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やさしさの奥にあった本音(赦す側)

「赦す」という言葉は、やさしい。

でも最近、そのやさしさを少し怖いと感じた。

それは
表向きには相手を赦していて
言葉も態度も、相手を責めていない。

でも心の奥に、
実はまだ赦していない自分がいることに気づいて、ドキッとした。

その気持ちを相手にぶつけたいわけじゃない。
責めたいわけでも、ジャッジしたいわけでもない。

ただ、自分は「赦している」と思っていたのに、
そうじゃない感情が心の奥に隠れていた。
その自分に気づいたとき、少し怖くなった。

私はこれまで、たくさんのことを赦してきたと思う。

言いたいことがあってもあえて言わない。
相手を責めない。

それはある意味やさしさだと思っていたし、
自分を含め、完璧な人はいないから。

でも同時に、
本音を言わないという選択を
“分かっていて”していた自分にも気づいた。

あえて言わない。
あえて責めない。

もしかしたらそのほうが、
相手にとって堪えるかもしれないと、
どこかで分かっていた気がする。

その「分かっていて」していたという感覚が、
自分の中で引っかかった。

そして気づいた。
私が人のやさしい言葉に対して、
なぜか
「本心ではないんじゃないか」
「ただ気を使ってくれてるんじゃないか」
と疑ってしまってた理由。

それはきっと、
自分自身が、本音を隠したまま
やさしくしてきたからではないか。

自分がそうしているから、
相手のやさしさの裏にも、
言葉にならなかった本音を探してしまう。

「条件なしで赦す」って、
きっと簡単なことではない。

モヤっとした感情が残ってても、
完全に納得できてなくても、
それでも裁かないと決めること。

そして何よりも、
赦しきれない自分がいることを、赦すこと。

私はまだ途中だと思う。
赦しているけど、赦しきれてもいない。

でも今は、
それを「ダメなこと」に
しないようにしている。


やさしさは、ときに人を救うし、
ときには重さにもなる。

だからこれからは、
まず自分の本音をちゃんと感じようと思う。

言わない選択をするなら、
それをちゃんと自覚して選びたい。

完璧に赦せなくてもいい。

気持ちが揺れても、自分の気持ちに正直でいること。
そうやって、ちゃんと自分の心を見ていたい。

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