📚『#6│未来は今のつづき│未来は今のつづき』🦦
この物語は、
誰かの人生を変える話ではありません。
正しい答えを渡せないまま、
それでも人の隣に座ろうとする、
そんな大人の話です。
「未来は今のつづき」。
最終話です。
#6 未来は、今のつづき
冷たい雨が降る土曜日だった。
雑居ビルの入り口で傘を畳む音も、
今日は聞こえてこない。
客が来ない日は、時間が砂時計の砂のように、
ただ静かに、
けれど確実に降り積もっていく。
私はいつものように、
棚に並んだ湯のみの曇りを拭き、
古い木のテーブルを丁寧に拭いた。
それから、
まだ指先が覚えるほどには
使い込んでいないタロットカードを、
一枚ずつ、柔らかい布で磨く。
シュッシュッ、という布の音だけが、
狭い店内に小さく響いていた。
介護施設の喧騒とは正反対の、
音が少ない空間。
ここに座っていると、
自分が誰の「お世話」もしていない一人の女性だということを、
嫌でも突きつけられる。
私がここに座っている意味って、
一体なんなんだろう。
「……かおりさん、カード、ピカピカですね」
奥から結衣ちゃんが、
淹れたてのほうじ茶を持って現れた。
「あ、ごめんね。手持ち無沙汰で」
「いいですよ。今日は雨ですし、ゆっくりしましょう」
私は茶柱が立つか立たないかをじっと見つめながら、
ふと、ずっと気になっていたことを口にした。
「結衣ちゃん。
私、やっぱり占い師には向いてないみたい。
相手が求めている『答え』を、ちっとも出してあげられないの」
結衣ちゃんは私の隣に腰を下ろして、
寂しそうに笑った。
「ここ、祖母がやっていた頃も、こんな感じだったんです。
占ってほしい人より、ただ誰かに聞いてほしい人が、
雨宿りみたいに寄っていく場所。
祖母はよく言っていました。
ここは『決断しない場所』でいいんだって」
「決断しない場所……?」
「ええ。世の中には、
右か左か決めなきゃいけない場所があふれています。
でも、どっちにも行けなくて、
立ち止まっている時間だって、人生には必要でしょう?
だから私は、ここを残したかったんです。
答えを出すためじゃなく、
ただ、誰かが座るための椅子として」
結衣ちゃんの言葉が、
私の胸に静かに染み込んでいった。
そうか。
私は、誰かの人生を正解に導くために、
ここに呼ばれたわけじゃなかったんだ。
ただ、人生という長い道のりの途中で、
少しだけ気が抜けてしまった人が、
靴紐を結び直すまでのあいだ、
隣に座っていればよかったんだ。
「自分次第なら、占いの意味がない」
裏を返せば
「自分の力で歩ける」ということを本人が受け入れる前の、
最後の足掻きの場所だったのかもしれない。
未来は、今のつづきだ。
劇的な変化なんて、そうそう起きない。
今日、一歩踏み出した。
今日、誰かと喧嘩をした。
今日、少しだけ勇気を出した。
その積み重ねの先にしか、未来はない。
私は、窓の外を流れる雨粒を見た。
明日は、また介護施設での仕事が始まる。
誰かの食事を運び、誰かの体を支え、誰かの愚痴を聞く日常。
でも、来週の土曜日になれば、
私はまたこの少しカビ臭い雑居ビルに来て、
この椅子に座るだろう。
そこで出会う誰かに、またお節介を焼くために。
「結衣ちゃん。来週も、入っていいかしら」
「もちろんです。かおりさんがいてくれると、
ここが明るくなりますから」
私は立ち上がり、コートを羽織った。
鞄の中にカードをしまい、
自分の足に馴染んだ靴に足を入れる。
店を出て、雑居ビルの重い扉を閉める。
ふと見上げると、三階の窓から、
オレンジ色の小さな灯りが漏れていた。
答えなんて、なくてもいい。
ただ、あそこに灯りが灯っていること。
それだけで、救われる誰かもきっといる。
雨足は少しだけ弱まっていた。
私は傘を差し、濡れたアスファルトを、
一歩、一歩、踏みしめながら歩き出した。
わたしの「今のつづき」も、
きっとこれからだ。
👉『未来は今のつづき』#5
https://note.com/happy_mimosa4749/n/n771fd916c6b4
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