ノートの文字を極限まで小さく書いていた話 ―面白さを、自分でつくる―
僕は、授業中に眠くなってしまうタイプでした(いまでも映画館に行くと眠くなってしまうのですが…)。睡眠不足というわけでも、不真面目だったわけでも(たぶんね…)、授業が退屈だったわけでもなく、勉強はちゃんとやらなくちゃ、とは思っていました。そんななか、どうやって眠気を断ち切ろうかと考えたときに、ある遊びを思いつきました。
自分なりの、ちいさな遊び
黒板の文字や図を、ノートに書き写す。ただし、めちゃくちゃ小さく書く。シャープペンシルの芯の先を尖らせ、できるだけ小さく。自分でも読めるギリギリのサイズで。一回の授業の板書が、ノート一行でおさまるくらいの凝縮された世界。
何の意味もない行為に見えるけど、やっていると面白くなって、勝手に集中する。
やらなければいけないことをそのままやるのが、少し苦手だったのかもしれません。だから、やるべきことをやらないのではなく、自分なりの遊びに変えていました。
もちろんこんなことずっとやっていたわけではありません。でも、似たような体験をいろいろと思い出します。世界史の一場面をマンガにしたり、友だちと地図帳で地名を探し合ったり、辞書のコラムで紹介されていたアメリカ50州を覚えたり。どれも「勉強しよう」ではなく、「なんか面白そう」が先にありました。

そうやって遊びながら覚えたことほど、今でもしっかり記憶に残っています。「ノートの文字を小さく書く」が一番くだらなくて意味がないけど、エピソードとしてはまっさきに思い出します。
アメリカ50州を覚えていたことよりも、もっと大事なものが残っていました。与えられたものを、そのまま受け取らないこと。自分なりの遊びを作ること。面白がること。そして、楽しみながら集中すること。授業中にノートの文字を極限まで小さく書いていたのは、その最初の練習だったのかもしれません。
面白いが先、学びは後
そして、その感覚はずっと変わっていません。学びが嫌いなわけじゃないのですが、ただ、学びを目的にするとワクワクしないんですね…。それよりも「面白そう」を先に持ってくる方が、自分にはしっくりきます。「面白いこと」が好きだったというより、「面白くすること」が好きなのです。
仕事でいえば、「デザイン力を高めたい(から学ぶ)」というよりも、「この会社の魅力って何だろう」「どうしたら伝わるんだろう」と考える方が先。人や会社の面白さを発見して、それをどう表現しようかと考えているうちに、必要なことを覚えていった。そんな感覚に近いかもしれません。正解を探していると手が止まるのに、「面白い」をきっかけに急に前に進むこともあります。
実は、これは社内でもよくやっています。朝礼で誰かが他社事例などの情報共有をしているとき、それをそのまま情報として受け取るのではなくて、「それって、エルだったらこういうアイデアにしたら面白いんじゃない?」と、つい口にしてしまいます。面白いこと、自分でもやりたいんです。
目の前にあることを少し違う角度から見てみる。別の組み合わせを考えてみる。そして、「これを自分たちだったらどうするだろう?」と考えてみる。ただの情報だったものが、急にアイデアの種になることがあります。
面白いから続く。続いているうちに詳しくなる。気づけば仕事にもつながっている。「学ぼう」と構えなくても、面白がっていれば、学びは後からついてくる。自分の中では、ずっとそんな順番だった気がします。
面白くする力
人にはそれぞれ、自分だけの面白くするスイッチがある気がします。ノートの文字を極限まで小さく書くのはあまりおすすめしませんが(笑)。自分の中に今でも残っているものは、遊びながら身につけた知識といよりも、遊びを作る姿勢の方だったと思います。
アメリカ50州の名前は、いつか忘れてしまうかもしれません。でも、自分なりの遊びを作ること。目の前のものを少し面白くしてみること。そういうものは、案外ずっと残っています。面白さは、最初からそこにあるものではなく、自分で作るものなのかもしれません。
