完璧な看護師という仮面の下で苦しめられる。加害者の卑劣な手に乗るな!
カンファレンスが終わった後、山田さん(仮名)はいつもトイレに駆け込んでいたと言います。泣くためではなく、ただ少しの間だけひとりになりたかったから。
看護師歴7年。患者と向き合うことが好きで、夜勤明けでも気になる患者がいれば廊下を引き返すような人でした。それが今では、申し送りのたびに胃が締め付けられる。カルテを開くたびに、あの人の声が頭の中でよみがえってくる。
「山田さんの記録、私が添削しておきますね。患者さんの安全のために」
佐藤さん(仮名)はいつも、そう言いました。穏やかな口調で、まるで後輩を気にかけるベテランのように。しかし山田さんが「ありがとうございます」と言うたびに、何かが削られていく感覚があったと言います。うまく言葉にはできないけれど、自分がどんどん小さくなっていくような感じ。
これは、完璧という名の支配です。
「完璧」は武器になる
医療現場における支配は、たいていの場合、善意の言葉に包まれています。患者さんの安全のために。チームのために。後輩の成長のために。その言葉を聞いているだけでは、何かがおかしいと感じながらも、反論できません。反論すれば、自分が患者を軽視しているように見えてしまうからです。
佐藤さんの手口は、緻密なものでした。彼女は自分の受け持ち患者を、状態の安定した人ばかりに絞っていました。重症患者は意図的に山田さんに割り当てる。そうしておいて、カンファレンスでこう言うのです。
「私の受け持ち患者さんは、一度も急変していないんですよ。山田さんとは大違いですね」
その言葉を聞いていた周囲は、佐藤さんが優れた看護師であるという印象を受けます。山田さんが問題のある看護師であるという印象も、同時に植えつけられます。しかし実態は、ゲームの土俵が最初から傾けられていた。山田さんはそのことに気づいていましたが、証明する方法がありませんでした。
完璧を演じる人は、比較を得意とします。自分の「完璧さ」を際立たせるために、他者の「不完全さ」を必要とするからです。山田さんはその構造の中で、比較される対象として固定されていきました。そして比較され続けることで、山田さんは少しずつ「自分は劣っている」という認識を内面に刻み込まれていきました。これは偶然ではなく、意図的に作られたものです。
記録が凶器になるとき
記録は、本来、患者の状態を正確に伝えるためのものです。しかし佐藤さんはそれを、別の目的に使っていました。
「山田さんの記録は私が確認してからにします」
上司にそう告げることで、山田さんの観察眼そのものへの不信を静かに植えつけていく。医師への報告にも、「山田さんの説明は不正確なことがあるので」という前置きをつけることで、山田さんの言葉が届きにくい状況をじわじわと作り上げていく。
これは情報の遮断です。山田さんが何を言っても、すでにフィルターがかかっている状態。自分の声が届かない空間というのは、じわじわと人の自信を溶かします。言葉が届かないと感じた人は、よりよい言葉を選ぼうとします。より正確な記録を書こうとします。より丁寧な報告をしようとします。しかしその努力は報われない。なぜなら、問題は記録の質でも報告の精度でもなく、山田さんを信頼できない存在として位置づけることそのものが目的だったからです。
山田さんは当初、自分の記録が本当に問題なのかと思い込んでいたと言います。何度書き直しても佐藤さんから指摘が来る。では、もっと丁寧に書こう。もっと細かく書こう。しかしいくら努力しても指摘はなくならない。完璧を要求し続ける人は、完璧が達成されることを望んでいません。完璧を要求し続けることで、相手を支配し続けることができるからです。その事実に気づくまでに、山田さんは2年以上を費やしました。
周囲を巻き込む構造
佐藤さんが巧みだったのは、山田さんとの二者関係にとどまらなかった点です。新人看護師たちには「山田さんみたいな記録を書いてはダメよ、私が正しいやり方を教えてあげる」と声をかける。医師には「山田さんの報告は確認が必要なことが多くて」とさりげなく伝える。上司には「患者の安全のために私が全体を把握するようにしています」と言う。
それぞれの言葉は、単独で聞けばごく真っ当なことのように聞こえます。ていねいに仕事をするベテランの言葉として受け取られる。しかしその言葉が積み重なると、山田さんは職場の中で、信頼されていない存在として少しずつ位置づけられていきます。
これが、支配者が使う「包囲」の構造です。正面から攻撃するのではなく、周囲との関係を静かに組み替えていく。一本一本は細い糸でも、何本も何本も張り巡らされると、逃げ場がなくなる。気づいたときには、山田さんは孤立していました。相談できる人がいない。自分を信じてくれる人がいない。そういう状況が、当人の認識にも影響を与えていきます。おかしいのは自分かもしれない、と。
この「おかしいのは自分かもしれない」という感覚こそが、支配が完成したサインです。加害者は外側にいるのに、被害者は内側から自分を責め始める。そうなったとき、支配はもはや外から力をかけなくても維持されます。
「患者のため」という言葉の使われ方
この種の支配で最も厄介なのは、「患者の安全」という言葉が使われることです。医療現場において、これに反論することは事実上不可能です。患者の安全より大切なことはない。その前提が、異議申し立てを封じる盾として機能します。
佐藤さんが山田さんのことを指摘するとき、必ずこの言葉がついてきました。
「これくらいのことも正確にできないなら、患者さんの命に関わるでしょう」
実際に問題にされていたのは、ごくわずかな記載のゆれや、慣例的な表記の差異でした。しかし「命に関わる」という言葉が加わることで、山田さんはそれを些細なことだと言えなくなる。深刻に受け止めなければ、自分が患者を軽視しているように見える。こうして、些細なことが重大な問題として積み上がっていきます。山田さんの中に、自分はミスばかりしている看護師だという認識が育っていく。しかしその「ミス」のほとんどは、ミスではありませんでした。
職場の支配者は、正当な基準を装いながら、実際には恣意的な基準を使っています。同じことを自分がやっても指摘しない。他の人がやっても指摘しない。特定の誰かだけを標的にした指摘が、普遍的な言葉に包まれて繰り返される。それが、目に見えない暴力の正体です。
完璧を目指し続けた先にあったもの
山田さんがカウンセリングにやってきたのは、休職して3ヶ月が経ったころでした。
食欲がない。眠れない。それよりも、看護師である自分が完全に信じられなくなっていた。患者の状態の変化を見逃すのではないか。記録が間違っているのではないか。報告が不正確なのではないか。そういう不安が絶えず頭の中を回り続けていました。
話を聞きながら、私は一つのことに気づきました。山田さんは、職場を離れた今でも、完璧でなければならないという思い込みの中にいる。佐藤さんはもうそこにいないのに、その声が山田さんの内側で鳴り続けている。
支配者がいなくなっても、支配は続きます。なぜなら、長期間にわたって繰り返された言葉は、やがて被害者自身の内なる声に変わるからです。
「またミスした」
「これくらいのこともできない」
「看護師失格」
それはもはや佐藤さんの言葉ではなく、山田さん自身の自己評価として機能していました。
8回目のカウンセリングで、山田さんが静かに言いました。
「先生、私、完璧な看護師にならないといけないんでしょうか。佐藤さんは、私の全てを否定しました。記録も、観察も、患者さんとの関係も。でも今も、完璧を目指してしまうんです」
その言葉を聞いて、私はしばらく黙りました。完璧を目指すことは、悪いことではありません。しかしそれが、かつて自分を苦しめた人の基準に沿おうとすることから来ているなら、それは回復ではなく、支配の継続です。
「山田さん、あなたはなぜ看護師になったんですか」
「患者さんの力になりたくて。ただ、それだけです」
その言葉を言ったとき、山田さん自身が少し驚いたように見えました。完璧な看護師になりたかったのではない。患者の力になりたかった。その原点が、長い間、完璧という言葉の下に埋もれていたのです。
支配から回復するということ
この種の被害からの回復は、単純ではありません。職場を離れたからといって、すぐに楽になるわけではない。むしろ、支配が終わった後にこそ、内側に刷り込まれたものと向き合う必要があります。
山田さんが最初に取り組んだのは、「あれはミスだったのか」という問いを丁寧に解きほぐすことでした。佐藤さんから指摘されたことを一つひとつ振り返り、実際にどういうことだったのかを確認していく作業。それは時間のかかる、地道なものでした。
そこで見えてきたことがありました。指摘の多くは、客観的な基準から見れば問題のないことでした。あるいは、山田さんだけを狙った、意図的な難癖でした。その事実を認識することが、回復の最初の足がかりになりました。
自分を否定し続けた人の声を、自分の内側から追い出すには時間がかかります。しかしその作業を一つひとつ続けることで、山田さんは少しずつ変わっていきました。完璧でなければ看護師失格だという声が、少しずつ小さくなっていく。患者の力になりたいという、最初の気持ちが少しずつ戻ってくる。
回復とは、元の状態に戻ることではありません。支配の構造を理解し、自分が何を刷り込まれていたかを知り、その上で自分自身の基準を取り戻していくことです。「完璧な自分」ではなく、「不完全であっても前に進める自分」を見つけていくこと。山田さんはその過程の中で、カウンセリングを受ける1年前には考えられなかった言葉を口にするようになりました。「今日、患者さんに感謝されました」と、照れくさそうに報告してくれたのです。
今日、あなたにできること
もしあなたが今、完璧を要求され続けている環境にいるなら、まず一つのことを確認してみてください。
その指摘は、あなただけに向けられていますか。同じことを他の人がしたとき、同じように指摘されていますか。指摘の基準は毎回一貫していますか。それとも、何かを達成するたびに基準が上がりますか。
これは、正当な指導と支配を見分けるための問いです。正当な指導は、基準が一貫しています。達成すれば認められます。しかし支配は、達成されることを望んでいません。いつまでも不完全な存在として扱い続けることが、目的だからです。
今日の一歩は、指摘された内容をひとつだけ書き出してみることです。その指摘が、客観的な基準に照らして本当に問題があったのかどうか。それとも、恣意的なものだったのか。すべてを解決しようとしなくていい。ただ一つ、丁寧に見てみる。その小さな確認が、あなた自身の認識を取り戻す最初の糸口になります。
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