【SIDE: 凛々子10.2】
燈ちゃんのリハは本当にあっさりで、上手から出てセンターへ、マイクを手に取って、ピンスポが当たって・・・だけを確認して、それで終わった。
いや、終わりにした。
それだけでよかった。それ以上は必要なかった。燈ちゃんのやりたいことは、本番一回きりで出し切るべきだと思った。だからこそ、敢えて何もさせず、立ち位置とタイミングだけのチェックに留めた。
…
17:30になった。燈ちゃんの出番だ。私はPAブースにいた。舞台袖のスタッフに促され、燈ちゃんが上手から歩いてくる。ここでマイクのフェーダーをスッと上げる。
緊張した面持ちで、マイクスタンドからSM58を手に取る。一瞬マイクがハウって、燈ちゃんはビックリしてた。ポケットから、多分原稿だろう、何か折り畳まれた紙を取り出した。スタッフがスタンドを回収すると、少し驚いたように体をビクッとさせた。
はぁ、と小さなため息をマイクが拾う。普通はここはフェーダーを下げておくところだろう。でも、燈ちゃんの戸惑いと覚悟、その全てをマイクに乗せておきたいと思ってしまった。だから敢えてそのままにした。
急に捻じ込んだオープニングアクト。客はまばらだ。一人でオドオドとステージに立つ燈ちゃんを見て、首を傾げて出ていく人もいる。
燈ちゃん。大丈夫?行ける?
何が始まったのか、という空気。客席は明らかに戸惑っている。燈ちゃんは、手にした紙を開いた。
スポットライトが、頭上から燈ちゃんをポワッと照らす。燈ちゃんが俯いたまま語り出す。ぽつりぽつりと、消え入りそうな小さな声で。
ちっぽけな僕
いつもぐちゃぐちゃ 人の声は遠くて聞こえない
近くの人の気持ちもわからない
僕はにんげんじゃありません
僕には世界が遠くて ひとりぼっちの星をぐるぐるぐるぐる
精一杯背伸びしたって 人間になれなかった
春の陽だまりは夏の日差しにかきけされて
あの日々はアスファルトに潰れたトカゲのように干からびてしまった
石の下に隠れたダンゴムシのままでいたい
もう誰にも見つけてほしくない
だけど 歌を歌わなくちゃ
傷つけたくなかった 手を離したくなかった
ごめんなさい大切な人
伝えたい思いは いつも喉が張り付いて声にならないから
せめて残したい この歌を
しばし間があって、燈ちゃんはペコリと小さく頭を下げて、下手側にゆっくりと歩き始めた。ピンスポが消える。マイクのフェーダーをゼロにする。ステージは真っ暗になり、燈ちゃんが下手に消えると、まばらな客たちがボソボソと口を開く。
「・・・何だったの?」
「わかんない・・・朗読?お芝居?」
「にんげんじゃありません、って・・・」
「何が言いたかったんだろう・・・」
「誰かに向けたメッセージ・・・?」
そうなるよね。こんなの、見たことないもの。
でも私は、燈ちゃんの覚悟に感じるものがあった。辿々しいながらも、自分の思いをまっすぐ表現する決意を感じた。届いてほしいな、と思った。
次のバンドのBGMのフェーダーをゆっくり上げて、ほんのり聞こえるくらいの音量にする。なんとなく、この余白をできるだけ壊したくなかった。
やっぱり、バンドに何かあったんだ。それは間違いなさそう。楽奈ちゃんがいるバンドのことだから、どうしても気になってしまう。バンドが本当の意味でバンドになるのは、簡単なことじゃない。本気であればあるほど。それは私もよく知っている。
その日のライブは、冒頭の戸惑いを除いてはいつも通りに盛り上がった。最後のバンドが演奏を終えてステージから捌けて、客電が明るくなってライブの終わりを告げる。SEのフェーダーをぐいっと上げて、いつものようにアナウンスをかける。
「本日の公演は全て終了しました。お忘れ物のないようお帰りください」
…
ステージの片付けは若い子達に任せて、私は明日の予定をチェックしに一階のカウンターへ向かう。ふと見ると、カウンター近くのベンチに燈ちゃんが座っていた。
「あ、燈ちゃん!お疲れさま」
ハッとしたようにこちらを見て、燈ちゃんは立ち上がった。
「お・・・あ・・・あの・・・」
「ん?どうしたの?』
「・・・ライブ・・・」
あ、今日のライブのこと?聞いていてどうだったか気になるのかな。まぁ・・・お客さんのリアクションはほぼなくて、何が起こってるのかって感じだったしね・・・ちょっとフォローが必要かな。
「今日のライブ?私は良かったと・・・」
「ライブ・・・また・・・やる」
「・・・え?」
「・・・次・・・いつ・・・できますか」
驚いた。次?この子は・・・
「何回でも・・・できるだけ・・・やる」
「・・・」
「・・・届くまで・・・やる」
じっと私の目を見る。静かだけど、真剣だった。強い意志を感じた。この子、本気だ。
「・・・わかった!スケジュール見てみるね」
