「XX人は国に帰れ」の短冊から異文化理解を考える
七夕の学内イベント中、“XXは国に帰れ”と短冊に書いた学生がいた。
短冊には願い事を書くため、そのような願いがある事は理解できた。
同様な内容をどこかに落書きするよりはマシなのかもしれない。しかし、学内でこのような内容を文字や言葉で表現することは、特定の国籍や出自に基づいて他者を排除・否定する差別的言動であり、決して許されるものではない。
この背景には、学内の留学生の約7割を占める某国からの留学生に対する誤解から生じている。
某国の日本を凌ぐ経済力を持つ豊かな留学生の一部の行為が周りの学生に偏見を植え付けていることは事実である。
某国同士の留学生が学生食堂や学生寮で固まり、いつも大声で大人数で夜遅くまで騒いでいるとの声をあちこちから聞く。
それについては、確かに事実である。しかし、その原因の一部は食堂や寮のでの共有スペースのルールや規則の内容が曖昧なためでもある。声の規制は難しいかもしれないが、共有スペースでは人数の指定(5人以内)、夜遅く(深夜11時まで)等を具体的に数字で示す必要がある。
ルールを明確化したら、その施行の際は当然ながら日本人学生にもルールを遵守してもらうことが絶対である。某国の留学生による蛮行?に対しては日本人学生にも同様の指摘が留学生の何倍もあることは見過ごせない事実である。学内のルール内であれば、留学生も日本人学生も同じ扱いである。
前置きが長くなったが、このブログの記事の趣旨は、太字で記した箇所について、それらの指摘は30年くらい前、海外に留学していた日本人学生に向けられていたことをリマインドするためである。
1990年代から日本人海外留学生数は、バブル経済の中で急増した。
日本人留学生の渡航先は米国が全体の80%を占め1位であった。
当時は日本企業による不動産や映画会社の買収で反日感情(ジャパンバッシング)が出てきた時期だった。
その頃、米国の語学学校に留学していた筆者はロクに勉強しないで遊んでいる日本人留学生を数多く見てきた。そのような学生は大学付属の語学学校に入っても入学に必要なTOEFLの点数が取れないため大学進学できず、日本人同士で固まり、日本語で大声で傍若無人に振舞っていた。
今の日本語学校に通う某国出身の一部の裕福な留学生と同じような光景であった。
異文化を理解する上では、過去を知ることが大切である。更に過去を遡って歴史を学ぶことも重要である。他国や他者の振る舞いを指摘する前に、自国や自身が過去にどのように振舞ってきたかを知ることにより、異文化を多面的に多角的に理解するこにつながっていく。
ゴミが少なく車内マナーが行き届いていると評価される日本でも50年前は以下の通りである。

