すぐに冠水する街、家具を窓から宙ずりにする引越し業者、そして、優しくてたのもしい、中国の友人たち
今もふと思い出す言葉がある。
「すばらしいスタートになりますように」。
私たち家族が中国で新生活を始めた頃、引っ越しを担当してくれたある中国人の青年が、片言の日本語で投げかけてくれた言葉だ。

2017年春。夫に転勤辞令がおり、私たち家族は中国は広東省・広州で新生活を始めた。
中国と聞くとどんな印象を持つだろう?
餃子にパンダに万里の長城。はたまた声の大きな中国人に大気汚染だろうか?
きっとそのどれもが中国の一側面で、でもそれ”だけ”じゃないのがまた、中国という大国。

駐在が決まった当初、中国に対する明確なイメージも持てなかった私には、新天地での生活が不安でしかなかった。
餃子もパンダも印象にはあったけれど、日本のメディアなどから時おり聞こえてくる中国に関するニュースからは「リアルな中国」がどんなものかは今一つ見えてこなかったし、駐在が決まるまで私自身、実際の中国事情を知ろうとさえしていなかったことを思い知った。

小さな子ども連れて、健康無事で過ごせるんかな。治安はどうなんやろ?緊急時でも救急車とかあんま信頼できなさそう。水はぜったい飲めへんやろな…。てか中国の人と話、合うんかなぁ。
今となっては笑い話だけれど、よくわかっていないからこそ中国生活に対して、根拠のない不安をいろいろと増大させていた。
で、リアルな中国はどんなだったか?
中国ライフが始まると、たった数日でも想像をはるかに超える景色をたくさん見ることとなる。
それは例えば…
日本ではおそらくあり得ない、斜め上いく家具の搬出方法であったり


おすすめされ、おしいなぁと食べた麺の具材がネズミちゃんだったり

雨が降ればすぐ冠水して陸の孤島となる街だったり

でも実は、私が中国で目にし、いちばん心動かされた光景は、中国の人の懐の深さにあったと思っている。

新生活がスタートしてすぐ、私たちが住んだ”鳳凰城”と呼ばれる住宅街は、日本人駐在員の家族が住むエリアからは少し離れていて、それゆえ住まいの周りはほぼ中国人ネイティブオンリーという外国語習得にあたっては最高の環境だった。
最高とは言ってみたけれど、日本語が今ひとつ通じない環境というのは、中国語初心者の身からするとなかなかに緊張感が伴うもの。朝起きてから寝るまで、ものを買うにもバスに乗るにも、いったん「よしっ」と気合を入れる必要があった。

この点は想像通りで、やはり中国の人は声がでかく会話時の勢いもあるため、こちらが自分の中国語に自信がないからといって「ぼそぼそ…」と話した日にゃ「あぁあ!?」と一蹴されてコミュニケーションは終了となる。
中国の人の名誉にかけて追記するが、この「あぁあ?」は日本語でいうところの「えっ?」くらいのニュアンスなのだが、いかんせんキツく聞こえるため「怒られた」とか「馬鹿にされた」とか感じてしまうのだ。慣れてないと特に。
しかし。
そんな、何かと気疲れする日々の癒しとなったのもまた、意外にも中国現地の人とのコミュニケーションだった。
買い物帰り、どきどきとしつつバスに乗ったある日のこと。歩き疲れて眠ってしまった娘を荷物のかたわら抱く私を見かねて、「その子、私のひざに乗せたらいいよ」と声をかけてくれたおばちゃんがいた。(たぶんそんなことを言っていた気がする。当時はおばちゃんの距離感にちょっとたじろいでおまかせすることはなかった…)

またある時、家族連れで道を歩いていると「日本人ですか?」と声をかけてくれた中国人ママが、その後ぐっと仲良くなって、引越しの際には部屋探しまで手伝ってくれたことがあった。
困ったことがあったら何でも言ったらいいよって、彼女の娘さんと私の娘を一緒に遊ばせてくれたり。当時、娘はおろか私にも友達と呼べる人がいなかったから、こんな風に、中国の公園で、日本でやっていたように、子ども同士を遊ばせられる関係性を人と築けたことがほんとうに救いだったんだ。
筆談しかできかなった当時の私が、相手の言っていることを理解したくて何度も同じことを聞いても嫌な顔ひとつせず答えてくれたおばちゃんもいた。(そう、基本おばちゃん優しい)
公共交通機関に乗れば、小さな子、お年を召した方が乗ってきた瞬間まっさきに席をゆずる若者の多さにも驚いた。
あれ、もしかして中国って思ってた以上に「いいところ」なんちゃう…?
日本に住むだけではおそらく決して持ちえなかったであろう中国に対するポジティブな印象。それがさらに確固たるものになったのは、日本から送った船便がようやく広州の家に届いたころだった。

引っ越し業者の方々が、部屋まで搬入作業に来てくれた。たぶん数十箱はあったであろう荷物を、ひょいひょいと運んでくれる。
日本のように、搬入先の部屋の床や壁が汚れないようにと養生することはなかったし、土足で部屋に入る皆さんの姿に「これぞ中国」なんて驚きつつも、スタッフのお一人であった、おそらく20代なかば…の青年が、日本語で話しかけてくれたことがとてもうれしかったのを覚えている。
たぶんこちらの会社。私たち家族のほかにも日本人駐在員家庭の引っ越し業務をメインに引き受けているようで。
日本語教育が、社内でも進められているのかもしれなかった。彼はたどたどしいながらも、理解しやすい日本語を使って私に対し荷物の個数や内容を確認しつつ、ほかの、日本語がわからないスタッフに指示を出していた。

中国式の、雑な荷物の搬入作業が終わり、スタッフみんなが部屋を出る間際だった。
ふと、その若いお兄さんが私に向かってこう言ったのだ。
「すてきなスタートになりますようにぃ」。
片言で、ちょっとイントネーションも不自然で。それゆえに彼がいま、頑張って日本語を学んでいることがわかる日本語で、ひとこと挨拶してくれた。「今から始まるあなたがたの広州での日々が、どうかすてきな日々になりますように」と。
名も知らない彼がくれたささやかなエールに、心がじんわりとあたたまった。彼からすれば何気ない挨拶であったろう言葉も、当時の私には妙に染みたのだった。
だから、今も忘れず心に残っている。

この言葉をかみしめて、その時私は改めて「中国のいいところ、すきな場所、人、たくさん見つけて帰ろう。縁あって住むことになったこの場所を愛そう。そういう生活を送ろう」と思えた。
すてきな日々になりますように。
彼がそう祈ってくれた通り、その後につづく駐在期間の3年間は、私と、私の家族にとってとても大切な日々となった。

日本に本帰国した今も、春がくるとふと、私は中国で出会った、あの青年の言葉を中国で出会った多くの朋友(友達)たちの姿とともに、思い出す。そして祈るのだ。
これからの1年もまた、すてきな日々になりますように、と。
