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【攻撃→優しさ】ハラスメント加害者の卑劣な手口に洗脳されるな!

深夜、Cさんはスマートフォンの画面をじっと見つめていました。上司から届いたメッセージには、たった一言「今日は言い過ぎた、悪かった」と書かれていました。その短い一文を読んだ瞬間、Cさんの胸に広がったのは、大きな安堵でした。数時間前まで、会議室で人格そのものを否定するような言葉を浴びせられていたことも、周囲の同僚の前で長時間にわたって無視され続けたことも、その一文によって、すっと薄れていくように感じられたのです。

Cさんは布団の中で、こう考えました。あの人は本当は悪い人じゃない。今日はきっと機嫌が悪かっただけだ。次はもっと自分がうまく立ち回れば、あの優しい上司にまた戻ってくれるはずだ。そうして眠りについたCさんは、翌朝、いつもより少し早く出勤し、上司の表情を確認しながら一日を過ごすことになりました。

この一連の流れの中には、パワーハラスメントやモラルハラスメントという加害行為の中でも、最も見えにくく、そして最も抜け出しにくい構造が潜んでいます。優しさを一度でも受け取ってしまうと、それまでの痛みを自分から手放してしまうという、静かな罠です。

怒りだけでは、人は支配されない

強烈な自己愛を持つ加害者は、怒鳴る、無視する、人格を否定するといった攻撃的な言動だけで、相手を支配しているわけではありません。もし攻撃だけがひたすら続くのであれば、被害者はどこかの時点で限界を感じ、その関係から距離を置こうとするはずです。人には本来、痛みが続けば、そこから離れようとする自然な防衛の働きが備わっているからです。

ところが、加害者の言動には、もう一つの顔があります。激しく攻撃した直後に、まるで何事もなかったかのように、あるいはそれ以上に、急に優しく接してくるのです。褒め言葉をかけたり、謝罪の言葉を口にしたり、時には特別扱いをして見せたりします。この「攻撃」と「優しさ」の落差こそが、被害者をその関係の中に長くとどまらせてしまう、非常に効果的な仕掛けになっています。

たとえるなら、真夏の炎天下を長時間歩かされた後に渡される、コップ一杯の水のようなものです。普段であれば、なんということもない一杯の水が、渇き切った喉には、涙が出るほどありがたく感じられます。加害者が与える優しさも、これと同じ仕組みで、実際の価値以上に、大きく、貴重なものとして受け取られてしまうのです。

落差が生み出す、心の錯覚

人の心には、苦しい状態の後に訪れる安心に対して、通常よりもはるかに強く反応してしまう性質があります。怒鳴られ、無視され、否定され続けた後に与えられる、ほんのわずかな優しさは、平常時に同じ優しさを受け取るよりも、何倍も大きな価値を持つものとして体験されてしまいます。Cさんが深夜のメッセージ一文だけで安堵を覚えたのも、この心の働きによるものです。

この落差が、一度きりではなく、何度も何度も繰り返されると、被害者の中には、ある一つの願いが少しずつ、しかし確実に刻み込まれていきます。それは「優しかったあの人に、もう一度戻ってほしい」という願いです。そして、この願いは、いつしか「自分さえ我慢すれば、自分さえもっとうまく立ち回れば、この関係はきっと良い方向に向かうはずだ」という思い込みへと姿を変えていきます。攻撃されているのは自分の対応が悪いからだ、次はもっと機嫌を損ねないように気をつけようという発想が、被害者自身の内側から、自然に生まれてくるようになるのです。

ここで大切なのは、被害者は決して弱いから、あるいは考えが甘いからこのように感じてしまうわけではない、という点です。これは人間の心に共通して備わっている、ごく自然な反応です。だからこそ、この仕組みを知っておくこと自体が、身を守るための大きな一歩になります。

判断の基準が、いつの間にか入れ替わる

この状態が長く続くと、被害者の中で、物事を判断するときの基準そのものが、静かに、しかし確実に入れ替わっていきます。本来であれば、自分がどう感じるか、自分は何が正しいと考えるかを基準にして行動を選んでいたはずが、いつの間にか、相手が今どのような機嫌でいるかを基準にして、自分の言動を選ぶようになってしまうのです。

Cさんも、次第に、自分の意見を口にする前に、まず上司の表情をうかがうようになりました。会議の場で発言したほうがよいと感じる場面でも、機嫌を損ねるかもしれないと考えて、口をつぐんでしまうことが増えていきました。周囲の同僚から見れば、Cさんは以前よりも萎縮しているように映っていましたが、Cさん自身は、それを自分の成長や、思いやりのある配慮だと捉えていました。自分の判断よりも相手の機嫌を優先するようになっているという事実に、本人がまったく気づかないまま進んでいくところに、この問題の本当の怖さがあります。

愛情ではなく、離れにくくするための手口

攻撃と優しさを交互に与えるという行為は、心理学の研究においても、相手を関係の中に強く縛りつける効果を持つことが知られています。優しさが、決まったタイミングではなく、いつ訪れるか分からない不規則な形で与えられることによって、被害者は「次はいつ優しくしてもらえるのだろう」と待ち続けるようになります。そして、その優しさをもう一度得るために、加害者の顔色をうかがい続けるという行動パターンが、少しずつ形作られていくのです。

これは、対等な人間同士の関係にある愛情や思いやりとは、根本的に性質の異なるものです。本当の愛情とは、相手を一人の人間として尊重し、相手が萎縮することなく、安心して自分の意見を言える関係の中に存在するものです。一方、攻撃と優しさを交互に用いるこの手口は、相手を常に不安定な状態に置き続けることによって、その関係から離れにくくすることを目的とした、支配のための仕組みそのものです。加害者本人が、それを意図的に計算して行っているとは限りません。しかし、結果として関係の中に生まれている効果は、まぎれもなく支配であるということを、まず知っておく必要があります。

ある病院の看護部門で働いていたDさんも、同じような経験をしていました。先輩看護師から、業務上の些細なミスを厳しく叱責され、時には他の職員の前で長時間にわたって説教をされることがありました。ところが、その翌日になると、その先輩が急にDさんを褒め、コーヒーを差し入れしてくれることもありました。「あなたは筋がいいから期待している」という言葉を受け取るたびに、Dさんは前日の叱責のことをすっかり忘れ、この人についていこうと、気持ちを新たにしていました。

Dさんが自分の状況に違和感を持ち始めたのは、同僚から「最近、先輩の顔色ばかり見ているように見えるよ」と、何気なく指摘された時でした。その一言をきっかけに、Dさんは自分のこれまでの一日一日を、あらためて振り返ってみました。すると、業務についての判断よりも先に、まず先輩が今どんな表情をしているかを確認している自分の姿に、初めて気づいたのです。

Dさんはその日から、先輩とのやり取りをすべて、簡単なメモに残すようになりました。優しい言葉をかけられた日も、厳しく叱責された日も、同じように、感情を交えず淡々と書き留めていきました。そうして記録を続けていく中で、Dさんは次第に、優しさと攻撃が、実は同じ人物から、ほとんど同じような頻度で、繰り返し繰り返し向けられているという事実を、初めて客観的に把握できるようになっていきました。感情の中にいるだけでは見えなかったものが、記録という形にすることで、はっきりと形を持って見えてきたのです。

違和感を、なかったことにしない

この構造から抜け出すための最初の一歩は、大きな決断や、劇的な行動ではありません。ふとした瞬間に心の中に浮かぶ、小さな違和感を、そのまま消してしまわずに、しっかりと握りしめておくことです。優しくされて安堵した、まさにその直後に、なぜか胸の奥にほんの少し残る、うまく説明のつかない違和感。これは、自分の心が弱いからでも、考えすぎているからでもありません。むしろ、正常に働いている心が発している、とても大切な信号だと考えてください。

自己愛が過剰に強い加害者に対しては、優しさを示された瞬間にすべてを水に流してしまうのではなく、その優しさもまた、この関係を維持し続けるための一つの動きなのだと、少し距離を置いた目で観察してみることが助けになります。優しくされたから、もう大丈夫だったと結論づけるのではなく、優しくされた時こそ、あえて少し立ち止まり、これまでの相手の言動全体を、あらためて眺め直してみることです。

記録という、自分を取り戻すための行動

Dさんが記録を続けた結果、半年後には、その内容をもとに、病院内の相談窓口に自分の状況を伝えることができました。そこには、感情ではなく事実として積み重ねられた記録があったからこそ、Dさんの話は、単なる愚痴ではなく、対応が必要な出来事として、きちんと受け止めてもらうことができたのです。

Dさんが最初に踏み出した一歩は、決して大げさなものではありませんでした。違和感を覚えたその日の出来事を、優しい言葉も、厳しい言葉も分け隔てなく、同じ一冊のノートに、短く書き留めるということです。その小さな記録の積み重ねこそが、後になって、Dさん自身の判断力と、自分らしい生き方を取り戻すための、確かな足場になっていったのです。

この一冊のノートは、やがてDさんにとって、単なる記録以上の意味を持つようになっていきました。書き始めた当初は、ただ状況を証拠として残しておきたいという思いだけでした。しかし、ページを重ねるうちに、Dさんは自分がその日その日、何を感じ、何を我慢し、何を見過ごしていたのかを、後から客観的に読み返せるようになっていったのです。感情の渦の中にいるときには気づけなかった自分の変化が、文字として並ぶことで、初めてはっきりと見えるようになりました。

たとえば、三か月前の記録を読み返したとき、Dさんはあることに気づきました。以前は「先輩に期待されている」という言葉を素直に喜んでいた自分がいたのに対し、最近の記録には、同じ言葉を受け取っても、どこか冷めた目で状況を眺めている自分の姿が書かれていたのです。この変化こそが、Dさんが少しずつ、相手の機嫌ではなく、自分自身の感覚を判断の軸として取り戻しつつある証でした。記録を続けるという行為そのものが、揺らいでいた自分の輪郭を、少しずつ描き直していく作業になっていたのです。

相談窓口に記録を提出した後、病院側は先輩看護師に対して個別の指導を行い、Dさんの勤務体制についても配慮がなされることになりました。もちろん、それで先輩との関係が完全に元通りになったわけではありません。ただ、Dさんはもう、あの人の機嫌を確認しながら一日を始める必要がなくなりました。出勤前に鏡を見て、今日はどんな顔で先輩に会おうかと考えていたあの日々は、静かに終わりを告げたのです。

最後に

もし今、誰かの優しさと厳しさの落差に振り回され、疲れを感じている人がいるなら、まず試してほしいのは、大きな決断を下すことではありません。今日一日の出来事を、感情を交えずに、ほんの数行、書き留めてみることです。優しくされた日も、傷つけられた日も、同じノートの同じページに、同じ筆致で並べてみてください。その一枚のページが、いつか自分の心を取り戻すための、最初の足がかりになります。

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