選ぶ強さとは、全員受容とは違う。2026.8.17.更新🗒
心が弱ってるとき、判断も弱っている。
私は、心が極限まで弱っていたとき、誰とでも仲良くしていました。みんなと仲良くなんて、とても素敵な言葉に見えますが、合わない人とまで合わせて仲良くしていました。そういうことではないのに。
心が弱っているときは、自分自身の心の試練に耐えきれず、誰とでも仲良くして、”みんな平等”という名の”現実逃避”をしていました。自分で書いていて耳が痛い。
本物の信じる力は、孤独を耐え抜く強さから生まれると思っています。心が弱りきって様々な物事を無理してるにも関わらず、私は誰とでも仲良くするという偽りの善。”全員受容”だと言って、偽りの笑顔を振りまいていた。
自分の意思はなかったかもしれません。その中でも、素敵な人たちにも囲まれていたのに、それに気づけませんでした。
真の自由とは”選ぶ”ことであり、「誰とでも」は「誰も選ばない」という偽りの自由。逃げるための口実でもあると、イマでは思っています。
心が弱ると、物事を白か黒で決めてしまう傾向があった。だから、判断力は低下して、その場しのぎの承認欲求を満たす行動を優先するらしい。それが誰とでも仲良くする。私がまさにこれで、自分は優しさから仲良くしていたのかと思ったけど、歪んだ優しさも混ざっていたようだった。
そして、離れていった人間にたいする不信感が生まれていった。短期的な安心を求めた結果だろう。
心が弱っているときは、人間関係の判断・拡大を一時的にやめて、孤独を楽しむ時間を確保したほうがいいと学びました。私はそれでだいぶ快復しました。
”誰とでも仲良く”は”本当の自分”を消す行為だった。無理な社交は疲弊を招いていた。それにより、本当の意味の休息が取れなくなっていた。
弱ってる時は、”誰とでも仲良くしない”勇気こそが、”本当の強さ”への第一歩だと思います。孤独な時間の確保を怠った結果、変な方向へと進んでいってしまっていた。私はnoteに救われたと言っても過言ではないです。結果的にですけど、noteをやってる時間が人間関係の拡大を抑えていた。
心に悩みを抱えたら、拡大はせず、イマ在る関係に頼りたい。



今日も読んでいただきありがとうございます。
では、また次の記事で。
素敵な一日を。
