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加害者の言葉は、あなたの真実ではない―フィルター越しの評価に人生を渡さないために

毎日浴びせられる言葉が、いつの間にか「自分の姿」になっていく

「仕事ができない」
「空気が読めない」
「みんなが迷惑している」

職場でパワハラやモラハラを受けていると、こうした言葉を毎日のように浴びせられます。最初のうちは「違う」と思えていたはずなのに、何度も繰り返されるうちに、「そうなのかもしれない」「自分に問題があるのかもしれない」と思い始めてしまう。

これは意志が弱いのでも、判断力が乏しいのでもありません。人間の脳が持つ、ごく自然な仕組みによるものです。

同じ言葉を繰り返し聞かされると、脳はそれを「よく見聞きする情報=信頼できる情報」として処理しやすくなります。心理学では「単純接触効果」と呼ばれる現象です。広告や政治的なプロパガンダにも使われるこの仕組みは、職場という閉鎖的な空間で、信頼関係があるはずの上司や先輩から毎日繰り返されると、さらに強く作用します。

加えて、ハラスメントが続く職場では、多くの場合「味方になってくれる人」が周囲にいません。否定的な評価に対して「そんなことはない」と言ってくれる声がなければ、加害者の言葉だけが頭の中に積み重なっていきます。別の視点が入ってこない環境では、一つの評価が「絶対の事実」のように見え始めます。

誰だって、孤立した環境で否定的な言葉を浴び続ければ、自分を疑い始めます。それはあなたが弱いのではなく、その環境が、人の自己認識を壊すように機能しているからです。

ここで一つ、考えてみてほしいことがあります。もし加害者の言葉が本当にあなたの「客観的な評価」であるなら、なぜ特定の人間関係の中だけで、特定の時期だけに、その評価は生まれるのでしょうか。あなたの能力や人柄が本質的に「問題」であるなら、それはどこに行っても現れるはずです。でも、実際にはそうなっていない人がたくさんいます。その事実は、加害者の言葉が「あなたの真実」ではないことを静かに示しています。


人はフィルター越しにしか、相手を見ることができない

人は誰でも、相手をありのままに見ることができません。自分の価値観、経験、感情、そして利害関係というフィルターを通してしか、他者を認識できない。これは脳の構造上、避けられないことです。

カウンセリングの場では、同じ出来事を複数の人から聞くことがあります。Aさんは「あの人は無責任だ」と言う。Bさんは「あの人は慎重すぎる」と言う。Cさんは「あの人は丁寧で助かっている」と言う。同じひとりの人間の話なのに、語る人によってまったく異なる「像」が浮かび上がります。

これは、それぞれの人が持つフィルターが違うからです。誰かの目に映る「あなた」は、その人のフィルターを通過した後の像であって、あなた自身ではありません。

夕暮れの空を見て、ある人は「きれいだ」と言い、ある人は「なんか寂しい」と感じ、ある人は「早く帰らないと」と焦ります。空そのものは変わっていない。変わるのは、見る人の内側です。人間関係も同じです。あなたという存在は変わっていないのに、見る人によってまったく違う「あなた像」が生まれます。

職場のハラスメントにおいては、このフィルターが特に歪んだ形で作用します。加害者が持つフィルターは、あなたを公平に評価するためのものではありません。自分の感情、欲求、不安を守るためのフィルターです。加害者の言葉が「あなたへの評価」に見えても、実際には「加害者自身の内側にあるもの」が映し出されているに過ぎない。これを理解することが、加害者の言葉から自分を守る最初の一歩になります。

加害者のフィルターは、こうして歪む

では、加害者はどんなフィルターを通してあなたを見ているのでしょうか。よく見られるパターンをいくつか挙げます。

嫉妬のフィルターを持つ加害者は、あなたの成果や信頼関係を脅威として受け取ります。自分の地位や評価が脅かされると感じたとき、その人はあなたの長所ではなく欠点を探すようになります。「あの人は〇〇ができていない」という批判は、しばしばあなたの欠点ではなく、加害者の不安の表れです。

ある会社員の女性、田中さん(仮名)ケースです。田中さんは営業職として着実に成果を上げていましたが、直属の上司から「報告書の書き方が雑だ」「段取りが悪い」と繰り返し指摘されていました。指摘の内容は毎回微妙に違い、何を直しても次の欠点が見つかる。後になって田中さんは気づきました。その上司は、田中さんが自分の営業成績を超えた時期から、批判の頻度が増していたのです。批判の背景にあったのは、あなたへの公平な評価ではなく、加害者自身の焦りや劣等感でした。

支配のフィルターを持つ加害者は、自分の意見を言う、疑問を口にする、異議を唱えるといった行動を「扱いにくさ」として受け取ります。彼らのフィルターでは、従順であることが「良い部下・良い後輩」の条件です。あなたが自分の考えを持つことは、彼らにとって「問題行動」として映ります。

小学校教員の村田さん(仮名)のケースです。学年主任の方針に疑問を感じて「こういう方法はどうでしょうか」と提案したことがありました。その日を境に「協調性がない」「チームの和を乱す」と言われるようになりました。村田さんが問題にしたのは方針であり、人間関係ではありませんでした。

しかし加害者のフィルターには、それが「反抗」として映ったのです。自分の考えを持つことは、人として当たり前のことです。それを「欠点」と呼ぶ人がいるとすれば、その人は「あなたを従わせたい」という欲求のフィルターを通してあなたを見ています。

責任転嫁のフィルターを持つ加害者は、自分のミスや判断の失敗を誰かのせいにしようとします。あなたがそのターゲットになったとき、「あなたが説明不足だった」「あなたが確認しなかったから」という言葉が飛んでくる。そこに事実関係はほとんど関係ありません。

どれだけ丁寧に仕事をしても、どれだけ確認を重ねても、何かあれば「あなたのせい」という結論に誘導されます。この場合、問われているのはあなたの仕事の質ではありません。加害者が自分を守るためにあなたを使っているという、構造の問題です。

これらのフィルターに共通しているのは、加害者自身の弱さや歪みが起点になっているということです。あなたの言動が引き金になっているように見えても、本質はそこにありません。加害者の内側にあるものが、あなたという鏡に映し出されているだけです。

同じ職場の複数の人から言われても、それが真実とは限らない

「でも、一人だけでなく複数の人から同じことを言われています。だから本当のことなのかもしれない」

そう思う方もいるかもしれません。

職場という空間は、同調圧力が非常に強く働きます。特にハラスメントが常態化した職場では、加害者に同調することが「生き残り戦略」になっていることがあります。加害者と同じ評価をすることで、自分への矛先をかわす。あるいは、長年その職場にいることで、加害者のフィルターが「職場の標準的な見方」として刷り込まれてしまっていることもあります。意識的にではなくても、そうした空気の中で「みんなも同じことを言っている」という状況が作られていきます。

ハラスメントが横行する職場では、組織全体のフィルターが歪んでいることがあります。そこで共有されている「評価の物差し」が、公正なものとは限りません。むしろ、力を持つ者に都合のよい物差しが、当たり前のように使われていることがほとんどです。

事務職の工藤さん(仮名)のケースです。「報告が遅い」「気が利かない」と職場全体から言われているような感覚を持ち続けていました。誰も味方がいないと思い、自分に問題があると確信していた。しかし産休に入った同僚の代わりに別の部署と連携して仕事をしたとき、工藤さんの連絡、いつも丁寧で助かります」という言葉が返ってきました。同じ会社の中でも、フィルターの違う集団からは、まったく異なる評価が生まれたのです。

だから、同じ職場の複数の人から否定的な評価を受けていることは、必ずしもその評価が正しいことを意味しません。それは「その職場のフィルターを通した評価」であって、あなたの普遍的な評価ではありません。

環境が変わると、評価も変わる

カウンセリングをしていると、異動や転職をした途端に評価が一変する人を何人も見てきました。

「仕事が丁寧ですね」
「頼りにしています」
「いてくれて助かります」
という言葉を受けて、涙を流す人がいます。

「私、もともとこういう人間だったんですね」と言う人がいます。

看護師の吉本さん(仮名)は、前の病院で「報告が遅い」「患者への対応が雑だ」と繰り返し言われていました。毎日萎縮しながら働き、自分は看護師に向いていないとまで思いつめていました。転職後、同期から「吉本さんの患者さんへの声かけ、すごく丁寧ですよね」と言われたとき、吉本さんは言葉が出なかったと話してくれました。変わったのは吉本さんではありません。見るフィルターが変わったのです。

黒田さんは製造業の会社員です。チームリーダーから「段取りが悪い」「指示を聞いていない」と毎日のように言われ続け、仕事自体が嫌いになっていました。会社の都合で別の工場へ異動になり、新しいリーダーのもとで働き始めると、「黒田さんは段取りの組み方が上手いね」と言われるようになりました。同じ仕事を、同じやり方でやっているのに、です。

このような話は、決して珍しくありません。むしろ、ハラスメントの被害を受けた後に環境が変わった人の多くが、似たような経験をします。それは何を意味しているのか。一人の加害者が「できない」と言ったとしても、それはその加害者のフィルター越しの像に過ぎないということです。あなたの能力や人柄そのものは、環境が変わっても消えません。評価するフィルターが変わったとき、それは別の形で必ず現れます。

加害者の評価が「唯一の答え」に見えてしまう理由

ハラスメントを受けているとき、加害者の評価が絶対の真実のように感じられるのはなぜでしょうか。

一つは「権威」の問題です。上司や先輩という立場には、社会的な権力が伴います。評価する権限を持っている人から言われると、その言葉は単なる意見ではなく「正式な評価」のように感じられてしまいます。人事評価や昇進に影響する立場の人から否定されると、その言葉の重みは何倍にもなります。「この人の評価が自分の将来を左右する」という恐怖が、言葉の影響力をさらに大きくします。

もう一つは「孤立」の問題です。反論してくれる人がいない環境では、加害者の言葉が「唯一の情報」になります。複数の視点が入ってこないと、一つの評価が現実全体に見えてくる。比較する材料がなければ、それが「普通」であり「当然」だと感じてしまいます。味方がいないことは、単なる孤独感の問題だけでなく、認知の偏りを生む環境的な問題でもあります。

さらに、ハラスメント被害は身体的な疲弊も伴います。睡眠が乱れ、食欲が落ち、常に緊張状態が続く中では、批判的な言葉を冷静に処理する余力が失われていきます。疲れ果てた状態のときに浴びせられた言葉ほど、深く刺さりやすい。防衛する力が弱まっているところに、繰り返し否定的な言葉が届く。これは非常に消耗する状況です。

加えて、長期間ハラスメントを受け続けると、自分を守るための認知の働きが麻痺してきます。「また何か言われるかもしれない」という緊張の中で生きていると、外からの評価に対して判断する余裕がなくなっていきます。加害者の言葉が来るたびに、それを「受け流す」よりも「受け入れる」方が心理的に楽になってしまうことがある。これは服従ではなく、生き延びるための脳の適応です。

これらすべてが重なって、加害者の評価が「自分の真実」として定着してしまいます。でも、それは真実ではありません。特定の環境における、特定の人間のフィルター越しの評価です。あなたという人間の全体ではなく、その人の目が切り取った、ごく一部の断片に過ぎないのです。

自分の価値を決める権利を、渡さないために

では、加害者のフィルター越しの評価に飲み込まれないために、今日できることは何でしょうか。

一つのことだけやってみてください。

今日の自分の行動を、一つだけ書き留めてください。

大きなことでなくていい。「業務連絡のメールを丁寧に書いた」「後輩に声をかけた」「しんどかったけど今日も出勤した」「昼休みに誰かの話をちゃんと聞いた」。それで十分です。

これは日記でも成果の記録でもありません。加害者のフィルターとは別の、もう一つの視点を自分の中に作るための行為です。人は感情を伴った記憶の方が定着しやすい性質があります。毎日浴びせられる否定的な言葉は、強い感情とともに記憶に刻まれます。だから、意図的に「自分が動いた事実」を書き留めることが、その記憶に対抗する材料になります。

加害者があなたを見るフィルターは、あなたには変えられません。しかし、あなたが自分自身を見るフィルターは、あなた自身のものです。一日一つの記録は、加害者のフィルターに侵食されていく自己像を、あなた自身の目で少しずつ取り戻していく作業です。劇的な変化はすぐには起きません。でも、毎日の積み重ねは、必ずあなたの内側に残ります。

今日まで苦しみながらも踏ん張り、仕事を続けてきた。その事実を、一番正確に知っているのはあなた自身です。

一人の加害者の評価を、あなたの人生の評価にしないでください。自分の価値を決める権利まで、加害者に渡す必要はありません。

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