てるみんの人生放浪記~家族だけに頼らない居場所を探して #001
イントロダクション
このノートは自分自身の人生を振り返り、離れて暮らす息子たちの為に記すためのものです。センシティブな内容も含まれていくので一部有料でお届けする予定となっております。人生4クール目のてるみんがお届けする人生放浪記がなりたっているのは、ひとえに今まで出会ってくれた友人たちや仲間のおかげ様です。そしてこんな人生だったからこそ今の仕事をしています。
昨年85歳で父が亡くなりましたが結構やらかしてくれている父です。
あたしは、両親だから大切にしなければならないとか、感謝できないと大人じゃないなんてキレイごとは決して言いません。これから一つ一つ人生をひも解いて心の整理をしていこうと思います。
お時間許す方は是非お付き合いください。
また、スキやコメントは励みになるので共感した方はリアクション頂けると激しく喜びます。
生い立ち
1970年7月。3人兄弟の長男である父と、同じく3人兄弟の長女である母との間に4人兄弟の一番上の長女として川崎市にて産まれました。
ただ、普通と違っていたのは・・・奥様は魔女だったではなく、
母は日系アメリカ3世でした。(ダーリン大好きでした)
丁度、梅雨もあけて熱くなる頃に生まれたので、父方の祖母の別荘が軽井沢にあり、産まれて自宅へ直行ではなく「軽井沢の別荘へ直行」です。
当時は、祖父所有の自宅兼アパートの一室に住んでおり、風呂なしアパート。弟が産まれたかどうかのタイミングで、祖母が鷺沼の土地を買ってくれてそこで暮らしていたので3歳の初節句は鷺沼に住んでいました。
父母どちらにとっても女の子の初孫とあって、ジジババフィーバーはすさましく、7段飾りのひな人形の支払いをめぐって、
「私・僕がお金出すから!」と札びらが舞っていたのにも関わらず、貰ったお金を余らせてひな壇を買い残りは小遣いにするような父でした。
トイレで大泣き!初家出の決意
あたしには、2歳・5歳・6歳下の兄弟が三人おりますが、基本的に弟や妹が生まれる度に父の姉である「田園調布の叔母さん」宅へなぜかあたしは預けられていました。(うちお手伝いさんもいたんですけどね)
実家で朝ごはんなんて素敵な記憶がないのですが、田園調布の叔母さんところでは、朝はパンにバター&ミルクティという生活。
従弟の兄貴たちと「仮面ライダー」ごっこが大好き。叔父さん・叔母さんどちらも一級建築士でマンションの建築模型を作ってる家庭だったので、ジオラマづくりに興味深々。
「なんであたしのけ者にされなきゃならないの?」と疑問が吹っ飛ぶかのように、叔母さんちは楽しかったのです。(図書館も良く行ったなー)
一方で自宅にいて母との記憶があまりなく、覚えているのがラジオでよく聞いたベストヒットUSA?ビルボード?ゆえに、変に70年洋楽は耳慣れしております。ABBA・カーペンターズ・クリストファークロスあたりかなぁ。
テレビはセサミストリート、奥様は魔女、世界の料理ショーは基本的に英語で流れていた気がします。というのも、日本語があまり得意でなかった母は弟を英語で育てていたため、「家族の中に居場所がない」と感じ始めたのが3歳のころだから決意したんだと思います。
→あ、というわけで英語にコンプレックスありまくりです。
こんな家とっととでてってやる!
「こんな家とっととでてってやる」
そして、ただ泣いてるだけではないのがてるみたん。
有馬1丁目の自宅から旧246を歩いて数百メートルの鷺沼駅方面へ。
そこで鷺沼交番で補導されるわけです。
母は小学校5年生から短大を出て就職・結婚するまでサンフランシスコ・サンノゼで生活していたため、
「子供を一人で放置するのは犯罪」だと確かそう本人が言っていたので、
もしかしたら3歳ながらも母を犯罪者にしたかったのかもしれません。
次回は、小学1年生の決意!
「これから自分の力で人生を切り開いていかなきゃ!」編の予定です。
波乱万丈の始まりはこの当時からあり、親になんとかしてもらうというより、自分でまさに戦ってきた小学生時代。
この話が面白いと思ったかたは、是非スキ&コメント頂けると励みになりますので、フォローともどもよろしくお願いします。
また、こんな人生だからやっている?オンラインワークショップは4月26日スタート。一緒に人生見つめなおしたい方は是非どうぞ。
