まともではないパワハラ上司。憐れむ返答で撃退せよ
「お前さぁ、何言ってんのか分かんねーんだよ」
会議室に、上司の声が響きます。
Cさんは一瞬、頭が真っ白になりました。
たった今説明したことは、誰が聞いても理解できる内容だったはずです。実際、隣に座っていた同僚は、うんうんと頷きながら聞いていました。
それなのに、上司だけが「分からない」と言う。
この瞬間、多くの人は同じ反応をします。
「自分の説明が下手だったのかもしれない」
「もっと分かりやすく話さなければ」
そうやって、自分を疑い始めるのです。
けれど、パワハラの中には、非常に卑劣なやり方があります。
誰が聞いても分かるような説明を、わざと「分からない」と言い張る。目的は理解することではありません。「お前の説明は分からない」「お前は仕事ができない」という空気を周囲につくり、相手を職場の中で少しずつ潰していくことです。
ずっとまともに答えていた
私のクライアントであるAさんも、上司から同じ攻撃を長期間受けていました。
Aさんが説明する。すると上司は、決まってこう言います。
「は?」
「意味分かんねーよ」
「だから何が言いたいんだよ」
「お前の説明、全然分かんねーんだよ」
しかし、説明している内容そのものは、決して難しいものではありませんでした。他の部署のメンバーに同じ内容を話せば、普通に理解してもらえる。それなのに、上司だけがいつも「分からない」と繰り返す。
Aさんは最初、これを真に受けていました。言い方を変えてみる。説明の順番を変えてみる。資料を作り直し、さらに詳しく説明する。それでも、返ってくる言葉は同じです。「分からない」。
当然のことです。上司は、理解するために聞いているのではないからです。Aさんがどれだけ丁寧に説明を重ねても、最初からゴールは決まっていました。「Aさんの説明能力を否定すること」、それ自体が目的だったのです。
説明の中身が変わっても、結論だけは変わらない。この一点に、Aさんはなかなか気づくことができませんでした。
まともに答えるほど、相手のゲームに付き合わされる
ここが、この手のパワハラの厄介なところです。
「分からない」と言われる。必死に説明する。また「分からない」と言われる。さらに丁寧に説明する。そのうち、「こんなことも説明できないのか」と、今度は理解力そのものを攻撃されるようになる。
これは、対等な立場での議論ではありません。相手がゴールポストを動かし続ける、一方的なゲームです。だからこそ、まともに付き合っている限り、絶対に終わりません。むしろ付き合えば付き合うほど、「説明が下手な部下」という上司の描いた筋書きを、Aさん自身が補強していくことになってしまいます。
厄介なのは、この構造が本人にはなかなか見えないという点です。目の前で起きているのは、あくまで「説明」と「理解できない」というやり取りに見える。だから、説明する側は、問題は自分の伝え方にあると信じ込みやすいのです。相手が意図的に理解を拒んでいるという可能性は、なかなか視野に入ってきません。
Aさんも、カウンセリングの中で何度もこのやり取りを振り返るうちに、少しずつ違う角度からこの場面を見られるようになっていきました。「私の説明のどこが悪かったのか」ではなく、「なぜ、この人だけがいつも分からないと言うのか」という問いに切り替わっていったのです。
そしてある時、Aさんは決めました。
まともではない相手の言動を、まともに受け取らない。まともではない攻撃に、まともな返しをしない。
ここまで消耗する理由
Aさんは、この時期、体調にも変化が出ていました。上司と同じ会議室に入るだけで、胸のあたりが締めつけられる。発言の順番が近づくと、手のひらにじわりと汗をかく。会議が終わった後も、動悸がしばらく収まらない日がありました。
これは、気の持ちようの問題ではありません。理不尽な攻撃を繰り返し受けると、身体は「また危険が来るかもしれない」という状態を、意識とは無関係に保ち続けようとします。相手が実際に目の前にいなくても、似た状況を思い出すだけで、心拍数が上がったり、呼吸が浅くなったりする。これは、身を守るために備わっている、ごく自然な反応です。
厄介なのは、この反応が、攻撃が止んだ後もしばらく続くという点です。Aさんは、上司が席を外している間や、休日の自宅にいる時でさえ、ふとした瞬間に会議室でのやり取りを思い出し、同じように身体がこわばることがあったと言います。頭では「今は安全だ」と分かっていても、身体の方が、まだ警戒を解いていない。パワハラの被害というと、精神的なつらさばかりが語られがちですが、実際には、こうした身体レベルの反応として、長く尾を引くことが少なくありません。
Aさんがまず取り組んだのは、この反応を「自分が弱いからだ」と責めるのをやめることでした。動悸がする、手に汗をかく、それは異常な状況に対する正常な反応であって、Aさんの人間としての弱さを示すものではありません。この理解があるかないかで、同じ症状に対する自分への向き合い方は、大きく変わってきます。
「私の説明が悪い」という自己批判の重さ
パワハラのつらさは、加害者からの攻撃だけにとどまりません。むしろ、多くの被害者を長く苦しめるのは、その後に始まる自己批判です。
「また分からないと言われた」
「自分の説明能力が低いんだ」
「もっとしっかりしなければ」
こうした言葉を、Aさんは会議のたびに、自分自身に向けていました。上司からの攻撃が一次的な負荷だとすれば、その後に続く自己批判は、いわば二次的な負荷です。そして厄介なことに、この二次的な負荷は、加害者がその場にいなくても、自分一人の力で延々と続けることができてしまいます。
Aさんは、夜になっても、その日の会議のやり取りを何度も頭の中で再生していました。「あの時、こう言えば良かった」「もっと簡潔に説明すべきだった」。眠る直前まで、そうした反省が止まらない日もあったといいます。
しかし、冷静に考えてみれば、これはおかしな話です。相手は、理解するために説明を求めていたのではありません。最初から「分からない」という結論ありきで、Aさんを追い詰めることが目的だったのです。それなのに、Aさんだけが夜遅くまで、存在しない改善点を探し続けていた。加害者は攻撃した瞬間だけ労力を使い、あとは何もしていません。一方の被害者は、攻撃が終わった後も、自分の中で延々とその続きをやらされている。これほど非対称な構図はありません。
自己批判をやめることは、甘えることでも、開き直ることでもありません。誰に対して労力を使うべきなのかを、正しく見極め直すことです。Aさんの説明能力を検証する必要があったとしても、それは信頼できる同僚や、公正な立場の第三者と一緒に行えばよいことであって、理解するつもりのない相手の顔色をうかがいながら、一人で延々と自分を責め続ける必要はどこにもありません。
「課長には難しい内容ですね」
ある日、また上司が始まりました。
「お前さぁ、何言ってんのか分かんねーんだよ」
以前のAさんなら、ここでビクッとして、「すみません。もう一度説明します」と、すぐに謝罪から入っていたはずです。
しかし、その日のAさんは違いました。少し憐れむような表情を浮かべて、こう返したそうです。
「課長には難しい内容ですね。どこのレベルまで落としましょうか」
私はこの話を聞いて、思わず笑ってしまいました。そして拍手。
もちろん、この言葉をそのまま真似してくださいという話ではありません。逆上する相手もいますし、職場での立場や安全性を考える必要は当然あります。同じ言葉が、別の上司には通用しないこともあるでしょう。
大切なのは、言葉そのものではなく、Aさんの中で起きた変化です。相手の攻撃に対して、謝罪ではなく、距離を取った視点で応じられるようになった。この変化こそが、回復の核にあるものです。
「私がおかしい」から「この人、何をやっているんだろう」へ
以前のAさんは、こう考えていました。
「また怒らせてしまった」
「私の説明が悪いんだ」
「もっとちゃんとしなければ」
それが、少しずつこう変わっていきました。
「いや、これが分からないわけがないでしょう」
さらに時間が経つと、次のような見方までできるようになりました。
「また私を潰すために、分からないふりをしているんだな」
相手の言動を、一歩離れたところから観察できるようになったのです。ここは、非常に大きな変化です。
パワハラが厄介なのは、殴る蹴るといった分かりやすい暴力よりも先に、まず「自分の認知」を壊しにかかってくる点にあります。相手の言葉を繰り返し浴びせられるうちに、自分の感覚や判断への信頼が少しずつ削られていく。目の前で起きていることを、自分の目で見たままに評価する力そのものが、じわじわと奪われていくのです。
Aさんが取り戻したのは、まさにこの部分でした。「上司が分からないと言っている」という出来事と、「自分の説明が下手だ」という評価が、決してイコールではないという当たり前の事実を、もう一度自分の手の中に取り戻したのです。
パワハラ加害者を必要以上に「大物」にしない
怒鳴る。睨む。鼻で笑う。「意味分かんねーよ」と吐き捨てる。
こうした態度を繰り返されると、加害者の存在が、実際以上に巨大なものに見えてきます。まるで、逆らうことなど到底できない絶対的な存在であるかのように感じられてしまう。
しかし、一歩引いて見てみると、そこにいるのは、部下を潰すためにわざわざ「分からないふり」までしている大人です。
そう考えると、見え方が変わってこないでしょうか。
怖がるだけではなく、心の中で、「そこまでして人を下げないと、自分を保てないんですね」と、静かに憐れんでもいいのです。相手の言葉を、すべて自分に対する正当な評価として受け取る必要など、どこにもありません。
これは、相手を軽視しろということではありません。安全のために距離を取り、必要な対処を進めることと、相手の言葉を一つひとつ自分の価値の判定として受け取ることは、まったく別の話だということです。Aさんは、この二つを切り分けられるようになったからこそ、職場に居続けながらも、自分を守る余地を作ることができました。
心の中まで、相手の支配下に置かない
Aさんが強くなったのは、上司を言い負かせるようになったからではありません。上司の言葉を「正しい評価」として、自動的に受け取らなくなったからです。
「分からない」と言われても、「私の説明が悪い」と自動的に結論づけない。「仕事ができない」と言われても、「私は能力がない」と、相手の言葉をそのまま自分の評価にしない。そして、「また始まった」と、相手の異常な言動を、相手側の問題として、相手のもとに返していく。
この切り分けができるようになると、同じ言葉を浴びせられても、心の消耗の度合いが変わってきます。以前は、上司の一言で一日中気分が沈み、夜になっても頭の中で同じやり取りが再生され続けていました。しかし、「これは相手のゲームだ」と見抜けるようになってからは、その言葉を受け取る場所が変わったのです。心の一番奥まで踏み込ませず、表面で受け止めて、そのまま相手に送り返す。そういう感覚に近いかもしれません。
記録という、もう一つの武器
理不尽な言動を「相手側の問題」として見られるようになることは、心を守るうえで大きな一歩です。しかし、それだけで状況のすべてが解決するわけではありません。
Aさんは、このやり取りが繰り返されるようになってから、日付と発言内容、その場にいた人を簡単にメモするようになりました。感情的な記述ではなく、事実だけを淡々と書き残していく。これは、いざという時に人事や信頼できる相談窓口に相談するための材料になります。
同時に、この記録には、もう一つの意味があります。書きながら、「今日もまた同じパターンだった」と、自分の中で出来事を整理できるということです。感情のまま記憶に残しておくと、出来事はどうしても歪んだ形で心に刻まれてしまいます。しかし、事実として書き出しておくことで、後から読み返した時に、「やはり、これはおかしいことだった」と、冷静に確認し直すことができます。
心の防衛と、記録という現実的な対処。この両方を持っておくことが、理不尽な状況の中で自分を保つための土台になります。
記録は、いきなり分厚い報告書のような形で作る必要はありません。日付、場所、誰がいたか、相手が何と言ったか、それに対して自分がどう対応したか。この程度の簡単なメモで十分です。大切なのは、完璧な記録を残すことではなく、続けられる形で残しておくことです。Aさんも、最初はスマートフォンのメモアプリに、数行だけ書き留めるところから始めました。それが数週間、数ヶ月と積み重なっていくうちに、後から見返した時に、単発の出来事ではなく、一つのパターンとして相手の言動が見えてくるようになりました。
そしてもう一つ、記録には、自分の変化を確認できるという意味もあります。数ヶ月前のメモを読み返すと、当時は「私が悪いのかもしれない」と書いていたのに、最近のメモでは「またいつものパターンだ」と、淡々とした言葉に変わっている。そうした自分の変化に気づけることも、記録を続ける小さな支えになります。
理不尽なパワハラを受け続けている人に必要なのは、相手の言葉を何でもまともに受け止めることではありません。ときには、すっとぼける。まともに取り合わない。心の中で静かに憐れむ。そして必要な場面では、記録を残し、正式な対処につなげていく。相手が仕掛けてくるくだらないゲームに、毎回律儀に参加する義務など、どこにもないのです。
「この人の言葉で、私の価値は決まらない」・・・
Aさんが、そこまで戻ってこられたとき、パワハラ上司に握られていた心の主導権は、少しずつ、しかし確実に、自分の手の中に戻ってきていました。同じ職場で、同じ上司の下で働き続けながらも、Aさんの内側では、以前とはまったく違う景色が広がるようになっていたのです。
段階を踏んで、少しずつ取り戻していく
こうした変化は、ある日突然訪れるものではありません。Aさんも、最初から憐れむような余裕を持てていたわけではなく、動悸や自己批判に苦しむ時期を長く過ごしてきました。カウンセリングの中で、まずは身体の反応を責めないこと、次に自己批判の声に気づいて立ち止まること、そして少しずつ、相手の言動を観察する視点を育てていくこと。この積み重ねの先に、あの一言があったのです。
途中でうまく切り返せなかった日があっても、それは後退ではありません。理不尽な状況の中で少しでも自分の感覚を保とうとしていること自体が、すでに回復への一歩です。Aさんも、うまく言い返せずに帰り道で涙が出た日があったと話してくれました。それでも、次の週には、また少しだけ相手の言動を落ち着いて眺められるようになっていた。そうした小さな揺れを繰り返しながら、心の主導権は、少しずつ自分の側に戻っていきます。
周囲の反応にも、変化が表れる
Aさん自身の変化は、周囲の反応にも影響を与えていきました。以前は、上司が「分からない」と言うたびに、Aさんが慌てて謝り、説明を重ねる姿を、同僚たちも見ていました。それが、Aさんが落ち着いて対応するようになってから、少しずつ周囲の空気も変わっていったのです。
ある同僚は、後になってAさんにこう伝えたそうです。「あの時のAさんの説明、普通に分かりやすかったですよ」。当たり前のことのようですが、この一言が、Aさんにとってはとても大きな支えになりました。自分の感覚は間違っていなかった。周囲も、同じように感じていた。そのことを、他人の言葉として確認できたからです。
まとめ
パワハラは、被害者を孤立させることで、その力を強めていきます。だからこそ、自分の感覚を裏づけてくれる誰か、たとえそれが一人であっても、周囲に存在するかどうかは、想像以上に大きな意味を持ちます。Aさんの場合、それは同僚の何気ない一言でしたが、家族や友人、あるいは専門家との対話であっても構いません。自分の外側にある視点と照らし合わせることで、相手の言葉によって歪められていた認知を、少しずつ元の形に戻していくことができるのです。
❑職場いじめ、パワハラ・モラハラには構造があります。その構造を知り、被害を根本的に終わらせるための内容をまとめました。800人以上の被害者の支援をしてきて導き出した答えです。
