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「我慢できる自分」をやめたとき、人生は静かに変わり始める─職場いじめに苦しむあなたへ

あなたは今、何かを我慢していませんか。

言い返せなかった言葉。飲み込んだ怒り。誰にも言えなかった悔しさ。「これくらいで傷つく自分がおかしい」と、自分に言い聞かせながら、それでもずっと胸の奥がざわついている。

その苦しさは、消えていません。ただ、押し込められているだけです。

そして押し込めるたびに、あなたは少しずつ、自分の感覚から遠ざかっていきます。何が嫌だったのか、何が怖かったのか、何に傷ついたのか。だんだん分からなくなっていく。感情の輪郭がぼやけていく。やがて、自分が今どんな気持ちなのかさえ、すぐに答えられなくなっていく。

これは大げさな話ではありません。長期にわたって感情を抑え込んできた人に、非常によく起きることです。


「流す」ことは、本当に正解なのか

嫌なことをされたとき、私たちは「気にしない」「忘れる」「流す」ことを目指します。それが大人の対応だと、いつしか信じるようになっています。感情的になることは未熟の証であり、動じないことが成熟の証だと。職場という場所では特に、そういうメッセージが強く流れています。

でも現実はどうでしょうか。

数年前の出来事なのに、あの人の顔を見るだけで体が固まる。廊下ですれ違うだけで心拍が上がる。誰かの何気ない一言で、過去の記憶が一気によみがえる。夢の中にまであの場面が出てくる。職場を離れて何年も経つのに、似たような状況に置かれると、あのときと同じ感覚が体によみがえってくる。

流そうとしているのに、流れない。忘れようとしているのに、忘れられない。これは意志の弱さではありません。心の仕組みによるものです。

感情は、押し込めても消えません。出口を塞がれた感情は、形を変えて内側に残り続けます。フラッシュバック、慢性的な緊張、理由のわからない涙、突然の怒り、根拠のない自己否定。これらはすべて、処理されないまま残った感情が送り続けているサインです。

「流せた」と思っていたものが、実は流れていなかった。ただ、見えないところに押しやられていただけだった。そのことに、ある日突然気づかされる瞬間が来ます。多くの場合、それは職場が変わったあと、安全な場所に移ったあと、ようやく体が緊張を解いたときです。安心できる場所に来てはじめて、長年押し込めてきたものが、一気に表面に出てくる。「なぜ今さら」と本人は戸惑います。でも、それは遅れてきたSOSです。やっと出てこられた、ということでもあります。

我慢して流してきたことは、正解ではなかった。少なくとも、根本的な解決ではなかった。このことをまず、正直に認めるところから始める必要があります。

あなたを苦しめているのは「相手」ではない

少し厳しいことを書きます。

あなたを長く苦しめているのは、実は相手の言葉そのものではありません。そのとき感じた悔しさ、悲しさ、怒り、屈辱を、「感じてはいけないもの」として扱い続けてきたことです。

「こんなことで傷つく自分が悪い」
「気にする自分が弱い」
「もっとうまくやれれば傷つかなかったはずだ」

そうやって、相手ではなく自分を責め続けてきた。

これが、傷を長引かせる最大の原因です。

加害者は一度だけ傷をつけます。でも、自己否定は毎日繰り返されます。「あんなことで傷ついた自分」を責める声は、加害者がいなくなった後も、自分の内側から聞こえ続けます。気づけば、加害者よりも長く、深く、自分自身が自分を傷つけている。

なぜそうなるのか。それは、「傷ついた」という事実を認めることが、「負けた」という感覚と結びついてしまっているからです。傷ついたことを認めれば、自分が弱いということになる。弱いということは、あの人に言われたことが正しかったということになる。だから認められない。認めないために、「気にしすぎだ」と自分に言い聞かせる。

でもこれは、論理のすり替えです。傷ついたことと、あなたが弱いこととは、まったく別の話です。理不尽なことをされて傷つくのは、至極当然の反応です。それを「弱さ」と呼ぶのは、加害者側の論理を内面化してしまっている状態に過ぎません。

傷ついた自分を責めることは、自分を守っているようで、実は自分をさらに傷つけています。そしてその傷つけは、加害者がいなくなった後も、誰にも見えない形で、静かに続いていくのです。

感情を処理しない限り、記憶は終わらない

半年前、会社員の30代の女性がカウンセリングに訪れました。職場いじめ被害を受け始めてから3年が経っている状態でした。すでに職場は変わっていました。加害者とも会うことはない。環境は改善されている。それなのに、夜になると動悸がして眠れない日が続いていると言いました。

「もう終わったことなのに、なんでこんなに苦しいんでしょう」と彼女は言いました。

終わっていなかったのは、出来事ではなく、感情でした。

あのとき感じた屈辱を、「こんなことで傷つく自分がおかしい」と否定した。あのとき湧いた怒りを、「怒ったら大人げない」と飲み込んだ。あのとき流れそうになった涙を、「職場で泣くわけにいかない」と止めた。あのとき叫びたかった言葉を、「言っても状況が悪くなるだけ」と封じた。

それらはすべて、未処理のまま残っていたのです。

別の言い方をすれば、心はあの出来事をまだ「現在進行中」として処理していた。感情が処理されていないから、記憶が過去に収まらない。何かのきっかけで扉が開くたびに、あの感情が「今」として押し寄せてくる。

フラッシュバック、モヤモヤ、慢性的なストレス、根拠のない自己否定。これらはすべて、未処理の感情が出口を求めているサインです。体や心が、「まだここにあるよ、見てくれ」と訴え続けているのです。

だから必要なのは、忘れることでも、強くなることでもありません。一度、立ち止まることです。あのとき感じたことに、今から向き合うことです。遅すぎることはありません。感情に時効はないからです。

本当に必要なのは「感情への対応」である

では、何をすればいいのか。

やることはシンプルです。ただし、ほとんどの人がやっていないことです。

それは、自分の感情をそのまま認めることです。

「あの言い方は嫌だった」
「正直、すごく傷ついた」
「悔しかった」
「怖かった」
「屈辱だった」
「あんな扱いを受けて、本当に惨めだった」

これを否定せずに受け止める。評価も、正当化も、解釈もいりません。ただ、そう感じた自分を、そのまま許す。

これが難しいのは、私たちが長年「ネガティブな感情は持ってはいけない」という刷り込みを受けてきたからです。怒ることは大人げない。傷つくことは弱い。悲しむことは迷惑だ。職場では感情を出すな。そういうメッセージを繰り返し受け取ってきた結果、感情を感じることそのものへの罪悪感が生まれてしまっています。

特に、職場いじめやパワハラの被害者は、この罪悪感が強い傾向があります。「私がもっとうまくやれれば」「私の受け取り方が悪かったのかも」という自責の習慣が、感情を認めることへのブレーキになっています。感情を認めることは、「自分は被害者だ」と主張することのように感じられて、それが恥ずかしいような、みっともないような気がしてしまう。

でも、感情に良い悪いはありません。怒りも、悲しみも、屈辱も、それを感じたという事実があるだけです。そしてその事実を認めることは、感情に飲み込まれることとは違います。「私はあのとき、ひどく傷ついた」と静かに認めること。それだけでいい。

認めることで、感情は初めて動き始めます。出口を与えられたとき、初めて流れていきます。押し込めている間は動かなかったものが、「あった」と認めた瞬間から、少しずつ変化し始めるのです。

「自分を大切にする」の正体

よく言われる「自分を大切にしましょう」「自分を愛しましょう」という言葉は、抽象的で分かりにくい。何をすればいいのか、ピンとこない人が多いのも当然です。好きなものを食べること、ゆっくり休むこと、そういうことを想像する人が多いかもしれません。それも大切です。でも、もっと根本的なところに、見落とされていることがあります。

自分を大切にするということの本質は、自分の感情を否定しないことです。

どんなにネガティブな感情でもいい。怒っていい。悲しんでいい。悔しくていい。傷ついていい。惨めに感じていい。そのすべてに対して、「それだけのことをされたんだから、当然だ」と認めること。

これが、本当の意味での自己尊重です。

逆に言えば、感情を否定し続けることは、自分を尊重していないということです。どれだけ他者に優しくしても、どれだけ職場で頑張っても、自分の感情を「おかしい」「弱い」「気にしすぎ」と否定し続けている限り、自己尊重は育ちません。土台のないところに、何を積み上げても崩れていきます。

自分の感情を裏切らないこと。それが、自分を大切にするということの最も具体的な姿です。言い換えれば、自分の感覚を信頼するということでもあります。あの言い方は嫌だったという感覚。あの扱いはおかしかったという感覚。その感覚は、あなたの弱さから来ているのではなく、あなたの健全さから来ています。その感覚を「正しかった」と認めることが、自己尊重の出発点です。

ここで人生が分岐する

感情を認めるプロセスを通ると、何が起きるのか。

不思議なことに、相手の存在が「現在」から「過去」に移動します。同じ人に会っても、以前のように心が揺さぶられなくなる。あれほど頭の中を占領していた記憶が、少しずつ遠くなっていく。思い出すことはあっても、引きずられることがなくなっていく。

なぜか。感情の処理が終わったからです。

先ほどの女性は、5回のカウンセリングセッションを経て、こんなことを言いました。「あの人のことを思い出しても、前みたいに胸が苦しくならなくなりました。なんか、遠くなった感じがします」と。

出来事は変わっていません。過去に起きたことは変えられません。でも、感情が処理されたとき、記憶との関係が変わります。記憶が「現在の苦しさ」ではなく、「過去の出来事」として収まっていく。それがあの人に起きたことでした。

逆に言えば、処理していない感情は、ずっと現在に居座り続けます。出来事はとっくに過去になっているのに、感情だけが今もそこにある。だから、何年経っても、何かのきっかけで一瞬にして「あの場所」に引き戻されてしまう。フラッシュバックとはそういうものです。記憶の問題ではなく、感情の問題なのです。

感情を処理することで、記憶は過去に帰っていきます。そして過去に帰ったとき、それはもうあなたを縛るものではなく、あなたが経験してきたことの一部として、静かにそこにあるものになっていきます。

「我慢できる自分」をやめるということ

我慢できる自分は、ある意味で誇らしいものです。どんな理不尽にも耐えられる。感情を表に出さずにいられる。崩れずに立っていられる。それは確かな強さです。長年そうやって自分を支えてきた。だからここまで来られた。それは本当のことです。

でも、その強さが自分を守るためではなく、自分を消すために使われているとしたら、どうでしょうか。

我慢することで、感情を感じる自分を黙らせている。我慢することで、傷ついた自分の存在を否定している。我慢することで、「本当はつらい」という事実を、なかったことにしている。その我慢が積み重なるとき、消えていくのは苦しさではなく、あなた自身の感覚です。

何が嫌なのかが分からなくなる。何が楽しいのかも分からなくなる。怒っているのか、悲しいのか、ただ疲れているのかも、判別できなくなっていく。感情の解像度が落ちていく。それが、長期にわたる我慢の本当のコストです。

我慢をやめることは、弱くなることではありません。自分の感情を正直に受け取り始めることです。「つらい」と感じたとき、「つらい」と認めること。「傷ついた」と感じたとき、「傷ついた」と認めること。「怒っている」と感じたとき、「怒っている」と認めること。ただそれだけのことです。

でも、長年それをしてこなかった人にとっては、それが最初の、そして最も大きな一歩になります。

今日、自分にかける一言

職場いじめやパワハラは、決して軽い問題ではありません。そして、傷ついたあなたが弱いのではありません。理不尽に対して心が反応できるだけの健全さを持っている証拠です。傷つく力は、感じる力です。感じる力を持っている人だけが、本当の意味で回復することができます。

だからこそ、まずやるべきことは一つです。戦うことでも、我慢することでもない。自分の感情を、裏切らないことです。

もし今、人間関係で消耗している、過去の出来事に苦しんでいる、自分を責め続けてしまっているなら、まずは今日一度だけでいい。誰かに打ち明ける必要はありません。誰かに認めてもらう必要もありません。

ただ、自分の中で、自分にこう声をかけてみてください。

「つらかったよな」
「よく耐えてきたよな」
「あれは、おかしかった」

その一言が、あなたを責め続けてきた声に対する、最初の抵抗です。誰かに認めてもらう前に、まず自分が、自分の苦しさを認める。あなたが感じてきたことは、確かにあった。それを、あなた自身が最初に証言する。

それが、回復の本当の入り口です。そしてその入り口を、あなた自身の手でしか、開けることはできません。

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