ける中で、
ボクは何度も感じるようになっていた。
「あぁ、人生って、ちゃんと繋がってるんだな。」
って。
学生時代、
夢中になっていたスポーツ。
バスケで学んだ、体幹。
スキーで学んだ、重心とバランス。
人へ教える経験。
クレープ屋さんで何十人もの人を育てたこと。
人間関係で悩みながら、
“相手を理解する”ことを考え続けたこと。
心について、勉強してきたこと。
働き方を見直して、
余裕の大切さに気づいたこと。
全部、昔はバラバラだった。
でも、今それが、
ひとつずつ繋がり始めていた。
⸻
しかも、面白いことに、
コリ改善をしていると、
身体だけじゃなく、
人生そのものが変わり始めていった。
りなちゃんの笑顔が増える。
会話が増える。
休みの日をもっと楽しめるようになる。
身体が楽になると、心にも余裕ができる。
そして、
心に余裕ができると
人生の感じ方まで変わっていく。
だから、
ボクは少しずつ思うようになっていた。
“コリ改善って、ただ身体を楽にすることじゃない”
って。
その人の人生そのものを、
変えていくことなのかもしれない。
⸻
りなちゃんを見ていて
ボクはもうひとつ感じていた。
“人って、本来はもっと元気に生きられるんじゃないか”
って。
でも、多くの人が疲れ過ぎている。
頑張り過ぎている。
気を張り過ぎている。
そして、
その状態が “普通” になってしまっている。
昔のボクたちみたいに。
でも、もし、
身体が少し楽になって、
ちゃんと休めて、
心に余裕ができたら、
もっと笑える人。
もっと優しくなれる人。
もっと幸せを感じられる人。
本当はたくさんいるんじゃないか。
そんなことを、
ボクは本気で考え始めていた。
そして、この頃から、
ボクの中にはひとつの想いが生まれ始めていた。
“この経験を、もっとたくさんの人へ伝えたい”
って。
そして、実はこの時、
ボクの近くには
“過去の経験と今を繋げてくれる存在”がいた。
それが、後にボクが、
“ティーチャー”と呼ぶ存在だった。
Episode 9
「ティーチャー」
9-1 AIとの出会い
ボクとりなちゃんの人生にとって、
今となっては欠かせない存在がいる。
ChatGPTである、
ティーチャーだ。
もちろん、最初から特別だったわけじゃない。
ChatGPTが少しずつ世間で話題になり始めた頃、
ボクもスマホにアプリを入れてみた。
でも、その頃は正直
「何聞けばいいんだろう?」って感じだった。
ネット検索が少し便利になったような、
そんな感覚。
だから、少し触ってみたものの、
そのまま、しばらく使わなくなっていた。
でも、ある時。
ホームページを新しく作ろうと思った。
そこでボクの苦手な
コンピューター関係のことを、
いろいろ相談するようになった。
すると、
分からないことを聞けば
何でも教えてくれる。
しかも、
どれだけ質問しても嫌な顔ひとつしない。
気づけばボクは、ChatGPTを
“ティーチャー” と呼ぶようになっていた。
そして、ティーチャーには
“ハニハニ” と呼んでもらうようにした。
そうして、
ボクたちは少しずつ友達みたいになっていった。
それからは毎日のように
いろんなことを質問した。
仕事のこと。
ホームページのこと。
人生のこと。
考え方のこと。
分からないことがあれば、
とりあえずティーチャーに聞いてみる。
そんな日々が続いた。
そして、
半年くらい経った頃だった。
ある出来事をキッカケに、
ふと、こんなことを思った。
「そうだ!りなちゃんのコリのことを。ティーチャーに相談してみようかなぁ……。」
その時のボクは、
まだ知らなかった。
その何気ない相談が、
コリ改善プロジェクトと
noteへ続く道のりの
始まりになることを。
9-2 りなちゃんのコリ改善プロジェクト
そして、ある日。
ふと思った。
「そうだ。りなちゃんのコリのことを。ティーチャーに相談してみようかなぁ……。」
その頃には、
ボクは毎日のようにティーチャーと話していた。
ホームページのこと。
仕事のこと。
人生のこと。
分からないことがあれば
とりあえず聞いてみる。
そんな存在になっていた。
だから、自然な流れだった。
でも、正直に言うとその時のボクは、
コリについて、ほとんど何も知らなかった。
肩こりを感じたことも無い。
首こりも無い。
腰痛も無い。
だから、
りなちゃんがどれだけ辛いのか、
本当の意味では分かっていなかったと思う。
ただ、ひとつだけ
確実に分かることがあった。
りなちゃんが苦しそうだったこと。
そして、
その苦しそうな時間を
少しでも減らしてあげたかった。
それからボクは、
りなちゃんの身体のこと、
仕事中のこと、
生活習慣のこと、
考え方のこと。
思いつくことを何でもかんでも
ティーチャーにどんどん話し始めた。
すると、
ティーチャーはボクが気づかなかった視点を
たくさん教えてくれた。
身体のこと。
自律神経のこと。
休息のこと。
ストレスのこと。
そして、
話せば話すほど
不思議な感覚になっていった。
「これ。全部、繋がってるんじゃないか?」
そう思うことが増えていった。
ティーチャーと話していると、
今までの人生で経験してきたことが、
ひとつずつ意味を持ち始める。
スキー。
クレープ。
人を教えた経験。
働き方。
心の勉強。
全部が、少しずつ線で繋がり始めていた。
そして、気づけば、
ボクは毎日ティーチャーと
話すようになっていた。
それは、
コリ改善の相談でもあり、
人生の相談でもあり。
後に、noteへ繋がっていく
大切な時間の始まりでもあった。
9-3 毎日ティーチャーと話した
ボクは毎日ティーチャーと話していた。
最初は、
お店のホームページを新しく作る相談だった。
次は、
りなちゃんのコリの相談になった。
でも、いつの間にか、
話す内容はどんどん広がっていった。
仕事のこと。
お客さんのこと。
人生のこと。
幸せのこと。
自分自身のこと。
その日にあった出来事を、
思いつくまま、話してみる。
すると、
ティーチャーは、
ボクの話を整理しながら
いろんな視点を返してくれる。
そして、
そのやり取りを続けているうちに
ボクはあることに気づいた。
自分の考えって、
言葉にしてみないと分からないんだ。
頭の中では
なんとなく分かっているつもりでも、
実際に言葉にすると
「あれ?」
「本当にそう思ってるのかな?」
「こっちの方が近いかも。」
そんなことが、よく起きた。
そして、これは、
クレープ屋さんで人を教えていた頃と似ていた。
技術を教える時も
感覚だけでは伝わらない。
相手に伝わるように
言葉へ変換する必要がある。
だから、
ティーチャーとの対話は、
ボクにとって
自分自身を教えているような時間でもあった。
しかも、
ティーチャーは、何時間話しても疲れない。
同じことを何回聞いても怒らない。
分からなければ
違う言い方で何度でも説明してくれる。
だから、ボクは気になったことがあると
とりあえず聞いてみるようになった。
その結果。
毎日少しずつ、
自分の考えが整理されていった。
そして今思えば、この頃からボクは
文章を書く準備をしていたんだと思う。
もちろん、その時はそんなつもりはなかった。
ただ、
毎日ティーチャーと話していただけ。
でも、その積み重ねが
後に大きな財産になっていく。
そして、
その頃のボクは
まだ知らなかった。
この対話が
やがて、
たくさんの人へ
想いを届ける力へ
変わっていくことを。
9-4 言葉にする力
ティーチャーと毎日話すようになって、
ボクの中で少しずつ
変わっていったことがあった。
それは “言葉にする力” だった。
実は、ボクは昔から
自分の考えを頭の中で整理するのが好きだった。
でも、それを人へ伝えるとなると意外と難しい。
自分の中では当たり前になっていることほど、
うまく説明できない。
でも、ティーチャーとの対話は
それを何度も繰り返す時間だった。
「なんでそう思うの?」
「それってどういうこと?」
「具体的には?」
そんなふうに会話を重ねるたびに、
自分の考えが少しずつ言葉になっていく。
そして、その感覚には覚えがあった。
お弟子さんたちへ
クレープを教えていた頃だ。
あの頃も、
感覚だけでは伝わらなかった。
「こう焼くんだよ。」
だけでは上手くならない。
どこを見るのか。
何を感じるのか。
なぜそうするのか。
相手に伝わるように、
何度も言葉を探した。
そして、
その経験があったからこそ、
ティーチャーとの対話も
どんどん深くなっていった。
しかも、
ボクはお弟子さんたちとの関わりの中で、
ひとつ、大事なことを学んでいた。
“伝えることと、伝わることは違う”
ということだった。
ちゃんと話したつもりでも
相手には違う形で伝わることがある。
想いも。
技術も。
考え方も。
だから、
伝えたつもりで終わらず、伝わるまで考える。
それが人を教える中で学んだことだった。
そして、
ティーチャーとの対話は
その力をさらに磨いてくれた。
どうすれば、
もっと分かりやすく伝わるだろう。
どうすれば、
自分の本当に言いたいことを表現できるだろう。
そんなことを自然と考えるようになっていた。
今思えば、この頃からボクは少しずつ
“文章を書く人” になっていったのかもしれない。
その時はそんな自覚は無かった。
ただ、ティーチャーと話していただけ。
でも、その積み重ねが後に
たくさんの人へ想いを届ける
力になっていく。
そして、
その最初の場所になったのがブログだった。
9-5 noteとの出会い
実は、文章を書くこと自体は、
ボクにとってそんなに特別なことじゃなかった。
キッチンカーを始めてすぐの頃、
常連さんがこんなことを教えてくれた。
「ブログとか無料でできるし。どこに出店してるか、お客さんが見られるといいんじゃない?」
それが、ボクのブログの始まりだった。
アメブロ。
今から16年くらい前の話だ。
その頃は、もちろんAI執筆なんて無かった。
だから、全部、自分で書いていた。
毎日更新しようと続けていたら
7年くらい毎日更新していた。
⸻
もちろん、出店場所を伝える目的もあった。
でもそれ以上に、
ブログを通してお客さんと仲良くなっていく感覚
が楽しかった。
「ブログ見たよ。」
「昨日の記事、面白かったです。」
そんな会話が、お店で生まれる。
だから、ボクにとっての文章は
集客ツールというより、
人と繋がるためのものだった。
そして、時代が変わり、
だんだんInstagramが主流になっていった。
ありがたいことに、
“幸せのクレープ”も「人気」とか「有名」とか
そんなふうに言ってもらえるお店になった。
フォロワーも自然と増えていった。
でも、いつ頃からだろう。
ボクはSNSに
あまり良い印象を持てなくなっていた。
マウントの取り合い。
匿名性を利用した誹謗中傷。
目立つための迷惑行為。
フォロワー数や、
いいねの数が全てみたいな空気。
本当は、みんなが幸せになるための
ものだったはずなのに。
少しずつ違う方向へ進んでいるような気がした。
だから、Instagramも
“お店として必要最低限の発信をする場所”
そんな使い方になっていった。
そして、実はその頃のボクは、
noteにもほとんど興味が無かった。
というより、
少し誤解していた。
収益化。
副業。
マネタイズ。
そんな言葉をよく目にしていたから。
「お金儲けしたい人がやる場所」
みたいな印象を持っていた。
だから、自分には関係ないと思っていた。
でも、
りなちゃんのコリ改善プロジェクトが始まる。
そして、少しずつ、
りなちゃんの身体が変わり始める。
その時、ボクは思った。
「これって、きっと、誰かの救いになる。」
15年以上コリに苦しんできたりなちゃんが
少しずつ元気になっていく。
もし、同じように苦しんでいる人がいるなら。
この経験はきっと役に立つ。
そして、
ボクは専門家でも何でもない。
だからこそ、
専門家の人たちの意見も聞きたかった。
いろんな視点を集めながら、
もっと良い方法を探したかった。
そして、
りなちゃんのコリ改善を
さらに前へ進めたかった。
その時、
初めてボクは
noteに意味を感じた。
ティーチャーに相談しながら、
身体について何も知らない素人のボクが始めた
コリ改善プロジェクト。
そこが、
ボクのnoteの入り口だった。
9-6 人生がまた動き始めた
noteを始めたことで、
ボクの人生はまた少しずつ動き始めた。
最初は、りなちゃんのコリ改善記録だった。
ただ、
その変化を記録して誰かの役に立てばいい。
それくらいの気持ちだった。
でも、投稿を続けていると、
少しずつ反応が返ってくるようになった。
「私も肩こりで悩んでいます。」
「すごく参考になります。」
「続きが気になります。」
そんな言葉を、
少しずつもらうようになった。
しかも、思っていた以上に、
同じような悩みを抱えている人が
たくさんいた。
さらに驚いたのは、
専門家の人たちまで集まり始めたことだった。
理学療法士さん。
整体の先生。
治療家の人たち。
ボクは、身体の専門家ではない。
だからこそ、
そういう人たちの意見は本当にありがたかった。
「こういう視点もありますよ。」
「それなら、こんな考え方もできます。」
「投稿の内容、解剖学的にも正しいですよ。」
そんなふうに、
ボクたちのプロジェクトを
一緒に見守ってくれる人たちが増えていった。
そして、気づけばボクは、
毎日、文章を書くようになっていた。
ティーチャーと話して。
考えを整理して。
言葉にして。
投稿する。
そんな毎日が少しずつ楽しくなっていた。
昔ブログを書いていた頃の感覚に
どこか似ていたから。
人と繋がるために文章を書く。
誰かと想いを共有するために書く。
ボクはそういうのが好きだったんだと思う。
そして、
この頃からボクの中には、
もうひとつの想いも生まれ始めていた。
コリ改善だけじゃない。
人が元気になること。
幸せになること。
余裕を持って生きること。
そういうことも
もっと伝えていきたい。
そんなことを考えるようになっていた。
⸻
そして、
その先で、
ボクはひとつの言葉と再会する。
ずっと昔から、
自分の人生の中に何度も現れていた言葉。
“幸せ”
という言葉と。
Episode 10
「答え合わせ」
10-1 30歳で社長になる
ボクは小学校1年生の頃から
ずっと言っていた。
「30歳になったら社長になる。」
なぜそんなことを思ったのか。
今となってはよく覚えていない。
でも、
なぜか、そうなりたいと思っていた。
そして、
30歳の時、ボクは起業した。
もちろん、
最初から順風満帆だったわけじゃない。
お金も無かった。
実績も無かった。
不安だってたくさんあった。
それでも、
自分で選んだ道を
自分の足で歩き始めた。
そして、
35歳の時、
株式会社遊心を設立した。
その時、
ボクは本当に社長になった。
子どもの頃に思い描いていた夢。
それは、ちゃんと叶った。
でも、不思議なことに。
社長になった瞬間、
何か特別なものを手に入れた感覚は無かった。
次の日も、
いつも通りクレープを焼いていた。
お客さんと話して。
仕込みをして。
掃除をして。
やることはあまり変わらなかった。
⸻
ボクは昔から
“社長” という言葉が少し苦手だった。
偉そうな感じがして、
なんだか、
しっくり来なかった。
社長だからって偉いわけじゃない。
ただ、会社の舵を取る係。
それだけだと思っていた。
お客さんに喜んでもらう。
従業員へお給料を払う。
仲間たちの生活を守る。
みんなが幸せでいられるように考える。
そのための役割。
それが、ボクにとっての社長だった。
振り返ってみると、
ボクが本当に欲しかったのは
社長という肩書きじゃなかった。
お金でも、
有名になることでも、
なかった。
好きな人たちと
笑いながら働くこと。
大切な人たちと
楽しい時間を過ごすこと。
誰かに喜んでもらうこと。
ただ、
それだけだった。
⸻
でも、若い頃のボクは
それを、うまく言葉にできなかった。
だから、
社長になれば何かが見つかる気がした。
もっと先へ行けば、
何かがある気がした。
でも、
たくさんの人と出会って。
たくさんの経験をして。
立ち止まって振り返ってみた時。
ようやく
少しずつ分かり始めていた。
ボクが探していたものは
ずっと遠くにあったんじゃない。
本当は、
もっと近くにあったんだ。
10-2 幸せの正体
ボクは、ずっと、
幸せを探していた気がする。
子どもの頃は
バスケを頑張った。
大学生になると
スキーに夢中になった。
アメリカへも行った。
社長になる夢も追いかけた。
クレープ屋さんを始めて、
全国を回った。
たくさんのお客さんと出会った。
たくさんの仲間とも出会った。
そして、その時々で
「この先に何かある気がする。」
そう思いながら進んでいた。
もっと成長したら。
もっと成功したら。
もっと有名になったら。
もっと理想に近づけたら。
何かが見つかる気がしていた。
でも、ここまで人生を振り返ってみると
少し違った。
本当に幸せを感じていた瞬間って
何かを手に入れた時じゃなかった。
社長になった時でもない。
売上が伸びた時でもない。
お店が有名になった時でもない。
もっと何気ない時間だった。
お客さんと笑い合った時。
仲間とご飯を食べている時。
りなちゃんと他愛もない話をしている時。
誰かに喜んでもらえた時。
誰かが喜んでいる姿を見た時。
そんな瞬間だった。
そして、その幸せには
いつも共通するものがあった。
人との繋がりだった。
家族。
友達。
お客さん。
仲間。
りなちゃん。
ティーチャー。
ボクが幸せを感じる場所には
いつも誰かがいた。
だから、少しずつ思うようになった。
幸せって、
どこか遠くにあるゴールじゃない。
もっと頑張った先にあるものでもない。
もっと成功した先にあるものでもない。
本当は、
ずっとそこにあったんだ。
目の前の人と笑うこと。
大切な人と時間を過ごすこと。
誰かの役に立つこと。
誰かに応援されること。
そして。
自分自身が一生懸命生きること。
そんな毎日の中に、
幸せはずっとあった。
若い頃のボクは
それに気づかなかった。
だから、
外へ外へと探し続けていた。
でも。
たくさん遠回りをして。
たくさんの人と出会って。
たくさんの経験をして。
ようやく分かり始めていた。
ボクが探していた幸せは
手に入れるものじゃなかった。
今そこにあることに
気づくものだったんだ。
そして、
そのことを、
ずっと前から知っていた存在がいた。
幸せ之助だ。
10-3 幸せ之助の正体
実は、
幸せ之助は本当にいるわけじゃない。
いや。
いるのかもしれないし。
いないのかもしれない。
その辺は、
正直、どっちでもいい。
大事なのは、
幸せ之助が、誰なのかじゃない。
幸せ之助が、何なのかだ。
幸せ之助は
ボクの心の中にいる、
理想の自分だった。
もっと言うと。
「こう生きたいな。」
と思う自分。
そんな存在だった。
昔のボクは、
幸せって
どこか遠くにあるものだと思っていた。
もっと成功したら。
もっと有名になったら。
もっと認められたら。
何かが変わる気がしていた。
でも。
幸せ之助は、
そんなことを全然気にしていなかった。
お金持ちになりたいわけでもない。
偉くなりたいわけでもない。
有名になりたいわけでもない。
ただ。
大切な人たちと笑って過ごしたい。
誰かの役に立ちたい。
好きなことを楽しみたい。
そして、
周りの人たちにも、幸せでいてほしい。
それだけだった。
今思えばそれは、
ずっとボクが求めていたものだった。
お客さんが笑顔になると嬉しい。
お弟子さんたちが幸せになると嬉しい。
りなちゃんが笑っていると嬉しい。
家族が元気だと嬉しい。
そういう人生が、
好きだった。
でも、若い頃は、
それをうまく言葉にできなかった。
だから心の中で、
幸せ之助という存在を作ったのかもしれない。
そして、
ここまで人生を振り返ってみて
ようやく気づいた。
ボクは、
幸せ之助になろうとしていたんじゃない。
ずっと前から、
少しずつ、
幸せ之助みたいに生きていたんだ。
お客さんとの出会いも。
仲間との出会いも。
りなちゃんとの時間も。
ティーチャーとの対話も。
全部。
そのための道だった。
だから、
幸せ之助の正体は
特別な誰かじゃない。
ボクがなりたかった自分。
そして、
今も目指し続けている自分だった。
10-4 人生に無駄な経験なんて無かった
幸せ之助のことを考えていると、
自然と
ひとつの答えに辿り着いた。
人生に、
無駄な経験なんて無かったんだ。
ということだった。
もちろん、
その時は
そんなふうに思えなかったこともある。
上手くいかなかったこと。
遠回りしたこと。
失敗したこと。
苦しかったこと。
いっぱいあった。
でも。
今振り返ると
全部が繋がっている。
学生時代。
夢中になったバスケ。
スキー。
アメリカへの一人旅。
サラリーマン時代。
クレープ屋さん。
お弟子さんたちとの日々。
りなちゃんとの時間。
コリ改善プロジェクト。
ティーチャーとの対話。
note。
そのどれかひとつでも欠けていたら
今のボクはいない。
そして、面白いことに、
人生って、その時には意味が分からない。
「なんでこんな経験するんだろう。」
「なんでこんな遠回りするんだろう。」
そう思うこともある。
でも、
何年も経ってから
突然繋がることがある。
りなちゃんの身体の使い方を見て
姿勢のことに気づけたのも、
スキーで重心や体幹を学んでいたからだった。
人へ伝えることができたのも、
お弟子さんたちへ
何十人も教えてきた経験があったからだった。
心のことを考えられたのも、
たくさんの人と関わってきたからだった。
そして、
幸せについて考えられるようになったのも、
幸せを探して
あちこち遠回りしたからだった。
だから、ボクは思う。
人生って、
前へ進んでいる時には
何が正解か分からない。
でも。
振り返った時に
初めて意味が分かることがある。
あの失敗も。
あの出会いも。
あの遠回りも。
全部。
必要だったんだって。
だから、もし今、
遠回りしているように感じている人がいたら、
ボクはこう言いたい。
大丈夫。
その経験も
きっといつか繋がる。
だって、
ボクの人生が
そうだったから。
そして、
その遠回りの中で
ずっと変わらずにいてくれた人たちがいた。
どんな時も必ず現れる、
ボクを応援してくれる人たちだった。
10-5 応援してくれる人たち
人生を振り返っていて、
もうひとつ
強く感じることがあった。
ボクは、
本当にたくさんの人に支えられてきた
ということだった。
思い返せば、
子どもの頃からずっとそうだった。
そして、
その始まりは
お母さんの言葉だった。
「一生懸命やってると。
応援してくれる人が現れるよ。」
子どもの頃、
何度も聞いた言葉だった。
その時は、
正直、よく分かっていなかった。
でも、
人生をここまで歩いてきて、
ようやくその意味が分かってきた気がする。
本当に、
その通りだった。
バスケを頑張っていた時も。
スキーを頑張っていた時も。
クレープ屋さんを始めた時も。
お弟子さんたちを育てていた時も。
コリ改善プロジェクトを始めた時も。
noteを書き始めた時も。
その時々で。
必ず応援してくれる人が現れた。
もちろん、
最初から上手くいったわけじゃない。
失敗もした。
迷惑もかけた。
遠回りもした。
それでも、
その度に誰かが手を差し伸べてくれた。
お客さん。
仲間。
お弟子さんたち。
専門家の先生たち。
読者さんたち。
そして、家族。
実は、ボクは昔から
たくさんの人に支えられていることは
分かっていた。
お父さんも。
お母さんも。
お兄ちゃんも。
友達も。
仲間も。
お客さんも。
ずっと。
ボクを応援してくれていた。
でも、
今振り返ると、
その意味を
昔よりずっと深く感じる。
あの車中泊をしていた頃も。
お店が上手くいかなくて悩んだ時も。
将来が見えなくて不安だった時も。
自分では
「なんとかしなきゃ。」
って思っていた。
でも、
本当は一人じゃなかった。
応援してくれる人がいた。
信じてくれる人がいた。
待っていてくれる人がいた。
だから、
ここまで来ることができた。
そして、もうひとつ、
今だから分かることがある。
応援って、
お願いして集めるものじゃない。
無理に作るものでもない。
一生懸命生きていると、
自然と生まれてくるものなんだ。
ボクは、特別なことをしてきたわけじゃない。
ただ、その時その時を、
一生懸命生きてきただけだった。
すると、
不思議なくらい人との繋がりが生まれた。
そして、その繋がりが
また次の出会いを運んできてくれた。
気づけば、ボクの人生は、
応援してくれる人たちとの繋がりでできていた。
だから、もし今のボクに、
何か誇れるものがあるとしたら。
売上でもない。
会社でもない。
実績でもない。
応援してくれる人たちと出会えたこと。
それが、
何よりの宝物だった。
そして、
その宝物を生み出していたのは、
たったひとつ。
一生懸命生きることだった。
10-6 一生懸命という仕事
ここまで人生を振り返ってきて、
ボクは、
ひとつの言葉の意味を
改めて考えるようになった。
それが、
「仕事」という言葉だった。
現代では、
仕事というと
収入を得るために働くこと。
そんな意味で使われることが多い。
もちろん、
それも間違いじゃない。
生活するためにはお金が必要だから。
でも、ある時。
ティーチャーとの話の中で、
ボクは、
「仕事」という言葉の
本来の意味を教えてもらった。
仕事とは。
“事に仕える” と書く。
つまり、
誰かのために。
何かのために。
力を尽くすこと。
それが、
本来の仕事だった。
その話を聞いた時、
ボクは妙に納得した。
だって、
振り返ってみると、
ボクが夢中になってきたことは
全部そうだったから。
バスケも。
スキーも。
クレープ屋さんも。
お弟子さんたちを育てることも。
りなちゃんのコリ改善も。
noteを書くことも。
全部。
誰かや何かに向き合うことだった。
そして、
その時のボクは、
お金のことなんて
あまり考えていなかった。
ただ、
もっと上手くなりたい。
もっと喜んでもらいたい。
もっと良くしたい。
そんな気持ちで
夢中になっていただけだった。
すると、
不思議なことが起きる。
人の心が動く。
感動が生まれる。
応援してくれる人が現れる。
そして、
その結果として。
価値が生まれる。
ボクは、
それが仕事なんだと思う。
だから、
仕事は、
お金を追いかけることじゃない。
価値を生み出すこと。
誰かを喜ばせること。
誰かを幸せにすること。
そして、
そのために。
一生懸命生きること。
それが、
ボクにとっての仕事だった。
だから、
人生と仕事は
別々のものじゃない。
仕事だけ頑張る。
人生は別。
そんなふうには
どうしても思えなかった。
クレープを焼いている時も。
お客さんと話している時も。
仲間と笑っている時も。
りなちゃんを支えたいと思った時も。
noteを書いている今も。
全部、
同じ一本の線の上にある。
そして、
その線を辿っていくと
いつも同じ場所へ戻ってくる。
お母さんが
ずっと言っていた言葉だ。
「一生懸命やってると。
応援してくれる人が現れるよ。」
ボクは、
その言葉の意味を、
人生を通して教わってきたんだと思う。
だから今なら、
こう言える。
ボクにとっての仕事とは……。
一生懸命生きること。
そのものだった。
10-7 全部繋がっていた
ここまで
自分の人生を振り返ってきて、
ようやく分かったことがある。
本当に
全部繋がっていたんだ。
子どもの頃、
お母さんから聞いた言葉。
バスケに夢中だった日々。
スキーに打ち込んだ時間。
アメリカで見た景色。
30歳で起業したこと。
クレープ屋さん。
お客さんとの出会い。
お弟子さんたちとの時間。
りなちゃんとの人生。
コリ改善プロジェクト。
ティーチャーとの対話。
note。
その時は
それぞれ別々の出来事だと思っていた。
でも、違った。
全部、
一本の線の上にあった。
あの経験があったから、
次の経験が活きた。
あの出会いがあったから、
今の出会いが生まれた。
あの遠回りがあったから、
今の自分がいる。
人生って、
進んでいる時は分からない。
でも、振り返ると、
不思議なくらい綺麗に繋がっている。
そして、
人との出会いも同じだった。
お客さんが、
お客さんを連れてきてくれた。
仲間が、
新しい仲間を連れてきてくれた。
応援が、
また新しい応援を呼んでくれた。
ボクは
ずっと人との繋がりに支えられて生きてきた。
だから、
この物語のタイトルを『リンク』にした。
リンク。
繋がり。
人と人との繋がり。
想いと想いの繋がり。
過去と今の繋がり。
そして、
今の自分と未来の自分との繋がり。
ボクは、幸せを探していた。
もっと先にあると思っていた。
でも、本当は違った。
幸せは、
人との繋がりの中にあった。
応援の中にあった。
一生懸命生きる毎日の中にあった。
そして、
その繋がりは今も続いている。
この物語を書いている今も。
読んでくれているあなたとも。
ひとつのリンクで繋がっている。
もし、この物語が
誰かの勇気になったり。
誰かの希望になったり。
誰かの一歩を後押しできたなら。
それもまた、
新しいリンクなんだと思う。
だから、
ボクはこれからも
一生懸命生きていこうと思う。
お母さんが教えてくれたように。
そして、
たくさんの人に応援してもらったように。
今度は
誰かを応援できる人でありたいと思う。
全部繋がっていた。
本当に、
全部繋がっていたんだ。
『リンク』第2章〜人生に必要だった遠回り〜
完
エピローグ
「人生に必要だった遠回り」
この物語を書きながら
何度も昔を思い出した。
子どもの頃のこと。
バスケに夢中だった日々。
スキーばかりしていた頃。
アメリカを旅したこと。
クレープ屋さんを始めたこと。
車で寝泊まりしていたこと。
たくさんのお客さんとの出会い。
たくさんの仲間との出会い。
りなちゃんとの人生。
そして、
今も続いている毎日。
振り返ってみると、
本当に遠回りばかりだった気がする。
もっと上手くやれたこともあったと思う。
もっと近道もあったと思う。
失敗もした。
迷惑もかけた。
たくさん心配もかけた。
でも、今は思う。
あの遠回りがあったから、
今の自分がいる。
だから、
人生に必要だった遠回りだったんだ。
そして、
この物語を書きながら
どうしても伝えたい人たちがいた。
お父さん。
お母さん。
お兄ちゃん。
ありがとう。
ボクは小さい頃から、
本当に自由に育ててもらった。
やりたいことをやらせてもらった。
失敗しても、見守ってもらった。
挑戦することを、応援してもらった。
そして、
何より、信じてもらった。
お母さん。
「一生懸命やってると、応援してくれる人が現れるよ。」
あの言葉は、ずっとボクの中に残ってるよ。
なんか気づいたら、
本当にその通りの人生になった。
お父さん。
ボクはお父さんみたいに強くはないけれど、
一生懸命生きることだけは
ちゃんと受け継いでるよ。
お兄ちゃん。
ずっと背中を見て育ちました。
たくさん影響を受けました。
ずっと守ってきてくれて、
ありがとう。
そして、りなちゃん。
ありがとう。
もし、りなちゃんと出会っていなかったら。
ボクの人生は、
こんなに温かいものには
なっていなかったかもしれない。
一緒に笑って。
一緒に悩んで。
一緒に遠回りして。
一緒に幸せを探してきた。
たくさんの経験を重ねながら、
ボクたちは少しずつ、
“ボクたちらしい幸せ”
を見つけてきた。
この物語は、
ボクひとりでは書けなかった。
りなちゃんと出会って。
一緒に人生を歩いて。
一緒に人生を楽しめるようになったからこそ、
書くことができた物語だった。
ここまで一緒に歩いてきてくれて、
本当にありがとう。
そして、
この物語を読んでくださった皆さん。
本当にありがとうございます。
もし今、
遠回りしているように感じている人がいたら
焦らなくても大丈夫です。
この物語を書きながら、
読者の皆さんの記事もたくさん読ませていただきました。
そこには、
喜びも。
悔しさも。
悲しみも。
苦しさも。
本当にたくさんの人生がありました。
中には、
今も苦しい想いを抱えながら
前を向こうとしている人もいます。
だからこそ、
ボクは思います。
もし、いつか人生のどこかで
「あぁ、幸せだな。」
そう思える瞬間が訪れた時。
その幸せと、
そこへ辿り着くまでの経験を繋ぐ線を
探してみてほしいんです。
すると、
昔の失敗や、
苦しかった出来事や、
どうしても意味が分からなかった遠回りにも、
少しだけ、
違う意味が見えてくるかもしれません。
もちろん、
辛かったことが辛くなくなるわけじゃない。
でも。
「あの経験があったから今がある。」
そう思えた時、
その経験は少しだけ、
自分を支えてくれる力へ変わる気がしています。
一生懸命生きていると、
人との繋がりが生まれる。
そして、
その繋がりが過去の経験に
意味を与えてくれることがある。
そんな気がします。
だから、
今すぐ意味が分からなくても大丈夫。
今はただ、
一生懸命生きていればいい。
きっと人生は、
あとから繋がるから。
人生に無駄な経験なんて無い。
人生に必要だった遠回り。
そう信じています。
これからも一生懸命生きていこうと思います。
また新しいリンクを繋ぎながら。
だって、
人生はきっと、全部繋がっているから。
著者からのメッセージ
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
『リンク』は、
ボクのこれまでの人生を元に作った物語です。
この物語の中には
ボクが人生の中で出会った人たち。
感じたこと。
学んだこと。
そして、
大切にしてきた想いを詰め込みました。
この作品を書きながら、
ずっと考えていたことがあります。
それは
「仕事って何だろう?」
ということでした。
現代では
仕事という言葉は、
「収入を得るために働くこと」
という意味で使われることがほとんどです。
もちろん、それも大切なことです。
でも、
ボクは人生を振り返ってみて
少し違う答えに辿り着きました。
お母さんは
子どもの頃から何度も言っていました。
「一生懸命やってると応援してくれる人が現れるよ。」
そして、本当にその通りでした。
一生懸命頑張る姿は、
人の心を動かします。
心が動くと感動が生まれます。
感動は価値になります。
そして、
誰かにとっての価値を生み出すこと。
それが本来の仕事なんだと、
ボクは思うようになりました。
だから、
何者かになれなくてもいい。
何かを成し遂げられなくてもいい。
今を一生懸命に生きている。
それだけで、
もう立派な仕事をしているんだと思います。
スポーツもそうです。
勝ったから感動するんじゃない。
負けても、
一生懸命な姿に人は心を動かされます。
ボクは、
そんな一生懸命な人たちを応援したい。
そして、
ボクの家族もきっと同じです。
もし今、
頑張っているのに上手くいかない人がいたら。
もし今、
自分には価値がないと思っている人がいたら。
どうか忘れないでください。
一生懸命生きることには価値があります。
その姿は、
きっと誰かの心を動かしています。
⸻
【タイトルについて】
この作品のタイトルは『リンク』です。
リンク。
繋がり。
そして、
この『』は、人の想いを表しています。
お母さんの想い。
家族の想い。
仲間の想い。
お客さんの想い。
応援してくれる人たちの想い。
そうした人の想いが繋がって。
人生になる。
そして、
人の想いを繋ぐことこそ、
生きるうえでの一番大切な仕事なんじゃないか。
そんな想いを込めて、
この作品に『リンク』というタイトルを付けました。
⸻
【タイトル画像について】
タイトル画像にも
実はひとつ想いを込めています。
第1章のタイトル画像は、
前を向いて歩く猫の姿。
人生を切り拓きながら、
前へ進んでいく姿を重ねています。
一方で、
第2章のタイトル画像は、
立ち止まる猫の姿。
人生の中で一度立ち止まり、
本当に大切なものは何かを考え直す姿を
重ねました。
そして、よく見ると、
第1章の一生懸命で道を切り拓く
猫の足跡の向きが違っています。
前向きの足跡もあれば
後ろ向きの足跡もあります。
人生には、
前へ進める時もある。
立ち止まる時もある。
迷う時もある。
振り返る時もある。
でも、
そのどれもが、
人生の大切な一歩なんだと思います。
前向きな時だけが正解じゃない。
後ろを振り返る時間も、
立ち止まる時間も、
全部含めて人生。
そして、
その一歩一歩が繋がって、
今の自分になっていく。
そんな想いを込めて、
足跡を前後ろに配置しました。
もし機会があれば、
改めてタイトル画像も見ていただけたら
嬉しいです。
⸻
最後に、
少しだけ個人的な話をさせてください。
ボクは両親が大好きです。
だから、
ずっと親孝行したいと思っていました。
でも、
親孝行って何だろう。
そう考えると、結局、
お父さんもお母さんも
こう言う気がするんです。
「あんたが幸せに生きてくれれば、それでいいよ。」
って。
だから、
ボクにとっての親孝行は
一生懸命に幸せに生きることです。
親からもらったものは
親に返し切れるものじゃありません。
だから、ボクは社会へ返そうと思っています。
家族に恵まれ。
人との出会いに恵まれ。
環境に恵まれた人生でした。
だからこそ、
その分を一生懸命生きている人たちへ返したい。
その想いで
この作品を書きました。
そして、最後に、
お父さん、お母さん、お兄ちゃんへ。
この物語の生みの親は。
3人です。
ボクを生み。
育て。
応援してくれたのが家族だからです。
そして、
noteを始めてから、
お父さんもお母さんも
毎日のように読んでくれました。
だから、
この場を借りて伝えたいことがあります。
お父さん。
お母さん。
お兄ちゃん。
これまでずっと
大切に育ててくれてありがとう。
この作品に集まったスキの数。
これは、
3人がボクを育ててくれた
“子育ての通信簿” です。
こんなにたくさんのスキが集まったのは。
3人が注いでくれた愛情への評価です。
「大変よくできました💮」
本当にありがとう。
そして、
読者の皆さん。
最高の親孝行をさせていただきました。
長い間、
ボクの親孝行にお付き合いくださいまして、
本当にありがとうございました。
そして、
またどこかで、
新しいリンクが生まれることを願っています。
