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🌹女風土記🌹 宮崎県宮崎市 日本初の女性小学校長 鳥原ツル 女史 / Japan's First Female Headteacher, Ms. Tsuru Torihara

鳥原 ツル 女史
-「おんな : 明治・大正・昭和に生きた、日向女性の喜びと悲しみ」(宮崎県総合博物館 編 宮崎県総合博物館1985.12)

「常に真剣に対応する。中途半端な教育はしない。」
"Total commitment in every lesson. No half-measures in education."

鳥原 ツル 女史
Ms. Tsuru Torihara
1895 - 1981 
宮崎県宮崎市宮田町 生誕
Born in Miyazaki-city, Miyazaki-ken

鳥原 ツル 女史 は日本女性で初めての公立小学校校長です。大正デモクラシーの自由教育の最中、日々の授業や学校経営で創意工夫して、新しい児童教育の開拓に情熱を捧げました。
Ms. Tsuru Torihara is Japan's first female elementary school principal. Amidst the Liberal Education movement of the Taisho Democracy era, she devoted her passion to pioneering new forms of child education, bringing creativity and innovation to her daily lessons and school management.

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「新生宮崎県」
 西南戦争中の大河平騒動(薩軍参加士族による官軍寝返り惨殺事件)、鹿児島県からの「分県運動」を経て誕生した宮崎県では、県土の8割を占める森林の恩恵を受けて生活する人々が「抗拒運動」を各地で展開します。山林開祖のための官民林境界調査で国有林に編入されると伐採・売買・質入・薪炭・採草・放牧を一切禁止されるので、民林や入会地または税を納めて村有林として利用してきた地域住民、年限売り(特定年数だけ所有権や使用権を移す売買)を受けてきた商人らは、「固有権」「特有権」「抗拒権」を掲げて民権意識を高めながら各地で団結して抵抗。創設されたばかりの行政裁判所に民有地下戻しを求めて続々と提訴します。一方、「鉄道敷設運動」は隣県の肥薩線開通による九州縦貫に遅れること20年目、峻険な山岳地帯に沢山の橋とトンネルを架けて日豊線が全通し九州循環鉄道が完成。「陸の孤島」を脱出して全国各地との経済的文化的交流が本格的に始まります。

「宮崎も大正デモクラシー」
 ツルは父・定静、母・ハルの間に8人きょうだいの三女として生まれます。父親は苗字帯刀を許された大庄屋で、寺子屋教育を行なって県内で最初に「訓導(正規教員)」の名をもらった一人。宮崎小学校にあがる頃までは、家はお手伝いを数人抱えるほど裕福だったものの、父親が病に倒れてから家産が傾き、土地を切り売りしながら生計を立てます。やがてツルは月謝を滞納する様になって宮崎高等女学校を途中退学し、古城にある郵便局に勤めます。しばらくして官費制度のある宮崎師範学校女子部を受験して入学、ノートを買えないので紙を4つ切りにして使い、鉛筆1本でなるべく教科書と自分の頭だけで勉強します。親きょうだいとこんにゃくをつついて貧乏に耐えながら、東京高等師範学校を出たばかりの西洋かぶれの舎監教師相手に排斥ストライキを起こしたり、男子部の学生と風紀問題を起こした友人を匿って退学の危機から救ったり、大正デモクラシーの自由な空気を満喫しながら首席で卒業します。

「若山牧水郷里の自由教育」
 『赤い鳥』『こども雑誌』『金の船』『童話』で、宮崎県出身の若山牧水はじめ北原白秋、西条八十、野口雨情、三木露風らの童謡や楽譜が人気を博し教育にも取り入れられ、自由な題材で児童中心主義また教師の個性的活動を促す自由教育が興ります。ツルは付属訓導のエリート意識を嫌って付属小学校への辞令を辞退し、木花村小学校に赴任、足掛け二年勤務した後に大淀小学校に転任します。相変わらず貧しくて下駄の緒の擦れるのを惜しんで「裸足の先生」と呼ばれるツルは、授業には常に創意工夫を盛り込み、教室や運動場で終日子供たちと一緒に過ごします。或る日、全校一斉の抜き打ち試験が行なわれ、ツルの受け持つ学級がすば抜けて良い成績を残します。2年後に付属小学校へ転任すると、今度は小学校教育のメッカにふさわしい新しい教育を実践しようと心に誓います。1年生と高等科の家庭科教育を受け持ったツルは、理科の授業の一部を家庭科で行い、図書室や炊事場を利用して家庭科の実習を行い、理論と実習を伴った教育を実施。画期的で斬新な女子教育として注目され、県内から多くの女性教師たちが授業参観に訪れ、郡と県の視学(学事の視察、教育の指導監督、教員人事を行う地方の教育行政官)もわざわざやってきます。

「宮城県と間違われる宮崎県」
 奈良女子高等師範学校主催で「全国女子師範学校校長会議」が開催、帝国教育界主催で「全国小学校女教員大会」が開催、機関誌『女小学校教員』で「小学校に女の校長をつくれ」という自然の叫び声が起こって次第に社会の世論を動かすようになり、ようやく東京で水野やす子が視学に登用された頃、教育者としての力量が評仙された25歳のツルは宮崎県から全国に先駆けて大淀町古城小学校で女性校長に起用されます(1920年)。ちょうど平塚雷鳥や市川房枝や奥むめをらによる「新婦人協会」設立と重なって、婦人参政権や男女共学の声が高まる最中、「宮城県」の女性校長と誤報もされつつ大きく新聞に報道され全国的に話題を巻き起こします。全国の女子師範学校はじめ、台湾や満州また朝鮮からも激励と祝福の手紙が続々寄せられます。徳富蘇峰の『国民新聞社』からは全国教育視察旅行に招待されます。一方、宮崎県内の世評は散々。「奇を全国にてらうの意味に於てせられたるには非ずして蓋し一個の試みとして実現せられたるものであろう」(『日州新聞』)。「女の校長を作る必要はどこにある。是は言ふまでもなく教員不足の苦しさから来ている。」(『県政評論』若山甲蔵)。

「全国初女性校長の実績」
 
「如何なる態度で私を迎えるか恐怖に近い心配をもって赴任致しました。町内といへば学区は農のみをもってたつ極めて純朴な部落でございます。はじめ心配致した程のことはございませんでした。」古城小学校は児童数120人で、教師はツル以下4人うち3人が女性教師。首席教師である渡瀬みつに支えられながら、ツルは40歳くらいに見える様にひさし髪に結って、昼間は小学校で絶え間ない授業参観、夜はランプの下で小学校併設の青年男女別の補習学校で農業・社会・家事教育、休む暇もないくらい教育に打ち込みます。「男子の補習学校は夜間授業であり、殊に女子校長をいかに見るか、これまた非常に懸念致していましたが、開校当年郡から表彰も受け居り、他に男教員と農業技手を嘱託して指導していますので、始め懸念致した程のこともなく授業いたしております。」ツルは家族ぐるみの教育が必要だと考え部落にもよく出かけて行って熱心に指導するので、村民たちは校長住宅を建て、運動会・学芸会・講習会など学校の諸行事に惜しみなく協力し、あたたかく盛り立ててくれます。全国初の女性校長の学校として注目と期待に応えようとするツルは、自分を支えてくれる渡瀬みつが過労で亡くなったことに胸を痛めつつ、校長在任2年目に関東州旅順高等女学校に出向します。35歳で開業医・前田観心と結婚して教育界から引退します。

*大正時代の公立小学校の女性校長は、ツルと同時期に山梨県で、楠甫小学校校長の堀水ためよ、平林小学校校長の佐野あき、吉沢小学校校長の田中松の3名が就任。まもなく宮城県登米郡で一人の婦人校長が進出して宮崎県伊具郡で桜場小学校長の小野寺あいし、神奈川県足郡で須雲川小学校校長の矢野トシ、岐阜県宮野村で神野小学校長の三木初音が続きます。昭和に入ってからも、岡山県新郷村三坂小学校の山上峰、東京北豊島郡志村第一小学校校長の木内きょう、まだまだ数名に限られていました。ツルが敗戦後に宮崎市住吉に引き揚げた頃、アメリカ進駐軍ハッチンソン民政部長官らによる「男女同権」「婦人解放」政策の波に乗って女性小学校校長が天下りとして続々と誕生します。

-宮崎県教育情報通信ネットワーク Miyazaki Prefecture Education Network
-宮崎県立図書館/デジタル宮崎県史
-「宮崎市史 続編 上」(宮崎市史編纂委員会 編 宮崎市, 1978)
-「おんな : 明治・大正・昭和に生きた、日向女性の喜びと悲しみ」(宮崎県総合博物館 編 宮崎県総合博物館1985.12)
-「婦人教師の百年 (明治図書新書)」(木戸若雄 著 明治図書出版1968)
-「婦人界三十五年」(福島四郎 著 婦女新聞三十五年記念会昭和10)
-「大正山梨県誌」(佐藤源太郎 編 佐藤源太郎, 昭和2)
-「日向のおんな」(黒木清次 著 五月書房, 1971)

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