小説『雑音』
【あらすじ】
2021年、あるウイルスに感染した主人公は、後遺症を患った。その後遺症とは、全ての記憶が忘れられない体質になることだった。同時に、過去の記憶も蘇った。それは遺伝子レベルで刻まれていたものも含めてのことだった。前世の記憶も。
前世から過去の記憶を辿るうちに、地球上の歴史には記されていない「人類の記憶」までが蘇っていく。

1.
「こんにちわー」
「こんにちは」
「渋谷警察署、渋谷駅前交番です」
「はい」
「今近くで通報が入ってきたんですけど、お兄さん、いま何をされていますか?」
「あ、いえ……なにもしてないですけど。え、私にですか?」
「そうです。お兄さんの通報がありました」
「はい」
奥村泰希は、横断歩道のど真ん中で立ち尽くして動かなくなっていた。
「渋滞しててみんな迷惑してるんです。お兄さん、渡ってくれますか?」
我に返った。自分でも驚いた。止まっていた時間が、急に動き始めたような感覚だった。なぜ警察の声だけに反応できたのかはわからないが、周りの車からは怒鳴り声や罵声を浴びせられていた。
私はときどきこういうことがあるらしい。そのときは周りの反応で気づく。
この前は、ファミレスで友達と食事をしているときだった。
「おい、おく! なー、おい、おく!!!!」
私はずっと考えごとをしていたらしい。
「あ、ごめんごめん」
「おい何考えてたんだよ、お前怖いよ」
「ごめんて、そんなに? どんな顔してた?」
「どんな顔じゃねーよ。まったくお前はそういうところあるから気をつけろよ」
「わかったって。お前の前だから気を許してるだけだって」
「そうか? ならいいけどさ。急に止まるから怖いんだわ」
そんなことが何度か親友の平塚の前ではあったけど、今回はそういう次元ではない。
え? 横断歩道のど真ん中で立ち尽くした?
おれ、大丈夫か?
「プーーーーーーーー」
車のクラクションが鳴り響く。警察に誘導されて横断歩道を渡り切った。
「お兄さん、今後こういうことはやめてくださいね」
「はい」
とりあえずこの場は、お巡りさんの言うとおりにするしかなかった。
原因はわかっている。たぶん、『雑音』のせいだ。あの空想物語の続きを頭の中で考えながら街を散歩していたせいだ。
おれは昔から、メモ帳に自分の普段あったことを記すことが日課になっていた。そのフォルダと類別することなく、同じような要領でこの小説を書いていた。私は、実際に起きたことなのか、自分の空想での出来事なのか、区別がつかなくなっていた。
だけど、冷静になればわかる。『雑音』は、今朝作った物語だ。
お巡りさんは遠くに消えた。
SF小説とは謳っているものの、小説になっているんだろうか。
「まあ、どうでもいいや。そういう日もある」
一人で呟き、また歩き始めた。
ただ、歩くとまた考えてしまった。今さっき電車で書いているときは自分でも現実との区別くらいついていた。そのあと電車は渋谷駅に着いたところで下車したはず。それで、渋谷で散歩しながら考えごとをしていたのか。
まって、現実と、自分で考えていることが区別できなくなった? それってかなり重症じゃないか。
妄想?
幻覚?
普段からなんか自分変だなって感じる時はあるけど、これはさすがにだめだ。
これ誰に相談すればいいんだ……。
「あ、ごめんなさい」
渋谷の街は混み合っている。おじさんと肩がぶつかった。自分が謝ったことにも苛立つ。完全にあっちからぶつかってきたのに。
え、でも今も自分で考えごとしてたからなのかな。
え、ほんとに誰に相談すればいいんだ。
親に相談したら病院に連れてかれそうだ。やっぱり、あいつに全部話すしかないな。
LINEを開き、平塚の文字をタップし、メッセージを送った。
「ごめん、平塚、今週空いてる?」
数秒で既読がついた。
「おう、どした? いいよ」
「ちょっと相談したいことある」
「いいよ、土曜日いつもんとこでいいな?」
「おけ」
スマホの縁のボタンを押し、画面は暗くなった。
あいつどう思うんだろ。でも笑って終わりだよな。まあ、それならそれでいいか。
土曜日までに、『雑音』も完成させて、これもあいつに読んでもらうか。
まあそれまで気長に、続きを作ろう。
2.
『雑音』
奥村泰希
あらすじ
(目が覚めると知らない他人の赤子として生まれ変わっていた。その大人に育てられ、成人を迎えた。ある日、あることがきっかけで、忘れていた前世を思い出した。蘇った記憶を遡り、前世の自分に課されていたミッションと、世界の真相を知った。
世の中のタブーに触れたSF小説。)
(1)
俺は知らない他人の赤子として生まれ変わった。純粋無垢な赤子にとって、大人の声と世の中の主張の強い言葉や物たちは雑音でしかなかった。
広がる世界の全ては、交通事故で亡くなる数秒前の目の前に広がるトラックのような、押し潰してくる衝撃でしかなかった。
実際、トラックとの交通事故が死因だったからだ。
トラウマだ。
では、この知らない私を見てくる大人たちは誰なのだろうか。
しかし、すぐに理解した。俺は、大人だから。この見えている光景から、自分がどんな立場に生まれ変わったのかも理解した。
俺のこれまでの記憶は全て「前世」と呼ばれることになるんだ。
とにかく大人の雑音がうるさかった。
世の中は雑音に塗れている。声も音でしかない。
必要としない音ばかりで自分の存在がかき消される。おれは対抗手段として産声を上げた。
それから自分の存在を確立させていった。
「たいちゃん」そう呼ばれた。呼ばれる名前すら雑音だった。なぜならおれには名前があったから。「そんな名前で呼ぶんじゃない」と思っていたものの、良心が痛むのは俺の方だ。仕方なく名前を受け入れた。
気づけば自分の本当の名前すら忘れていたし、本当はどんな存在だったかすら忘れてしまっていた。
おれは「たいちゃん」、「奥村泰希」(オクムラタイキ)なのだ。
そう思って生活して、23年が経った。
この年にもなってみれば、2歳以前の記憶なんてほとんど忘れてしまっている。もちろん、「たいちゃん」と呼ばれる前の記憶なんてものは存在しない。
「前世なんだと思う?」そんな学生時代の友達の会話には冷めた口調で「わかんない」と答える側の人間だった。
しかしある日を境に、そんな自分の考えがひっくり返った。全ての記憶が蘇ったのだ。
それは俺がガラナウイルスに感染した日だ。
一昨年の夏、俺はガラナウイルスに感染した。あのときから、奥村泰希より前の記憶、消えていた記憶が甦った。
つい最近あったことも、これまでのことも。
忘れていた記憶が全て蘇った。
(2)
「人間という生き物は、忘れる生き物である。人間にとって、忘れることが一番の武器である」
これは、たしか大学の非常勤講師が言っていた。辛いことも忘れるから、生きていられるそうだ。
忘れていた辛かった思い出が、蘇るフラッシュバックを経験した。
それと同時に、忘れてはならなかった大切なことも思い出した。
俺にとって、このフラッシュバックは、奥村泰希として生まれる前の記憶から、つい最近の些細なことまでだ。
内的要因も外的要因も。
発症したガラナウイルスの後遺症は、全ての記憶が事細かく蘇り、全て見て感じて生きてきたことを忘れられない身体になったことだった。
そもそもガラナウイルスとは、2019年あたりから蔓延し始めた、宙国矢漢から発症したウイルスだった。パンデミックが起こり、マスクが義務のような生活。マスクをしていない人や、咳をしている人は冷たい目線を浴びせられる。
そんな生活の始まりは、ワコクの元号が「レイラ」に変わり、一年足らずでの出来事だった。
2020年1月16日、国内で感染者が初めて確認された。
ガラナウイルスが存在しなかったワコクの「レイラ」は、8ヶ月間しかなかった。
だからこそ、新しい時代の生活の当たり前になってしまった。
感染者の中には死者も出て、世界は恐怖した。
それから約5年が経ち、現在2024年では、ガラナウイルスという言葉すらほとんど聞かなくなった。
ガラナウイルスが現在もあの「おうち時間」のときのように存在していることは確かであるが、咳をしている人がいてもそんなにあの頃ほど驚かないし、鼻を啜っている人がいても「花粉かな?」ぐらいにしか思わない。
実際、友達といるときに俺が鼻を啜っていても、「たいちゃん花粉?」と聞かれたりもする。
当たり前のようにまだマスクをしている者もいれば、マスクをしない人間だっている。
これがガラナとの共存というものなのだろうか。
ただ、未だにワコクジンだけがマスクをし続けている理由は、新しい時代の常識というイメージが強いからだろうか。
結局のところガラナウイルスとはなんだったんだろうか。これを説明できる人はいま世の中に専門家以外でいるだろうか。それとも、専門家さえも説明できないのだろうか。はたまた説明している専門家は、わかったふうに世の中に説明しているのだろうか。
早くこのウイルスが消えて欲しい。そう思う。その理由の一つが、「偽造の平等」が蔓延したからだ。
ウイルスそのものの効果のことはわからないが、風潮としてそんな風に思えた。
マスクを全員したことによって、視線主義になって、見た目がよければそれで良しというような風潮が流れたように思えた。
心を殺してまで外見だけを整える。言葉の外見、行動の外見。本当の音、本音を閉じ込めた世の中。言葉にユーモアがなくなり、自然に笑う人が少なくなったように思う。
本当のことだけ言わないといけない。空気を読みながら、DNAに刻まれた平等のマニュアル通りに生きる。正しいことをし続ける。
人よりも上に立ちたい。そんな野心を持つと出る杭を打たれる。
非常識な人間が常識のある人間になったり、いじめの言葉でもあった「空気くん」は、空気を読める人間として扱われた。上手く世渡りしていた人は失敗する回数も増えた。
心身ともに平等であるためには、みんな同じように苦しまなければならなかった。
平等を守りつつも、常識は変わり続けた。
楽しい思いをすれば、いつか苦しまないとならない。平等に働けば、平等に金を与えられ、平等に食事を取ることができ、平等に寝ることができた。
ただ、平等に苦痛を味わうことがなければ、その平等にさえ手が届かないシステムだった。
ウイルスは何も無関係で、それは以前から変わらなかった?
それは、「忘れている」だけだと、奥村泰希だけが思い出した。
おれは、いやなことを忘れられる楽観的な幸せものだったかもしれない。だから、全てを思い出され苦痛を浴びたのだと思っている。
挫折も経験した苦痛も、自分の過ちも全て己に襲いかかった。
本来、忘れていたことが蘇ったならば、もともとの自分の記憶なのだから、「蘇った」という感覚すら残らないはずだ。「思い出した」という感覚だ。しかし、忘れていたことすら覚えているおれは、蘇ったことを知っている。
人間は平等だ。
「奥村くんって悩みとかなさそうだよね〜」
そう言われていた俺が、今苦しんでいるのだから。
自宅療養期間に家に長いこといた分、寝たきりの時間が多かったため、自分と向き合う機会が増えた結果、誰にも会わなかったことも相まって、ただ自分の忘れていたことを振り返っただけなのかもしれない。
それはそうと、自分以外にもガラナウイルスに感染した前後で人が変わったようにしている人間はゴロゴロいるのだから、ただそれだけではないことは、私にははっきりとわかる。
当の本人は、それすら忘れてしまう、正常者であると思う。私から見れば、変わったことも忘れてしまう幸せ者のように思えた。
私は、他人の過去の過ちも、自分の過去の過ちも、人がどのように変化したか、自分がどのように変化したか、忘れられない。人の感情に関わることは全て忘れられない。自分自身のことも、他人のことも。
これは、大学の非常勤講師の言葉を借りれば、「武器のない生き物。人間ではない」のかもしれない。人間ではないならば、私はなんだろうか。
無理やりでも〇〇な人間として評価するならば、可哀想な人間、暗い人間、精神的にイカれている人間なのだろうか。
そこまで言っていない。そう言われても、自分自身でわかっている。普通ではないことくらいは。
ウイルスの後遺症で、この現象が発生したのは世の中で私しかいないこと、なぜ私がこの後遺症を持ってしまったのか、全て思い出した。
思い出した感情や記憶を文字にすれば、小説として物語にすれば、消化できると思った。そうすれば、異常者ではなく、フィクションを書く小説家という立ち位置を確立できると思った。
自分の記憶をフィクションとして扱われることに、心を決めた。
変な人として扱われるよりはずっといい。そう思った。
誰も一言も喋らない東京の電車の一席で、周りに負けじとスマホに集中し、メモ帳に俺の覚えている限り全ての記憶と感情を打ち込んだ。
(3)
たいちゃんと呼ばれた赤子は、奥村泰希としての人生を23年間過ごした。その人生のほとんどを楽観的に、忘れることで自分を守り続けてきた。
そんな自分の思い出した記憶の本当の人生は、「奥村ー!」と雑に扱われる人生だった。
そんなことよりも、重要なのは、それ以前の記憶だ。
奥村泰希として生まれる前は、トラックの衝突事故で亡くなった園田光信としての人生だった。
私は、1940年から1964年まで、園田光信としてごく普通の生活をしていた。
私が5歳の頃には第二次世界大戦が終戦し、世の中は良い流れを見せていた。
終戦の次の年、日本で初めて煙草が発売された。この時、私は6歳であったが、親の目を盗み吸ったことは、もう時効以上に、前世であるのだから笑い話にしたい。
それが理由で、奥村泰希として生まれ変わった現在も煙草が好きなのだろう。
64年の真夏、東京オリンピックが近づき、世の中が盛り上がりをみせていた頃だった。
当時25歳の俺は、若くして死んだ。
交通事故だった。脇見運転で目の前に割り込んできたトラックに衝突して、気づけば、死んでいた。
そして、一旦「B-150pull-g383」として、「B-150pull」という星に戻ってきたのだ。
(4)
地球という恐ろしさを知らしめられた。
私の本来の姿は、「B-150pull」という650光年離れた星から派遣されたアバターだった。
地球の人間と言われる生物は、40%がB-150pullからの派遣アバターと言われている。
その40%の派遣アバターは、自分の本来の姿を忘れ、人類に馴染んでいる。
であれば、なぜ生まれ変わり奥村泰希となった後、なぜ私だけがそれに気づけたかと言うと、私が、B-150pullの研究長に気に入られていたからだ。
これを言うと、この星でガラナウイルスを作ったと思われかねない。しかし、それは違う。それは全くの事実無根である。
その事についての細かい話は、後ほどするとしよう。
話は戻るが、私だけが記憶を取り戻せるように、地球に向かう前に設計されたのだ。
研究長というよりも、「B-150pull」という星そのものなのだが。「B-150pull」という星の中では、「B-150pull」という星の本体が、分身のように研究長アバターとして生きている。
その他のアバター約500億体は、研究長によって作られた。
つまり、この星のボスに気に入られているのが、私、奥村泰希というわけだ。このたいちゃんと呼ばれるこの名前はもう慣れたが、私の本当の名前は、「B-150pull-g383」だ。
私は、B-150pull-g383として、他のアバターとは違う目的を持ち、地球に向かった。私は、地球で、人間の赤子として生まれた。
しかし、地球とは不思議なもので、第1回目の派遣の際、B-150pull-g383であることを忘れ、園田光信という名前で人生を送った。地球は、酸素と水があることが特徴として挙げられるが、「pull研究長」から言わせれば、本来の自分を忘れてしまうなにかが存在する星だという。
なぜ存在しているのか忘れてしまう何かがあるという。
それは、人間社会に紛れた我々アバター以外、残り60%の人間も、時々その現象に陥るという。
[その原因を突き止めるため、私は派遣された。]
私は、本来の目的を忘れ、他のアバターや、残り60%の人間のように、何気なく普通の生活を送った。
一度目の派遣は、本来の姿を忘れたまま、24年の園田光信としての生涯を終えた。研究長は、自信作だった私でも、記憶を忘れる地球の仕組みに頭を抱えた。
それから37年の時を経て、西暦2001年、新たに改良版「B-150pull-g383-2」として、二度目の派遣が行われた。今回の研究長は自信に満ちていた。そう感情として捉える私は、人間に染まっているからなのだろうか。
研究長は、もう一度私を地球に送った。今度は、奥村泰希という名前で、たいちゃんと呼ばれながら、23年間生活した。結局二度目も同じように、自分の本当の姿、本来の目的を忘れて生活した。
ガラナウイルスが発症した21歳まで思い出すことすらできなかった。それは、間接的ではあるが、私だけが忘れた記憶を取り戻すためのpull研究長の対策のうちの一つだった。
コペルピグネットがこんな風に扱われることに……。そんなことすらも忘れていた。
全てを思い出した私には、思い出した記憶を伝える権利があると思う。
pull研究長から託されたミッションは、
「覚えている全てを伝えること」
だった。私、B-150pull-g383-2が知っていることを全て、なんらかの形で伝えていくことだった。
全てを思い出した私は、小説という手法を選んだ。なぜならば、フィクションとして伝えることで、生活も続けていくことができるからだ。
変な人として扱われることなく、生活していくことができるからだ。そうしなければ、陰謀提唱者か何かとなりかねない。そうなれば、冷ややかな目を向けられることはわかっている。
今は、少なくなったが、東京の至る所に、マスクやめよう運動のようなデモ活動者は、ガラナ禍真っ只中の2021年前後多くいた。駅前で看板を持ち、なにかの陰謀を唱える怪しい集団として扱われている集団をよく見かけることがあった。
そして、私もあの人たちはなにかに洗脳された人なのだろうと思った。しかし、ああいう部類ではない。
知っていることをありのまま伝えているだけだ。
ニュースでもよく報道されていた。宙国矢漢にある、研究所に対する疑念の声も多くあった。
伝え方が少しでも失敗し、妙な切り取られ方をすれば、あの矢漢にある研究所と同じ研究所とも受け取られかねないし、そのことから、私は、B-150pullの話をするのはリスクが高すぎると思っていた。
ただ、B-150pullの研究長の事は、私を生み出してくれたただ1人の親であるため、しっかりと真実を伝えたかった。
だけど、受け取られ方によっては、私もどうなるかわからない。そして、研究長への批判が計り知れないほどの憎悪がのしかかり、全世界のヘイトが向くことは容易に想像がつく。
ただ、私は知っていることを話す責任がある。
pull研究長からのミッションを信じて、SF小説「として」書き続けることを選んだ。
いや、SF小説「なのだ」。サイエンスフィクションだ。
(5)
コペルピグネットという記憶を1ミリの物質に収納する技術を研究長は開発した。
この物質は、地球の「忘れる」という電波のようなものから自分自身の記憶を守ることができるという。
詳しいことはpull研究長に聞かないとわからない。話が難しすぎてわからなかった。
「…どういうことですか? わからないです」
「ああ、それでいい。とりあえずそれを持っていけ」
私は、この物質を託された。
とりあえず重要なものであることはわかっていた。しかし、この物質をある人物に盗られたことが、ことの発端だった。
この物質は、地球に住むある組織が狙っていた。
それが、宙国矢漢の研究者達だ。
私は、彼らに拉致され、コペルピグネットを奪われた。宙国矢漢の研究者達は、コペルピグネットを悪用した。
奴らは、仕組みを改ざんし、人類のDNAにあるマニュアルを組み替えるようシステムをつくった。
宙国矢漢の研究者は、独自に開発していたガラナウイルスに改ざんしたコペルピグネットのデータを付属させた。ウイルスは瞬く間に拡散された。
拡散力に伴い、感染者は、改ざんされた「偽造の平等」というマニュアルをDNAに刻まれた。
pull研究長に託されたコペルピグネットは、宙国矢漢の研究所によって悪用された。
その内容は、こういうものだった。
[①本来人間は、感情というものが独立して存在していた。その上で補う形で三大欲求というものが存在していた。
↓
②「感情」というものは、三大欲求によって構成されるもので、人間とはその器でしかない。全員同じ器なのだ。それをみな平等に保たなければならない。
①から②に変更する。]
そんなことを遺伝子レベルで促すシステムだった。
しかし、私にだけコペルピグネットが正常に機能した。
組み替えられたシステムではなく、私の守られていた記憶が復元したのだ。
私は、全ての記憶が蘇った。
私の知る記憶の中で、人間は、もう少し思いやりの感情を持っていた。
感情が独立して存在していた。綺麗な景色を見て癒される感情や、目を見て、この人が見る世界を守ってあげたいと思う心。それは人以外の動物にも言えること。
思いやるという形で存在していた感情が、本来の平等だったはずだ。みんな同じように幸せでいたいという心があった。
それがガラナウイルスのパンデミック後、まるで我慢することが平等である、同じように苦しむことが平等であるかのような空気が蔓延した。
人々は「偽造の平等」に感染した。
ありのままな自由で、お互いを高め合って生きながら築き上げた平等が、今の世の中では、平等の苦労の中、相手を下げることによって自分の地位を確立させ、敬わせたいという欲求でしか構成されていない。
結果的に、全員が同じように落ちていき、暗くなり、同じように苦しくなり、平等となる。
こうなったのも、あのウイルスに組み込まれて改ざんした矢漢の研究所の人間のせいなんだ。
私の星のpull研究長から託されたB-150pullの希望だったコペルピグネットを悪用されたことを、私は許さない。
(6)
私は赤子として生まれ変わった。
世の中には雑音から守ろうとしてくれる人たちがいた。
純粋無垢な赤子にとって大人は、世の中の主張の強い言葉や物たちから守ろうとする心の大きな人だった。
前世の葬式にも、泣いてくれる人がいた。今世もそんな人に巡り会いたいと思った。
この知らない私を見てくる大人たちは誰なのだろうか。
しかし、すぐに理解した。あなたたちは、大人だ。優しい思いやりがある方の大人だ。
前世も今世も記憶の全てをコペルピグネットの中にしっかりしまっておきたいと思った。雑音のある世界の中にも、こんな人たちがいるのだから。
声は心に響いた。
声は私の存在を確立させた。
おれはそんな人たちに応えるために、産声を上げた。
「たいちゃん」そう呼ばれた。そう呼ばれるのが今世なら、今世はたいちゃんでありたいとして生きたいと思った。
「B-150pull-g383」も、「B-150pull-g383-2」も、「園田光信」も、「たいちゃん」も、「奥村泰希」も、全て私の名前だ。
両親を受け入れ、名前を受け入れた。
私は、「たいちゃん」として、「奥村泰希」として、23年間を全力で生きてきた。辛いことも嫌なことも悔しいこともあったけど、その度に楽しいことも、おもしろかったことも、人の優しさを知ったこともあって、奥村泰希としての人生は幸せだった。
そのことを思い出した。
私が関わってきた人たちも、みんな人から愛されてきた一面や、優しくしてくれた一面も、一緒に楽しんだことも、何一つ忘れていない。
だからこそ、コペルピグネットを取り返したい。全て記憶が戻ったように思えたが、まだノイズがかかっている部分がある。
雑音を正確に聞き取りたい。そのためには、あの宙国矢漢の研究所にいずれ行かねばならないと思っている。
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3.
「ちょっとまって、これお前が本当に経験したことじゃない?」
そう言われてドキッとした。笑うべきだったか。顔が引き攣った。
「まさか。おれのフィクションだよ。作った小説だよ」
「だってほら、お前こういう小説とか書くタイプじゃなかったじゃん」
「いや、別に小説は読んだりしてたよ? 小説は昔から読むの好きだったしさ」
「だから書いたりしなかっただろって聞いてんの」
「まあたしかに書くことはなかったかな」
「なんで急にこの物語書こうと思ったん。アイディア降ってきたん?」
少しバカにされたように感じた。
「いや、普通に思いついただけだよ」
少しキレたような笑い方をしながら話してしまったかもしれない。喧嘩みたいな雰囲気にしたくないのに。
「蘇ったんじゃなくて?」
やっぱりだ。やっぱりこいつバカにしてきやがってる。
「バカにしてる?」
一応笑いながら言った。これもユーモアになればと思った。
「バカにしてねーよ。俺こういうの好きだから本当にこういうこと起こらないかなって思っただけだよ」
なんだそういうことか。それは嬉しい。そうだ、こいつこういう系の映画とかすきだったよな。やっぱこの小説いけるんじゃないの。いい作品になるんじゃないの。おれは初めて評価をもらって、自信になった。
「なんだ、そういうことかよ」
2人で笑った。
「ってかさ、これってコロナウイルスのオマージュ的な?」
やめろよ。そこの言葉控えていたのに。直接的表現すぎて、批判されると思ったんだ。
実際に死者も出ているんだから、そんな直接的な表現使ったら、ブーイングの嵐だろう。一度はコロナウイルスという言葉にしてたけど、不謹慎だと思ってわざわざこの物語上での名前を変えたのに。
「いや……。まあ」
「そうだろ。やっぱさ、おれこういう陰謀みたいなやつ好きなんだよね。YouTubeとかでこういう陰謀系の動画ばっか見てんだ」
「知ってる。昔からそうだったよね」
「そう、だからこの作品まじおもろかった」
「まじ?! え、まじか、めっちゃ嬉しいわ」
おもしろいって言ってくれるとは思わなかった。やっぱ自分が生み出したものをおもしろいって言ってくれるのって何よりも嬉しいものだな。
その後はたわいもない会話が続いた。
「ばかっ、お前は笑いすぎだって。周りの人見てるから」
こいつに嫌われたくないな。
結局、平塚にはこの間の渋谷での出来事は言わなかった。そのままいつものファストフード店を出て解散した。
言っていたらなんて言われただろうか。
でも、平塚「ちょっとまって、これお前が本当に経験したことじゃない?」って言ってたな。あれ、笑いのために冗談で言ってたのかな。本気で言ってたんかな。
あんとき、この物語での出来事と現実が区別できなくなっていることを伝えたら、どんな反応してたんだろう。やっぱり言うべきだったよな。
駅に着き、4番線に向かい、電車に乗り、席に座った。
4.
街を出ると、人が消えていた。まただ、1人になった途端こうだ。そして3秒後、人が戻った。その瞬間、人が全員こちらを見た。いや、見てないか。全部気のせいだ。気のせいだ。気のせいだ。気のせいだ。いや、気のせいではないのか。区別がつかない。考えていることと起きていることの区別がつかない。境目が消えた。自分と他人の境目が消えた。この人たち、いや、人ではない。こいつら誰だ。全員顔が緑色だ。これは、俺の創作の世界ではない。確実に現実だ。こちらを全員が睨みつけている。そうか、俺が今止まっているからだ。動き回るこの東京で俺だけが今止まっている。なんだ。流れを崩したのか。人より動き、人間という社会の一部になって動き続けないといけないのか? 人の集合体が人間という社会なのか。じゃあ人間という社会の細胞として俺は動き続けないとダメなのか。止まってはならないのか? だけど、俺は止まったのか? 動きを止めたのか? だから動けとこちらを睨んでいるのか? なんだ、この世界は、何が起こった。そしてまた人が消えた。3秒後には人が戻る。このループが何度も何度も繰り返された。そして、その度に人の顔色が違う。黄色、赤、緑、青、これが不規則に繰り返される。なんだこれは。そして足が止まる僕をそいつらは睨みつける。なんだ。ここはどこだ。東京ではない。僕は走って逃げた。電車に駆け込んだ。乗り込んだ電車内は今度は全員が下を向き、顔を黒く塗りつぶされている。ここでは全員が止まっている。さっきの街とは真逆の生物だ。なんなんだ。なにがこうさせるんだ。僕は精神がおかしくなりそうだ。そして僕はガラスを割り、線路に身が放り出された。死んだかと思ったが生きていた。ぼんやりと景色は雲がかり、たぶん、電車は止まっている。僕のせいだろうか。めまい? なに? 時間が止まっている。ここはどこだ。ん? なに? 電車? ガラスを突き破った? なぜ。顔が黒い人たち? なぜ? 僕はどうして? 僕は、僕は、僕は、全てがおかしい。ん? これは望んでいた死? ふわふわしている。心もじんわりと血が染み渡り、脳も割れて上にはカラスが十匹くらい渦を巻いて回っている。こっちに来るんじゃないぞ。突くんじゃないぞ。あ、せっかく死ぬんだったら最後に、最後に……最後に……
「また死か……」「また?」
僕はまた生まれるのだろうか。勘弁して欲しい
パンクだ……
コペルピグネット……
ぶっ壊れた……
記憶と記憶が……
忘れない分……
容量ちっせぇ……
これが世に言う精神の崩壊。
コペルピグネットがパンクした。
5.
絶対的な場所……
絶対的な場所。
絶対的な守られる場所があれば……
次の人生、僕は……
