「ありがとう」は人を柔らかくする言葉。
当たり前は当たり前じゃないけど、当たり前を当たり前にできる人でいたい。
ありがとうって、たぶん魔法だと思う。
コンビニでも「ありがとうございます」って言う人って「素敵だなぁ~」って思います。
だから私も店員さんに元気な声と大きな笑顔で「ありがとうございますぅ~」って言うんです。
そうすると、少し自分が素敵な人物に近づけるんじゃないかと思うんです。
別にそんな派手にドカーンと発する言葉でもないし、その言葉を放った瞬間に世界がキラキラキラーンと変わるわけでもない。ひみつのアッコちゃんとか、ふたりはプリキュアとか言葉にして振り撒いたら、みんなが変身してしまうなんてこともないわけだ。
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本田健さんに選んでいただきました。
ありがとうございます。
#ハッピーライティングマラソン
「感謝」って。別にキラキラしてるわけじゃないし、 言った瞬間に世界が変わるわけでもない。現実的に一番近いものでいったら、秋葉原などのメイド喫茶での萌え萌えきゅんら辺が同じ匂いがする。
ありがとうと萌え萌えきゅんはほぼ一緒だと思っている。多分。
世界を救う力があるわけでもない。でも、確実に“何か”がいい方向へズレる。
少しだけ空気がやわらぐ。
ほんの少しだけ、心のモヤが引っ込む。
それだけなのに、その「少し」が徐々に、しかし確実に効いてくる。スパイスのようなもの。
昔から、この言葉は好きでした。
綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、好きな言葉をひとつ教えてくれって言われたら、それは「ありがとう」だ、と答えるでしょうね。
「ありがとう」とか「感謝の言葉」を雑に扱う人って、言葉じゃなくて自分を雑に扱ってると思うんです。
自分が誰かから何かをもらってることを、認めたくない気持ちとか、誰かに何かを与えることに抵抗があるとか、そういう感情があるから言えないんじゃないかって。
ありがとうって、相手のための言葉だと思ってたけど、自分の中の”つっかえ”をなくす力がある。
強がりとか、意地とか、
「自分ひとりでやってる」っていう勘違いとか、
そういう固まった思考を少しづつ解いていく。
状況を変えるのではなく、その状況の”見え方”を変える。
だから、素直に言えない人が意外と多い気がするときがある。
私は昔から、この言葉が好きだった。というか、言わない人信じられへん!!という感じである。
綺麗ごとではなく、本気でそう思う。
ありがとうが言えない人間は正直信用できないといっても過言ではない。
ありがとうって言った瞬間、
「助けられてたんだな」って認めることになるから。みんな迷惑かけて過ごしてんだからええやんって感じなのに。
ありがとうって、相手のための言葉だと思ってたけど、実際救われるのは、自分の中の”曖昧な感情”だった。
あと、ひとつ気づいたことがある。
ありがとうとは、過去を肯定する言葉でもある。
「あの出来事、無駄じゃなかった」って、「あのときの決断は正しかったんだ」って、あとから自分に言ってあげるための合言葉のようなものでもある。
うまくいかなかった日も、遠回りした時間も、誰かに救われた瞬間も、偶然から生まれた出会いにも、全部まとめて「オールオッケー」と思わせてくる。
ありがとうって言った瞬間、
「この人に助けられた」って認めることが頑固な頭を柔らかくほぐす。
言われた側が救われるのはもちろん、言った側の自分も、次に誰かに会うとき、少しだけやわらかくなっている気がする。
不完全なまま、誰かに触れながら、進んでいけることを柔らかく認めるための言葉なんだと思う。
ありがとうって、軽く言えるけど、それが積み重なると、ものゴッツ重たく、巨大なパワーを持つ。
押しつぶすための重さではなく、ちゃんと地面に着地させてくれる重さ。
余裕ができたから生まれるんじゃなくて、
余裕がないときだからこそ、勝手に出てくるものなんだと思う。
だから今日も、誰かが伝えたありがとうで誰かの心が救われてる。
ありがとうって、魔法みたいだ。
そして、ありがとうは連鎖する。
派手ではないのに、しっかりと響く言葉。
どこかで誰かの”ほんの少し”を動かせたら、
それだけで、もう十分。

今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
