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一人で来たの? #8 End 彼の名前

#8 End 彼の名前

「サチっ、サーチ、おいっ、起きろっ」
 サチは左の頬をつんつんされて目が覚めた。

「……パパ?」

ゴーン

「グッスリだったな」
「グッスリよりグッタリじゃん、サチ」
「そうね、パパおんぶしてもらえる?」
「おっしゃ、どうぞ」

 パパがしゃがんで大きな背中をこちらに向けてくれた。
 パパの背中に全体重を預けた時、パパの左肩越しにワニが見えた気がして、サチは一瞬身体がビクッとなった。でもそれはパパのポロシャツの胸のワンポイントだった。

「まだ11時だけどちょっとどこかで休みましょうか。なんだったらそのまま早めのお昼にしてもいいわね。サッちゃんのTシャツも買ったわよ、可愛いのがあったから。あとで見せるわね」
 ママがぽんぽんとサチの背中を叩いた。

「カート無いの? えーやだ歩くの?」マユが不満そうに言う。
「仕方ないじゃない、良さそうなお店があったらすぐに入っちゃうから少し歩いてよ」
 この時間になるとハイランド・ブリッジはかなりな混み具合で、カート置き場のカートは全部出払っていた。
「パパも重いし大変でしょう」
「私は平気ですよ」

 パパが歩くたびにサチの足もブラブラと揺れる。マユは紙袋を三つほどもぶら下げて、店のウィンドウを歩きながらのぞいている。

「動物慰霊碑、だって」ママが足を止めた。
 パパも立ち止まって振り向き、マユは「なになに?」と駆け寄ってきた。

「えーと、ハイランド・ブリッジは…… 年に……、前所有者である……のゴルフ場が経営破綻……の跡地に建設されました、その際併設されていた動物園も同時に廃園となり飼育されていた動物については国内の一部は海外の動物園へ売却及び譲渡が行われましたしかしながら最終的にいずれの動物園保護団体へも受け入れ先が決まらなかった動物について、また野生化を検討されるも自治体との合意に至らなかった動物については管財人の決定にて殺処分…… が行われました…… 馬一頭をはじめウサギなどの小型哺乳類フクロウなどの鳥類計20匹の尊い命が失われました…… ここに感謝と哀悼の祈りを込めて慰霊碑を建立…… 酷い話ね。二年前なんだ」
「ずいぶん身勝手だよな人間ってやつは」
 マユは気分の上がる話じゃなかったと、無言でウィンドウショッピングに戻って行った。

 サチはママが慰霊碑を読み上げるのを聴きながら、涙が後から後からこぼれて仕方がなかった。今はパパにおぶさりながら寝たふりをしているし、泣いてる理由を聞かれても説明のしようがない。サチは誰にもバレないように、パパのポロシャツに顔を押し当てて、涙と鼻水を拭いた。




 家のリビングではマユのファッションショーの真っ最中。

「どう? イケてるでしょ。これだと高校生に見えるかな?」
「見えなくていいんだよ、中学に上がったばっかりなんだから、なんで女子高生の話になるんだよ」
「私服なんだから何に見えるかとか関係ないじゃん」
「高校生に見えるかな、つったのマユじゃん」

 またパパとマユの小競り合いが始まっている。

「サッちゃんのも、ほら、開けてみて」
 ママがサチに手渡した紙袋には『TF w/ NF』のロゴがあった。
 包みを開けてみると淡いブルーのシンプルなTシャツ。胸元にはレースのポケットと、ポケット口は小さなラベンダー色のリボン。
「良くない? さりげない感じで。気に入った?」
 サチは笑顔でうなずいた。
「マユが選んでくれたのよ」

「『TF w/ NF』って何だろな」パパが紙袋を手繰り寄せる。
「『The Fairy with No Fears』だって、『怖いもの知らずの妖精』ってことか」
「ちょっと捻りすぎよねえ」とママ。
「拗らせてる、って言うんだよそういうの」マユまでブランドにケチをつけてきたけど、サチは黙っていた。

「そうそう、川沿いの桜がそろそろ見頃かも。晩ごはんの後に少しだけ夜桜見物に行ってみない?」

 川沿いの桜並木はまだ五分咲きで花見にはすこし早かったが、川沿いは大変な人出だった。人混みだと埋もれてしまうサチは自分の真上の枝しか見ることは出来ない。首が痛くなるほどずっと真上を見ながら歩く。赤い提灯に照らされた五分咲きの桜。ママはこの提灯をあまり好きじゃないと言ってたけど、今見るとあったかい感じがして悪くないとサチは思う。パパの大きな手にしっかり手を握られ、サチは安心して真上を仰ぎ続けた。

 その夜、サチはベッドの中でキッズパッドを開いた。マユにのぞかれてからかわれるのがイヤで、一人きりになれるまでずっと触らないようにしていた。

 ホーム画面には高原祥の名前とボイストークのチャンネルアクセスコード、チャットアドレス、そしてステーブルコインの残高:7,185 JPYSの表示。

 緊急連絡先①:高原幹也
 緊急連絡先②:高原環
 パパのリンクもママのリンクも、連絡先と続柄が出てくるだけだった。

 検索ウィンドウに“ハイランドブリッジ”と入れてみた。
『TF w/ NF』お気に入り登録あり とポップアップが出る。

 ノース、サウス、両方のタワーには入居している企業の名前がぎっしり並んでいる。サウスタワーの25階から上はレンタルのワーキングスペースで、VRのアトラクションなんてどこにも無かった。サウスウィングの6階から10階は現在改装中、ゴールデンウィークに新装開店になるらしい。

 サチがたどった痕跡はどこにも見つけられなかった。
 やっぱり今日見たのはただの夢。
 変なタイミングでうたた寝をして、夢見が悪かっただけなんだ。

 ハイランド・ブリッジのマップを指でなぞる。セントラルエリアの片隅に動物慰霊碑がビューポイントとして表示されている。マウスオンにすると輪郭が光った。押すと何かしらの情報が出るはずだ。

 サチの胸がドックンと鳴る。

 碑文の全文が表示された。

 下にスクロールすると見えてきたのは殺処分された動物たちの写真。
 シルバーのたてがみを持つ黒い馬。名はTristan。

 何度も何度も呼んだはずの彼の名前。
 その名前を思い出そうとすると、
 その名前を口に出そうとすると、
 心臓をギュッと掴まれるようで痛い。

 その名前を口にしてしまうと、
 全てが嘘になって消えてしまいそうで怖い。

 サチは、彼との記憶を、永遠に胸の小箱に閉じ込めると決めた。




「行ってきまーす」
新学期が始まり、マユが真新しい中学の制服で玄関を出て行った。

「パパママおはよ」
「サッちゃんおはよう、今からトースト焼くからちょっとだけ待ってて。あ、サチ、」ママがポットを火にかけながら言った。
「それジュニクロのTシャツじゃないじゃない」
「大丈夫、上からシャツ羽織るからポケットは見えないよ、今日は体育も無いし」
 そういってサチはTF w/ NFのTシャツの上にジュニクロの長袖シャツを羽織った。
「ええ? サチが校則破り? 大丈夫なの?」
「前止めればジュニクロに見えるから」
「どうしたの、らしくないわね」

 サチは無言でトーストをほおばった。


「ね、サチ最近ちょっと変わったと思わない?」
 サチが玄関を出たのを確認してからママがパパに言う。

「好きな子でも出来たんじゃないのか」
「そういうんじゃないのよね……」
「多感なお年頃ってやつか、いろいろあんだろ、言いたければサチから話してくるよ、そん時は聞いてあげればいい」
「マユがあんな感じって無かったと思うのよね」
「タイプが全然違うじゃないか」
「そりゃそうだけど…… 突然すぎちゃって私の方が追いつかないわ、母親なのに」
「大丈夫、サチは俺が守るから」


 サチは家を出て坂道を駆け降りた。
 両手を広げるとジュニクロのシャツは風を孕み、大きく膨らんだ。
 地面を蹴るとそのまま浮かび上がってしまいそう。
 あの時のように。

「高原さーん」新学期になってできた新しい友達だ。
「おはよう」
「おはよう」

 なんだか世界が違って見える。
 世界が変わったのか、
 サチが変わったのか。

 坂道を駆け抜けると、散り落ちた桜の花びらが舞い上がった。

 


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門



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