ハンドルを握る娘の背中と、日本最南端の駅。10年越しに届いた、わくわくの答え
「どこか、車の練習がてら遠くに行かない?」
10年前、免許を取り立ての娘がそう言い出したとき、まさか行き先が「九州の南端」になるとは思いもしなかった。私たちは千葉県民である。練習なら房総半島で十分なはずだが、鉄道オタクの娘が指定したのは、鹿児島県の、とある小さな駅だった。
なぜ、電車に乗るわけでもないのに、わざわざ飛行機とレンタカーを予約してまで駅を目指すのか。 疑問を抱えつつも、LCCの成田・鹿児島便を抑え、空港でのレンタカーも手配した。目的はあくまで「娘の運転練習」だ。家族4人、謎に包まれたままの日帰り鹿児島ドライブが始まった。
鹿児島空港に降り立ち、娘がぎこちなくハンドルを握る。 私たちの旅のスタイルは、豪華なレストランよりも地元のスーパーだ。道中、地元のスーパーに立ち寄り、揚げたての「つけ揚げ(さつま揚げ)」、黒豚のとんかつ、香ばしい地鶏の炭火焼きを買い込む。車内に広がる美味しそうな香りと、娘の危なっかしい運転への緊張感。そのちぐはぐな状況が、なんだかおかしくて、わくわくが止まらなかった。
田舎道をひた走り、ようやく到着した目的地。 そこは、のどかな風景の中にポツンと佇む、何の変哲もない無人駅だった。しかし、そこにはカメラを構えた鉄道ファンや観光客が何組もいて、皆一様に晴れやかな顔をしている。
駅の看板を見て、ようやく「謎」が解けた。 『日本最南端の駅・西大山駅』
「沖縄には鉄道がないから、ここが日本で一番南にある駅なんだよ」 娘が誇らしげに笑う。千葉から鹿児島まで、電車に乗らずに「駅」を目指す。そんな一見無意味で、贅沢な遠回りに、家族全員が声を上げて笑った。開聞岳をバックに、最南端の標柱の横で撮った写真は、眩しいくらいの青空だった。
あれから10年。 先日、娘の結婚披露宴が行われた。会場が暗くなり、生い立ちを紹介するスライドが流れ始める。
「……続いては、娘さんが運転免許を取った際、練習のために千葉から鹿児島まで日帰りで行った時の写真だそうです」
司会者のアナウンスと共にスクリーンに映し出されたのは、あの西大山駅で撮った家族写真だった。 驚いた。娘にとってあの旅は、ただの運転練習ではなく、人生のハイライトのひとつとして刻まれていたのだ。
目的地に向かうまでの高揚感、地元の味に驚いた瞬間、そして「最南端」に辿り着いた達成感。あの時、娘の背中越しに感じていた「わくわく」は、10年の時を経て、親である私の胸に熱く込み上げてきた。
JR九州のコンテストの文字を見たとき、真っ先に思い浮かんだのは、皮肉にも「一度も列車に乗らなかった九州の旅」だった。けれど、あの駅で感じた風と、娘の笑顔は、今でも私を元気づけてくれる。
今度は、夫婦二人でゆっくりと訪ねてみたい。 今度はハンドルを握るのではなく、ガタンゴトンと揺れる列車に身を任せて。指宿の温泉宿で一晩過ごし、あの日の「わくわく」の続きを語り合う。そんな新しい旅の始まりを想像して、また少し、心が躍り始めている。
