「人間らしい文章」を残すための、私なりの書き方。AIで記憶を掘り起こす。
見る角度によって、視点は変わる。
私は最近、文章の書き方を少し変えました。綺麗に整えることを目指すのではなく、あえて人間らしい揺れや迷いを残すようにしています。なぜなら、どれだけ読みやすくても、どこか”誰が書いても同じ”と感じる文章が増えた気がするからです。
もちろん、整った文章が悪いわけではありません。ただ私は最近、完成された文章よりも、悩みながら書かれた文章のほうが心に残るようになりました。
※この記事は約8600文字です。
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この記事では、
・なぜ綺麗すぎる文章に違和感を覚えるようになったのか。
・AIをどう使えば自分の文章になるのか。
・経験をどう文章に乗せるのか。
・そして、時間を味方につけて文章を育てる方法。
そんな、私なりの「人間らしい文章」との付き合い方を書いています。
この記事で紹介する内容は、「これをやれば誰でも同じように書ける」という方法ではありません。
私自身が文章を書き続ける中で試行錯誤し、イマのところ一番しっくりきている考え方です。
人によって合う・合わないはあると思いますし、同じことを実践しても同じ結果になるとは限りません。もしかしたら、すでに多くの方が実践されていることかもしれません。
それでも、もしイマ、「文章がなんとなく整いすぎる」「自分らしさが分からなくなってきた」と感じている人がいるなら、この経験が何か一つのヒントになれば嬉しいです。
※「時間を味方につけて文章を育てる方法」は、もしかしたら、自分のリズムを大切にしたい、というかたには、向いてないかもしれません。
結局のところ、文章は単語と単語を繋ぎ合わせたもの。人はたった一つの単語からでも、過去の記憶を思い出すことがある。AIの誕生により、一つの単語から複数の視点や連想が導き出されるようになった。そのおかげで、単語と過去の記憶との共通点を見つけやすくなり、忘れていた記憶まで自然と思い出せるようになった気がしている。
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第1章:綺麗な文章への違和感。
最近思うのだけど、文章が整いすぎているというだけで、流し読みの対象になりませんか?
文章を書く人や読む人が増えたからでしょう。誤魔化しがきかない時代に突入した。勿論、極端な話ですが、私自身もそう感じたとき、流すように文章を読んでる時があります。なので整えるけど、荒めの”殴り書き”の文章を意識して残すようになりました。
これが正解とかはよく分からないけれど、殴り書きした文章を、意味は伝わりやすく整えて出すのが、私のベスト。自分でいうのもなんだけど、前よりは温度が乗っかりました。
イマって、綺麗で整った文章が加速してる。ゆっくりではなく、もの凄い勢いです。時代の流れが早すぎる。この”加速”ってところが厄介だ。もし”徐々に”だったら、気づけない人は気づけないと思う。しかし、加速してるから、その違いは如実に表れる。自分も見逃してることがたくさんあるけど、そんな私でも、「違和感」「モヤっと感」はある。
特に現代では、敏感な人も急加速して増加してるときてる。繊細な人が多い。SNSの普及からそうなったのだろうか。だから”自然に見える”綺麗な文章が違和感を帯びるようになった。
読みやすい文章は素晴らしい。
でも私は最近、綺麗な文章を読んでいるはずなのに、どこか引っかかる感覚を覚えることが増えた。
感性が鋭い人は、黙って見抜いてる。わざわざ本人には言わない。AIではなくても、AIっぽいと見られる時代になってきてるのではないか、と考えている。
読みやすい。整ってる。賢そう。専門用語。横文字。でも流し読みしてしまう。むず痒くなってしまう。読んだあとに、誰の文章を読んでたのか分からなくなる。勿論これも、人の文章にイチャモンをつけたいわけではない。しかも、これが癖づくと、自分の文章なのに、どこか他人の文章のように見えてしまう。
ただ、自分が心配性だから自分自身を悔い改めるためにここに残します。自分もそう思われてるかもしれない。「読みやすいけど流した」と言われないように。
元から文章がうまい人も、少し雑にするくらいが丁度いいのかなと思ったり。中途半端に文章がうまくて、温度が消えてると「その他大勢」に埋もれてしまいそうだなと思った。少しでも卓越したものを手に入れたい。
イマは、情報だけではなく、人それぞれの感情の形や、どう表現するかの迷い、「です・ます・でした・思った・なのだ・」の揺れもそう。「言語化できてない部分」をあえて、そのまま書いたりしてる。そういうの求められてるんじゃないかと思ってる。”めっちゃ楽しい”とかを、あえて計算して、そのまま出したりして楽しむ。
「もっとしっかり言語化しろよ」にあえて逆らう。
だから、
「まだ整理できてないけど」
「なんか違和感があるな」
「うまく言えないけど」
「こんな感じかな?」
みたいな、書いてる本人も、疑問形で終わってるかのような文章に、人間っぽさを感じて惹かれてる自分がいる。
その文章の答えを読者が参加型で、一緒に考えてる感覚になることがある。イマって、一緒に考えたい人多いですよね?
共感した部分と、そうではない自分の考えを残したいという、人間の欲求が表れることがある。
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【関連記事:考える人】
全部まとまってる文章より、考えてる途中の文章のほうが安心する時がある。完成されてない文章。完成された人間の言葉より、イマ悩みながら書いてる人の言葉のほうが近くに感じる。そこは好みかもしれないけど、私は未完成なものがスキ。
第2章:私が文章の出し方を変えた理由と、私が実際にやっている方法の話です。
これは、私が普段使っているAIとのやり取りをもとにした方法です。なので、皆さんの環境で同じ結果になるとは限りません。もしかしたら、「そんなのもうやってるよ」という方もいるかもしれません。それでも、私がなぜこの書き方にたどり着いたのか。その経緯を書いてみようと思います。
私は最近、AIに文章の「樹木の幹」だけ作ってもらい、そこから自分で「枝葉」を生やすような書き方をしています。
やり方はシンプルで、
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