存在の発見 ⑤ 『ポップな恋愛』
大学院新卒で4ヶ月だけ働いた工場は地獄だった。
何が地獄って、彼女に入社1ヶ月前に別れたいって言われてさ。俺が理由を聞いたら、あなたは結婚に向いていないって。
どういうことだと思ったよ。
俺は大学院を修了したら東京に行きたかったんだ。田舎はもううんざりだったから。田舎の奴らはな、死んでんだよ目が。
でも彼女が、私は家族と友達がいる地元にいたいって言い出したから、俺は地元で就職先を探したんだ。
つまり、彼女と結婚するためにそこまでしたわけなのに、なんで俺を振る理由が「結婚に向いてない」なんだ?おかしいよな絶対おかしい。
でも、よく考えたら、彼女は俺を徐々に見限っていったような気もする。
4年付き合ったけど、最後の1年半はずっと喧嘩してたからな。
理由はなんだろう。教授だよ、そう教授だ。
女好きの教授がいて、彼女はその人に気に入られて色々贅沢もさせてもらって、ずっとべったりだったから気持ち悪くて、俺がもう関わるなって言ったんだ。
初め彼女は、なんで教授と仲良くするのがダメなのかわからないって言ってきたんだ。
俺は、逆の立場で考えてみてって言った。俺が、男好きの女性教授に気に入られて、週一で飲みに連れて行かれて、毎晩のように電話して、旅行も連れて行かれて、セクハラもされまくりの場合、お前はどう思う?って言ったんだよ。
そしたら彼女、ようやく、なるほどそれは嫌だわって、馬鹿みたいに頷いてた。
俺はようやくわかってくれたと胸を撫で下ろしていたんだけど、それからも彼女の教授との関わり方は変わらなくて、俺と彼女は定期的に同じ喧嘩をして同じ結果を生んで。
また彼女は何も変えなかった。
その喧嘩が、彼女が俺を徐々に見限っていった理由な気がする。
よく考えれば、彼女は生意気なことを言わなくなる代わりに、どんどん抜け殻みたいになっていったし、俺はそれが心地良かった気がする。
向こうから受けるストレスが減ったからな。俺の思い通りの女になったって思ってたのかも。最後の半年は、嫌いになりかけていた彼女に、また少しは好感を持てていたし。
反抗してこない彼女が前より可愛く見えて、ホテルに行く時も、一回になっていたセックスは2回に戻っていたし。でも、あれは彼女が俺と向き合うことをやめていただけだったのかも。
彼女はドライブが好きだったけど、俺はこんな田舎でドライブしたって面白くないと思って、とにかくホテルで過ごしたかった。ホテルだと映画も観れるし、セックスもできるし。
彼女がわがままを言わなくなってからは、以前は遠くまでドライブをしていた彼女が生理の時もホテルに行って手とか口でしてもらっていた。ああいうのも良くなったのかも。
彼女が、私といるときいつも目が死んでるのに、エッチの時だけは元気だよね。とボソッと言ってきたことあってギクッとした。
彼女は美人ってわけじゃないけど、スタイルが良くて肌が綺麗で喘ぎ方がエロかったから四年間付き合ってセックスだけはずっと飽きなかった。
喧嘩が続いている時でも週一で会ってセックスはしていた。好きになったから付き合ったし、もちろんそれなりの絆もあったと思うけど、後半は、彼女に顔を合わせて会うモチベーションはセックスだけだったような気もする。セックスがあるから別れずにいれたのは確かだ。
入社1ヶ月前に彼女に別れたいって言われて、俺は、別れたくない結婚しようって言った。彼女は、考えさせてって俺に嘘をついて、入社日に俺を振ってきた。なんで1ヶ月保留にしたのかというと、俺のうろたえ方を見て、今振ったら仕事を入社前に辞めるんじゃないかと思ったからだと。入社してからなら、辞めないだろうと思ったと言っていた。
俺は事務のデスクワークの契約で入ったのに、一通りの部門を経験してもらうと言われて、一日中立ちっぱなしで何のパーツかもわからない鉄の加工の作業をして、鉄の屑が指に刺さるんだよな、それまでずっと座りっぱなしで勉強してたもんだから体力も落ちてて、いきなり一日中立ちっぱなし、失恋でパニック状態、そして俺は発達障害があることが就職してからわかった。
俺の場合の発達障害の主なデメリットは、短期記憶力が低いこと。でも、勉強は割と得意だったからな、勉強は短期で記憶する必要がないからできたんだろうな。
道を覚えるのが昔から病的に苦手で、友達にも彼女にも結構ガチで怒られたことがある。覚えるのが苦手なんだと言ったら、覚える気がないだけだと怒られらた。
皆は俺より「道」に対しての興味がそんなに強いということなのか?と
思った。確かに俺は興味の対象が凸凹だ。
好奇心は強い方なのに、エンタメの中で割と人気の高いファッションと食事だけは大した興味を持てない。
そんな感じで、道にも興味を持てないのかもしれないと思っていたが違った。
発達障害だったんだよ。救われたね、俺のせいじゃなかったんだって。なんで発達障害かってわかったかというと、仕事が全く覚えられなかったからだ。大学の勉強ではトップだったのに、仕事ではビリ。
仕事の手順が全く覚えられない、時間をかけて細かくメモを取っても毎回それ見ながら作業しないといけない。
数ヶ月しないと覚えられない、手順が。
俺の仕事は遅い上にミスも多く、定期的に上司に呼び出されて面談になった。俺は真面目にやってると訴えても、お前はやる気がないんだろうって、
もう学生気分じゃいられないぞって、不理解がえぐい叱られ方をした。
ただ、俺はその時特に辛かったのは、疲労と失恋のパニックだから、定期的に面談になってやる気のない問題児扱いされることはまあ、二の次って感じだった。
一番情けない気分になったのは、工場に入ってきて鳥が糞をするんだけど、工場の地面にへばりついて固まった鳥の糞を、銀のヘラでさ、延々削ってさ掃除していくんだよ。新入りの役目だからね。
こっちは、体力限界、メンタルも限界で、中腰で長時間いるのがしんどくてさ、灰色とライトグリーンの間みたいな色の作業服の尻を地面につけて座り込んで作業してたんだよ。
それを上司に見られて、また面談になってさ。何度言ったらわかるんだ、そろそろ心を入れ替えないと社長にも話が行くぞ。ってパワハラ気味に三人くらいのおっさんに囲まれて脅されてさ。
あと、こうなってから通い出した心療内科でもらった精神安定剤を毎日飲んでいて、その影響でずっと眠いから疲労も重なってウトウトしてることも多くて、それもやる気のないように見えていたようで、そのこともすごい叱られた。
それでも、それはそんなに辛くなかったかも。なんか、もうそこまでいくと笑えるっていうか。笑えないのは、痛みを覚えるほどの身体の疲労の辛さと、失恋のパニックだけっていうか。
同期の同い年の男の子がさ、俺を仕事帰りに居酒屋に誘ってくれたんだよ。俺のことを励ましてくるのかと思ったらそいつまで俺を叱ってきた。そいつは大学院ではなくて、キャバクラのボーイを2年してたから就職が遅れたと言っていた。
そのせいか少し大人びていたけど、常に高圧的でマウント気味なのでどちらかというと嫌いなやつだった。
先輩に、あいつどうにかしろってお前のことを言われたって。だから、俺が代わりに説教するしかないってそいつは言ってた。
お前、やる気ないだろ?
やる気?
先輩たちお前の話で持ちきり。やる気ないなあいつって
前も言ったけど、入社当日に結婚する予定だった彼女に振られてメンタルが終わってて、今はちょっと「やる気」どころじゃないっていうか。真面目にはやってるつもりだよ。あと、これも前も言ったけど、知らない間に俺マジで体力落ちてて、同じところに立ちっぱなしで一日8時間は、もう立ってるだけでやっとみたいな感じなんよ。だから、元の契約通り事務のデスクワークに移動させてもらえませんか?ってリーダーには言ってあるんだけどね。体力が限界だからってちゃんと説明して
お前、別にクビになってもいいと思ってるだろ?
そうだね。真面目にやるだけやって、クビになったら仕方ないと思ってるよ
クビになってもいいみたいな投げやりな考えだから、仕事遅いしミスしたりするんじゃないの?
いや、こんな物覚え悪くて、作業もよくミスることは自分でもびっくりしてるんよな。これは別にやる気の問題じゃないっていうか。マジでその方面ではアホなんかも
だって、お前TOEICで800点持ってるんだろ?そんなやつが、あの作業もできないのはやる気ないだけだろ
いや、なんか勉強とは別物っていうか。大学の時のバイトでも確かに役立たずだったけど、なんか育ちの良い優しい人ばっかり揃ってるバイト先だったから、皆がさりげなくフォローしてくれてたみたいでここまで仕事できないの気づかんかったわ
てか、英語も喋れるのに、なんで田舎の工場に就職したんや。なんでここいるのお前
いや、英語を活かせるような会社って都会しかないからさ、東京で仕事探そうと思ったんよ。でも彼女が地元で暮らしたいって言うから、こっちで、絶対苦手な「営業」以外で探しただけ
なんか、あれだな。お前今、ぼろ雑巾にしか見えないな
ミジメなもんですわ
とりあえず、お前のこと叱ってくれって先輩から言われてるから。ちゃんとやれよ
はーい、頑張ります
まあ現状は大して変わらないまま、たまに、飲み会があるんだよ。それで田舎のさ、チェーンの小さい居酒屋に入って、工場だから女の人もほとんどいないし、ほぼ男だけで、田舎のさ、居酒屋の長椅子に座ってさ、みんな酒が飲めるからちょっと楽しそうなんだよな。
その楽しそうな感じが俺の目にはあまりに寒々しく映って、ここが俺の人生の行き止まりだと本気で信じてしまったんだ。
俺の仕事の遅さとミスの多さはあまり変わらないどころか、疲労とメンタルが限界で衰弱してフラフラして、職場で誰とも話さなくなったのを上司が見て、社長面談になったんだよ。
お前どうしたんだ?って言われて。また同じ説明を丁寧にしたら、要は彼女に振られて落ち込んでるってことか、そんなことはあるある、よくあることだ、気にするな。と、なんか話にならない総括をされて。大人ってこんなもんかと思ったね。しょーもな。
しかも、その夜フラフラで家に帰ったら、会長がお前と話したいって言ってるって社長から電話があった。職場近くの、社長の親の会長の家兼事務所に呼び出されて、会社をどういう理念で作ったか、どうやって業績を上げてきたかを自慢っぽく話されて、お前はタバコを吸ってるそうじゃないか、とりあえずタバコをやめるところから始めろ、となぜか命令された。
会長の説教、というか自慢は3時間続いて、家に帰ったら夜中の1時だった。寝不足と過労で意識が朦朧としながら次の日出社すると、朝の体操の後に社長が近づいてきて、会長が気にかけてくれて嬉しかったか?って言ってきた。俺は「嬉しい?」と素直に疑問を口に出してしまった。
あの説教兼自慢に「嬉しい」という捉え方があるとは思いもよらなかったからだ。バカな、クソジジイの自慢に心身共に限界の時に夜中に付き合わされたんだから、死にたいだけだったに決まってるだろ。なんでそんなこともわからないんだろう、気遣いとかいう概念ないのかなこの一家は、と思った。
俺は慌てて、たくさんお話をしていただいて、ありがたかったですと取り繕いながらも、嬉しかったとは意地でも言わなかった。
家に帰ると、ずっとyoutubeで失恋の乗り越え方についての動画を漁って見続けてた。
結局、時間が解決するしかないんだけど、なんか辛さを聞いてもらってるような気分になるから大事なことだった。休みの日も一日中そうやって過ごすんだよ。肉体疲労でぐったり横になりながら。和尚様の失恋の乗り越え方についてのyoutube動画を子守唄にしてた。和尚様の思慮深いロートーンボイスが心地良かったからだ。
精神的に高次であるとは、思慮深いということである。
その人のことを許せるポイントが見つかるまで
想像を巡らせることが思慮深さなのかな。
すみませんでした。許してくれますか?
人生にリンチに合いながら初夏になり、冷房のついていない工場には暑さという負担も現れて、俺は心身ともに無理になったので、景気付けに『死ぬくらいなら会社辞めれば?』という本を読んで、最後は、直接社長を捕まえて退社したいと言ったので、まずはリーダーに話を通せと叱られた、お前は自己中なやつだな、と大きい声でキレられた。
俺は、ある時急に会社に行けなくなった。体調が悪いと毎朝職場に連絡して一週間連続で休み、ネットで会社の辞め方を検索したら、心療内科でうつ病の診断を貰えばすぐに辞められると書いてあったので、行きつけの診療科内科で事情を説明すると、まあ、精神状態もうつ状態そのものだし嘘はないから診断書出してあげるよ、と軽く言われてこの数ヶ月で初めて人に優しくされた気がした。
