雷舞ノ巫女(ライブノミコ)第38話「潮の満ちる舞台」
【物語あらすじ】
神の声が届かない時代に、歌だけが神域へ届いてしまった。
現代アイドルと八百万の神々が交差する物語、第38話。
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厳島の海は、静かに満ち始めていた。
大鳥居の足元に、潮が寄せてくる。
朱の柱は水面に影を落とし、社殿は少しずつ海の上へ浮かび上がっていく。
陽菜は、回廊の板を踏みながら息を呑んだ。
木の匂い。
潮の匂い。
遠くで揺れる波の音。
そのすべてが、胸の奥に直接入ってくる。
ここが、決勝の舞台。
デュオグランプリ最終決戦。
動画審査を勝ち抜いた四組と、シードとして待つ天野光が神の前で歌う場所。
巫女雷音。
KiraKira☆Re:bellion。
レンアイカグヤ。
コードリリカル。
そして、天野光。
陽菜は自分の名前がそこに並んでいることを、まだ少し信じきれていない。
「顔、固い」
隣から夜魅の声が飛んでくる。
陽菜は慌てて頬に手を当てた。
「そ、そんなにですか?」
「かなり」
「すみません……」
「謝ることじゃないっしょ。怖いなら怖いでいいじゃん」
夜魅は能舞台の方を見る。
朱の回廊の先に、舞台がある。
海を背にした、古い木の舞台。
その横には橋掛りが伸びている。
陽菜には、その橋がただの通路には見えなかった。
人の世から、何か別の場所へ渡るための細い道。
そんなふうに見えた。
「怖いです」
陽菜は小さく言った。
「でも、ひとりじゃないので」
夜魅は少しだけ口角を上げる。
「なら十分じゃん」
その言葉が、潮の音に混じった。
少し先で、美沙と星が話していた。
「ねえ美沙ちゃん、ここでバズカタやったら保存率とか関係なく神域行きそうじゃない?」
「星ちゃん、それ言い方がだいぶ罰当たり」
「でも神さま主催だよ?」
「なおさらだよ」
二人は笑っていた。
けれど、美沙が能舞台を見た瞬間、その目だけが真剣になった。
陽菜はそれを見て、少し安心した。
笑っていても、怖くないわけじゃない。
みんな、それぞれの怖さを持ってここに来ている。
少し離れた場所では、蓮が海を見ていた。
手元の端末には、カグヤが映っている。
『レンさま、潮の音が聞こえます』
「ええ。月より、近い音ですね」
蓮はそう言ってから、陽菜に気づいた。
「陽菜さん」
「蓮さん」
交わした言葉は、それだけだった。
でも、不思議と通じた気がした。
月の裏側までカグヤを迎えに行った人が、今は同じ海を見ている。
そのことが、陽菜には少しだけ心強かった。
能舞台の近くには、コードリリカルの二人がいた。
九鳳院咲良と、白鳥雫。
咲良の衣装には、深いエメラルドグリーンの光が差していた。
朱の回廊の中で、その緑はよく目立つのに決して浮いていない。
雫のピンクゴールドの衣装は、潮風に揺れるたびやわらかな余韻を残した。
二人のあいだには空白があった。
天堂凛が立つはずの場所。
けれど、その空白は寂しく見えなかった。
陽菜は思った。
あの人たちは、欠けている場所まで美しく立てるんだ。
雫が陽菜に気づき、ふわりと手を振った。
陽菜は慌てて頭を下げる。
雫はただ微笑んだだけだった。
それだけなのに、胸が少し高鳴る。
「……今、照れた?」
夜魅が横から言う。
「照れてません」
「早い」
「何がですか」
「照れるのが」
「照れてませんってば」
夜魅は小さく笑った。
その笑い方は、初めて会った夜のライブハウスでは見たことがなかった。
あの日。
陽菜は扉の隙間から、夜魅の歌を見ていた。
まぶしくて、怖くて、近づけなかった。
あの人の隣に立つ自分なんて、想像もできなかった。
でも今は、隣にいる。
同じ橋掛りの前に立っている。
陽菜は、そっと手を握った。
胸の奥で三つの声が揺れた気がした。
タキリビメ。
イチキシマヒメ。
タキツヒメ。
言葉ではない。
ただ、海の底から立ち上がるような気配だった。
厳島は、三女神の地。
そう聞いていた。
けれど、ここに来て初めて分かった。
この場所は、神さまが遠くから見下ろす場所じゃない。
人の足音と、海の音と、祈りの声が、同じ高さで混ざる場所なんだ。
そのとき、陽菜は姉の姿を見つけた。
天野光。
白を基調にした衣装は、朝の光みたいにやわらかい。
緊張しているようにも見えるのに、そこにいるだけで周りの空気が少し明るくなる。
「お姉ちゃん……」
光は陽菜に気づき、いつものように笑った。
「陽菜」
その声を聞くだけで、陽菜の胸は少し和らぐ。
けれど、次の瞬間、陽菜は首を傾げた。
光の隣に、見知らぬ少女が立っていた。
金色の髪。
明るいメイク。
派手なアクセサリー。
眩しすぎる笑顔。
ギャル、という言葉が一番近い。
でも、ただのギャルではなかった。
軽く見えるのに、軽くない。
眩しいのに、目が痛くない。
そこに立っているだけで、海の反射まで味方につけているような。
その少女は、陽菜を見るとパチッとウインクした。
「よき日じゃの。バイブス、上げて参るぞ」
「……え?」
陽菜は思わず固まった。
ギャル語とは少し違う。
光は少し困ったように笑った。
「私の相方さん」
「相方……さん?」
陽菜は何かを聞こうとしたが、聞けなかった。
光の隣にいるその人から、なぜか懐かしい気配がしたから。
知らない人なのに、知っている。
人間のようなのに、人間だけではない。
そんな、説明のつかない感覚だった。
遠く、高天原。
水鏡の前で、思金神が資料を何度も確認していた。
「ええと……天野光の相方名は……本当にこの名でよろしいので?」
スサノオが肩を震わせている。
「いいじゃねえか。似合ってるぜ」
ツクヨミは無言だった。
三女神は、水鏡の中の陽菜を静かに見ている。
そして、アマテラスの御座は空いていた。
誰もそこには触れなかった。
触れない方がよいこともある。
思金神は深く咳払いをした。
人の世に、神の声が降りる。
『これより、デュオグランプリ最終決戦を始める』
厳島の空気が変わった。
潮が満ちる。
社殿が浮かぶ。
能舞台の木が、かすかに鳴る。
『ここは、人の祈りと神の声が交わる地。歌う者は、己の絆をもって舞台に立つがよい』
ライブ会場のような観客はいない。
けれど、回廊には限られた観覧者たちが静かに座っている。
無数の配信画面の向こうで、人々が見ている。
そして、そのさらに上で、神々が見ている。
陽菜は、夜魅を見た。
夜魅はマイクを握り直す。
「行くよ」
「はい!」
橋掛りの前に立つ。
一歩先は、舞台だった。
陽菜の足が、ほんの少し震える。
でも、その震えはもう、逃げたい震えではなかった。
声を出す前の、身体の準備だった。
あの日、扉の外にいた自分がいる。
今日、橋を渡る自分もいる。
どちらも、同じ自分。
陽菜は深く息を吸った。
夜魅が先に歩き出す。
陽菜は、その隣へ並んだ。
朱の回廊から、海に浮かぶ能舞台へ。
巫女雷音の一歩目が、静かに響いた。
※40話で完結予定です
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