エベレスト〜亡くなる為に生きている

昨日、以前、お世話になった方のお知り合いが
エベレストに登頂されたと知った。
『おめでとうございます』
そうメッセージを打った。

言葉だけでも変えたら、
気分は変わるらしい。

同時に私は逆エベレストに登頂していて、
人生の底にいる。

妹の命と引き換えに、
エベレストに登頂した人をみた。
ただ、それだけの事である。

私は妹には、生前に
自分はただ、
利用されているだけなんだと伝える事が出来た。
その真実や具体的な内容は、私には分からない。
でも何となくそう感じているけど、
止めて欲しいと思っても、
どう伝えたら良いのか?分からないし、
気持ち悪い状況があったとしても我慢して
仕事をただひたすらして来ただけだ。
妹は黙っていた。

世の中はいくらでも180℃真逆の展開が
日常的に現れて来る。

この3年、ひたすら走り続けた事に
何の意味も見い出せずにいるのは何故だろう。

収入に対して大き過ぎる借金の返済に追われて、
今なら漸く言える。
借金は抱える必要は無い。
少しでも苦しいと思ったらすぐに手放すべきだ。
そうでないと自分の大切な事が見えなくなる。
単に収入に対する比率の問題だ。
私も以前のような収入だったら、
耐えうるレベルであったと思う。

何も事情を知らない人に外野から色々と
言われたとしても、
その比率を知らない訳だから、
全く理解が出来ないのだろうとと思った。
金額の問題では無い。

関わる人達を選ぶ事がとても大切である。
苦労を超える事には、一つも意味が無い。
命より優先しなければならない事は無い。
忙し過ぎれば、多くの人達の思考に揺られて
判断を見誤るのだ。

この3年間、音楽の為に仕事を頑張っていたが
仕事を頑張って来たのは家族を守る為だったと
そう気付いたのは、家族が亡くなった後だった。
頑張った甲斐が無い。

音楽は続けるにしても
金を稼がねば生きていけない。
そして無料でも音楽は続けられる。
観客が必要な訳でも無い。
自分には大切にしてきて、
人生の大半を費やして来ている音楽を
記録として残すことの方が大切なのかもしれない。
音楽は続ける。

家族が亡くなるのは生まれる前に
決めて来た事なのだろうか。
何故、誰一人として、
私に実家に帰って病気の家族に会って来なさいと
一言も言わなかったのだろうか。
それを内心、知っている人達も居ただろう。
おそらく大勢の人達が。

だが、私は妹が住む家を守りたかっただけだ。
もう少し冷静に考えれば、
病気を知った、その瞬間に自分の借金の事は
法的手段に再度、出るべきだった。

そして家族に会いに行くのに
遠方だからと言う理由なんて、理由にならない。
何十万円もかけて、
帰らなければならない場所でも無かった。
帰るのに100万円かかるなら、
少しは考えなきゃならないかもしれないが、
それも病気の家族にお願いしさえすれば、
出して貰えるレベルだったろう。

『実家に帰って家族に会って来なさい。』

その一番、大切な一言を、
3年前に、たった一人だけ、
アドバイスした方がいた。
私が大事にした方が良い人は、
そう言う人達かもしれないと、そう思う。

それを逆に考慮すれば
本当に人の事を理解して
ズバリと最も重要なアドバイスを
自分は他人に出来るのだろうかと
3年前のその方と同じようにアドバイスが
出来るのだろうかと感じた。

世の中は回っているのだ。
人は、どれだけ他人事で、
どれだけ親身に関わっているのか、
それを改めて自身にも問う。

人間関係なんて、希薄なものだ。
私には真の友人など居ないと思う。
生前は意見の異なる家族だったが、
あとは私が亡くなれば、
あちらで家族に会うだけだ。
それでも生きていかねばならない。

でくのぼうと言う言葉が思い浮かび
こじつけてでも生きる意味を
見つけなければならない。
自死をしたくても、
その罪が大きい事はさすがに知っている。

生きる意味を見つけなければならない。

死んだ後に人に迷惑をかけたくないだけの理由で
毎日を生きている。
息を吸って吐いていられるのだから、
とても恵まれているのだろう。
それが叶わない人もいるのだから。

多くの人達は日々、自分の事に忙しくて、
私も漏れなく同じ立場である。
ただただ忙しくして、
そして、ただただ死んでいく。

先日、私を不快な気持ちにさせた人にも
感謝しか無い。
感情には丸もバツも無い。
ただ、そう感じた自分が居ただけである。
あれは母の言葉では無い。
実の母は、そう言う言い方をする人間では無い。

それは毎日、私が妹に線香をあげている中で
感じ取っている事としては、
母は私達よりだいぶ離れた場所にいるという感覚。
(おそらく楽しんで過ごしていて
向こうに居る事が既に当たり前で
どちらかと言うと清々しい感覚、
かつ青天井のような場所にいるように感じる。)
むしろ父が、妹と私の心配をしていて
近くに感じているのは、父の方であると言う点。

自分の感覚はそれ。である。

インドの人達もそんな感じで生きてるのでは。
川で死体を洗って、
その川で皆、沐浴をする。

別に生きる事も死ぬ事も
大差無く、思いやりとか、思いやりが無いとか
そこには何の意味も、差も無い。

人が一人、この世から居なくなっても
ただただ日々、生きていくだけの事。

嬉しいと思うのも自由だし、
悲しいと思わないのも自由だ。
別に生きる事に何の意味も無い気もする。
それでも生きているのだから、
仕方無い。
あと何年生きられるか?それは分からないが、
とりあえずなるべく周囲に迷惑をかけない形で
亡くなろうと思う。

亡くなる為に生きている。
今はただ、周囲に迷惑をかけないで
亡くなる事が目標で生きている。



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