雷舞ノ巫女(ライブノミコ)オロチ編第1話「神さま、シンデレラになれますように!」
【あらすじ】
神の声が届かなくなった時代。
人々の祈りを取り戻すため、神々は「アイドル」という現代の光に目を向けた。
神と人、人と人が歌によって結ばれた祭典から、数か月。
高校二年生になった天野陽菜の前に、大阪から一人の転校生が現れる。
彼女の願いは、ただひとつ。
「シンデレラになりたい」
まだ誰も知らない。
その小さな願いが、数千年前の神話を再び動かし始めることを。
「シンデレラになれますようにっ!」
その声は、拝殿の鈴よりよく響いた。
東京、千代田区。
大通りから少し入ったところにある、古い小さな神社。
境内には長い年月を経た木々が立ち、石畳の向こうには拝殿と小さな神楽殿がある。
その拝殿の前で、一人の少女が両手を合わせていた。
大阪から東京へ引っ越してきて三日目。
明日から、高校二年生として新しい学校へ通う。
彼女の名は、姫宮瑠璃。
「どうか、うちをシンデレラにしてください!」
二度目は、さらに大きかった。
少し離れたところにいた若いカップルが振り返る。
女性が口元を押さえた。
男性の肩が、小さく震えた。
瑠璃は合わせていた手を、ゆっくり下ろした。
「……なんやねん」
笑われている。
完全に。
「こっちは本気やっちゅうねん」
もちろん、聞こえない声で言った。
そこまで喧嘩を売る度胸はない。
瑠璃はもう一度、拝殿を見上げる。
シンデレラ。
自分でも、少し子どもっぽいと思う。
王子様が欲しいわけではない。
きれいなドレスが着たいわけでもない。
昨日まで誰にも知られていなかった女の子が、ある日見つけられる。
選ばれる。
光の真ん中に立つ。
そして、世界が変わる。
瑠璃が欲しいのは、たぶん、そういうものだった。
「笑われてもええねん」
小さく呟く。
「なるんやから」
「素敵だと思います」
「うわっ!」
瑠璃は飛び上がった。
振り返る。
少し離れた石畳に、少女が立っていた。
手には竹箒。
白衣に赤い袴。
境内を掃除していたらしい。
黒い髪を揺らしながら、困ったようにこちらを見ている。
年は、自分と同じくらいだろうか。
「いつからおったん?」
「最初から……」
「全部聞いてたん?」
少女は申し訳なさそうに頷いた。
「とても、よく聞こえました」
「最悪や」
瑠璃は両手で顔を覆った。
「東京来て三日で消えたなった」
「あ、ごめんなさい」
「そこで謝られたら、もっと恥ずいねん」
少女は竹箒を抱えたまま、本当に困っている。
その顔を見ていると、怒る気もなくなった。
瑠璃は指の隙間から彼女を見る。
「……笑わへんの?」
「え?」
「シンデレラになりたいとか。普通、ちょっと笑うやろ」
少女は少し考えた。
冗談を考えている顔ではない。
本当に考えている。
やがて、首を横に振った。
「笑わないです」
「なんで?」
「だって、なりたいんですよね?」
瑠璃は、一瞬だけ言葉を失った。
「……うん」
「なら、笑うことじゃないと思います」
それだけ言って、少女はまた箒を動かし始めた。
落ち葉が石畳を滑っていく。
瑠璃は、その横顔を見ていた。
大きな夢を口にすると、人はだいたい何かを言う。
できるとか。
無理だとか。
向いているとか。
甘くないとか。
だから瑠璃は、いつからか笑いながら夢を話すようになった。
本気だとばれないように。
けれど、この少女は何も決めなかった。
ただ、「なりたいんですよね?」と確認しただけだった。
「……変な子」
「よく言われます」
「そこは否定せえへんねや」
少女が少し笑う。
瑠璃もつられて笑った。
その少し奥。
神楽殿の脇に、一人の女が立っていた。
淡い色の着物。
長い髪を緩くまとめ、こちらを眺めている。
綺麗な人だった。
けれど、不思議と年齢が分からない。
二十代にも見える。
ずっと昔から、そこにいたようにも見える。
瑠璃と目が合う。
女は笑わなかった。
ただ、少し面白そうに目を細めた。
瑠璃がもう一度見ると、そこには誰もいなかった。
「……ん?」
「どうしました?」
「いや。なんでもない」
瑠璃は鳥居へ向かう。
途中で振り返った。
「ありがとな」
「何がですか?」
「笑わんかったこと」
少女は少しだけ首を傾け、それから微笑んだ。
「どういたしまして」
瑠璃は手を振った。
名前を聞くのを忘れたことに気づいたのは、神社を出てからだった。
まあ、ええか。
もう会うこともないやろ。
その時は、そう思っていた。
***
翌朝。
瑠璃は教室の前で深呼吸した。
五月の教室には、もう一か月分の空気ができている。
仲のいい子。
呼び慣れた名前。
休み時間に集まる場所。
その中へ、自分だけが今日から入る。
大阪を離れると決まった時、
「東京やん。芸能人いっぱいおるやん!」
と友達の前では騒いだ。
本当は少し怖かった。
でも、怖いと言えば、本当に怖くなりそうだったから言わなかった。
担任が扉を開ける。
「入って」
扉が開く。
三十人近い視線が、一斉に集まった。
瑠璃は黒板に名前を書く。
姫宮瑠璃。
振り返った。
「大阪から来ました、姫宮瑠璃です」
一拍置く。
「名字に『姫』入ってますけど、人生ではまだ一回も姫になったことありません」
教室に笑いが起こった。
よし。
一個取ったで。
「せっかく東京まで来たんで、一回くらいなれたらええなと思ってます」
もう一度、笑い。
瑠璃も笑う。
誰も知らない。
昨日、本気で神様に同じことを頼んだなんて。
「東京の電車はまだ全然わかりません。迷子になってたら拾ってください。よろしくお願いします」
拍手が起きた。
大丈夫。
笑ってもらえれば、何とかなる。
担任が窓際の空席を指した。
「姫宮さんは、あそこ。天野さんの隣」
「はい」
瑠璃が顔を向ける。
窓際。
こちらを見ている少女。
「あ」
「あ」
昨日の巫女だった。
瑠璃は固まった。
少女も目を丸くしている。
担任が二人を見る。
「知り合い?」
少女が口を開く。
「昨日、神社で」
「そこまで!」
瑠璃は思わず叫んだ。
教室に笑いが起こる。
瑠璃は急いで席へ向かい、小声で囁いた。
「昨日のお願い、絶対言うたらあかんで」
「はい」
「ほんまにやで」
「シンデレラのことですね」
「言うてるやん!」
少女が慌てて口を押さえた。
その顔があまりに本気なので、瑠璃まで吹き出した。
***
昼休み。
「そういや、名前聞いてへんかったな」
瑠璃がパンの袋を開きながら言った。
「天野陽菜です」
瑠璃の手が止まった。
「……天野、陽菜?」
前の席の女子が振り返る。
「え、姫宮さん、陽菜のこと知らないの?」
「何が?」
「ほんとに?」
差し出されたスマホ。
画面には、大きなステージが映っていた。
海に浮かぶ朱の社殿。
無数の光。
歓声。
その中央に、白と朱の衣装をまとった少女がいる。
瑠璃はパンを持ったまま固まった。
「……待って」
画面を見る。
隣を見る。
もう一度、画面。
「天野陽菜って……巫女雷音の天野陽菜!?」
陽菜の肩が小さく縮む。
「……はい」
「なんで昨日言わへんかったん!?」
「聞かれなかったので……」
「神社で箒持ってた子と、これが同じ人!?」
「同じです」
「東京怖っ」
「東京は関係ないと思うけど」
前の席から突っ込まれ、周囲に笑いが広がる。
でも瑠璃は、もう画面へ戻っていた。
一条夜魅。
黒い衣装。
鋭い瞳。
一声で、空気を切り裂くような歌。
「夜魅や……」
「夜魅さんです」
陽菜の声が、ほんの少し変わった。
瑠璃はそれを聞き逃さなかった。
「夜魅とデュオ組んでたんやろ?」
「組んでもらった、というか……」
「なんやそれ」
陽菜は少し恥ずかしそうに笑う。
「夜魅さんは、私が最初に憧れた人なんです」
「でも、一緒にステージ立ったやん」
「はい」
「決勝まで行ったんやろ?」
「……はい。でも、私は夜魅さんについていっただけだから」
瑠璃の笑みが、ほんの少し止まった。
「ついていっただけ?」
「夜魅さんがいなかったら、私はあんな場所に立てなかったし。最初だって、神様に選ばれただけみたいなもので……」
「でも」
瑠璃が言った。
「選ばれたんやろ?」
陽菜は言葉を止めた。
ほんの一瞬。
瑠璃はすぐに笑った。
「ええなあ。うちも一回くらい、選ばれてみたいわ」
冗談みたいな声だった。
陽菜も小さく笑う。
「でも、夜魅さんは今でも憧れの人です」
瑠璃はスマホを見る。
ステージの上。
夜魅の隣に陽菜がいる。
同じ場所に立っているのに。
陽菜の目だけは、少し遠くを見ている。
「……変なの」
「そうかな」
「隣まで行ったのに、まだ追いかけてるんや」
陽菜は少し考えてから笑った。
「たぶん」
その笑顔を見て、瑠璃も笑った。
でも。
胸の奥に、小さな何かが残った。
痛いと言うには、まだ小さすぎる何かだった。
***
その夜。
新しい部屋には、まだ段ボールが積まれていた。
瑠璃はベッドに寝転び、スマホを見る。
巫女雷音。
再生。
一条夜魅の声が、厳島の夜を裂く。
その隣から、陽菜の声が立ち上がる。
昼間、隣の席で困ったように笑っていた少女。
昨日、箒を持っていた少女。
同じ高校二年生。
同じ制服。
なのに画面の向こうでは、大勢がその名前を呼んでいる。
瑠璃はスマホを近づけた。
夜魅が前へ出る。
陽菜が追う。
けれど、消えていない。
憧れている。
でも、ただ見上げているだけでもない。
何千人に見られているのに。
陽菜は、一人を見ている。
瑠璃は天井を見上げた。
自分は神様に願った。
シンデレラになりたい。
見つけられたい。
選ばれたい。
光の真ん中へ立ちたい。
もう一度、画面を見る。
ステージ。
歓声。
夜魅。
その隣に立つ陽菜。
「……ええなあ」
誰にも聞こえない声だった。
何を羨んだのか。
瑠璃自身にも、まだ分からない。
***
同じ頃。
千代田区の小さな神社。
夜風が、誰もいない境内を抜けていく。
神楽殿の脇に、昼間の女が立っていた。
「シンデレラ、か」
女は、楽しそうに目を細める。
「まあ。えらい大きな夢、置いていかはったこと」
鈴が鳴った。
誰も触れていない。
女は暗い拝殿の前へ視線を戻す。
「さて」
その口元に、わずかな笑み。
「どないな舞を、見せてくれはるんやろね」
風が止んだ時。
そこには、もう誰もいなかった。
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