クソジジイと呼ばれ1週間が経って ~客観的に自分を見定める日々~
ボディブロー
◇もっとも近しい者からクソジジイと呼ばれて1週間が経つ。豆腐メンタルならぬハガネメンタルを持つ自分だが、ボディブローのように効いてきた。傷ついたわけではなく、自分を客観的にジジイと認識する1週間だった。
◇爺さん呼ばわりされるのは少し、いや、かなり早いと当初は思った。気持ちは20代の若者のように充実しているし、見た目だって年齢以下のように言われることもある。まだハゲてもいない。ただ、人生80歳だとしたら確かに折り返しは過ぎた。
いつ死んでも満足していい年齢?
◇幼い子たちと遊んだり20代の若者たちの活躍を見ていると、確かに自分の世代はカビ……、いや、コケが生えた世代と言えなくない。元々、世の中は子どもや若者のためにある、今の人生はオマケのようなものでいつ死んでも満足しないといけないと考えている。
◇蔦屋重三郎ではないが、江戸時代などは50歳以下で死ぬなんて珍しいことではなかった。現代人も40代ともなると身体に色々な不具合が出てくるが、元々人の身体はそんなに長生きできるものではないとも思える。大隈重信は人間は125歳まで生きられると考えたらしいが、こればかりは反対意見を述べたい。現代の医療、栄養、衛生の向上のおかげで皆が長生きできているだけではないか。人間よりも身体が大きい同じ哺乳類のウマ(サラブレッド)の寿命は20年から30年。ならば40年生きられれば御の字で、不惑を迎えられたらかなり恵まれていると考えることができる。
日々を大切に、感謝する
◇不惑を越えると、自分がいかに他の動物たちの犠牲のおかげで生きてこられたかに思い到る。幼い頃から肉魚卵を無数に食べてきたが、そういった犠牲を思うと自分は長生きし過ぎとも思えてくる。
◇80歳近いジジイたちが始めた戦争によって、無実の人々が何十万人も殺されて世界は苦境に陥っている。棺桶に片足どころかほぼ身体が入っているような、未来に責任を持てない年寄りの為政者が世界を掻き乱す。こんなことはあってはならない。少数の年寄りに権力が集中することに歯止めをかけねばなるまい。当事者のジジイたちもこれまで生かされてきた来し方に想いを致してもらい、今すぐ愚行を停止することを願う。
◇こちらは抑圧者たちを他山の石として、クソジジイと再び呼ばれないためにも、晩節を汚さぬよう年をとり、日々残りの人生1日1日に感謝していずれ息絶えることとしたい。
