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【前編】青の巨人とムガル帝国の遺伝子――タシケントの「誰やねん」から繋がる建築技法

「歴史やカルチャーは、遠い過去の教科書の中に閉じ込められたものではない。今、僕たちが目の前にしている景色と地続きで繋がっている」

これは、僕がインドでの居住経験を経て、ウズベキスタンという未知なる中央アジアの国を旅した際、脳内に強烈な電気が走るようにして「腹落ち」した体験の記録だ。タシケントでの何気ないツッコミから始まり、サマルカンドの青き遺跡群、そしてかつて暮らしたインドの記憶へと繋がっていく、壮大なカルチャーのロジックをここに綴りたい。

1. 未知なる「スタン」の国へ

「今度、ウズベキスタンに行ってくるわ」

インドで働いていた僕が周囲にそう告げたとき、返ってきたのは一様に「どこそれ?」という疑問か、「スタン系って、なんか危なそうだけど大丈夫?」という心配の目だった。

パキスタン、アフガニスタン、カザフスタン……。日本人にとって、国名に「〜スタン(ペルシャ語で〜の土地を意味する)」とつく中央アジアの国々は、どこか地政学的なリスクや、荒涼とした砂漠の危険なイメージが先行しがちかもしれない。

だが、結論から言うと、その心配はまったくの杞憂だった。 ウズベキスタンは、かつて東西の富と文化が行き交ったシルクロードの中心地であり、現在の治安は極めて良好。夜間に街を歩いても危険を感じることはほとんどなく、何より驚くほどの「親日国」だ。第二次世界大戦後の歴史的な繋がり(これについては後述する)もあり、街を行く人々は穏やかで、アジアから来た僕たちをいつも温かい笑顔で迎えてくれる。

そんな、日本ではまだ全貌があまり知られていない未知なる国へ、僕は休暇を利用してインド・デリーの空港から飛び立った。目的地は、かつてユーラシア大陸を震撼させた巨人が眠る、中央アジアの心臓部だ。

2. タシケントの「誰やねん」とプロフセンター

午前中に首都タシケントの空港へ到着し、僕たちのウズベキスタン最初の一日が始まった(到着後、一眼レフのバッテリーを家で充電したまま忘れてきたことに気が付いた…)。

タシケント国際空港に到着

旧ソ連時代の面影を残す整然とした美しい街並みを抜け、最初に向かった街の中心部の広場で、僕たちは周囲を圧倒するような巨大なブロンズ像に出会った。馬にまたがり、威風堂々と右手を掲げたその男の像は、近づく者を平伏させるような凄まじい威圧感を放っている。

タシケントのアミル・ティムール像。

巨大な像の足元に辿り着いた僕と友人は、しばらくそれを見上げた後、顔を見合わせて同時にこう呟いた。

「これ、誰やねん」

台座に刻まれていた名前は、アミール・ティムール。 当時の僕たちにとって、全く知らない偉人であった。なぜ首都の一等地で、これほどまでに神格化されているのだろう。そんな疑問を頭の片隅に残したまま、僕たちは次なる目的地へ向かった。

次に向かったのは、巨大な大釜でこの国の国民食を炊き上げる「中央アジア・プロフセンター」だ。一歩足を踏み入れた瞬間、お米と羊の脂、速度とスパイスの香りが混ざり合った圧倒的な熱気に胃袋を掴まれる。大釜を囲む職人たちの熱気、皿に盛られた黄金色の米。

大鍋で調理されているプロフ

ここで食べた「プロフ」を筆頭に、この国で出会った数々のウズベキスタン料理は、僕の脳内にある「大陸の繋がり」を強烈に刺激することになるのだが――この胃袋をめぐるディープな食文化の話は、次の中編でたっぷりと語ることにしよう。

3. 博物館での合致、そして夜の特急へ

午後になり、僕たちはタシケント観光を続けた。
まず足を運んだのは、大理石の重厚な佇まいが美しい「ナヴォイ劇場」だ。ここは第二次世界大戦後、抑留された日本人が建設に携わったという歴史を持つ。のちにタシケントを大地震が襲った際、周囲の建物が崩壊する中でこの劇場だけは無傷で残り、避難所として多くの人々を救ったため、現地の人々から今でも深く感謝されているという。日本の土木・建築の質の高さと、抑留された先人の誠実な足跡に、どこか背筋が伸びるような気持ちになった。

ナヴォイ劇場
日本人の建設貢献を称えるレリーフ。同じ日本人として誇らしい。


その後、独特の青いドームが美しい「アミル・ティムール博物館」へ足を運ぶ。 展示を見進めるうちに、午前中に見たあの騎馬像の記憶がカチリと繋がった。 「あ、あの像の人、こんなにヤバい偉人だったのか……」

彼は14世紀、中央アジアから中東、さらにはインドの入り口までを武力で支配する大帝国を築き上げた怪物だった。チンギス・ハーンの破壊の後に現れ、この中央アジアを世界の中心へと押し上げた英雄。そして彼が優れていたのは、単なる武力による破壊ではなく、征服した土地々々から超一流の建築家、職人、科学者、あるいは莫大な富を力ずくでこの国へと集結させたことだった。

点と点だった知識が繋がり、午前中の「誰やねん」という無知なツッコミは、じわじわと畏怖の念へと変わっていった。しかし、彼の影響力の真の恐ろしさを知るのは、ここからだった。

アミル・ティムール博物館の外観。
ぱっと見、博物館には見えない。
中に入ると、豪華な内装と展示が。
お分かりだろうか?ティムールさんだけ、
表情がとても凛々しく勇ましいことに。


タシケントでの濃密な一日を終え、すっかり日の暮れた夜、近くの駅から特急列車「アフラシャブ号」に乗り込んだ。目指すは、ティムールがその富と技術のすべてを注ぎ込んだ、世界最高の青の都・サマルカンドだ。

アフラシャブ号。
内装も綺麗で、快適な鉄道旅になった。


4. サマルカンドの衝撃とインドのフラッシュバック

翌朝、サマルカンドの街を歩き始めた僕を待っていたのは、文字通り「ここもか!あれもか!」という驚きの連続だった。

まず向かったのは、ティムールが愛した王妃のために建てられたという、巨大な「ビビハニムモスク」。門を見上げるだけで首が痛くなるほどのスケール感に圧倒される。

王妃への愛の大きさが分かるスケール感


続いて、彼自身が眠る重厚な「グーリ・アミール廟」へ。内部に足を踏み入ると、壁一面の金箔と青の装飾が、闇の中に静かに浮かび上がっていた。

彼自身のものは控えめ、、、?
と思いきや、彼の功績に相応しい煌びやかな内装が
広がっていた。

さらに、息をのむほど鮮やかな青いタイルが狭い通路の両側に並ぶ霊廟群「シャーヒ・ズィンダ」を歩く。どこを向いても、気が遠くなるようなクラフトマンシップがそこにあった。

美しい霊廟の数々。
それぞれ模様が異なるのも面白い。

少し離れた丘の上にある「ウルグ・ベク天文台」に足を運んだ時、インドに暮らしていた僕の眼鏡が再び大きく震えた。

地面に深く掘られた、巨大な六分儀の遺構。その壮大なスケールと観測のための構造を目にした瞬間、強烈な記憶がフラッシュバックする。 「これ、インドのジャイプールにある世界遺産、ジャンタルマンタル(天体観測施設)とそっくり!」

ウルグ・ベク天文台の遺構。
写真では分かりづらいがかなり大きい。
当時の模型。
インド・ジャイプルにあるジャンタル・マンタル。
これがドームに覆われれば、ほぼ同じなのである。

のちに調べてみると、やはりそうだった。この天文台を作ったウルグ・ベクは、ティムールの孫であり、当代随一の天才天文学者だった。彼がサマルカンドで高度に発展させた天文学や観測データの遺産が、巡り巡って数百年の時を超え、インドのムガル朝の君主たちに受け継がれ、あのジャイプールの巨大な天体観測所へと繋がっていたのだ。

そして、旅のハイライトである世界遺産「レギスタン広場」へ。 朝の澄んだ空気の中、夕暮れの淡い光の中、あるいはライトアップされた幻想的な夜。あまりの美しさに、毎時間、表情を変える広場に何度も足を運んだ。 3つの巨大なマドラサ(神学校)に囲まれた空間。視界を埋め尽くす「サマルカンド・ブルー」の幾何学模様と、空を切り取るような圧倒的なスケールの巨大門を見上げているうちに、脳内で完全に知の電気が走った。

レギスタン広場(午前中)
レギスタン広場(夕方)
レギスタン広場(夜)


「もしかして、インドにあるあのイスラム建築の影響も、元を辿れば全部このティムールなのか……?」

脳裏に浮かんだのは、かつて僕が住むインドで目にした、あの白亜の墓廟「タージマハル」や、デリーにある「フマユーン廟」といったムガル帝国時代の傑作建築群の姿だった。 圧倒的な門の二重構造、美しく玉ねぎ型に膨らむドームのシルエット。それらの美の遺伝子が、目の前にあるサマルカンドの古い遺跡に、そっくりそのまま刻まれていた。

ムムターズ・マハルが眠る白亜の霊廟、タージ・マハル。
派手な模様はないが、下のマドラサ同様、
正面の門の彫刻が同じ造りをしている。


マドラサの正面の門を見上げると、
やはり構造が似ている。


5. 地続きのロジック

その結びつきの背景にあるロジックは、驚くほどシンプルで、かつ強固なものだった。

インドに燦然たるイスラム文化の黄金期を築き上げた「ムガル帝国」。その初代皇帝であるバーブルは、何を隠そう、このアミール・ティムールの直系の子孫(玄孫のその先)にあたる人物だ。

バーブルは現在のウズベキスタン(フェルガナ盆地)に生まれ、祖先が築いたこのサマルカンドの壮麗な建築群を、文字通り「美の最高教科書」として眺めながら育った。彼らはのちに政争に敗れて故郷を追われ、南下してインドを征服することになるのだが、その際、彼らの脳内に焼き付いていたサマルカンドの「美の絶対的ロジック」を、そのままインドの地へと持ち込んだのだ。

ティムールがサマルカンドで世界中から職人を集めて完成させた建築の遺伝子は、何文明ものフィルターを通り、何百年もの時を超え、国境を越えて、あの大理石のタージマハルとして結晶化した。タージマハルについては、今後、書き綴っていこうと思う。

歴史やカルチャーというものは、教科書のインクの中に閉じ込められた退屈な過去ではない。何百年も先の僕たちが今見上げている景色を、地続きで鋭く規定している。

大陸の壮大な繋がりを目で腹落ちさせながら、僕はサマルカンドの心地よい夜風に吹かれていた。

そして、この歴史の繋がりに興奮した僕たちの視線は、さきほどタシケントのプロフセンターで出会った、あの強烈な「大陸の胃袋」へと再び向いていくことになる。国境を軽々と超えていく食文化のグラデーションが、そこには待っていた。

(【中編】『19カ国を繋ぐシルクロードの胃袋――大釜のプロフとノンのグラデーション』へ続く)


最後までお読みいただきありがとうございました。

日常の経験を、知識をもって深く腹落ちさせる――そんな農学徒の眼鏡を通して見た世界のロジックを、これからも独自の視点で切り取っていきます。
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