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パワハラ加害者を「哀れなモノ」と見る—恐怖が消える認識の転換

職場に着いた瞬間、胃がきゅっと締まる。エレベーターのドアが開いて、廊下の先にあの人の姿が見えた。それだけで、もう頭の中が真っ白になる。

「また今日も何か言われる」

その予感が、一日中ずっと体の中に居座っている。出勤するたびに同じことが繰り返される。朝が来るのが怖くなる。日曜日の夜になると、翌日のことを考えて眠れなくなる。休日のはずなのに、月曜日のことが頭から離れない。食欲が落ちる。笑えなくなる。それが何週間も、何ヶ月も続いている。
あなたがこのような状態にあるなら、まず知っておいてほしいことがあります。

あなたの体と心が示しているその反応は、あなたが弱いからではありません。あなたの神経が、目の前の人物を「脅威」として認識してしまっているから起きていることです。そしてここに、この苦しさの核心があります。認識が変われば、反応は変わります。反応が変われば、毎日の消耗が変わります。今日はそのことについて、丁寧に話していきたいと思います。


「強大な者」として認識されてしまっている

総合病院で働く看護師の村田さん(仮名、30代)は、先輩看護師からの批判に毎日さらされていました。

「昨日の処置、どうしてそんなに時間がかかったの」
「この申し送りメモじゃ何も分からないわ」
「おしゃべりする暇があるならカルテ見てきなさいよ」
「あなた、本当に向いていないんじゃないの」

それだけではありませんでした。他のスタッフがいる前でわざとため息をつく。村田さんが報告に行くと、目も合わせずに「はあ」とだけ答える。プリセプターとしての立場を利用し、指導という名目のもとで日々の批判を繰り返す。廊下ですれ違うとき、わずかに顔をそむける。その微妙な動作一つで、村田さんの心臓はぎゅっと縮んだといいます。

村田さんが私のカウンセリングを訪れたとき、最初にこう言いました。「他のスタッフとは普通に話せるんです。でも、あの先輩が現れた瞬間、言葉が出なくなる。手まで震えてくる。自分でもおかしいと分かっているんですけど、体が勝手に反応してしまって」

この「特定の一人だけに体が固まる」という状態は、村田さん固有の問題ではありません。パワハラ・モラハラの被害を受けている多くの方が経験していることです。課長の前だと言い返せない。部長に呼ばれただけで胃が痛くなる。あの上司がこちらを見ているだけで、何も考えられなくなる。名前を呼ばれた瞬間、心臓がはね上がる。

これらは全て、相手を「強大な者」として認識してしまっているときに起きる反応です。脳が「危険な相手がいる」と判断し、体を戦闘・逃走・凍りつきのいずれかのモードに入れてしまう。その結果として、言葉が出ない、体が動かない、頭が働かない、という状態が生まれます。問題はその人物そのものではなく、あなたの中でその人物がどう認識されているか、にあります。

「強大な者」という認識が長続きするとどうなるか

この認識のゆがみを放置したまま時間が経つと、何が起きるでしょうか。
まず、職場以外の場面にも影響が広がり始めます。別の場所で誰かに少し強い口調で話されただけで、あの人の顔が浮かぶ。上司でも先輩でもない人に、過剰に萎縮してしまう。対等なはずの相手にも、必要以上に謝ってしまう。「また何か悪いことをしてしまったんじゃないか」という感覚が、職場を離れても消えない。

次に、自己評価が下がり続けます。加害者の言葉を繰り返し浴びていると、その言葉が自分自身の声になっていきます。「自分には能力がない」「自分がいなければもっとうまくいく」「自分が悪いから攻撃される」という認識が、内側に根を張り始めます。これは加害者が意図していることの一つでもあります。被害者が自分を責めるようになれば、加害者への怒りが向かなくなるからです。

さらに、じわじわと意欲が失われます。何かを試みようとしても、「どうせうまくいかない」「また何か言われる」という恐れが先に来て、行動できない。新しい仕事を覚えようとしても、「あの人にまた批判される」という予期不安が邪魔をする。エネルギーが攻撃への警戒にほとんど使われてしまい、本来の仕事に集中できなくなる。

これは、加害者の行為が続いている限り、自然に起きることです。あなたが弱いのではなく、そういう状況が人間に与える影響がそうなのです。だからこそ、認識を変えることが必要になります。

力関係の認識が、あなたの行動を縛っている

職場の上司や先輩という立場は、確かに一定の権限を持っています。業務の指示を出す、評価に関わる、シフトや配置に影響力を持つ。そういった制度的な力は実在します。これを否定するつもりはありません。

しかし、パワハラ・モラハラ加害者が行使しているのは、そのような制度的な力だけではありません。彼らは「心理的な恐怖」を意図的に、あるいは無意識に使っています。大声を出す。机を叩く。無視する。嫌みを言う。人前で貶める。細かいミスを大げさに取り上げる。「そんなことも分からないの」という言葉で自己否定を促す。「君には期待していたのに」という言葉で罪悪感を植え付ける。

これらの行為には、共通の目的があります。相手を萎縮させ、反論する気力を奪い、自分の思い通りに動かすことです。そして重要なのは、これらの行為がどれも、能力のある人間がとる必要のないものだということです。
ここで、一つの問いを立ててみてください。もし彼らが本当に能力のある、自分の判断に自信を持った人間だったとしたら、このような方法を取る必要があるでしょうか。

答えは、ノーです。

本当に能力があり、自分の立場に自信を持っている人は、他者を萎縮させる必要がありません。理路整然と説明し、必要であれば毅然と伝えれば済む話です。怒鳴る必要も、貶める必要も、恐怖で支配する必要も、どこにもありません。彼らが恐怖を使うのは、恐怖なしには自分の立場を維持できないからです。これは強さではなく、弱さの表れです。

「卑怯で弱いモノ」という認識への転換

村田さんとのカウンセリングで、私はこんな質問をしました。「先輩は、あなた以外のスタッフにも同じように接しますか」
村田さんはしばらく考えてから言いました。「いいえ。私だけです。他の人が同じことをしても何も言わない。私がすると必ず批判します。入職して間もない後輩が同じミスをしたときも、先輩は何も言いませんでした。私にだけ言うんです」

そこで私は続けました。「それは何を意味すると思いますか」
「……公平な指導じゃない、ということですよね」
「そうです。それは指導ではなく、いじめです。特定の一人だけを標的にして、その人の弱みにつけこんで攻撃する。それがこの行為の本質です」
その瞬間、村田さんの表情が変わりました。「先輩って……弱い人なんですね」

これが認識の転換です。「強大な者」から、「卑怯で弱いモノ」へ。
他者を傷つけ、貶めることでしか自分を保てない存在。自分の不安や無能さを隠すために権力を振りかざす存在。反論してこない、立場の弱い相手だけを選んで攻撃することしかできない存在。対等な立場の人間や、自分より力のある相手には決して同じことができない存在。これがパワハラ・モラハラ加害者の本質です。

強さを持っているのではなく、弱さを隠しています。自信があるのではなく、不安を抑えるために他者を貶めています。優秀なのではなく、他者を踏みつけることでしか自分の価値を感じられない存在です。

村田さんは次のカウンセリングでこう言いました。「先輩を見ても、前みたいに怖いとは思わなくなりました。なんか……かわいそうな人だなって思うようになって。手が震えることもなくなりました。廊下で会ったとき、初めて先輩の顔をちゃんと見られた気がしました」

「人を悪く思ってはいけない」という縛りについて

ここで、多くの方が感じる抵抗感に触れておきたいと思います。

「でも、人のことを見下すのは良くないのでは」
「相手を『哀れ』だと思うなんて、傲慢になってしまう気がする」
「そんなふうに考えていたら、私も加害者と同じになってしまうのでは」「誰でも事情がある。そんなに単純に割り切れない」

この感覚は、あなたがきちんと倫理観を持っている証拠です。他者への配慮ができる、誠実な人間だからこそ、こういう抵抗が生まれます。そしてまさに、その誠実さを加害者は利用しています。「この人は反撃してこない」「この人は私を悪く思えない」ということを、加害者は無意識のうちに見抜いています。あなたの倫理観が、あなたを守れなくさせているのです。

整理しておきたいことがあります。加害者を「弱くて哀れなモノ」と認識することは、あなたの内面で起きることです。相手を直接攻撃することでも、嘲笑することでも、復讐することでもありません。あなたが自分の心を守るために、自分の中の力関係の認識を修正するだけのことです。行動は何も変わらない。態度も変えなくていい。ただ、あなたの内側での「この人は強大だ」という認識だけを変えるということです。

また、この認識は永続させる必要はありません。危険な状況にいる間、自分を守るための一時的な枠組みです。安全な場所に移れたなら、そのときはまた別の目で物事を見ればいい。今この瞬間、あなたには自分の心を守る権利があります。その権利を行使することは、倫理的に何も問題がありません。加害者に対して誠実でいる義務は、あなたにはありません。

認識の転換を実際に行う方法

理屈ではわかった。でも、実際に目の前にあの人が現れると、体の反応が先に来てしまう。そういう方も多いと思います。認識の転換は、頭で考えるだけでは難しい。繰り返しの練習が必要です。ここでは、日常の中で取り組める具体的な方法をお伝えします。

一つ目は、言葉に出すことです。日常の中で、誰もいない場所でいいので声に出してみてください。「あの人は、他者を傷つけないと自分を保てない弱い存在だ」と。言葉は思考を固定する力を持っています。頭の中だけで考えていると、認識はすぐに元に戻ってしまいます。声に出すことで、言葉が体を通り、思考が少しずつ変わっていきます。お風呂の中でも、通勤中の車の中でも構いません。

二つ目は、観察者になることです。加害者の行為を感情的に受け取るのではなく、「この人は今、自分の弱さを隠すためにこういう行動をとっている」と観察者の目で見てみる。虫眼鏡を持った研究者が、珍しい生き物の行動を記録するような目で。すぐにはできなくても、こういう視点を安全な場所で練習しておくことができます。あの人が怒鳴ってきた場面を思い出しながら、「なぜこの行動をとったのか」を観察者として考えてみる。それだけで、感情の受け取り方が変わってきます。

三つ目は、記録をつけることです。加害者の言動を記録するとき、多くの方は「証拠として」という目的で始めます。それは正しい。でも記録にはもう一つの意味があります。「この人はまたこのパターンをやっている」という観察者の視点が生まれることです。パターンが見えてくると、相手への恐怖よりも「予測できる行動をとっている人間」という冷静な認識が強くなります。記録は証拠であると同時に、恐怖を解体するためのツールでもあります。

四つ目は、加害者の行動の背後にあるものを推測する習慣です。「なぜ今日はあんなに攻撃的だったんだろう」と考えてみる。上から何か言われたのかもしれない。自分の仕事がうまくいっていないのかもしれない。これは加害者を擁護するためではありません。「この人には、攻撃の原因となる自分自身の問題がある。あなたは原因ではない。ただの向け先にされているだけだ」と気づくためです。

五つ目は、自分に味方をつくることです。一人で抱えていると、加害者との力関係の歪んだ認識がどんどん強化されます。信頼できる人に話す。同じ経験をした人の言葉に触れる。カウンセラーに相談する。「あなたは正当に扱われていない」という認識を、外から補強してもらうことが、内側の認識を変える力になります。

今日からできる一つのこと

村田さんは今、以前の職場で働き続けています。先輩看護師との関係が劇的に改善されたわけではありません。相手の行動が変わったわけでもない。変わったのは、村田さんの内側だけです。

それでも、毎朝の恐怖は消えました。手の震えも消えました。「今日も生き延びた」という消耗感が、「また来たか」という冷静さに変わりつつあります。先輩の言葉を家に持ち帰ることが、以前より少なくなりました。夜、眠れるようになりました。「あの人のことを考えて休日をつぶすのが、もったいなくなってきました」と、村田さんは最近の面談で言っていました。
あなたにも、この変化は起きます。

今日、あの人物のことを思い浮かべてください。そして声に出さなくていいので、心の中でこう言ってみてください。

「この人は、他者を傷つけないと自分を保てない、哀れな存在だ」

一回でいいです。一回だけ、その言葉を心の中で転がしてみてください。何かが変わるかもしれないし、すぐには何も変わらないかもしれない。それでも構いません。その言葉を一度でも自分の中に置いてみることが、恐怖の構造を崩す最初の一手になります。あなたの内側から、変化は始まります。

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