【SIDE: 愛音10.6】
玄関に入る。ガシャン、と重そうな音がして扉が閉まり、ピーッ、ガチャリ、とオートロックが掛かった。
嘘・・・これがマンションの玄関?なんでこんなに広いの。天井高過ぎない?
「そこで靴脱いで、スリッパ履いて」
そよさんが来客用と思しきスリッパを出してきて、スッと足元に置いてくれる。
「あ・・・ありがと」
私はスリッパに履き替えて、そよさんに付いて歩いていく。そよさんがドアを開ける。リビング・・・これがリビング?ホールみたいに広い上に、吹き抜けで螺旋階段まであるよ?ここマンションだよね・・・?
「そこに座ってて。飲み物くらい出すから」
そよさんは、リビングの奥の方にあるスタンドアローンのオープンキッチンへ向かう。
「あ・・・うん」
傾きかけた太陽が柔らかく差し込む、窓際のソファに私は腰掛けた。ぐるりと室内を見回す。
「・・・高級ホテル過ぎて、生活感ゼロじゃん」
思わず声が漏れる。だって、整い過ぎてるんだもの。埃ひとつないし、ダイニングテーブルには手入れされた花が飾られていて、ナプキンが置かれていて、ホントにホテルみたい。何もかも決まった通りにカッチリと配置されていて、揺らぎが見えない。人が生活していれば、何かしらのクセが空間に出るものだ。それが全く感じられない。お手伝いさんでもいるのかな。毎日完璧に部屋を整えてくれているんだろうか。
そよさんが、トレイにカップを2つ乗せて来た。
「・・・まさか一人暮らしとか?」
思わず私は訊いた。
「母親と住んでる」
そよさんはカップを私の前に置きながら答える。
「あ、ありがと・・・」
紅茶の香り。あ、これ知ってる。そよさんと初めて会った時に、お揃いで頼んだヤツだ。アールグレイ。
カップを手に取って、一口。もう、紅茶に砂糖はいらない。いい香り。丁寧に淹れた紅茶は、砂糖なんかなくても美味しいって知った。そよさんが向かいのソファに腰掛けて、紅茶を啜る。
母親と住んでる、けど、この時間に家にいないのは普通のことなんだろう。つまりそよさんは、この空間に一人でいることが当たり前だ、ということか。こんな漂白されたような空間に。
不意にそよさんが口を開く。
「よく私と話せるね。全部聞いたんでしょ?」
聖母のようだったそよさんは何処へやら。目の前にいるのはただ感じの悪いJKだ。声のトーンからして全然違う。私は答える。
「聞いたよ。ムカついたけど、そよさんもニンゲンなんだなぁって思って」
「は?」
「裏表すごいし、嘘吐きまくりだし、意地悪いところとかあるでしょ?」
「喧嘩売ってるの?」
眉間に皺を寄せてそよさんが言う。本気でムカついてるな、これ。こんなそよさんは初めて見る。ま、ここまでされたんだから嫌味の一つも言わせてよね。
「迷子なんだって?」
「はぁ?」
そよさんは私を睨み付ける。
「燈ちゃんが言ってたよ」
「何それ?」
「燈ちゃんは待ってる」
みんなを。私のことも、そよさんのことも。私は、燈ちゃんと一緒に行くよ。だって、迷子のままでも進むって、私が言ったんだ。
私は紅茶のカップを置いて、立ち上がる。そよさんを見下ろす。私は、もう、決めたんだよ。いつまでも立ち止まってはいないって。
「あんたが私をいらないって言おうが、私はやるけど」
会心の一撃。どうだ、そよさん。
「・・・見栄で始めたクセに」
「そうだよ。私たちが始めたバンドじゃん」
ガチャン、とそよさんはカップをソーサーに叩き付ける。そんなにしたら割れちゃうよ。高そうなカップなんだから、大事にしなよ。
そよさんは立ち上がって、キッと私を睨む。だいぶ刺さったかな。
「・・・だったら、私が終わらせてあげる」
掛かった。そよさんは、来る。私はにやけそうな表情筋を必死に抑える。無表情を装ったままカバンを取って、肩にかけた。
「紅茶ごちそうさま。美味しかった」
「・・・」
そよさんは無言で私を見ている。
「次の燈ちゃんのライブは明日だよ。2番目だったと思う」
私はそう言い残して、そよさんの家を後にした。
