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職場いじめが最初に壊すのは心ではない。自分の判断を信じる力を守るために

職場いじめで最初に壊されるのは、心ではありません。

「自分の判断を信じる力」です。

これは私が9年間、ハラスメント被害者の方々と向き合ってきた中で、繰り返し確認してきた事実です。多くの方が相談に来られるとき、すでに「自分の感覚がおかしいのかもしれない」という状態になっています。心が傷ついているのはもちろんです。しかし、より深く、より静かに壊されているのは、自分の現実認識そのものなのです。

「傷ついた」という感覚ならば、人はまだ戦えます。痛みを感じているうちは、「これはおかしい」と声を上げることもできます。でも、「自分の感覚そのものが信用できない」という状態になると、声を上げる前の段階で止まってしまうのです。

今日は、その仕組みと、それに対して何ができるかを、できるだけ具体的にお伝えします。


「あの言い方はおかしい」という感覚が消えていくとき

Aさん(仮名)は、30代の会社員です。上司から毎日のように細かい指摘を受け、会議の場で笑いものにされることが続いていました。最初は「これはおかしい」と感じていました。その感覚は正しかった。でも、その上司はこう言い続けました。

「そんなこと言ってないよ。聞き間違いじゃないの?」
「気にしすぎだよ。みんな普通にやってるよ」
「被害者意識が強いんじゃない?」
「そんなことでいちいち傷つくの?」

一度や二度なら、「そういう見方もあるか」と思えたかもしれません。でも、それが毎日、毎週続くと、人は変わっていきます。

「今の言い方はおかしい」という感覚が、少しずつ「私の受け取り方が悪かったのかもしれない」という自己否定に塗り替えられていくのです。

Aさんは半年後、こう言いました。「最近、何が嫌なのかわからなくなってきました。上司の言い方がきつくても、私が弱いだけなのかなって思うようになって」

これは意志の弱さでも、メンタルの問題でもありません。人間の認識のしくみが、繰り返しの言葉によって書き換えられていくからです。

なぜ人は、加害者の「解釈」を信じてしまうのか

人の脳は、自分が直接経験したことよりも、「権威ある誰かの説明」を優先してしまうことがあります。特に、毎日顔を合わせる上司や先輩など、職場での立場が上の人物から繰り返し「あなたの認識がおかしい」と言われ続けると、その言葉が現実の上書きとして機能し始めます。

これを「ガスライティング」と呼びます。

ガスライティングとは、相手の現実認識を意図的に歪め、「自分がおかしい」と思わせる精神的な操作のことです。加害者が意図的にやっているケースもあれば、本人も無自覚にやっているケースもあります。どちらであれ、被害者に起きることは同じです。

「自分の感覚は正しかったのか、間違っていたのか」が、わからなくなる。

もともと「変だ」と思っていたことが、「変だと思う自分がおかしいのかもしれない」に変わる。そして最終的には、「変だ」と感じる感覚自体が消えていく。

Aさんも、半年以上が経過した頃には、「上司の言動がおかしい」と感じる感覚がほとんどなくなっていたと言います。おかしさを感じなくなることは、慣れではありません。感じる力そのものが削られていくのです。

判断力が奪われると、行動できなくなる

自分の感覚への信頼が失われると、次に何が起きるか。

行動が、止まります。

相談しようとしても、「大げさだと思われるかもしれない」と思って動けない。
記録を残そうとしても、「私の思い込みだったらどうしよう」と思って手が止まる。
異動を希望しようとしても、「逃げた人と思われるかもしれない」と思って言い出せない。
誰かに話そうとしても、「信じてもらえないかもしれない」と思って口を閉じる。

これらはすべて、「自分の判断を信じられなくなった状態」から来ています。

心が傷ついているから動けないのではなく、「自分の判断が信じられない」から動けないのです。

Bさん(仮名)は、職場での嫌がらせが2年近く続いていたにもかかわらず、相談機関に連絡することを何度も躊躇っていました。理由を聞くと、こう言いました。

「相談したときに、『それはパワハラじゃない』と言われたら、もう自分には何も信じられなくなりそうで怖かった。だから、確信が持てるまで待とうと思っていた。でも、確信はずっと持てなかった」

これが、判断力を奪われた状態の本質です。自分を守るための行動を起こす前に、「本当にそれが正しい行動なのか」の判断そのものができなくなっている。その状態で「確信が持てるまで待つ」と思っても、確信が持てる日は来ない。なぜなら、確信を持つための感覚そのものが、もう信用できなくなっているからです。

加害者が本当に奪っているもの

職場ハラスメントで加害者が奪うのは、自信や気力だけではありません。

「自分の感覚は信じていい」という、人が生きていくための土台です。

自信は取り戻せます。気力は回復します。でも、「自分の現実認識を信じる力」が壊されると、回復の入口にすら立てなくなります。なぜなら、「回復するために何をすべきか」を判断する力も、同時に壊されているからです。

加害者がその場にいなくても、加害者の声が頭の中で再生され続ける。「気にしすぎだよ」「被害者意識が強い」「みんな普通にやってる」。これらの言葉が、自分の内側から聞こえてくるようになる。

これが、長期にわたるハラスメントが被害者に与える、最も深刻な影響のひとつです。傷は外から見えません。でも、その人の判断力の根っこが、ゆっくりと腐らされていくのです。

「違和感」は、正確な情報である

ここで、はっきりお伝えしたいことがあります。

あなたが「おかしい」と感じた瞬間の感覚は、正確な情報です。

「この言い方はひどい」と感じたなら、それは「ひどい言い方をされた」という現実を、あなたの感覚が正確に受け取った証拠です。感情は嘘をつきません。その感情を「おかしい」と言ったのは、相手です。あなたではありません。

「おかしい」「傷ついた」という感覚が繰り返し、特定の相手との関係においてだけ生じているなら、それはあなたの受け取り方の問題ではなく、相手の言動の問題である可能性がはるかに高い。

「気にしすぎ」という言葉は、「あなたがおかしいことをした」という事実を消しにかかるための言葉です。でも、その言葉を言われたからといって、あなたの感覚が間違っていたことにはなりません。言葉は事実を変えません。

記録が、現実認識を守る

では、判断力を守るために、具体的に何ができるか。最も有効な方法のひとつが、記録です。

記録とは、事実を外側に固定することです。「何が起きたか」を自分の頭の中だけに置いておくと、時間とともに記憶は変形します。特に、加害者から繰り返し「そんなことなかった」と言われていると、記憶そのものが書き換えられていきます。

でも、記録があれば違います。日付、場所、発言の内容、そのときの状況。これを書き留めておくだけで、「あの日、確かにこれが起きた」という事実が、揺るがないかたちで外側に残ります。

記録は証拠としても機能しますが、それ以前に、「自分の現実認識を守るツール」として機能します。「私がおかしいのかもしれない」と思いそうになったとき、記録を見返してください。そこには、あなたが感じたことを感じさせた「出来事」が、具体的に書かれているはずです。

記録を続けるための、小さな工夫

難しく考える必要はありません。スマートフォンのメモアプリを開いて、その日起きたことを数行書くだけで十分です。書く内容の目安はシンプルです。いつ(日時)、どこで(場所や状況)、誰が、何を言ったか・何をしたか。そして、そのときあなたがどう感じたか。

感情を書くことも大切です。「怒った」「悲しかった」「また始まったと思った」。どんな言葉でもいい。「この出来事がこの感情を引き起こした」という記録が残ることで、後から「あの出来事は確かに自分に影響を与えた」と確認できます。

週に一度、書いたものを読み返す習慣をつけると、「これだけのことが起きていたのか」と気づくことが、「やはり私の感覚は間違っていなかった」という確認になります。記録を続けることは、自分の感覚を守り続けることです。

自分の感覚を取り戻すための、小さな問いかけ

記録と並行して、日々の中でできることがあります。

「今、私はどう感じているか」を、毎日一度だけ自分に問いかけてみてください。

「怒っている」「悲しい」「不安だ」「疲れた」「なんとなく嫌な感じがする」。どんな言葉でもいい。うまく言葉にならなくても、「なんかモヤっとする」でいい。

ハラスメントを受け続けると、自分の感情に気づく前に「それは気にしすぎだ」という声が上書きしてきます。だから、その上書きが来る前に、一瞬だけ自分の感覚に意識を向けることが大切です。お風呂に入りながら「今日はどんな気持ちだったっけ」と思い返すだけでいい。通勤中に「今、体のどこかに力が入っているな」と気づくだけでいい。

その小さな習慣が、「自分の感覚は存在する」という確認になります。感覚は消えていない。ただ、長い時間をかけて押しつぶされていただけです。必ず、取り戻せます。

「普通にやってる」は本当か

「みんな普通にやってるよ」という言葉について、少し掘り下げておきます。

同じ職場でも、その上司と関わらずに済んでいる人は「普通にやっている」ように見えます。ターゲットにされていない人は、何も感じません。でも、同じようにターゲットにされれば、同じように傷つく。感じない人がいるのは、感じなくていい位置にいるからです。

また、「普通にやっている」ように見える同僚が、実は陰で消耗しているケースもあります。職場では誰もが「大丈夫なふり」をします。傷ついていると見せることが、さらなる攻撃を招くとわかっているからです。

「みんな普通にやってる」という言葉は、あなたの感覚を無効化するために使われているだけです。

「記録」に罪悪感を感じるとき

「記録を残すことに後ろめたさを感じる」という方がいます。「証拠集めみたいで陰湿な感じがして」と言う方もいます。

でも、記録を残すことは、起きた事実を正確に保存することです。それ以上でも以下でもありません。

後ろめたさを感じるとすれば、それも「記録することは悪いことだ」という刷り込みから来ている可能性があります。「余計なことをするな」「大げさにするな」という圧力が、そうした感覚を作り上げているのかもしれません。

記録することは、あなたの権利です。そして記録は、最初から「戦うため」に使う必要はありません。「自分の感覚を守るため」だけに使っても、十分に意味があります。

「助けを求める」ことは、逃げではない

「相談したら大げさだと思われる」「異動を希望したら逃げたと思われる」という考えが頭に浮かんだとき、その考えがどこから来ているかを確認してみてください。多くの場合、それは加害者の言葉や職場の空気から刷り込まれたものです。

助けを求めることは、弱さではありません。逃げることは、正しい判断です。人が危険な環境から身を守ろうとすることは当然の反応であり、それを「逃げ」と呼んで貶める言葉こそが、ハラスメントの延長線上にあります。

Cさん(仮名)は、上司のハラスメントに2年間耐えた末に、人事部への相談と部署異動を決断しました。異動から3か月後に言った言葉が忘れられません。

「最初から動けばよかった。なんで動けなかったんだろうって考えたら、わかったんです。判断を信じられなくなっていたからだと。自分の『これはおかしい』が信用できなくなっていたから、動けなかった。今は、怒りすら感じています。もっと早く逃げればよかった」

あなたの違和感は、正しい情報です。あなたの判断は、信じていい。

記録を始めてください。現実を正しく認識する力を、自分の手で守ってください。それさえ失わなければ、必ず立て直すことができます。

今日の記事を読んで、「自分もそうかもしれない」と感じた方は、今日起きたことをひとつだけ、時刻と内容をメモに書き留めてみてください。完璧な記録でなくていい。「14時、会議で○○と言われた」という事実の記録。それだけで十分です。その一行が、あなたの現実認識を守る最初の砦になります。

❑職場いじめ、パワハラ・モラハラには構造があります。その構造を知り、被害を根本的に終わらせるための内容をまとめました。800人以上の被害者の支援をしてきて導き出した答えです。


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