【2分で読める短編小説】霧の晴れた朝に
教科書を閉じたあと、後ろのソファに吸い寄せられるように倒れ込み、深いため息をついた。
時刻は夜の十一時を回っていた。
明日は大事なテストの日だ。
浪人生になると決まったあの瞬間、頭が真っ白になった。
ネットで合格発表の画面を見つめながら、まるで自分だけが取り残されたような気がした。
この一年間、また落ちてしまったらどうしようという不安が、ずっと頭の中を駆け巡っていた。
まともに眠ることもできず、頭の中に霧が広がっていく。
気分転換に、コンビニにでも行こうか――。
両親を起こさないように忍び足で階段を降り、玄関のカギ置きから自転車のカギを取って外に出た。冬の夜は凍えるほど寒い。外灯の明かりを頼りに、自転車のカギを差し込み、漕ぎ出す。
コンビニに着いたとき、背後から声をかけられた。
「永斗くん?……ひさしぶりだね」
「……星のおっちゃん?」
昔よく通っていたプラネタリウム博物館の職員さん――“星のおっちゃん”の姿がそこにあった。
「懐かしい呼び名だね。元気そうでなによりだよ」
元気かどうかは、正直自分でもよくわからなかった。
「でも、こんな遅くにどうしたの?」
「明日、大学受験なんですけど……寝られなくて」
「そうか」と短く呟いたあと、星のおっちゃんは微笑みながら言った。
「星を見に行こうか」
その言葉で、あの場所が頭に浮かんだ。
近所の丘公園。星のおっちゃんと一緒に、季節ごとに星を観察した思い出の場所だ。
二人でベンチに腰掛ける。こうして一緒に星を眺めるのは、小学校を卒業して以来だった。
しばらく冬の星空を見上げたあと、星のおっちゃんが口を開いた。
「永斗くんが、プラネタリウム博物館の来場者十万組目になったの、覚えてる?」
「……あー、そんなこともありましたね」
「そのときの写真、ホームページに今も残ってるんだ」
スマホの画面を僕に見せてきた。そこには、両親に挟まれた僕が写っていた。
僕は暗い表情で、うつむいていた。
「このときの永斗くん、すごく悲しそうだった。
何か声をかけてあげたかったんだけど、何も言葉が出てこなくて……それが、ずっと心残りだったんだよ」
「星のおっちゃんが、そんなふうに思ってくれてたなんて……」
「永斗くんが星を見て、元気になっていく姿がとても嬉しかったよ」
「実際、星を見て勇気をもらえたんです。学校にも行けるようになったし、感謝してます。でも最近は、またあの頃に戻ってしまうんじゃないかって不安で……。大学受験に落ちてから落ち込むようになって、頭がうまく回らないんです」
星のおっちゃんは、空を指差した。
「ほら、あそこに見える冬の大三角。あの三つの星は、近くにいるように見えるけど、実は全然違う場所にあるんだ。でも人は星を線で結んで、意味や物語を見つけ出す。
僕たちの人生も、同じなんだと思うよ。辛かったこと、楽しかったこと、悲しかったこと―全部がつながって、ようやく人生の意味が見えてくる。だからね、どんな経験も、決して無駄じゃないんだよ」
帰り道、僕はホームページの写真のことを思い出していた。両親に初めてプラネタリウムへ連れて行ってもらった日のことだ。不登校気味だった僕を、外に連れ出してくれた。ドームの中に広がる星空は、今自分が生きている世界とはまるで違って見えた。
星のひとつひとつが堂々と光を放っている。それなのに、お互いを干渉し合うことはない。どの星が綺麗だとか、大きいだとか、そんなことは気にせず、それぞれが、自らの輝きを誇らしげに放っているようだった。
「あるがままでいい」
そんな星の声が、僕には聞こえた気がした。
星空を見上げ、立ち尽くしている僕に、父がそっと声をかけた。
「今見ている星のひとつひとつに、名前があるんだ。でも、名前がないときからずっと光り続けているんだよ」
家に帰ると、玄関先に父と母が立っていた。
「星を見に行ってたんだ」
「そうか」
少し黙り込んだあと、父は続けた。
「永斗が頑張ってること、パパとママはちゃんと知ってるからね」
その瞬間、こらえていたものが崩れた。
僕は声をあげて泣いていた。
霧の晴れた朝が、もうすぐそこまで来ていた。
いいなと思ったら応援しよう!
短編小説いろいろ書いてます✍️ 楽しんでいただけたら、チップで応援してもらえるとすごく励みになります!