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吉田修一『パーク・ライフ』

吉田修一の芥川賞受賞作。
2002年に受賞しているから、当時僕はまだ中学生だ。
巡り合うまでにずいぶん時間がかかった。

なんの変哲もない小説だった。
今の吉田修一作品からすると、これは伏線で、ここから何か起こるのだろう、と予想される部分からも何も起こらない。
希薄というか、淡白というか、この道を通った先に今の吉田修一がいるんだということを教えてくれるような小説だった。

人間というもの

人には誰にでも、他人に言えない秘密があるものだと思っている。
猟奇的なものだったり、性的嗜好だったり、あるいは衝動だったり。
そういう、表立って見せられない部分を丁寧に描写するために小説というものが存在していて、そういう、自分の人生では感じることのできないものを体感するために小説を読む。

雨の日が苦手だ。
今このnoteを書いているときにも、外では雨が降っている。

僕はなるべく散歩をするよう心がけているのだけれど、雨の日は外に出ることすら億劫になり、在宅で仕事をしている日なんて、一歩も家から出ない日がある。
冷蔵庫の中に食べられるものが無くなって、戸棚の中にも粉末スープとか即席でできるようなものも無くなって、タバコの買い置きすらも底をついてしまったら、しぶしぶ傘をさして近所のスーパーに向かう。

けれど、雨が好きだという人も存在する。
それを教えてくれたのもまた、小説だった。

雨の日で思い出すのは、小学生の頃、ずぶ濡れで帰宅して、玄関先で母親から渡されるタオルだ。
これで身体を拭いてすぐシャワーを浴びなさい、と言われていた。
僕はすぐにシャワーを浴びるのであればどうして今タオルで拭かねばならないのか、余計な洗濯物が増えるだけなのだから、この場で靴下を脱いで急いで風呂場に向かった方がいいのではないか、と考えながら、言われた通りに手渡されたタオルで顔や身体を拭いてから風呂場に向かった。

とりとめのない、なんてことない思い出だ。
だから雨が嫌いとかそういう関連性のない、ただの記憶だ。
けれど、雨の中で濡れると、毎回この思い出が僕の中で浮かび上がってくる。

この世の中にいる限り、人はどんどん年を経る。
その分だけ、記憶も増えていく。
その記憶の中に生きているのは、もう死んでしまった祖父母だったり、地元を離れてから一度も会っていない幼馴染だったり、大学で一緒に勉強していた仲間だったりする。
思い出したい記憶もあれば、いっそ忘れてしまいたいと願うような記憶も存在する。
そしてその記憶たちが、今の僕を形成している。

人間、誰もが生きている中で、あらゆる人と関わり、迷惑をかけ、苛立ち、悲しみ、嬉しさを感じ、感謝している。
そういう、当たり前なことを、当たり前のように紡いでいる小説が、好きだ。

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